第十四曲 少女とエイジと独りきりの虚空
「
「よし。これよりサンドゥン号は、超弦接続励振航法を止め、通常宙域に浮上。そののち、慣性航法に移行する。因果接続システム、
「了解──解除!」
サンドゥン号の操舵を任されている航宙室に、統括局から命令が飛ぶ。
この移民戦艦は、通常状態では宇宙に遍在する恒点──宇宙が広がった際にできた年輪のような部分を2つ結び、そのあいだを飛び越えるようにして航行している。
2点間に因果さえ成立するのなら、次元や星間ほどの距離さえ貫通してしまう超弦理論の賜物であるこの航法によって、サンドゥンは疑似的なワープを繰り返しながら、広大な宇宙を進んできたのだ。
かつて人類がいた宇宙よりも、はるかかなた──746個目の外宇宙においても、同じように。
そんなサンドゥン号がいま、次元の海から通常の宇宙空間へと浮上しようとしていた。
凪いでいた暗黒の宇宙に、小波が生じる。
それは徐々に大きくなり、空間を突き破るようにして、ついにそれは浮上した。
惑星ほどの質量をもち、動くだけで周囲に影響を波紋のように伝播する巨大戦艦。
Y字型のそれは、鈍色の光沢を帯びた赤という、不可思議な色彩を示しながら宇宙のただなかに現れた。
「座標を確認せよ」
サコミズ・ゴードンの命令により、乗組員たちがせわしなく計測器を回す。
「第80x系列760恒点のイプシロンに類似。周囲に敵影無し。目標と思われる資源衛星までの距離に誤差なし」
「よろしい。次元アンカーを投錨。この座標に、サンドゥン号を一時的に固定せよ」
「命令受諾!」
様々な処理がされる中、ゴードンは待機中だった2名の楽士──1名の新任楽士と、もうひとりの護衛視へと指示を送る。
「ボドウ・アカネ新任楽士。こちら統括局局長サコミズ・ゴードンだ。これよりクワイアの楽士である貴様に、船外活動許可および予備量子帯増設型真空活動用アームドゴーレムの譜面を貸与する」
「了解」
楽士準備室で、アカネは敬礼とともに任務を拝命する。
「貴様たちの出撃から12000セコンドのち、採取本隊である回収船と護衛のバース20機がこの船を出る。貴様たちの任務は、この到着までに資源衛星へ、
「ありません!」
「アスノ・エイジ。貴様はどうだ」
「一つだけ確認したいんだが」
「発言を許す」
鷹揚に頷くゴードンに、エイジはポリポリと頬を掻きながら訊ねる。
「これは俺を厄介払いしたいだけ、とかではないのか?」
「おまえ! なんてことを」
叫ぶアカネを無視して、エイジは重ねて問う。
「不確定な存在である俺とエイジオンを外に捨てて、すぐさま航行を再開する……そんな算段じゃないのか?」
「たとえそうだったとして──」
ゴードンは、その表情をわずかにも変えることなく、答えた。
「その程度で、貴様は人類を見守ることを止めるのか?」
「──まさか!」
エイジは笑った、快活に。ありえないといった様子で。
「俺はいつまでも見守るさ。どんな目に遭っても、行きつくところまでな。それに──動き出したサンドゥンに追いつく方法ぐらい、隠し持っているよ」
「ほぅ……?」
エイジの言葉を受けて初めて。
ほんの少しだけ、ゴードンの口の端が持ち上がるのを、アカネは見た。
(叔父様が、笑った……?)
しかし、その疑問を口にする前に、波動端末は譜面の着信を告げていた。
「送信終わり。以降、力場の存在しないサンドゥン船外では、超弦プリンターを起動できない。そのことを十分踏まえたうえで、健闘を祈る。ゆけ、若き楽士たちよ」
ゴードンの激励を受けて、アカネは大きくうなずく。
(そう、なぜ船外活動が一番危険な任務であるかといえば、このためだ。サンドゥン号の外では、6Dプリンターは原則起動できない。力場の外だからだ。追加の物資は受け取れないし、コックピットが破損すればそれまでだ。それでも、あたしは)
決意を胸に、アカネは船外──わずか数枚の隔壁で隔て宇宙が広がる射出口を臨む位置へと立ち、波動端末を吹き鳴らした。
エイジもそれに続く。
『折り目正しく、清めよまぶし──』
『そういうのいいから、黙って準備しなさい』
『……はーい』
カタパルトに降り立ったのは、2体の巨人。
1体は青のエイジオン・トゥイル。
もう1体は灰色──バースに似ていたが、フォルムに差異が見られた。
全身に小型の
またゴリラのような体型も、かなり人型に近くなっていた。
頭部は船外活動を考慮して、センサー類が組み込まれ、狐の様な面持ちになっている。
航続距離と、稼働可能時間を延長するために
(この機体はまだ試作段階だと聞いていたが、以前よりも操縦が軽い。もしかすると、エイジオンのデータが利用されているのかもしれないな……)
そんなことを考えつつ、アカネはバースターの両足をカタパルトに乗せる。
隣を見やると、エイジも準備を終えていた。
隔壁に併設された信号機に、赤色の光がともる。
後方の隔壁が降り、代わりに前方の隔壁が開く。
すべての隔壁が開いたとき、シグナルは緑色に輝いた。
ゴーサイン。
アカネは、告げる。
『ボドウ・アカネ──試製バースター、これより船外活動に従事する!』
『アスノ・エイジ──エイジオン・トゥイル、右に同じ!』
ガチンと音を立て、拘束されていた両機が、カタパルトで加速されて船外へと押し出される。
同時にバースターとエイジオンはスラスターを噴射。
さらに加速。
そうして。
「────」
アカネは、一瞬で言葉を失った。
それは極彩色の
満天という言葉を超えた、いくつもの輝き。
彼女は生まれて初めて、星の大海へと一歩を踏み出したのだ。
『まぶしい……』
『放射線の遮断レベルは正常か? 網膜に青い光が焼き付いていたりは?』
『人の感動を邪魔しないでくれるかしら……初めてこの目で、星空というものを見ただけよ』
エイジの茶々にげんなりと返答しながら──しかし落ち着きを取り戻したアカネは、初めて乗るバースターを巧みに操り、資源衛星へと向かう。
『サンドゥンの中にある星空も悪くないが、こっちは一段とすさまじいな』
『意識レベルは正常? 世迷い言が脳裏に焼き付いていたりは?』
『君、案外根に持つタイプだな』
『当たり前よ』
(それだけを胸に、今日まで訓練を積んできたのだから)
アカネはその言葉を口にしなかったが、エイジは何かを理解したようで。
『しかし、この無限の真空は恐ろしくもある』
と、続けた。
『人類は不退転の決意とともに、こんな虚空へと旅立った。なにもない、星の光だけがしるべの世界に。危険と極限が渦巻くこの宇宙は、あまりに温もりに欠けている。それでも』
『ええ、それでも、よ。人類は前に進むのよ。あたしたちを滅ぼそうとする、天使を逆に滅ぼすために!』
『…………』
『そのためにも、資源はきちんと採掘しなくっちゃ。さあ、きりきり働いてちょうだい』
『まったく……君は本当に、強いひとだ。俺はだからこそ、戦ってほしくないのに』
呆れとも、諦観ともつかないつぶやきを吐いて、それ以来エイジは無言になった。
2人は黙々と、降り注ぐ星の光を道しるべに宇宙空間を移動し、やがて目的の小惑星を発見した。
アカネはマーカービーコンを準備しながら、各種センサーを起動する。
『センサーでもわかる通り、資源となる物質を多分に含んでいるわ。よかった、これでサンドゥンが失った物資を補給できる。帳消しとはいかないけれど、あれはあたしの初出撃だったし……』
『まあ、それを言うのなら、問題は俺にもあるのだけれど』
『どういうこと?』
謎めいたエイジの言葉に、アカネが疑問を投げた。そのときだった。
『──!? 資源衛星の裏側から、高速接近する影あり! これは……!』
『能天使か! これは俺が抑える! アカネはすぐにサンドゥンへ連絡を!』
『わかったわ!』
制御翼を全開にして、緑の粒子を振りまきながら加速するエイジオン。
その前方に、くちばしを備えた6つ目のバケモノ──能天使が出現する。
『GURIIIIIIIIIIIII!!!』
咆哮した能天使が、雷球を放ち、エイジオンはそれを躱す。
だが、その隙をついて、能天使はエイジオンへと組み付き──
『しまっ──アカネ!?』
『え……?』
そして、それは起きた。
宙域を離れ、サンドゥンへと連絡を取ろうとしていたアカネの。
その後方に突如として、そいつは現れたのだ。
二つの頭を持つ能天使──力天使。
それが、アカネの乗るバースターに襲い掛かり。
『きゃあああああああああああああああああ!?』
『アカネえええええええ!!!』
§§
(──そう。そして、あたしは極限の虚空へと、漂流することになったんだ……)
推進装置が破損し、ただ漂うことしかできないバースターの内部で。
アカネは、数十時間ぶりに意識を覚醒させ、そんなことを考えた。
近づいていた敵の存在は、また消えている。
(──孤独、か)
彼女がエイジ、そしてサンドゥンからはぐれて、すでに89時間が経過しようとしていた。
(起きていると、エネルギーがもったいない……)
アカネは再び、まどろみの中に落ちていく。
ボドウ・アカネは、夢を見る。
その夢の中で。
彼女はまた──ひとりの少年と、再会するのだった。
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