第十五曲 少女と少年と守りし者
アカネは、ごく一般的なサンドゥン号の乗組員として育てられた。
彼女の母も父も、ただのクルーであり、そして早くにその姿を消した。循環槽へと消えた。
以降、彼女は叔父であるサコミズ・ゴードンに引き取られ──ラブロック・マイリスとともに生活し──彼のずば抜けた優秀さを見つめ続けることになった。
ゴードンに対して、アカネは羨望や畏敬に近い感情を抱いている。
当時のゴードンは、それほどまでに英雄的で、サンドゥンの危機を何度も救っていたからだ。
無数の天使が襲来した夜を無事超えられたのも、サンドゥンの道行きに立ちふさがった能天使を撃退して見せたのも、すべては若き日のゴードンの功績であり。
それは、間違いなく八面六臂といえる大活躍で。
だから──ボドウ・アカネが、彼に対して恋をしているのだと感じたのは、当然のことだと言えた。
「あたし、おじさまのことが好きなの!」
そう打ち明けたアカネに対し、幼馴染の少年は、
「そっか。うん、好きな人がいるっていうのは、とても素敵なことだね」
そういって、心底嬉しそうに笑った。
「あたしはおじさまが好きなのよ? あんたはなにも思わないの? 好きな人はいないの?」
不服そうな様子で問い詰めるアカネに、少年は困ったように眉を寄せて、やがて小さく微笑んで答える。
「どこを目指すか、どうやって歩くかは、自由でいいんだ」
「?」
「誰が好きだとか、どうして好きだとか、それはどんな理由でもいいんだってことだよ。最後に命が繋がっていくこと。明日のために一歩を踏み出すことが、きっと大事なんじゃないかな」
「それって……答えになってないわ。結局、あんたには好きな人がいないの?」
「もちろんいるさ。でも、それはもう少し先の話なんだ。今のぼくは──いや、ぼくらはいまだ、産まれてすらいない。あまりに未熟で、守られた存在だから。だからもし──もしも揺り籠から出て、立ち上がる瞬間が来たのなら、ぼくは胸を張って伝えるよ──あなたが、好きなんだと」
「……やっぱり、あんたが言うことはちっともわからないのだわ。バーカ」
「うん。よく言われるんだ、たくさんの人たちに」
「そういえば、みんなにあんたの話を聞こうとすると嫌な顔されるの。それに、あたしはあんたのおとーさまとおかーさまを知らないし、今度、紹介してくれる?」
「……もし、それができる日が来たら、夢のようだね」
寂しげなようにも。
あるいは空想を楽しんでいるようにも見える不思議な表情で、少年は頷いた。
(あいつが誰にも望まれずに生まれてきた〝生命の例外〟だと知るのは、もっとさきのことだったわね……そうか、これも、あたしの夢……)
アカネの意識は、ゆっくりと覚醒する。
「……はぁ」
息苦しさに、彼女は喘いだ。
同時に、恐ろしいほどの冷気に、全身を抱きしめる。吐く息が、白く凍る。
非常灯で真っ赤に染まったバースターの内部。
節電のために最低限の生命維持装置だけが動くそこは、ひどく孤独な世界だった。
ちいさな小惑星に、バースターの破損した機体を横たえ、彼女は休眠を続けていた。
救難に備えた、一縷の希望にすがっての行為だったが、マニュアル通りの行動でもあった。
目が覚めた今、ぼうっと見上げれば、星の海がそこにある。
しかし、それはサンドゥンを出た瞬間のような感動を彼女に与えない。
むしろ。
(むしろ、ようやくあの不審者が言っていたセリフが、理解できた。この極限虚空は、あまりにも広漠で、なにもかもが冷たく、寂しい……)
アカネは震える。
寒さと、恐怖に。
アカネはそっと、センサーと計測器を起動する。
自分がどれほど、あの資源衛星から離れてしまったのかを確認したかったのだ。
しかし、帰ってきた答えは無慈悲なものだった。
(計測不能、か。どれほどサンドゥンと離れてしまったのか、それさえもうわからないのか。だとしたら、もはや帰還することは、望み薄だろうか)
戻れない。
それを自覚した瞬間、彼女の涙腺から、なにかがこみあげてきた。
慌ててアカネは、パイロットスーツで目元をこする。
人々を守る、赤服である自分が涙をこぼすなど、彼女の矜持が耐えられなかった。
(そうだ、帰るんだ。こんなところにひとりでいちゃ、天使を殺すことなんてできない。あたしはみなを守って──ああ、違う)
理解とともに、彼女は自分の身体を抱きしめた。
「あたし、死にたくないんだ……」
弱々しく、いまにも泣き出しそうな声音で紡がれたそれは、紛うことなき、彼女の本音だった。
(死にたくない。こんなにもあたしは、死にたくない。誰かを助けるとか、天使を殺したいとかそれ以前に──そうか、あたしはただ、死ぬのが怖かったんだ)
なぜなら彼女は、失ったのだから。
大切な友人を。
かけがえのない幼馴染を。
7年前のあの日以来、彼女の中に巣くい続けてきたモヤモヤが、ようやく言葉になる。
それは、死に対する根源的な恐怖と忌避感だった。
死にたくないからこそ、彼女は死そのもの──天使を殺したかったのだ。
(生きたい。生き延びたい。そのために強くなった。そのために、天使を倒したかった。そして、あいつの死を、無為にしたくなかった。だから、だから──)
いよいよ酸素残量や、エネルギーが底をつき始め、彼女の思考は回らない。
寒さにぶるぶると体は震え、呼気はどんどん荒くなる。
悪いことは重なる。
よりにもよってそのタイミングで、バースターは敵影の接近を再び告げた。
彼方から飛来するのは、あのときアカネを襲った力天使。
音が伝わらないはずの真空の中で、しかし奇声を上げる虹色の化け物。
「いやだ」
アカネは、必死に立ち上がろうとする。
だが、バースターには、もはや足がない。
「死にたくない」
アカネは決死の想いで、拳を振り上げる。
だが、その先端は喪失している。
「あたしは」
(ああ、おねがい、あたしを──)
力天使の爪牙が、バースターへといまにも突き立てられる。
「だれか、助けて」
『助けるに──決まってんだろうがあああああああああああああああ!!!』
火花が散った、星の瞬きのように。
アカネは目を見開く。
涙腺が決壊し、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
嗚咽する。
彼女は、口元を抑え、くしゃくしゃになって涙をこぼす。
力天使を、弾き飛ばした存在がいた。
それは──ぼろぼろになった、あらゆる部分を破損した、青の機体。
エイジオン・トゥイル。
そのコックピットで、この半年間を共に過ごした男が、すさまじい形相で咆哮する。
『生きているか、アカネええええええええええ!!!』
「ああ、あああ……! エイジ……エイジ……!!」
『待っていろ、すぐにこいつを片づけて、君を救う!』
エイジオンは右手を高く掲げ、左手を下方へとむける。
同時に、ヴィブロエッジが飛び出し、超振動を始める。
襲い掛かる力天使。
エイジオンは一歩も引くことなく、避けることもなく、それを両断する。
『
光の粒子となって爆散する力天使。
そのひかりを背後にして、エイジオンはバースターへと急接近する。
ガツンと、機体同士がぶつかる音が響いた。
両手を小惑星に突き立て機体を固定しながら、エイジは問いかける。
「アカネ、無事か?」
「…………」
「アカネ?」
機体同士が触れたことで伝わってくるエイジの肉声を聞き、アカネは耐えられなかった。
ただ、顔を覆い、声を押し殺し、涙を流し続けた。
(生きている……!)
その、あまりに当たり前で、あまりに得難い奇跡に震えながら。
彼女は、繋がった命を噛み締めていた。
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