序曲‐β 少女と少年と始まる物語

「……こんなところまで追いかけてきたの? あんたも物好きねぇ……」

「その言い方、あんまりだと思うよ?」

「あんたには順当よ」


 いつの間にか、右隣に腰を下ろしていた少年を一瞥し、少女──ボドウ・アカネはそっけなく答える。

 少年は苦笑を浮かべていた。

 モスグリーンの瞳に、短髪の少年。

 アカネは、少年のほうを見ないように努めていたが、


(よくわからないけど、なんだかモヤモヤが、どこかに行ってしまったぞ……?)


 と、思っていた。

 少年がそばにいると分かっただけで、アカネは安心したのだが、その心の動きが理解できないので、また別のモヤモヤが生まれてしまうのだった。


「……痛いよ、アカネ」


 そうして、その行き場をなくしたモヤモヤを、少年の手の甲をつねるということでしか彼女は発散することができなかった。

 冷静なはずの声音も、どこかつっけんどんな色を帯びる。


「我慢しなさいよ、男の子でしょ」

「男だからって痛みを我慢しなきゃいけない道理はないと、ぼくは思うな。もちろん女性だって痛みを我慢する必要はない。叫んだっていいんだ、痛かったら痛いって」

「なにそれ、新曲の歌詞かなにか?」

「ぼくの専門は譜面を作る事だからね、できないとは言わないさ」


 少年はからりと笑う。

 それから、サンドゥン号の一般船員が身に着ける白い一繋ぎの制服から──ただし、その胸ではY字型の勲章が輝いている──手のひらほどの大きさの端末を取り出した。

 干渉波動生成端末。

 サンドゥン号の六次元超弦出力装置に干渉し、許された資源の範囲で望んだ物質を生成するための端末だった。

 少年のそれは、正規クルーが持つものと、なぜか形状が違うことをアカネは知っていた。


(たしか、アーカイブスで見たぞ? オカリナ、だったか……?)


 アカネがそんな風に記憶を探っていると、少年はまじめな口調で話し始める。


「今日はさ、特別な日じゃないか」

「知らないわ、古い宗教の神の子が再誕した日だったかしら? ガイア教団では愚か者たちが船出を始めた日、らしいけれど」

「あのねぇ……」


 本気で分からないといった様子のアカネに、少年は呆れたように微笑みかける。


「今日はアカネが出力された日だよ。アウト・デイだ」

「へー」

「へーって、興味ないの?」

「いつ出力されたかなんて、問題じゃないわ。立派な乗組員になってサンドゥンに貢献することのほうが大事よ」


(そうだ。たとえすべてがまがい物だとしても。やるべきことをやるというのは、正しいことのはずだ)


 アカネはなにか、指針を見つけたような気分になった。

 人類にとって正しいことをする。

 そのためには、自分は早く成長しなくてはいけない。

 いまはまだ、彼女は非正規乗組員。どんな役職に就くかさえ決まっていない。それでも、いずれ自らの意思で、クルーとしての役目を選ぶことになる。

 そのためには、こんなモヤモヤは不要なのだと、彼女はうなずく。

 一方で少年はというと、


「────」


 微笑みとも呆れ顔とも違う奇妙な表情で、少女のことを見下ろしていた。

 ただその目つきだけが、異様にギラギラと、仄暗い渇望をたたえていることに少女は気が付かない。


「ところでアカネ」

「なによ」

「君の叔父さんは、元気かな?」


 アカネと呼ばれた少女は、うん? と首をかしげる。


「サコミズ叔父様? もちろんよ、偉大なあの人は、今日も天使からあたしたちを守るために働いているわ」

「次に天使を撃退したら、統括局の局長に昇進だって聞いたけど? 統括局局長といえば、この戦艦の船長だ」

「ええ、鼻高々だわ!」


 自分のことのように胸を張る少女を見て、少年はかすかに微笑んだ。

 それに気が付いて、アカネは少年の胸を軽く叩く。


「あんただって、あたしたちの年齢では唯一の正規乗組員リーガル・クルーなんだから、胸を張ればいいじゃない。その胸の勲章はその証しでしょ? で、どうなの、特別製のあんたは? ちゃんと生きてる?」

「君だけだよ、ぼくに対してそんなあけすけな言葉をかけてくれるのは。嫌ってくれないのも、君だけだ」

「はん、驕ってんじゃないわよ、あんただってあたしたちと同じアウターだわ。それより、天使と戦うための新兵器、開発できたの? 論理の飛躍は100年ぶりだって聞いたわよ?」

「そっちははっきり言って、てんでダメでねー、あと二十年は進展がないんじゃないかな?」

「なーんだ」

「でも、君が頑張れって言ってくれれば、半分以下の歳月で実現してみせるよ!」

「なによそれ」


 思わずといった様子で噴き出す少女。

 ようやく笑ってくれた少女の笑顔を、少年は満足そうに眺めて。

 小さな声で、問いかける。


「ねぇ、アカネ。どうしてぼくが、君のアウト・デイを覚えていたと思う?」

「知らないわよ、さっき言ったとおり、聖人の記念日と同じだからじゃないの? じゃなかったら、あたしが知らないことをあんたが知っているなんて、気色が悪いわ」

「酷いいいざまだなぁ……いや、いいよ。そのほうが強く胸に刻まれる」

「……あんた、いつもおかしいけど、今日は輪にかけておかしいわね? なにかあったの?」


 少年を案じたその問いかけに。

 しかし彼は答えず。


「ぼくと君は、アウト・デイが同じ幼馴染なんだ」


 と、真剣な様子で口にした。

 少女はせせら笑った。


「アーカイブで見たことがあるわ。つまりあたしとあんたは、子どもを作る事がないってことよ!」

「そう、幼馴染は負けヒロインでね、初恋は実らない。それは、呪いみたいなものなんだ」

「呪いなんて、あんまりにも前時代的だわ」

「呪いでなければ、運命でもいいよ。世の中はすべて、始まりと結末が決まった、一枚の設計図なのさ」

「バッカみたい!」


 罵倒し、そっぽを向く少女だったが、その口元はほころんでいた。

 少年もまた、さわやかな笑顔になっていた。

 彼は、その小さな口元に端末を押し当てる。


「正しい結論だ、ぼくはとても馬鹿なんだ。だから、君の運命を知ってなお、お節介を焼かずにはいられない」

「とっても迷惑だわ」

「他人の迷惑を考えているようじゃ、自分の願いを貫くことはできないからね」

「なにそれ。名言のつもり? ほんと、バッカみたいに邪悪な論理だわ」

「邪悪で結構。それで、最初の質問に答えると、ぼくは贈り物をしに来たんだ」

「?」


 突然のアンサーに、首をかしげる少女。

 アカネの琥珀色の瞳をじっと見つめ、少年は一言だけ付け加えた。


「あるいは、お別れに」


(どういう意味だ? こいつ、なにを言っている?)


 少女が問い質そうとしたとき、少年は端末に息を吹き込んでいた。

 流れ出したのは旋律だった。

 風に寂しさを問いかけるような、あるいは勇壮に一歩を踏み出すような、もしくは別れを惜しむようなメロディーライン。

 少女は言葉を失って、その旋律に耳を傾けていた。

 うっとりと聞き惚れながら、


(……ああ、たぶん、たぶんだが……こいつのこの演奏だけは、まがい物じゃないんだ)


 そんなことを、少女は考えていた。

 胸中のモヤモヤが完全に消え、演奏という名の波動の発生と6Dプリンターへの干渉が終わった時、少女の目の前には〝タマゴ〟があった。

 資源が消費され、望まれたものが出力された証し。

 やがて、〝タマゴ〟の全体にひびが入り、中身が──



 硝子が砕け散るような、耳をつんざき、世界をろうする叫びが響く。



 少女は聞いた。

 ボドウ・アカネは、そのとき確かに、その音を聞いたのだ。

 すべてが砕け散る。

 すべてを台無しにする雑音ノイズを。


『GURYUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』


 青い空を割り砕いて。

 偽りの空を破壊して。

 それは、少女の真上に降臨した。


 〝天使〟。

 鉱物と機械が融合したような外皮を持ち、かぎづめのような六枚の翼を備えた巨大にして異形のバケモノ。

 虹色の邪悪。

 太い蛇の尻尾を持ち、仮面のような頭部は一対の翼で隠され、単眼が禍々しく覗く。

 そして隆起した胸郭は獅子の顔に似て、2つの光球が、まるで眼球のように暗く、赤々と燃え盛っているのだった。

 その口腔に、邪悪な闇が収束し、放たれる──


「ぼくは誓う。人類を見捨てないと。いつだって、君を祝福すると──」


 それが、少女が聞いた少年の、最後の言葉だった。


§§


 その日。

 サンドゥン号は、航海を始めて以来789467回目の襲撃を受けた。

 未確認の天使の襲撃によって、これまでに類を見ない9500名もの人命が奪われ、船の機能は半ば停止し。

 そして──ひとつのかけがえのない存在が喪われた。


 ボドウ・アカネ。

 彼女は天使に襲われた数日後、医療施設で目を覚ました。

 目覚めた彼女は、恩讐の化身だった。

 自らの配置換えを上層部へと進言し、過酷な訓練へと身を投じる。

 統括局が誇る、対〝天使〟迎撃室クワイア。

 サンドゥン号の守りのかなめであり、唯一天使に対抗できる力を、少女は求めた。

 なぜなら──


 彼女の幼馴染は、消滅してしまったのだから。


(いつわりでも、よかったのに。もっと早くに、気が付くべきだったのに。あたしは、あいつのことを──)


 星の見えない星海をゆく、あてどのない航海の中で。

 少女は、後悔とともに剣を執る──

 その長い髪を、少年が残した形見──星型の髪留めで止めて。

 失ったものは、プリンターでは蘇らないことを、胸に留めて。


 物語の、幕が開く──

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