第十九曲 少女と赤ちゃんとクレイドルの匣
「おはよーございまーす! 今日はどこに行かれますか!」
早朝、アカネはイズレの訪問を受けた。
(どこといわれても、あたしは警邏以外ではトレーニングをしたりアーカイブを漁ったりするのが日課であって、用事がなければ外出もしないのだけれど)
そんなことを考えて、彼女は論点がずれていることに気が付く。
イズレの目的はエイジという〝英雄〟なのだ。
サンドゥンに、これまで類を見ないほど押し寄せる天使。
そのすべてを倒してきたエイジに、あくまでイズレは密着しているのである。
アカネはため息をつき、エイジに予定を聞こうと足を向け、そして立ち止まる。
「……? どうしましたか」
「いや……」
(どうもこうもない。あたしが勝手に、負い目を感じているだけだ)
命の次に大事だと、彼が繰り返し語っていた帽子。
それが失われた日、エイジは確かに力天使を退けた。
しかしそれから、彼は部屋にこもるようになった。
時折響いてくる、あの奇妙なメロディーだけが、エイジがそこにいるという証しだった。
話しかければ返事をするし、顔を合わせて食事もする。
ただ何となく、アカネはエイジと距離を感じてしまっている。
「……あら、今日もこの調子なの?」
「指導官殿……」
「おねーちゃんでいいのに」
イズレの背後から顔を出したマイリスが、苦笑して見せる。
「アカネちゃんは本当、強いようで繊細なのよねー」
「……どういう意味ですか」
「可憐だってことよ」
またも小さく苦笑したマイリスは、イズレと短くあいさつを交わした後、アカネへと自身の端末を差し出した。
「指導官殿?」
「今日はエイジちゃんを誘ってここに行ってくるといいわ、いい気分転換になると思うのよ」
「しかし、あたしは……」
「あなたが連れ出してあげて。ね?」
世話になりっぱなしの指導官に、ぱちりとウインクをされてはアカネも反論できず、端末へと視線を落とした。
「これって」
彼女の目が、見開かれる。
奥の部屋の扉が開き、騒ぎを聞きつけたエイジが、姿を現した。
「朝から騒がしいな。なんかあったのか?」
「エイジ」
アカネは、意を決したように、告げた。
「あたしと、赤ちゃんが生まれるところを見に行くのよ!」
§§
サンドゥン号の特に重要な施設を抜粋するのなら、それは四つある。
すべての区画に指示を出し、運行を定める統括局。
あらゆるアウターの源であり、生命線でもある循環層。
航海と生命を保証する万能の主機、六次元超弦出力装置。
そして、すべての命が生まれる場所──クレイドルの
サンドゥン全体の資源が、必ず一度は通過する循環層。
その隣の区画に、クレイドルの匣は存在する。
循環層が、ライトグリーンに発光する巨大な円環であるのに対して、クレイドルはまさしく匣である。
四角い、灰色のそれには窓ひとつなく。
ただ入り口のみがひっそりと存在している。
その入り口の前に、たくさんの人混みができていた。
アカネとエイジも、そこにいた。
「それで? これはいったい、なんの催しなんだ?」
「言ったでしょ、赤ちゃんが生まれるところを見に行きましょうって。そのために来たのよ」
「まったく意味が分からない」
「ここに来たことがない人間なんていないわ。誰しも一度は、サンドゥンのこの場所を通る。例外なんて、あたしは一人しか知らない」
「例外、ね……」
帽子の位置を直そうと手を伸ばし、エイジの手はそこで空を切る。
彼は少しだけ寂しそうな表情になって、マフラーを巻きなおした。
(やはり、あの帽子はこいつにとって大事なモノだったのだ。それを犠牲にしてまで、あたしの命は守られた。こいつの意図も目的も、いまだにわからないが、それでもその真剣さは理解できた。だから、あたしもだ。あたしも、きちんと応じなければいけない)
アカネはきゅっと両手を胸の前で握って、クレイドルの入り口を見やる。
入り口は、アカネの背丈の倍ほどもあり、横幅はさらに広い。
一連の様子を、イズレが興味津々といった様子で撮影している。
(無理もない。意識がある状態でクレイドルが見られる機会は、そう多くないからな。指導官殿が紹介状を渡してくれなければ、この場に立ち会うこともできなかっただろう。そして、天使による戦死者が出なければ、こうやって補充されることも……)
彼女がそんなことを考えていたときだった。
集まっていた者たちが、急にざわつき始めた。
ほとんどが壮年の男女で、若者は少ない。
クレイドルから、二人の男女──若い男女が、歩みだしてくる。
彼らは晴れ晴れとした笑顔を浮かべており、そのあとに続いて、なにか巨大なものがクレイドルの匣から滑り出してきた。
無数のシリンダーとチューブが絡みついた透明な円筒──
その内部は、青色の液体で満たされている。
若い男女は一同を見渡すと一礼し、円筒の両面へと、それぞれの左手の薬指を押し当てる。
プシュッ。
という噴出音とともに、男女の指先に極小の針が刺さり、血液を抽出。
それは円筒の中で、赤い二重螺旋を描く。
男女は手を離すと、ふところから取り出した波動端末を口元に寄せた。
それを待っていたかのように、その場に居合わせたほとんどのものが、波動端末を取り出し、同じように口元にあてる。
男女が、演奏を始めた。
快哉を叫ぶような曲。喜びの歌。
歓喜にむせび泣くような荘厳な旋律。
同時に渦巻く欲望のような、正直なメロディー。
その音色に合わせて、円筒の中で変化が起こる。
「……!」
エイジは驚いたように目を丸くする。
アカネには、彼が本心から驚いているように思えた。
クレイドルに隣り合わせる区画──循環層から、パイプに乗って量子の帯が運ばれてくる。
それは円筒の中で渦巻く二重螺旋へと絡みつき、やがて一つの形を成す。
ぶよぶよとした毛のない外皮。
ゆるく握られた指は、指としての形状もあやふやで。
四肢は短く、腹はぷっくりと膨れている。
薄い毛髪の生えた頭部だけが、やけに大きい。
〝それ〟は、演奏が終わるのと同時に円筒から〝出力〟され、そして、耳を劈くような泣き声を上げた。
おぎゃあ、おぎゃあ──と。
赤ん坊が生まれた、その瞬間だった。
「ありがとうございます! この子のアウト・デイです! きっと一人前に育てます」
「皆様のご協力、感謝いたします……!」
一斉に歓声を上げる人々に、男女が涙を流しながらお礼を言って回る。
彼らの腕の中で〝それ〟──赤ん坊は、いつまでも泣き声をあげていた。
エイジはそれを、呆然と。
「────」
あるいは、ひどく眩しそうなものを見ているかのように、目を細めて見つめていた。
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