第二十曲 少女と命の形と終わりの始まり
「今日は、どうして俺をここに?」
エイジのそんな問いかけに、アカネは循環層へと指先を向けることで答える。
「あたしの両親は、ずっとまえにこの船に還った。天使に殺されたんじゃない。お母さんも、お父さんも、あたしを出力するころにはすごく年老いていたから、もうクルーとして必要じゃなかったのよ。これは知ってる? 年老いたものは、資源になるの。そして、次の命をはぐくむため、サンドゥンに還っていく。その意思は、この船に保存される。だから、あたしの両親はもういない」
「…………」
「それ以来、あたしはおじさまと──それからマイリス管理官殿に育てられた。今日おまえをここに連れてきたのは、伝えたかったからよ」
「なにを?」
アカネは、一度大きく息を吸って。
はっきりとした口調で、告げた。
「おまえは、守ったんだ──今日生まれ出てくる命の、その未来までも」
アスノ・エイジという存在が、アカネにとってはいまだ謎の人物であることには変わりなかった。
しかし、その行動の意味を、彼女は少しずつ理解していた。理解しようと頑張っていた。
数日前、彼女はエイジに身を挺してかばわれ、そしてその時に、閃くように理解したのだ。
(ああ、この男は──きっとあたしと同じ考えなのだろうな)
と。
考えるよりも先に、体が動くのだ。
天使が憎いと訴えるアカネは、それよりも人々を守りたいと思ったのだ。
彼女はエイジに、同じ匂いを嗅いだのである。
そのうえで、エイジという存在の一部を理解したうえで。
彼女はゆっくりと、頭を下げた。
「おいおい、ちょっと待ってくれ。頭を下げられるようなことをした覚えはない!」
これに慌てたのはエイジだったが。
それでもアカネは、頭を下げ続ける。
そうして、告げる。
「帽子をダメにしてすまない。きっと穴埋めはする」
「あれは……いや、いいんだよ、ああなることは決まっていたんだ」
「それから──ありがとう、エイジ」
「……?」
「ありがとう」
なにに対してなのか、アカネ自身にもわからないお礼だった。
けれど、それは間違いなく心からの言葉であって。
それが通じたからだろう、エイジは困ったように鼻の頭を掻き、頬をかすかに染めている。
ゆっくりとアカネが顔を上げた。
エイジの深い緑色の瞳と、彼女の鋭い、だけれど今だけは穏やかな瞳が出会って──
「ちょっとアスノさん! 英雄さん! こっちに来てくださいよ!」
イズレの声が、ふたりだけの時間を断ち切った。
「新しく生まれた赤ちゃんですよ! 英雄さんのお話をしたら、両親の方々がぜひエイジさんに祝福してほしいって!!」
「祝福って……いきなりいわれても……」
「なにか、こう、ありませんか! エイジさんだけがあげられるもの……!」
「俺だけが……」
「エイジ、あれがいいんじゃない?」
むすっとしていたアカネだが、なにかを思いついたように手を鳴らす。
「あれ?」
「ほら、この」
アカネが口元で端末を演奏する動作をして見せた。
エイジは「ああ!」と手を打って、ポケットからエイカリナを取り出す。
そうして。
そのメロディーを、奏でた。
風に寂しさを問いかけるような、あるいは勇壮に一歩を踏み出すような、もしくは別れを惜しむようなメロディーライン。
歓喜の歌とは真逆の、静かだが確かな安らぎを示す、闇を払うようなその曲を、その場に居合わせたすべてのものが聞いた。
アカネは、ふと、自分が髪留めに触れていることに気が付いた。
それは、もう顔も思い出せない幼馴染が命と引き換えに残してくれた形見の品だった。
星を象った髪留め。
(なぜ、あたしはこれに触れたのだろう。この音楽を、いまは不思議と、懐かしく感じるのはなぜだろう。アウト・デイ。その言葉も懐かしい。でも、よく思い出せない。ああ、なにものなのだろう、この男は……)
アスノ・エイジは一体なにか。
彼女のそんな問いかけは、届くことはなかった。
演奏が終わる。
長い静寂。
そして、まばらに上がる拍手は、やがて大きな旋律となった。
赤ん坊の両親が、目を潤ませながらエイジへと感謝を告げる。
英雄だと、自分たちの守護者だと、居合わせたものたちは口々に言う。
エイジは照れ臭そう頬を掻き、赤ちゃんの小さな手に、自分の指を握らせてみたりしている。
(……すこし、わかった気がする)
アカネは、ゆっくりと胸元を押さえた。
いつも彼女の中で渦巻いているモヤモヤとした感情に、その光景が一つの答えを与えていた。
(あたしは、アウターだ。六次元超弦出力装置がアウトプットしたアウターにすぎない。ここにいる誰しもがそうだ、建造物と何ら変わらない。でも──生きている。あの赤ちゃんのように、みな生きている。それがDNAの設計図で作られたものでも、保存された意思が解凍されたものだとしても)
たとえ明日には、赤ん坊は子どもにまで成長するとしても。
(同じように生きて、今日を必死で暮らしているんだ。どんな形であれ、あたしたちは必死で生きている。未来へ、いのちをつなげたいと足掻いている。この想いだけは、偽りなんかじゃない。そうだ、あたしはとっくに知っていたはずなんだ、アウターは偽りじゃないって。でも、それを教えてくれたのは──)
ウっとうめいて、アカネは額を押さえる。
脳裏をよぎるノイズ。
存在しない記憶を思い出そうとしてかかる負荷が、彼女を苦しめる。
それでもアカネは、結論を求める。
(……教えてくれたのは、あいつだ。思い出せないけれど、あいつなんだ、だから、やっぱり)
やはり、いのちは簡単に踏みにじられていいものではないと、アカネは強く思った。
生命を蹂躙する天使を許してはいけないと。
簡単に失われる生命だからこそ、守らなくてはいけないと。
そして、誰よりもそれを実行に移すアスノ・エイジのことを──
(──でも、だとしたら。エイジのことは、誰が守るのだろうか? あいつの命は、一体だれが──)
新たなモヤモヤが彼女の心の中で発生する。
そのあいだにも、サキブレ・イズレは記録を続けていた。
イズレは、エイジにこう提案する。
「英雄さん、いまの曲、とっても素敵でした! よろしかったら、譜面をいただけませんか? 英雄さんの祝福ということで、船中に配りたいんです!」
「俺はかまわないが……」
エイジに水を向けられて、アカネは思索を打ちきり、肩をすくめた。
統括局に連絡を取るまでもなく、それは問題ないことだと判断したからである。
「ありがとうございます! 密着取材は、これにて終わりです。数日間本当にお世話になりました! きっと素敵な放送にして見せますね! では!」
イズレはそう約束し、去っていった。
アカネとエイジは、肩の荷が下りたような表情で、彼女を見送った。
翌日、エイジの特集という形で、S・B・Cのニュースが全艦放送で流れた。
それはひどく好評で、エイジは本当に英雄のように扱われるのだった。
そして、その三日後。
英雄は、磔刑に処されることになる──
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