第二曲 少女と黒ずくめと弔いの線香


(……え?)


 おやっと、アカネは動きを止めてしまった。


 その場にいたほかの誰も、まだに気がついてはいない。

 だが、確かに彼女の耳にだけは、そのが届いていたのだ。


 風に旅立ちを告げるような、陽光の中に夢を掲げるような、哀愁と勇壮さが両立した奇妙な音楽。

 聞き覚えなどない旋律は、しかしなぜか、激しく彼女の胸中を搔き乱した。


 不思議な旋律は、サンドゥンの内部で配布されるどの音楽とも違い、より深く、静かに響き渡っている──


「なんだね、このメロディーは……?」


 やがて、アキラたちも気が付いたのか、きょろきょろと周囲を見渡す。

 そのタイミングで、


「──四対一なんて、ちょっと卑怯なんじゃないか、バース乗りの赤服さんたち?」


 快活さを形にしたような声が、響いた。


 アカネはぎょっとした。

 耳元で声を上げられ、ポンと肩に手を置かれたからだ。

 その場にいた全員が、驚きとともに一斉に身構える。

 今の今まで誰もいなかったはずのアカネの隣に、その人物は、平然とたたずんでいた。


 黒い制服に、つば広の帽子。首に巻かれた赤色のマフラー。

 短く切られた清潔な髪。

 大人びた顔立ちに、矛盾したような稚気のある表情が浮かんでいる。

 ゆっくりと、黒ずくめの男は帽子を押し上げる。

 じっと覗いた瞳を見て、アカネは息をのんだ。

 恐ろしいほど濃い緑色の瞳が、まっすぐに彼女を見つめていたからだ。


「な──」


 最初に自失状態から立ち直ったのは、アキラだった。

 彼はその男性に、唾を飛ばしながら食って掛かる。


「何者だね、貴様は! 僕らは赤服だ! エリートなんだぞ!? 黒い服なんて、見たこともない制服を着て……!」

「おっと、確かに自己紹介がまだだったな。俺はエイジ。アスノ・エイジ! ここにやってきたばかりの、流浪のアイサイトさ」


護衛視アイサイト……?)


 アカネたちが聞きなれない言葉に戸惑っている間にも、エイジと名乗った男は動き出す。

 彼はさっと体をかがめると、


「きゃ!?」


 ひょいっと、アカネの身体を持ち上げてしまった。


 それは古いアーカイブスによれば、お姫様抱っこという形で。

 よく知っていたアカネは、パッと顔を赤面させる。


「ちょ、降ろしなさいよバカ! え、まって、この局面から推測される結論は──」

「面倒ごとは苦手なんでね、このままずらからせてもらう」

「きゃああああああああ!?」


 アカネが嫌な予感を覚えたときには、もうすべて遅かった。

 エイジは膝をたわめ、地を蹴り、飛翔していた。

 上昇に伴う加重と、耳元でびゅうびゅうとなる風切音。バタバタとマフラーが揺れているのが、アカネの視界に入る。


(な、なんだこれは──!?)


 ぐるぐると回る視界に翻弄され、アカネは冷静さを失う。

 気が付いたとき、アカネの身体は、高層建造物よりも高い位置に舞い上がっていたのだ。

 地上では、同僚たちがポカーンと口を開けて目を丸くしているのが分かった。

 異常すぎる身体能力を見せつけられ、唖然としているのだ。

 アカネは、これほど超人的な身体能力を持つクルーを知らない。過酷な訓練を積んできた彼女にさえ、真似ができない。

 だというのに、男は平然と口笛を吹いている。


「ヒュー。危ないなぁ、じゃじゃ馬の君! あのまま絡まれていたら、きっとケガをしていたぜ?」

「だれがじゃじゃ馬よ! というか、あたしがあいつらに負けるとでも?」

「いや、あいつらがケガをしていただろうって話さ。でもそれって、この船を守るアームドゴーレムのパイロットに、支障が出るってことだろ? そいつはよくないって思ったからね、だから出しゃばった」

「わけが、わけがわからないことを! おまえはだれ──」

「いやいや、そろそろ口を閉じているんだ。でないと、舌を噛む!」

「──っ」


 言われるまでもなく、アカネは気が付いていた。

 すでに自分の身体が、落下を始めていることに。

 風のなかを舞う木の葉のように揺れ動きながら、彼らは偽りの空から落ちて。

 そのまま、居住区から外れた〝森〟の近くに着地した。

 音もなく、衝撃もない軽やかな着地だった。


「ほいっと。じゃあな、じゃじゃ馬さん。出来ればアームドゴーレム乗りなんてやめて、安全に暮らせよ」

「待ちなさい!」

「待ってやりたいけど、まずは物資をかき集めないといけなくてな。なぁに、すぐにまた逢えるさ。なにせ人類いのちは──っと、まだこの結論は早いか……あばよ!」

「おまえはいったい──って。うそでしょ……?」


 地面に降ろされたアカネが、発条バネ仕掛けのように勢いよく立ち上がった時にはもう、男の姿はどこにも見えなくなってしまっていた。

 まるで雲か霞のように、その姿は消えていたのだ。

 代わりにまた、風にとけるようにしてあのメロディーが、うっすらと響いている──


(なんだったのかしら、あいつ……でも、ここに来ることができた運がよかったわ。そう考えたほうがいい)


 硬直していたアカネだったが、すぐに我を取り戻し、思考を切り替える。

 この程度で動揺していては、パイロット──楽士としての素養がないとみなされかねないと危惧してのことだった。

 波動端末を操作し、自分がどこにいるのか理解したアカネは、小さくため息をつく。

 そうして〝森〟のなかへと歩き出した。

 ずんずんと慣れた足取りで進んでいくと、目的のものはすぐに見えてきた。


 〝森〟の中心に、不自然に存在する人工的な区画。

 整然と並ぶ365個の、黒い石碑。

 その358番目の前に立ち、彼女は先ほど出力した〝それ〟を取り出した。

 端末を操作して火をつける。

 それは、と呼ばれる、過去の遺物だった。


「……遅くなって、ごめんね」


 名前ではなく、番号が刻まれた石碑。

 それは、365日のサイクルで巡るサンドゥン号のなかで、死んでいった人間たちの記号──名前とDNAのサンプルが収められた〝墓石〟だった。

 循環槽に戻ることもなく、天使に殺された者たちの墓標だ。


「あたしがもらえる初任リソースじゃ、このぐらいのお線香しか作れなかったのよ。空気のろ過に負担をかける煙にも、そして命に直結しない嗜好品にも、規制がかかっているから……」


 かつて死に別れた幼馴染に線香をあげ、祈りを捧げながら、アカネは強く思う。


(あんたみたいな犠牲者は、もう沢山よ。あたしは絶対──命を賭してでもみんなを守る、強いアームドゴーレム乗りになる! あんな奴の言うことは、気にしない……!)


 目を閉じ、手を合わせ、彼女は祈る。

 線香から立ち上る煙が、いつみても雲一つない偽りの青空へと吸い込まれていった。


「──最悪のタイミングね」


 彼女は毒づき、立ち上がった。

 胸のポケットで、先んじて震えていた波動端末に続いて、サンドゥン全体に非常警報が鳴り響き、空が赤く明滅する。

 それは、彼女が憎むバケモノ。


 虹色の天使が、襲来した合図だった──

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