第二十二曲 少女と慟哭と災厄の覚醒

「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 怒りに突き動かされたまま、アカネは吠える。

 その手は意識しないまま波動端末を取り出し、口元に当てる。

 流れ出す、荒々しい旋律。


「ボドウ・アカネ新任楽士! やめたまえ! 無謀すぎる!」


 ゴードンの叫ぶような声も、彼女の耳には届かない。

 そして、いまこの場に──彼女が戦場へ臨むことを阻める者はいなかった。

 アスノ・エイジは、人々の暴力の渦中にあったのだから。


「バースター!!!」


 九本の量子帯を持つ、バースを超えたバース。

 船外活動の後、アカネに預けられたままになっていた最強のアームドゴーレムが、いま彼女を中核として、ここに織り上げられる。


「あああああああああああああ!!」


 力場が砕け散ると同時に、彼女は熾天使へと躍りかかった。

 渾身の力を込め、右のHEATパイルを、熾天使の左胸に叩き込む。

 響き渡る轟音、吹き飛ぶ周囲の建造物。

 鋼と鉱物に似た外殻が衝突し、すさまじい衝撃波を発生させる。


「おまえ、おまえだけはぁああああ! あああああああああ! この手でぇええええええええ!!!」


 何度も、何度も、何度も。

 バースターの両手は、熾天使を殴り続ける。

 蹴りつけ、頭突きをかまし、組み付き、投げ飛ばそうとして──そのどれも通用していないことを、戦いを見ている者たちは知る。

 絶望を、まざまざと見せつけられる。


 アカネの身体が跳ねる。

 熾天使がその剛腕を軽く振るえば、バースターの機体は、たやすく吹き飛ばされた。


「がッ!?」


 血反吐を吐くアカネ。


(ダメだ! もっとだ、もっと力がいる! 殺す、ここで殺すんだ、あのバケモノを……! あたしたちのすべてをめちゃくちゃにした災厄を……! 忘れない、忘れないぞ、どれほど擦り減っても……7年前の出来事を……!)


 彼女の脳裏を席巻するのは、憎悪と怒り。

 幼馴染の顔さえも、もはや彼女は思い出せない。失われてしまっていて、想起出来ない。

 それでもなお、真っ赤に染まった意識のまま、彼女は立ち上がり、バースターを駆動させる。


『こちらクワイア所属! 先任楽士のゾークだ! アカネ新任楽士、援護する!』


 クワイアから派遣された、即応のバースが数体、彼女の前に降り立った。

 しかし、アカネにはそれが見えない。

 障害物としか映らない。


『どけぇえええええええええええええええ!』


 叫び、僚機を突き飛ばし、彼女はまたも熾天使に殴りかかる。

 背後で体勢を立て直したバースたちも、荷電粒子投射装置を熾天使へとむける。

 熾天使が、ぎょろりとバースたちを見つめた。


『どこを見ている!!!!』


 渾身の一撃。

 バースターのHEATパイルが、残弾のすべてを排出し、おびただしい量の高速流体金属を獅子の左目──左胸のコアに放出する。

 わずかに入るヒビ。

 アカネの口元が、狂気に歪んだ刹那──すべては、悪夢へと変わった。


『UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU!!!』


 これまでの天使とは明らかに違う咆哮を上げて──それは音色にも似ていた──熾天使が動き出す。

 動き出し、そして終わる。


 展開された3対6枚の翼が。

 破壊の具現である両の腕が、その烈爪が。

 尻尾の蛇の鎌首が。


 そのすべてが、破壊の暴風となって吹き荒れた。


『ヒッ!?』

『や、やだ、死にたくな──』

『こんな、嘘だろ』

『ああ、母なる星よ……』

『くそったれがあああああああ!!!』


 翼はバースを引きちぎり、剛腕はバースを押しつぶし、尻尾はバースを呑み込み噛み砕く。

 すべてのバースが破壊され。

 そして、バースターは。


『……この、天使、がああああああ……』


 アカネは、熾天使の胸から突き出した獅子のアギトによって、噛み砕かれる寸前だった。

 獅子は、まるで楽しむかのようにコアたる両目を嗜虐にゆがめ、徐々に顎に力を込めていく。

 メギリ、メギリと嫌な音を立てて、バースターが噛み砕かれ、咀嚼される。


『ふざけ、る、な──』


(冗談じゃない。あたしは、こいつを殺すために生きてきたのに。こいつに復讐して、こいつらを殺しつくして、あたしは、あたしは……! ……!)


『ああああああああああ!!!!!!!』


 最後の力を振り絞り、アカネは拳を振り上げる。

 だが、それすらも。

 熾天使の頭部に生えた一対の翼が、斬り飛ばす。

 宙を舞う、バースターの腕。


(……死にたくないよ──)


 アカネは。


(あたし、だってまだ、あいつになにも──)


 ぼろぼろと涙を零しながら。

 悔やみと、苦痛と、絶望の中で。


「ごめんなさい──×××?」


 もはや存在しない、幼馴染の名を呼んだ。


 アギトが、閉じられる。

 彼女の肉体は、噛み砕かれて──



 砕け散った。

 星を象った髪留めが、音を立てて。



「アカネええええええええええええええええ!!!!」


 誰かの雄たけびとともに、なにかが、彼女の身体をバースターの中から解放する。

 びゅうびゅうと唸る風切り音の中で、かすむ視界を凝らせば。

 そこに、苦痛に表情ゆがめた男の顔があった。


(エイジ……)


 彼女の身体は、彼の腕に抱かれたうえで、力場に覆われていた。

 アカネは知る由もないことだが、星の髪留めに封入されていた膨大な粒子があふれ出し、迫る牙の暴力から、間一髪彼女の身を守ったのである。

 そして、バースターが砕け散った瞬間、エイジが超人的身体能力で、彼女を救出したのだ。


 熾天使から離れた場所へと着地するエイジ。

 彼はそっと、アカネを地面へと横たえる。


(なんだ、こいつ、ぼろぼろじゃないか……)


 アカネはぼうっと、エイジの姿を見上げる。

 人々の暴力にさらされたエイジは、憔悴しきっていた。

 どれほど頑健な肉体を持とうとも、どれほど強靭な肉体を持とうとも、彼は人間でしかないのだと、その時初めてアカネは気が付いた。

 万能の神様なんかじゃない。

 守るべきものに苛まれ、彼は傷ついていたのだ。

 アカネは、そっと手を伸ばす。

 震える手は、エイジの頬に触れた。


(泣いているのか? バカだなぁ。あたしは、おまえのおかげで無事なのに)


 彼女はそう思った。

 事実、先ほどまで全身にあった傷は、すでに癒え始めている。

 髪留めから溢れ出した〝なにものでもない粒子〟が、傷の補填を行っているのである。

 それでも、エイジは泣くことを止めない。

 アカネはそれが、たまらなくおかしかった。

 だから。


「泣かないで? あたしは、大丈夫だから」


 そういった。

 そう言ったつもりだった。

 その言葉はひどくかすれていて。


「────」


 そして、彼女の手は──力なく地面に落ちた。


「──あぁああぁあああああああああぁぁぁあぁああああああああぁぁああぁあああああああああああああああああああああああああああぁああああ──!!!」


 理性を失った男が、絶叫を上げる。


§§


 ゴードンはそれを見た。

 愛する姉の子ども──ボドウ・アカネを救うべく駆け付けた彼は、その〝バケモノ〟が生まれる瞬間を見た。


 アスノ・エイジがアカネを救出したことに胸をなでおろしたゴードンは、彼らに駆け寄ろうとした。

 だが、その眼前でアカネは意識を失い。

 そして、エイジは人間のものとは思えない咆哮を上げる。


 ゴードンの胸ポケットに収められていた波動端末──エイジから奪ったエイカリナが、その雄たけびと共振を始める。

 万が一を想定し、エイジがエイカリナに組み込んでいたプログラム──遠隔演奏機能が、発現していた。

 共振は徐々に強まり、やがて異常な旋律を奏で始めた。


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』


 エイジの全身が、力場に包まれる。

 だが、その色は輝く光のそれではない。

 黒。

 暗黒。

 闇夜を煮詰めたような、漆黒の卵。

 奏でられる旋律が。まるで燎原りょうげんの火のような苛烈な叫びが、暗黒の力場を内側から突き破り、破壊する。

 現れたのは、異形だった。


 ドクン、ドクンと脈動するエネルギーラインの色は、赤。血のような赤。

 全身は黒く、暗い紫の装甲が覆う。

 両腕──その上を、機体と同じぐらいの大きさの、あるいはそれよりも分厚い追加装甲が覆っている。

 機体と同じぐらいの大きさの怪腕。

 それは隆起し、紫電をまとい、先に行くほど太くなる。

 指先はすべてが鉤爪。

 なにもかもを引き裂くような刃を、無理やりに拳にしたようなそこに、以前のような柔らかさはない。

 潮汐力発生装置ゴーズ・レノクロス

 殺意で鍛え上げられた拳。


 肩部からは四本のエネルギーチューブが伸び、ゴーズ・レノクロスへと常にエネルギーを注ぎ込んでいた。破壊の血液を、いつまでも流し込んでいた。

 華奢だった脚部は強固な装甲で覆われ太く、禍々しく、巨象のように大地を踏みしめ、踏みしめられた部分は黒い粒子となって砕け散っていく。

 側面部にはブースター。

 ブースターの先端には、HEATパイルの射出口が覗く。


 腰部から伸びる制御翼は、もはや過剰なエネルギーを排出することもできず背面で垂れ下がっている。

 4つの腕のようになって、せり出している。

 その先端ではヴィブロエッジがゆらゆらとうごめいていた。


 悍ましきは、その胸部。

 Y字型のエネルギークリスタルを、蝕むように暗黒の装甲が覆い、漏れ出す光は、エネルギー切れ寸前のように赤黒く禍々しい。

 まるで、まるで天使バケモノのような悪魔バケモノ


 そして、バケモノが名乗る。


『闇を呪って、常闇を引き裂く……終焉、絶望、この身を焦がせ……俺はエイジ……エイジオン・カラメイト……悪を討つため、憎悪に染まる……!』


 地の底より響くような、おぞましい旋律とともに。

 エイジオン・カラメイトは、熾天使へと向かって動き出した。

 熾天使もまた、初めてその赤い単眼を瞬かせ、エイジオンへと歩みだす。


 ゴードンは見た。


 その──天使と悪魔の戦いを。



第4章 目覚めし慟哭のカラメイト──終わり

第5章 黒き復活のアイサイト──に続く

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