第5章 黒き復活のアイサイト
第二十三曲 少女と帽子と強襲作戦
屹立する。
エイジオン・カラメイトはまっすぐに立ち、そして重すぎる、巨大すぎる拳を地面に引きずるほど、猫背になった。
──それは、クラウチングスタートの体勢だった。
刹那、地を蹴り──踏み砕き、蹂躙し、なにもかもを破壊しながらカラメイトは走る。
舞い上がる土砂、瀑布となって荒れ狂う瓦礫。
地面との摩擦で、拳には火花が散る。
『ガアアアアアアアアア!!!』
凶暴な叫びに呼応し、熾天使も体を浮遊させ、カラメイトを迎え撃つ。
激突する両雄──いや、天使と悪魔。
熾天使の剛腕が、カラメイトの顎を撃ち抜く。
『LUUUUUUUUUUU!! LUUUUU!』
ラッシュ。
音速を超えて迸る拳の雨。
そのすべてが、カラメイトの全身にぶち当たる。
さらに熾天使の背面で6枚の翼と尻尾が展開。
それが鋭い刃となって、カラメイトに殺到する。
破壊、暴虐、破滅。
バースであれば、すでに数百機が粒子のチリとなり果てているような、激烈な攻撃の連続。
熾天使の、頭部にある一つだけの瞳が。
ニヤリと、醜悪に歪んで。
次の瞬間、その喉元を巨大な腕が握りつぶす。
『LU──!?!?!?』
掴まれた部分は、触れた先から引き裂かれ、チリとなって砕け散る。
ゴーズ・レノクロス。
引斥力にして重力──ブラックホールの内部で生じる潮汐力を伴うそれは、触れるだけで干渉作用を及ぼし、すべてのものを風化、原子分解する。
エイジが行きついた答え。
強固な外殻をいかにして粉砕するかという問いかけに、彼はブラックホールの物理限界たる破壊力を持ち出したのだ。
その、潮汐力をたたえた巨大な腕が紫電を帯び、
『グラアアアアアアアアアアアアア!!!』
次の瞬間、熾天使の喉元をえぐり取った。
ブチリと、やけに生々しい音が響く、一拍遅れた、天使の喉元から闇が飛沫となって噴き出す。
『!!!!!?????』
声もあげられず悶える天使。
だが、カラメイトの胸部でも、コアが赤黒く明滅を始める。
その強大すぎる破壊力ゆえに、エイジオン・カラメイトは常時オーバーフローを超えた状態にあった。
エネルギーは枯渇寸前で、しかしコクピット内で荒れ狂う。
とてもひとりで制御できるものではない。
全身を切り刻まれ、血反吐を吐き、額から流れ出る血に瞳を真っ赤に染めながら。
それでもエイジは、叫び、憤怒の表情で悪魔を駆り続ける。
そこに人間としての理性はない。
〝星の子〟は、いま人間としての領域を逸脱しつつあった。
『貪レ……!』
カラメイトの背面。
そこにあった翼が、意志を持ったようにゆらゆらとうごめきだし、
4本の超振動を纏う槍となって、熾天使の四肢に突き刺さる。
『LU!!!!!』
ゴギュブ、ゴギュブ……血肉をすするような音ともに、熾天使からカラメイトに。
翼を通じて、エネルギーが逆流する。
食っているのだ。
カラメイトは、熾天使を貪っていた。
たまらずに膝をつきかける熾天使を、カラメイトは両腕でつかみ、天高く持ち上げる。
『オォオオオオオオオオオオオオオオ!!!』
巨大すぎる腕が、熾天使を引き裂かんと躍動する。
触れられた部分は、すべて塵となって消えていく。
もがく熾天使は絶叫するが、カラメイトは攻撃の手を緩めない。
もがく熾天使からミチミチと嫌な音が響く。
しかし、その超強度の装甲は海老反りになってなお、熾天使の身体を保持した。
『ガアアアアアア!!』
引き裂くのをあきらめた悪魔は、地面へと熾天使を叩きつける。
衝撃波。
それが、街並みを半ば吹き飛ばす。
熾天使に馬乗りになったカラメイトは、その背中を踏みつけ、蹂躙する。
天使の絶叫。
カラメイトのゴーズ・レノクロスが、天使の翼を掴んだのだ。
ブチ、ブチミチ──ブツン……!
悍ましい音を立て、引きちぎられる鉱石の翼。
六枚の翼のうち、片側三枚をちぎり取り、カラメイトは暗く愉悦に肩をゆする。
まるで、これでもおまえも地に落ちただろう言わんばかりに。
翼をちぎることに飽きたのか、カラメイトは頭部をつかみ、再び熾天使を持ち上げる。
それはまるで、いけにえの供物。
叩き込まれる右膝。
同時に──HEATパイルが炸裂する。
『LUUUUUUUUUU!?!?!』
もはや悲痛なほどの、天使の絶叫。
そのコアが、胸の獅子の左目が、無残にも貫かれていた。
抜き取られるパイル。
コアが再生する。
『…………』
熾天使にはコアが二つあった。
それを全く同時に破壊しなければ、滅ぼすことができないのだと気が付き、カラメイトはまた肩を揺らす。
地に熾天使を下ろし、半歩離れる。
フラフラの熾天使は、それでもすべてを蹂躙すべく、その眼球にエネルギーを収束させた。
膨大な熱量が、カラメイトに殺到。
カラメイトの黒い装甲を、いくつもの赤い熱戦が横断して──
『ゼィアアア!!!』
殴った。
カラメイトは殴った。
その、身の丈と同じほどの巨大な拳で、熾天使を。
砕く。
殴るたびに、天使の強固すぎる外殻が──バースでも、これまでのエイジオンでも傷つけるのが難しかったそれが、まるで薄氷のように砕け散る。
天使も反撃するが、どれほど殴りつけても、蹴りつけても、尻尾をけしかけても、カラメイトは止まらなかった。破壊されなかった。
全身にまとう超重力によって、材質であるアカゴタイトがボース=アインシュタイン凝縮を起こしているのだ。
それを破壊できるものなど、尋常にはあり得なかった。
カラメイトは、なおも攻撃を重ねる。
たまらずに大きく飛びのいた熾天使は、両のコアに残存エネルギーを集中。
赤と紫が絡み合う、螺旋の極大焦熱光線を放つ。
だが、それが直撃しながらも。
破壊の奔流を浴びながらも、カラメイトは歩み続け。
そして──
『
全身に渦巻いていた紫電が、両腕に収束。空間がねじ切れるほどの重力が集中。
振り上げられ、振り下ろされる
黒い稲妻となった逞しき腕は。
そして熾天使の両胸を打ち砕いた。
『────』
もはや叫ぶ力もなく、そして熾天使は、光になることもなく、黒いチリとなって、消滅した。
天使が襲来した空は、いままでと異なり空間がいびつに歪み。
その上空で立ち込めていた暗雲からは、やがて水滴が落ちた。
膨大な熱量が発生した結果、サンドゥン内の気圧調整システムが崩壊し、空気中の水分が凝固したのだ。
ざあざあと降り出した雨。
『────』
その雨に打たれながら、カラメイトは立ち尽くす。
『────』
その凶暴な貌からは。
『うわああああああああああああああああああああ──ッ!!!』
慟哭と、雨滴が零れ落ちていた。
そして、エイジオン・カラメイトもまた、崩れ落ちるようにして粒子となって消え去る。
あとにはただ。
とても生きているとは思えない重傷を負った独りの男が、悲壮な表情で倒れているだけだった。
サンドゥン号はその日、熾天使の襲撃を受けた。
死傷者はわずかにとどまったが。
環境系統は、大きすぎる被害を受けることになったのだった──
§§
二日後、頬にガーゼを張り付けたボドウ・アカネは、胸に荷物を抱えながら、統括局直下の医療施設を訪ねていた。
警護に当たっていた数名のクルーたちが、彼女の顔を見るなり、そっと道を空ける。
わずか数日で通いなれた道を、彼女は沈鬱な面持ちで歩く。
コツン、カツン……響くのは孤独な足音だけ。
やがて、アカネはその部屋へとたどり着いた。
高度医療集中治療室。
本来ならば、立ち入り禁止、面会謝絶のそこを、彼女だけは素通りすることを許されていた。
真っ白なベッドの上に、ひとりの男が横たわっている。
全身のほとんどは包帯で覆われ、顔の半分までも、それは及ぶ。
屈強な肉体は、しかししぼんでしまったように弱々しく。
彼の全身につながれた延命装置が、かろうじて命をつないでいるありさまだった。
アスノ・エイジ。
反逆者と疑われながらも、サンドゥンを守った英雄。
その、変わり果てた姿が、そこにあった。
アカネはそっと、彼の隣に腰掛ける。
叔父であるゴードンから、彼女はエイジの素性を少しだけ聞かされていた。
彼が、誰にも望まれずに生まれてきた命であることを知っていた。
人間の完全な味方ではないことも。
「ねぇ、エイジ。それでも叔父様は、あんたのために動いてくれたわ。あたしのためかもしれないけど……あんたが裏切り者じゃないって、局長の──艦長として、サンドゥン全体に宣言してくれた」
なぜなら、もしあのとき、彼が熾天使と戦わなかったのなら。
いまごろサンドゥンは今、以上の惨状に陥っていたはずだから。
アカネは優しげな表情で、その旨を語り、手に持っていた大きな箱を、彼の枕元にゆっくりと置いた。
「こういうものは、出力するのにすごく制限がかかっている。だから、これからあたしが行く任務の分も合わせて、資材を使ったわ。こんなのがあんたへの謝罪になるかわからないけれど……大事にしてね? これはあたしが、あんたに残していくものだから」
彼女は。
エイジの隣から、立ち上がる。
(熾天使が現れた空間のゆがみ──あれはいまだに残っている。そして、それを起点にして、環境が維持できないサンドゥンは、最後の超弦跳躍を行う。場所は──天使の巣窟! あのバケモノどもが、やってくる場所……!)
すでに因果は結ばれ、跳躍は時間の問題となっていた。
しかし、喫緊の問題として、サンドゥンには今、天使の軍勢が迫っているのだった。
エイジと出遭っていた虹色の存在──カウンターが予言した人類の試練まで、24時間を切っていた。
天使の軍勢数百体との接触までの、残り時間も同じく。
アカネは、ここに立ち寄る際ゴードンから預けられて物を、取り出す。
それなるはエイカリナ。
エイジオンを起動するための、マスターキー。
エイジが倒れた今、エイジオンの楽士はいない。
だが、アカネだけは。
彼女だけは、サブパイロットとしてエイジオンに登録されているのだ。
動かすことが、できてしまうのだ。
サコミズ・ゴードンは、苦渋の想いで決断し、アカネに告げた。
天使と戦うための、決着をつけるための切り札になってほしいと。
そしてアカネは、それを了承した。
彼女は最後に、エイジを見つめ、言う。
「勝手にあんたを疑って、勝手にあんたを頼りにして、あたしたちほんと、自分勝手だったよね? だけれど、身勝手ついでに、もう一つだけ、お願いを聞いてちょうだい」
(エイジ。あんたは、あいつと同じで、特別な生まれ方をした誰かなのよね? だったら──)
「そこで、あたしを見守っていて。あんたのちから──借りて、征くわ!」
エイカリナを握りしめ、もはや髪留めのない彼女は、その長い黒髪を惜しみなく広げながら、戦場へと向かう。
人類の存亡をかけた天使との最終決戦が、いま、幕を開ける。
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