第二十一曲 少女と弾劾裁判と最悪の天使降臨

 居住区の一角にある多目的広場──その中心で、エイジは磔にされていた。

 量子帯によって手足を十字架に縛り付けられ、身動きが取れない彼に、その場にいた多くのものが罵声をぶつける。


「内通者め!」

「裏切り者!」

「貴様が天使を呼び寄せていたんだな!?」


 彼らは罵声とともに、波動端末で出力した様々なものが、エイジへと投げつける。

 割れた卵が顔から滴り落ちても、剃刀の刃が頬を切り裂いても。

 エイジは体になにが当たっても反応はせず、ただうつむいている。


 彼は捕らえられる時も無抵抗で、そしてどれほど痛めつけられても、人間に手をあげることはなかった。

 その結果、彼は十字架に張り付けられている。


(どうして……どうしてこんなことになったんだろう……)


 アカネは忸怩たる思いで、唇を噛み締めていた。

 それは、昨日のことだった。

 エイジの英雄的なふるまいを放送したS・B・C。

 そのS・B・Cが、まったく別の特番を組んだ。

 それは、エイジと謎の存在──天使と思われる虹色の発光体が会話を交わしているもので。

 決定的な言葉が、そこには収録されていた。


「我々は──七日後、この宇宙船を破滅に追いやることを確約しよう」


 虹色の発光体が口にした言葉の通り、天使と思われる無数の反応が今、サンドゥンへと急接近していることが確認されている。

 その中で最も先行しているものは、過去の記録上最大級の脅威であると、統括局は発表した。


 統括局は速やかにクルーたちへ対応を求め、その結果、サンドゥンに住まうすべてのものが、事実を知ることになった。

 そして、そのうちの一部。

 過激な思想を持つ集団は、エイジの捕縛に動いたのである。


 アスノ・エイジへと石を投げつけ、糾弾の言葉を浴びせかける集団。

 それらはすべて、制服の上から青や緑のフードをかぶっており、なによりも青い球体が描かれた旗を振り回している。

 ガイア教団。

 クルーたちに大きな影響を与える〝自称〟平和主義者たちが、いまエイジに断罪を行おうとしていた。

 その様子を、ひとりの女性が──サキブレ・イズレは、記録し続けていた。


「おまえ……!」


 イズレの存在に気が付いたアカネは、彼女へと食って掛かる。

 胸ぐらをつかみ上げても、しかしイズレは撮影を止めない。

 ただメガネの下から鋭い目つきを、アカネへとむける。


「……放してください、ボドウさん。わたしは、真実を報道する義務があります」

「これの何が真実だっていうのよ! おまえだって見ただろう、あいつは天使を──」

「そう、彼はこれまで天使を倒してきました。しかし──それすら偽装だったとするなら?」

「ッ!?」


 驚きに力が緩むアカネ。

 撮影を続けながら、イズレは口にする。


「もし、それがわたしたちクルーに取り入るための策略だったのだとすれば? 彼は天使を倒すことで英雄となった。でも、それがすべて自演だとすればどうですか? 天使を招き入れたのも彼、倒したのも彼で。そしてわたしたちから信用を勝ち得たところで、おぞましい化け物を呼び寄せる。彼に依存し力を減らした統括局とクワイアは、そして平和ボケしたクルーたちは、なすすべもなく敗北する。それが、彼ら天使が描いた筋書きだとしたら?」

「そんな、違──」

「なにが違うというのです? どうして断定できるのです? あなた──」


 それほど、アスノ・エイジという男を、知っているのですか?


「────」


 イズレの問いかけに、アカネは答えられなかった。

 彼女はいまだ、エイジが何者なのか解き明かせないでいる。


(そうだ。あたしは何も知らない。あいつが本当は誰で、なんのために戦っているのかも。ただ勝手に──あいつを都合のいい神様のように、扱っていただけで……)


 完全に脱力したアカネの手を払いのけ、イズレは侮蔑したようなまなざしで続けた。


「彼が暗躍を続けて来たことは事実です。そして、ほら──すべての決定権を持つ方が、この場に現れましたよ?」


 えっ? と言われたほうを見て、アカネは大きく目を見開く。

 数人の護衛を引き連れて、その男は現れた。

 屈強にして頑健な肉体を持つ、黒い肌の偉丈夫。

 モノクルをはめ、ドレッドヘアーをなびかせ。

 彼──サンドゥン号船長にして統括局局長サコミズ・ゴードンは、その場に現れた。

 これまで騒いでいたすべてのものが、彼の威圧感に黙る中、アカネだけが、呆然と呟きを発した。


「叔父様……?」


 ちらりと、ゴードンはアカネの姿を見る。

 だが、それだけだった。

 彼はまっすぐに、張り付けにされたエイジへと向かう。

 民衆が、いにしえの聖人の御業のように、割れる。


「アスノ・エイジ」


 十字架のエイジを見上げながら紡がれたゴードンの言葉に、エイジは無反応だった。

 構わずに、ゴードンは続ける。


「貴様には反逆罪の嫌疑がかけられている。天使と共謀し、この船を著しく危険に陥らせる策謀を巡らせた罪だ。異議はあるかね?」

「────」

「……そうか、黙秘か。だが、この問いかけにだけは答えてもらおう。貴様は──〝星の子〟なのか?」

「──もし」

「ふむ」


 はじめて、エイジが口を開く

 ゆっくりと、その顔が上がる。

 濃緑色の双眸は、普段と変わらない穏やかさをもって、そこにあった。


「俺が〝星の子〟でも、そうでなかったとしても。きっと、同じことをして、同じ結果になったと思う。決めて、だから名乗るんだ──俺は──俺は、人の行く末を見守るものアイサイト──」

「……その言葉を、信じることはできない。〝星の子〟は、我々人類の味方ではないからだ。なぜなら私は、かつて見た。白き骸骨が、天使もろとも私の大切なものを壊した光景を。あの恐ろしい力を」

「…………」

「なにより」


 ちらりと、ゴードンがアカネを見やる。


「クルーをこれ以上、危険には晒せない。守り手を気取る貴様が、守れないのならなおさらに」

「…………」

「ゆえに、このまま貴様を拘束させてもらう。そして」


 誰かが言った。


「そうだと」──と。


「差し出せばいいんだ……」

「天使に……」

「……こいつを天使に渡せば、もう襲われることはないんじゃないか……?」


 一気に、狂気が伝播する。

 これまで、天使がどうやって、正確にサンドゥン号の位置を特定し、襲い掛かってくるのか、どこから現れるのかは判明していなかった。

 だがこの土壇場で、クルーたちは一つの結論に達しようとしていた。

 すなわち──エイジこそが目印──マーカービーコンなのではないかと。

 彼を目指して、天使はやってくるのではないかと。


 加速する。

 狂気が加速する。


 エイジへと押し寄せる人々を、ゴードンの護衛たちが必死に押し返す。

 そのあいだに、ゴードンはエイジの懐から──エイカリナを抜き取る。


「待て! それは未完成だ、あなたたちには危険すぎる……!」

「初めて声を荒らげたな。これは──だからこそ私たちに必要なものだ! エイジオン──未来から訪れた最後の希望の力は、人類が持つほうがふさわしい! 多少危険でも、それが剣となる! 7!」

「──彼女を、危険にさらすつもりかあああああああああっ!?」


 エイジの咆哮。

 だが、ゴードンは表情を変えなかった。

 巌のままに、彼はエイカリナを胸のポケットに収め、そしてその場から立ち去ろうとする。

 彼の退場に合わせて、ガイア教団を押しとめるものはいなくなり、青や緑のフードをかぶった一団が、一斉にエイジへと押し寄せた。


「捧げろ!」

「いけにえに!」

「天使との取り引き材料──」


 アカネは両手を握りしめる。

 エイジの姿は、人々に飲み込まれ、見えなくなる。


「……めろ」


 彼女は。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 なにもわからないまま、理解できないまま。

 それでもエイジの味方であろうとして、痛切に叫んだ。

 彼女がエイジを救うべく、ガイア教団たちへと躍りかかろうとしたそのとき。


 刹那、それは降臨する。


 青空が崩壊する。

 空のすべてが砕け散り、ありえないはずの暗雲が立ち込める。


 ゆっくりと降り立つ足は、緋熊ヒグマに似て。

 その尻尾は、巨大な蛇であり。

 背中には六枚の、かぎづめに似た巨大な翼をはやす。

 頭部にもまた、一対の翼があり、それがはためく下で、一つだけの赤い眼球が、ぎょろりとうごめいた。

 なによりも、胸で吠え立てるのは、巨大な獅子の顔。

 獅子の両目は、禍々しく輝くそれは──動力源たるコア──通常は存在しない、二つのコアを持つ天使。

 30メートル級の、虹色の化け物。


「うう」


 その姿に、アカネは見覚えがあった。


「ううう」


 震えながら、良貨を抱き。

 悍ましいほどに、アカネの口元は狂気に吊り上がる。

 その邪悪は、それほどまで鮮烈に、彼女の記憶に焼き付いていた。


「ううう──うわあぁああああああああああああああああああ!!!」


 人類存亡敵性体・熾天使級天使。

 かつて、アカネに重傷を負わせ、そして彼女の大切な幼馴染をこの世から奪い去ったモノ。


 最悪の悪夢が、最悪のタイミングで。

 いま、降臨したのだった──

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