第九曲 少女と食事とエイジオンの秘密
『残存エネルギーを収束!』
エイジの判断は、対天使戦のエキスパートであるアカネから見ても早かった。
ほとんどの武装を失い、また機動力もなく、エネルギー切れ寸前という状況において、相手の攻撃を避ける、受ける、逃げるということを、彼は考えなかった。
決然と立ち上がると、壊れた左腕と右腕を顔の前で交差させ、エイジオンの総身に残るすべての力を一点に集中する。
そして、大天使の数倍の力を誇る能天使が、絶望的な雷球を吐き出した瞬間に、それを放ったのだ。
『
腕を開き、コアの部分に集中させたエネルギー。
否──エイジオンを構成するすべての質量を、超加速させた投射線流に変換し、雷球ごと能天使にぶつけたのだ。
『ぐ、ぐあああああああああああああ!』
瞬く間に手足がほどけ、消えていくエイジオン。
鬣も燃え尽きるように消え失せる。
だが、その一撃は能天使に炸裂し、外殻を破壊できないまでも、コアをむき出しにさせることに成功する。
崩れ落ちるエイジオン。
その両眼から、ぷつりと光が消え、完全に消滅したとき。
クワイア本部から、10体を超えるバースの編隊が駆け付けた。
土煙を巻き上げながら殺到するバースを一瞥すると、能天使は塞がったばかりの隔壁を突き破り、サンドゥン号から撤退した。
「おい! しっかりしろ!」
エイジオンが消え去った跡地に駆け付けたアカネは、倒れ伏したエイジを発見する。
(焦るな、あたし! 脈はある……心臓は動いている!)
簡単なメディカルチェックを行った彼女は、エイジの頬をぺちぺちと叩く。
「起きろ! 目を覚ませ! こんな、こんなことで死なれたら──」
「──ゆっくり寝てもいられないか……大丈夫、死なないとも……守るべき約束が、あるからね……」
「おまえ!」
しかめっ面になってそんなことをつぶやくエイジを見て、アカネは胸をなでおろす。
それから、はっとなって。
(なんだ? なぜあたしは、いま安心したの? この男が生きていていたから?)
困惑を隠せないまま、その場にへたり込む。
(違う……そうだ、これは、保護観察を命じられた相手になにかあったら、責任が問われるからだ。けっして、こいつを案じてのことじゃない。大事なのは、あたし自身のことなのだから)
「意識があるなら、立て。とにかく、ここを移動しよう。できれば精密検査すべきだけど……」
「それは御免こうむる」
「……なら、あたしの家にいそぎましょう。そこは、安全だわ」
「わかった。君を信頼しよう」
ゆっくりと目をひらいたエイジの物言いに、ふざけるなと文句を言いかけて。
その深い緑色の瞳に直視され、アカネは閉口する。
(モヤモヤが、晴れない……こいつは、なんなんだ……?)
彼女は苦悩しながらも、エイジへと肩を貸した。
エイジは苦笑し、軽口をたたく。
「しかし、帽子が吹き飛ばなくてよかった。これ、命の次ぐらいに大事なんだ」
「…………」
その言葉が妙に癇に障って。
アカネはエイジの足を、思いっきり踏んづけたのだった。
不審者の悲鳴が、再度塞がれた偽りの空へと響き渡った。
§§
「汚ったない部屋だなぁ……掃除はしているのか? 健康は大事なことだぞ?」
「おまえの様な不審者にだけは言われたくない……!」
「あいてててて……おい! もっと丁寧に扱ってくれ! 俺はこれでも怪我人なんだぞ!?」
「こんな元気のいい怪我人がいるもんか!」
羞恥を怒りでごまかして。
アカネは、肩を貸していたエイジを、玄関に投げ捨てた。
3ルームキッチン付きの、赤服が一般的に使う住居の一室。
そこは、確かに散らかっていた。
部屋の四隅を埋めるのは、数々のトレーニング器具だ。エキスパンダー、ルームランナー、古めかしいダンベルまである。
机の上は無数の空容器で埋まっており、タワーさえ形成されていた。
彼女が普段から配給された譜面と資材で食料を出力し、そのまま食べては放置してきたことをうかがわせる。
ベッドの上には、
7年前に起きた最悪の天使襲撃事件について閲覧できる限りを集められたそれは、保存のために前時代的なプリントアウトがされている。
結果、循環層行きを免れたものの、ごみの山のようになっていた。
完全に腰が引けているエイジの頭をはたき、アカネは彼を、部屋の奥へと連れて行く。
「端末で、もう一度メディカルスキャンを行うわ。そのあいだに治療用品を持ってくるから、動かないで」
「どちらかといえば、食事を用意してもらえると嬉しいな」
「食事? 栄養特化のパセリフレバー・クラッシュゼリーでいい?」
「え? なにその味気ない食事……こういう時のお約束は、君が作ってくれることじゃないのか?」
「冗談でしょ? アーカイブでも覗かなきゃ、手作りの料理なんて──」
(いや……そういえば〝あいつ〟は、あたしに料理を教えてくれたことがあったか。あの時は奇妙なことをする奴だと思ったが……なるほど、この男で試してみてもいい)
まるでよからぬことを思いついたように。
アカネはにやぁっといやらしく笑うと、腕を組み。
胸を張って、エイジに告げた。
「光栄に思いなさい、不審者。いいわよ。あたしの手料理、食べさせてあげる!」
§§
「そもそもエイジオンは、アームドゴーレムの発展形としてデザインされた、対〝天使〟兵器なんだ」
「発展形?」
「そう。君たちが生きている現状時間では、大天使級以上を撃退する方法は限られる。もっとも有力で、危険なものが……」
ゴトン、ギュチャ。
「
「あ、ああ。バースの全身に、残存するエネルギーを無理やり送り込むことで、純粋な性能を大幅に上昇させる機能。それがオーバーフローだ。エイジオンは、常時オーバーフローを起こしていて、それを最適化することで……え?」
ガタ、ゴロロ。
「あー、それで全身が赤いのね」
「うん? あ……そ、そうだ。装甲に用いられる、原子配列から徹底して強度を追求した超々高純度の疑似ウルツァイト結合金属──仮にアカゴタイトとでも名付けるけれど──が、応力はすべて緩和できるからこそ、過給状態でも、自身が砕けることなく活動できるのだけれど」
「その先はわかるわ。燃費の問題は、未解決なわけね」
「そう……なんだ、けれども……えっと、君?」
「アカネよ。ボドウ・アカネ新任楽士」
「それじゃあアカネ。君……さっきからなにを、テーブルに並べているんだ……?」
心底いぶかしそうに尋ねるエイジの目の前には、奇妙奇天烈な物体が、いくつも皿に盛られていた。
粘着質な紫のスープ。
岩のような外見で、皿の上をゴロゴロと転がる揚げ物らしきなにか。
サラダか鉄条網にしか見えないが、野菜が使われた形式が皆無な異常物体。
などなど。
それらがテーブルの上に置かれるたび、エイジは言うべき言葉を忘れたかのように、目をしばたかせて、黙ってしまうのだ。
「なにって……手料理だけど?」
「手料理!?」
目を見開くエイジとは逆に、アカネは鼻息も荒くドヤ顔を決めていた。
(案外簡単なものだったな。料理なんて、あいつに習ったかぎりだったけれど……ふ、バースの操縦と比べれば、あまりに簡単だ。栄養も満点なはずだし、味も濃い。暇なときは、これからも作ってみてもいいかもしれない)
あまりに恐ろしい考えに到達しているアカネ。
エイジは絶望的な顔つきになって、それから必死な様子で、話の筋道を無理やりに戻し始めた。
「え、えーっと、そうだ! エイジオンはバースのエネルギー面の問題を解決できていない。時間が足りなくて、調整が済んでいないんだ」
「言ってたわね、楽譜には余白が多いって。ははぁん? つまりあんたは、主機代理室なんて謀っていたけれど、実際は開発部かどこかの人間ね? だから、こんなにも詳しい」
「その辺はどう受け取ってもらってもかまわないんだが。どのみち、この時点では主機代理室が存在しないのは事実だから、反論もできない。すでに行き詰まりだったんだ、研究する時間はなかった」
「意味不明な話はいいわ。とにかく、食べなさいよ」
「──え?」
話を戻され、凍り付くエイジ。
対するアカネは、自信満々の表情を崩さず、いくつかの皿を彼へと寄せる。
「あんたが食べたいって言ったから、作ったのだわ。責任もって、処理してちょうだい」
「……アカネ、一つだけ言っておきたいのだけれど、人間の命は一つだ。いのちとは意思だ。失われれば、たとえ6Dプリンターでも再生できない。時間軸を超えるプリンターでも、失われたものを取り戻すことは──」
「いいから、はやく食え」
「…………これは! 自死などではなく、明日へ進むための一歩である! いただきます……ッ!!!」
禁忌の実験に挑む科学者のような表情で、食事に手を付けたエイジ。
紫の糸を引くスープを一口、口に含み──
「ブフォッ!?」
──盛大に、噴き出した。
「ちょっ、汚い!」
「なん、なんだこれは!? 口の中に刺胞生物を飼っているがごとく舌だとか頬だとか関係なく突き刺す刺激的な酸味のオンパレードとこの世の汚物すべてを煮しめたようなおぞましい臭気が渦巻き鼻腔までを殴りつけ、もはやえずくとか咳き込むとかを超越して痛い! 胃袋に直接カプサイシンを塗られているように痛いいいい!?」
「どういう意味よ、それ!」
サンドゥン号で提供される食事のための資源。
それをどう使えばこのような劇物ができるのかとエイジはわめきたてるが、アカネは顔を真っ赤にして否定する。
(せっかく作ってやったというのに、無礼なやつだ! 不味いなら不味いでもいいが、地獄のように例えるとは……心の機微が分からないやつに違いない! わざわざ、腕を振るったのに……! この怒りが紡ぎだす結論は……!)
怒りのままエイジをぽかぽかと叩くアカネ。しかし、彼女の心は晴れない。
モヤモヤとした内心の理由が、好意で作ったものを罵倒されたからだとは、気が付けないのだ。
ただ、わからないなりにムカつくので、暴力に訴えるのだった。
「所詮不審者には、正規クルーの味がわからないのよ」
「これのどこに正規品の保証があると……普段は何を食べているんだ、どうすればこんな味覚になる?」
「栄養調整クラッシュゼリーと、カロリースティック、それからパセリINプロテインさえ摂取していれば問題ないでしょ!」
「……気が遠くなる思いだ」
「なんですって!?」
「好物とかないのか、君は?」
「それは……」
(ないことも、ない。正確に言えば、あたしではなく〝あいつ〟が好きだったから、いまだに食べているものがあるというだけだが……)
「蟹よ」
「……蟹?」
「そう、あたしは蟹が──」
そこまで、彼女が口にしたときだった。
「あああー! うるさいですよ、アカネちゃん!!!!」
バタン! と、勢いよく玄関の扉があけられて。
怒髪天につく勢いの人物が、部屋の中に踏み込んできた。
肩口より上のさっぱりとしたブロンドに、蒼い瞳。
浅黒い肌をした、長身の美女。
彼女はドアから入る夕焼けを背にしながらアカネを指さすと、大声で言った。
「わたし、このあと夜勤なんですよー! 静かにしてもらえませんか! もらえないなら、今週の査定に響かせますからねっ!?」
「あの……アカネさん、この人は?」
思わずさん付けしてしまったエイジに、アカネは震えあがった様子でこう答えるのだった。
「ラブロック・マイリスさん。お隣さんで──今日まであたしを育ててくれた、生活管理担当の、指導官殿よ」
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