第十曲 少女と指導官と夜の世界
「なるほど、そういうことだったのねー……エイジくん、苦労したでしょ? この
「ぜんぜんらいじょふです! 知ってまふので!」
ふがふがと、目の前に置かれた大量の食事を口の中に詰め込みながら、快活な声でエイジは答える。
それは、マイリスが作った料理であった。
ジューシーで湯気の上がるいくつもの料理。
おいしそうにチャーハンをかきこむ幸せそうなエイジを、アカネはむすっとした表情で眺めている。
(なぜ、あたしが怒られなければいけないのか……というかこいつは、おいしそうにご飯を食べて……あたしが作ったほうが、味が濃かったはずなのに!)
「アカネちゃん、味が濃ければおいしいというものではないのよ? 料理って、そういうものじゃないの」
「心を読まないでいただけますか、指導官殿は!?」
「はっはっは! アカネもこの人にかかっては形無しだな」
「はぁ!?」
「……おっと、くわばらくわばら」
天使でも殺せそうな眼付きで睨まれ、慌ててエイジは顔をそらす。
アカネはただただ、納得がいかない。
「もう、アカネちゃん! あなたはエイジくんの保護観察を任されたんでしょ? そんなにつっけんどんじゃダメよ。もっと優しく、親身になってあげなきゃ!」
「こんな不審者相手に親身になれっていうのは、酷ではありませんか、指導官殿?」
「その指導官殿っていうのもやめてくれればいいのに……マイリスお姉ちゃんでいいのよ? ちっちゃいころからの付き合いなんだからー」
「しかし、公私混同はできませんので」
そっぽを向くアカネだったが、内心では理解していた。
生活指導官とは、赤服の体調管理などを補う目的のクルーだ。
マイリスが問題があると報告すれば、アカネはすぐさま査定に赤が付く。
しかし、7年以上もの付き合いがあるにも関わらず、マイリスはそんなことをこれまで一度もしたことがない。これほどすさんだ生活をしていてもだ。
アカネは彼女に、深い感謝をしていた。
「それはそれとして、お姉ちゃんとは呼びませんが」
「いけずなんだから……じゃあ、こっちもそれはそうとして、わたしがこのあと夜勤だって話はしたわよね?」
ヨヨヨと泣き崩れたマイリスが、まじめな様子で問いかけるので、アカネも背筋を伸ばし首肯する。
「現在サンドゥン号内部の照明は、24時間周期になっています。13時間が朝、残りが夜。夜勤ということは……」
「そう。省エネルギー状態である夜間を担当するわ。必然、天使の襲撃にあった際、危険が増すわね」
「…………」
アカネはきゅっと唇を結ぶ。
(サンドゥン号での死因ナンバーワンは、船外活動だ。だが、次は天使の襲撃になる。そして天使は、こちらの省エネルギー状態を見抜く力があるとされる)
今日一日だけで、アカネは三体の天使と遭遇した。
うち一体は、過去出現したことさえ稀な能天使級だ。
これだけであれば、天使は日中ばかりに集中して現れると勘違いしてしまいかねないほど、今日という日は異常だった。歴史上、類を見ないことだったからだ。
その原因を考えて、彼女の顔が曇る。
(やはり、この男なのか?)
アカネの切れ長の瞳が、黒ずくめの不審者を映す。
(この男に呼応し、天使が次々に現れた。そう考えるべきなのか? こいつはやはり、天使と関係がある存在なのか。だとしたら、野放しにするのはあまりに危険で)
自分が目を光らせておくしかないと、アカネは自責の念を強くする。
そんなどんどん表情がこわばっていく彼女を見て、マイリスは困ったように首を傾げた。
「安心して、ただの夜回りよ。最近誰とは言わないけれど、ほら、ガイアの人たちが騒いでいるから」
「はい、そうですね……」
「でね、夜勤だから、特別手当が出るのよー、アカネちゃん」
「危険手当の間違いですよね、指導官殿」
「どっちでも一緒よぉー。それでね、明日の朝は一緒に食事をしたいと思うのだけど、何か食べたいもの、ある?」
「え?」
「あるのなら、そのための譜面を配給してもらってくるわ。お魚でも、お肉でも、好きなものをアウトプットしてあげるんだから!」
「…………」
「アカネちゃん?」
「……蟹」
「うん?」
顔を寄せてくるマイリスに、アカネは消え入りそうなほどか細い声で、
「蟹が、食べたいです」
と、言った。
(だって、思い出してしまったから。この不審者のせいで、あいつのことを。一緒に食べた味を。だから、もう一度──)
「蟹が、食べたいのです、指導官殿!」
「……うん。わかったわ、アカネちゃん。明日の朝は、蟹鍋にしましょうね!」
「はい!」
「でも、蟹って食べにくいのよねぇ……ほら、なにせ殻が固いでしょう?」
「あれはですね、関節を切ってやればいいのです指導官殿。それに、どこもかしこも硬いわけではなく、刃が通る部位もあります。適切な場所を切ってやれば、無駄なくカロリーに変換することができるので──」
「それだ!」
とつぜん、それまで食事を貪っていたエイジが、大声を出した。
反射的にアカネは「なにがよ!」とわめいたが、もはやエイジの耳には、誰の言葉も届いてはいないようだった。
彼は自らの干渉波動発生端末を取り出すと、統括局が手も足も出なかったエイジオンの譜面をあっさり呼び出し、いくつもの情報を書き足していく。
「一撃の威力を極限まで向上させるため、エイジオン・プレインは防御面の集中と脚部の軽量化、推進力の向上に主眼を絞った。しかし、それでもエネルギーを無駄にしすぎているんだ! だからもし、最小限の動きで最大限のリターンが得られるよう調整できれば……この推論から紡ぎ出される結論は……」
そこでアカネは、
(おや?)
となった。
彼がふと口に出した言葉に、聞き覚えがあったからだ。
(いや、聞き覚えというか、あれはあたしの口癖だ。ひょっとして、今日どこかで口にしていたのだろうか……?)
なんにせよマネされるのは癪な思いがしたため、アカネはエイジを小突こうと手を振り上げたのだが、それはマイリスに阻まれた。
視線を向けると、マイリスは真剣な顔をして。
開いているほうの手の人差し指を、口の前にかざして見せた。
「しー」
「ですが……」
「きっと、必要なことなのよ。さあ、アカネちゃんも食事をとってしまって。はやくしないと、わたしが遅刻しちゃうわ?」
ぱちりとウインクを返されて、アカネは閉口した。
仕方がなく、食事に手を付ける。
そのあいだもエイジは、ひたすら譜面をいじっているのだった。
§§
照明がぱちりと切り替わる。
青い空は暗黒に染まり、街並みはわずかな光源をともすだけとなった。
部屋の窓から、その光景を見ながら、アカネはつぶやく。
「今日は、いろいろなことがあったわね……」
たった一日で、彼女は同僚を三名失い、三体の天使と遭遇した。
(そういえば、アキラ先輩はどうなったのだろうか。本部で聞くのを、すっかり忘れてしまった。あの後、姿を見ていないけれど……)
「──なんだ、思ったより夜景がきれいだな。照明が全て落ちるわけじゃないのか」
「当たり前でしょ、そんなことしたら、不便で極まりないわ」
背後からかけられた声に、アカネは振り返ることもなく、険がある声音を返す。
「終わったの?」
「ああ。エイジオンはいつでも再出力可能さ。もっとも勝てるかどうかは、未知数だが」
「…………」
彼女の横にやってきたエイジは、室内だというのに帽子をかぶり、おまけにマフラーまで巻いている。
(常在戦場とでもいうつもりなのか、それともそれほど、あの帽子が大事なのか)
アカネの手が、そっと髪留めへと伸びた。
彼女にとってそれは、誓いの象徴だ。
そして、エイジの帽子と同じように、命の次に大事なモノでもある。
「綺麗な星だよな」
「人の髪を勝手に見ないで」
「そっちじゃない、こっちだ」
「?」
首をかしげるアカネに、エイジは居住区の明かりを指さして見せる。
「ひとつひとつが、人間の生きているあかしだ。地上で瞬く、命の輝きだよ」
「…………」
彼の言葉を聞いて、アカネの目に映っていた照明たちが、意味合いを変える。
(そうか、これは……)
「これは、あたしが守りたいものの輝きなんだ」
「アカネは守りたいのか、人類を」
「当たり前でしょ。天使を許せない気持ちはだれよりも強いし、絶対にすべての天使を殲滅する。でも、それ以上に」
「誰かが死ぬのは、かなしい?」
「悲しいというより、嫌なのよ。すごく、嫌なの。だから、勝手に体が動いてしまう。おまえはなぜか、あたしに戦うなというけれど、それでも戦わずにはいられないほど」
「それはきっと、君が優しいからだ」
「はっ、優しい? 誰が、あたしが?」
鼻で笑い飛ばすアカネ。
それもそのはずで、彼女が7年間積んできた訓練の厳しさを考えれば──10代の少女だった彼女が、一流の戦士となった経緯を考えれば──やさしいという言葉は当てはまらないのだった。
それでも、
「ああ、君は優しい」
エイジは、遥か彼方を見つめるような目つきで、彼女の肩を叩く。
それから、エイカリナを口に押し当てると、おもむろにあの音楽を奏で始めた。
風に旅立ちを告げるような、陽光の中に夢を掲げるような、哀愁と勇壮さが両立した奇妙な音楽。
それに耳を傾けながら、アカネは考える。
(こいつの眼の色は、恐ろしいほど深い緑だ……見たことがないはずなのに、見覚えがあるような……ただ、見ていると、すごく怖くなる目をしている)
ぶるりと、アカネは体を震わせた。
そうして、正体不明の恐怖から逃れるように、自嘲気味に笑って、
「変なことを口にした。今日はもう遅いわ、休みましょう」
演奏を聴くのをやめ、部屋のなかへと、引き返そうとする。
しかし、エイジは動かない。ただ、音楽がやむ。
むっと彼女が訝しんだとき、エイジはつぶやいた。
「どうやら……思ったより早い、再戦になりそうだ」
「!?」
アカネの胸で、端末が震える。
ガラスの砕け散るような音ともに、夜空が引き裂かれる──虹色の、天使が舞い降りた。
「能天使級!」
「さぁて、リベンジと行きますか!」
エイジが、先ほどまでとは別の譜面を演奏すべく、エイカリナを口に押し当てた。
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