第6章ー2

 アレフは自力で歩けなくなったアンと言う白き民を抱え、隘路を抜け集落まで戻った。直ぐにゴアテアに彼女を背負わせ、西の渓谷の先にあるという白き民の基地に向った。

 白き民は我々を捕獲する目的で、セフィロトの廃墟の方向に進軍していた。彼女の話によると、白き民は我々のことを昆虫の進化したものと考えており、体の中に存在するパラサイトという生物を使い、この環境に対応する薬のようなものをつくろうとしていた。

 アレフは自分たちの身体が環境に適応する擬態により、あまりにも昆虫に似すぎた姿になっているのでそれも仕方がないと考えた。 

 ――だがこの心もいつしか……。

 アレフはトンボに捕まり飛行しながら頭を振ったが、振り落とされない疑念が異物のように脳内に残った。白き民が目的としていたパラサイトという生物がこの身体の中に……。

 ――そのようなものが存在するのか? だがそれが彼らの身体になにか影響を与えるのか? 精神までも人間ではないものにしてしまうのか?

 ――そして我々は互いに理解しなさすぎた。あの時、ただ距離をとることを提案しただけで、いつかこうなることを……。ストローイやアワードのようなものを生むことを覚悟しながら眼をそらせていた。

 ――一族の者としてのけじめをつけなければならない。自分だけがカトレアをものにし、ストローイ達に禁じておきながら。自分こそもう人間でなくなってしまっていたのだ。

「あそこよ! どうして? ドームが開いている!」

 ゴアテアの背中に乗っていたアンが声を上げた。

 半円状のドームは切れ込みが入るように一部開口部を広げていた。荒涼とした大地に、異質な輝きをもって開く大口は奈落の底のように周囲を吸い込む。アレフはその中からまず殺気だった一族の気配を感じ取った。そしてその傍らには、感じる。あの懐かしい気配が。アンが話していた白き民の仲間の話。ひときわ背が高く、嫣然と微笑む若者……。

 ――もしかして……カトレア……。

 アレフたちはドームの天井に取り付くように降下した。


「あなたの仲間は逃亡を図り、命をおとした。話し合えばこんなことにはならなかった」

 エイル・アシュナージは捕虜だったインセクターを葬り、印を立てた辺りを見ながら懇願するよう声を張った。マンティスのインセクターは、頭を動かすことなく、一瞬単眼をそちらのほうに向けた。

「……エモノ……」

 再び右腕をエイルに向って指し示すようにあげた。その腕に畳まれていた鎌状の刃が伸び、振り子のように動く。その次の瞬間、エイルの鼓膜を太い声が激しく揺さぶった。

「動け!」

 インセクターの右腕が視界から消えた。胸に紙縒りでくすぐられたような感触がなぞる。インセクターはエイルの脇を走り抜けるように動いた。すれ違いざまの一撃は薄皮一枚をなぞるように皮膚を傷つけただけだが、完全に貫通されえぐれたヘリオスーツは白い破片を飛び散らせた。

 予想できない俊敏な動き。突然の声に突き飛ばされるように身体をひねっていなければ、今頃肺や心臓がえぐり出され身体と永遠のお別れをしていただろう。細かくユニットに別れたヘリオスーツが、自動で胸の損傷部を切り離し残った部分のヘリウムの流出を防ぐ。

エイルは振り返り叫ぶ。

「頼む! 話を!」

 インセクターは動かず、単眼を複眼の真上にまで持っていき上空を見ていた。

「エイル! 下がって!」

 直接耳に入るアンの声は、インセクターが眼を向ける上空と同じ方向からだった。

 ドームの開口部から、飛び降りるように二体のインセクターが降下する。そのうち一人の大型のインセクターの背中から、白い人型が一直線でエイルの胸に飛び込んできた。勢いのついた身体を受け止め、エイルは地面に倒れた。それはちょっと離れていただけで、とても懐かしいアンの身体だった。

「エイルぅ!!」

「アンコ! どこいってたの?」

 エイルは戦闘に集中し、気配に気づかないでいた。ヘリオスーツのバイザーの奥でアンの口が一瞬への字に曲がった。

「色々あったけど、あの人たちに助けられたのぉ……。でも、ミロがぁ」

「うん……。わかってる」

 アンは「なぜわかったの?」と怪訝そうに首をかしげた。エイルは、アンの肩に手を置き立ち上がった。頭を振るとマンティス型のインセクターに対峙し、大型のビートル型のインセクターに並んでもう一人、ほとんど人間と変わらない姿をしたインセクターがいた。

 ――あれは……!

「エイル! ヘルメットはぁ! ここも破れてる!」

 アンが座ったままでエイルの胸辺りに手をやった。指が破れたスーツの間から入り、直に皮膚に触れる。「あれ?」と言いながらアンの眉間に深い皺がよった。

「心配ない。大丈夫だから。それより話を」

 あそこにいるインセクターとなら話ができる。アンを残しそちらに向うエイルの鼓膜を空気の振動が揺らせた。無言で対峙している彼らが、念波で会話しているのがわかる。

「ストローイ! どういうことだ? 白き民とはかかわらないことが一族の決まりだ」

 マンティス型のインセクターの名前はストローイというらしい。問いかけに答えることなく、複眼の中の単眼が激しく動いている。問いかけている方のインセクターは、大型ビートルタイプの方を控えさせ、前に歩み出た。背中と頭部の一部がクチクラで甲殻化し茶色味がかっているが、腰布だけを巻いた肌色の皮膚を持った身体は太い二本足で大地に立ち、肩から筋肉質に伸びる腕には五本の指があった。そしてその横顔はまるで……。

 ――アイン・ソフ……。

「アレフ。お前は自分だけが……。そもそも俺はお前を族長とは認めん。ただアインソフと姿が似ているというだけで!」

 ストローイは単眼をひときわ大きくさせ、口を開かず念波で話した。

 アレフと呼ばれたインセクターは答えない。

「お前だけは、白き民とマジワッテ……」

「それは……」と言いながらアレフはゆっくりと頭を振った。

「……カトレア……」

 アレフは念波ではなく言葉でそういった。

 どくん、と心臓の位置を意識するくらいの鼓動が、エイルの全身に血液を送り出した。

「カトレアって……」

 苦しそうに空気呼吸器を何度も付けなおした病床の母。キベル入隊の朝、泣きながらエイルを見送った母。巨大なアイン・ソフ像の前で毎日頭を垂れた背中越しの母。

 記憶の奔流をさかのぼり、幼いころから聞かされ続けた言葉を鮮明に思い出した。

『あなたのお父さんはきっと、外にいるわ』

 ――もしかして……ここにいたよ。母さん。

 ストローイが両腕を上げた。アレフを指差すように詰問する激しい念波を送った。

「それからもお前は、一族に隠れて白き民をさらい続けた。自分だけ……」

「違う! 私はセフィロトの知識の機械で知った。本来、命は神から頂くものではない。〝男〟と〝女〟が交わり遺伝子を紡いで自ら生み出していくことだ。私は、一族がそうして代をついでいけるように……。だが誰もうまくいかなかった……」

 エイルはアレフの告白に、雷で打たれたように硬直した。あの大襲撃以来の蓋外性生物の飛来はアレフが意図したものだった。エイルは高鳴る鼓動を抑えようと、穴の開いたヘリオスーツに手をいれ自分の胸を押さえた。

 ――……? ない。ない! ない!!

 エイルの自尊心を、最低限ギリギリのところで支えてくれた胸のほのかな膨らみが、はるか彼方まで見渡せる大平原のごとく平らになり消失していた。

 ――もしかして……。

 トーラーの高学年の頃から同級生たちとは若干の身体の違いを感じていた。いや……若干ではない違い。特に不意にうずく股間を、エイルは決して悟られないようにひた隠しにして生活してきた。その質感を今は邪魔になるくらい感じている。

 ――わたし、もしかして……。

「詭弁だな! アレフ。お前は独り占めしようとした! 一族の決まりは、互いに隠し事なく疑わず嘘はつかないということ。俺はお前をずっと信じてやったのによ!」

 空気が震え、ストローイの念波に怒気が含んでいるのがわかる。アレフはエイルを一瞥して悲しそうな顔をした。知られたくないことを、一番知られたくない人に見つかった。そんな子供みたいな顔だった。その顔を隠すようにストローイに向う。

「違う! ……が、私が目的のために、結果として何人かの白き民を死なせてしまったのは事実だ……。それが失敗に終わり、私は白き民とはかかわらないことを決めた。それが罪であり、罰を受けなければならないなら、受けなければならない」

 アレフは再びエイルの方を見た。眦は固く結ばれ、わずかに頷いたように見えた。

 ストローイは上げていた両腕を振り子のように動かし始めた。

「あれは……動いて!」

 エイルの声に弾かれるように、アレフが先に前に跳んだ。

 突っ込んでくるアレフを寸前でかわすように、ストローイは隠していた背中の羽を使い、ふわりと浮びあがるジャンプをする。目標を通り過ぎたアレフの両肩から激しい血潮が吹き出る。アレフは地面にがっくりと膝を落とし、力を失った両腕がだらりと垂れ下がる。その無防備になった首筋に向って、空中で反転したストローイが止めを狙う。

「こいつ!」

 エイルは右腕のレーザプロセスで狙いを定めず牽制に射撃を放つ。ストローイは蛾が舞うような円の動きで、全てをかわして距離をとるように着地した。

 アンが崩れ落ち倒れたアレフに駆け寄った。エイルもストローイから視線を離さずアレフに近づいた。

「アレフさん! ちょっとゴアテアなにやってるのぉ!」

 アンはただ仁王像のように突っ立っている巨大なインセクターに、駄々をこねる少女のように叱責の言葉を投げ背中を小突いた。ゴアテアと呼ばれたインセクターは、櫛状の触角を力なくうなだれさせるだけで何も答えずうつむいた。

「ゴアテアは悪くない……。彼を止めているのは私だ……。一族としてのけじめを……」

 アレフは、苦しそうに呼吸をしながら身体を横にした。肩からとめどなく流れる鮮血は赤い。アンがバックパックから止血用の応急パッチを取り出して両肩に当てた。

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