第4章

第4章―1

 太陽が朝出てきた方向とは反対に傾いていく動きがかすかにわかる。分厚い雲の上、自分たちの頭上を通りこして行く微かな軌跡をアレフは、今日一日ずっと辿っていた。その日中の陽の光が、この集落の中で最も長く感じられる場所に白き民たちを葬る墓を作っていた。十字に組んだ木材で作った墓標がいくつか並んでいた。各々に身に着けた名前と数字の入った金属製のプレートが掛けられ名前が刻まれている。新しく加わった三つの墓標の周りには、農場で唯一育ったひまわりという植物から採れた種を植えつけた。アリアという女性は彼女に似ていた。

アレフは十五年前のことを思い出した。

 その頃の集落は、セフィロトをおおう針葉樹林帯よりもっと南にある平地のクレーター内にあった。ある日狩猟班の大遠征に参加していたアレフは、西の渓谷を越え集落を留守にしていた。狩場となる森林で野営し翌朝、林を出て帰途につく道すがらはるか彼方からも見えた黒ずんだ煙が、悲鳴を上げるように揺らいでいた。

アレフは集落が無残に破壊されている様子に立ちすくんだ。焼き討ちにあった木造の家屋がいくつか崩れ黒い煙を吐き出していた。青年、壮年の世代は全て狩猟に出かけており、集落に残った子供や年老いたものたちではどうすることもできなかったという。

 彼らは南側の集落の崖の向こうから突如現れた。身体は一様に白い色をし、自分たちと同じく二本足で歩く人間のような姿だった。箱型の乗り物――後にエアカーということがわかった――から何人も飛び出してきて、子供たちを捕らえた。抵抗しようとするものには容赦なく腕から炎を出し――火炎放射器という兵器――浴びせかけた。我々は本能的に炎を恐れる。いくつかの藁葺きの家屋が炎に包まれ、それは一族の者を威嚇し動けなくするには十分だった。

 狩猟班の別働隊としてアレフより早く集落に戻っていたストローイは、直ちにグループの中から闘争的な若者のメンバーを選抜し、人間の形をした白い生物――白き民と呼ぶようになった――が子供たちを連れ去った南方に向った。

 禁断の地と呼ばれその方向さえも禁忌していた先にあったものは、巨大な円形の建造物だった。ストローイ達はその建造物に向うエアカーに襲い掛かった。同時に念波で呼び寄せた何千体ものクロゴキブリが、白き民の住居となっている円形の建造物に張り付いた。超雑食性のクロゴキブリは、その無機的な建造物さえも食料として喰らいつくす。

 一足遅れにその場に到着したアレフが目にしたのは、一方的な殺戮だった。白き民の身体は幼体時代の我々のそれと同じくらい弱弱しかった。怒り狂ったストローイ達は、彼らが作り出す炎をものともしなかった。自分らの体の一部である得物を振り回すだけで、何人もの白き民が地面に倒れた。無抵抗になった白き民にもさえ、腕の刃を付きたてようとするストローイを、アレフは必死に止めた。

 エアカーの中から、長と見られる白き民が現れた。アレフは試しに空気念波を送ってみたが反応はなかった。だが驚くことに、白き民はアレフが口から発する言葉を理解することができた。アレフたちが徐々に忘れ去ろうとしていた、過去のコミュニケーションの手段だった。言葉を介したコミュニケーションには、アレフよりも白き民の長の方がうろたえているようだった。近づいてみて初めて分かったのだが、白き民の丸い頭の前は透明に透けており、中には目鼻がついた顔があった。アレフと同じように口を動かし、こう言葉を発した。

「こうふくする」

 その時は言葉の意味がわからなかったが、両手を上げる仕草でその意思を理解することができた。アレフは白き民に対して明確な敵意がないことを伝え、子供たちさえ返してくれれば集落に帰ることを告げた。白き民の長は直ちに子供たちを解放した。ひと暴れし目的を達成したストローイら若者も納得し、クロゴキブリへの支配を解き、群れを北方の森に帰還させた。

 集落に帰るとアレフは、一族の者に自慢して回るストローイの言う〝戦利品〟の処遇に悩むことになった。ストローイは巨大トンボを使って数人の白き民を誘拐してきていた。地面に転がされた彼らは、すでに傷つき息絶えていた者、連れ去るときは虫の息だった者も、集落につくころには事切れているようだった。目的以上の蛮行にストローイを叱責しようとしが、彼は動かぬ死体には興味なく、逃げるように再び狩りに出発して行った。

 ストローイらが立ち去った後、全て死んでしまったと思われていた中の一人の白き民が横臥していた上体を起こし、目を開いた。

 それがカトレアだった。

 おそらく気を失っただけの彼女は目立った外傷はなかった。周りを囲むアレフや一族の者を目にし、大きな叫び声をあげ再びしなだれるように地面に落ちた。アレフは彼女を自分の住居に移動させた。

 藁を集めて造った寝床の中でしばらくして目を覚ましたカトレアは、尚も脅えていた。消え入りそうなくらい身をぎゅっと縮める彼女に対して、アレフはつたない言葉と身振りを使って必死に説明した。

 一族の子供がさらわれた経緯、殺戮は意図することではなかったことだと謝罪し、あなたに危害を加えるつもりはないと。カトレアもアレフが言葉を発したことには、驚嘆の表情を見せた。何度も語りかけるうちに、だんだんと蕾が開くように、彼女の警戒が解けて行くのがわかった。カトレアは左手首に巻かれた計器を確認して両手を首のあたりに持っていった。頭が揺れ、まるで脱皮するように外皮 ――ヘルメット――が外れ身体から分離し徐々に上がる。

 曲線を描く卵のような輪郭に、脱いだヘルメットにからんでいた髪がはらりと落ち、優雅な縁取りを形成する。首を振るとそれは左右に別れ、現れた双眸がアレフを一杯に映し出した。

 瞳の七割がたを占有する潤んだ黒は、二重に重なった瞼でゆっくりと何度も隠されては現れ、明けの明星のように瞬く。T字型の眉と鼻筋のライン。その下には上下に重なる鮮やかな赤みを帯びた唇に挟まれ、間から白い光がのぞく。

 アレフは生まれて初めて胸の内から、呼吸を忘れさせるほどの熱い鼓動を感じた。肺が本来の機能を忘れ、じりじりと焦がす熱が下から湧き上がる。内側から身体の全てを溶かしてもかまわないと感じてしまうくらい、熱く燃え続く感情が太陽のようにそこにあった。

 やがてカトレアの唇が動きこう言った。

「あなたは人間なの?」

 それに対してどう答えて良いのか。考えるより先に回答をしていた。

「そうです。わたし、も、人間です」

 そう。自分は人間という生物だ。アレフの脳に幾重も刻まれた襞に、丹念に練りこまれていた記憶が引き出されて口に出た。

 カトレアの肌はアレフの顔と同じように肌色に近かった。白い色をしているのは防護服と呼ばれるものだという。カトレアたち白き民はそれを身に付けていなければ、あの丸い巨大な建造物の外では生き続けることができなかった。その点は彼女の身体はアレフとは違っていた。

 彼女が言うには、暗く淀んだ雲から有害な悪魔のようなものが降り注いで彼女たちをあの巨大な建造物に押し込めていた。そして組成の変わった大気成分も彼女らの呼吸器官には有害だった。だが短時間であればそれは問題ない。そう言いカトレアは再びヘルメットをかぶった。防護服の左腕に付けた時計状の計器は悪魔の存在を感知するものらしい。アレフの茅葺の粗末な住居でも、降り注ぐ悪魔を少しは防いでいた。その悪魔をカトレアはスイードと呼んでいた。

 アレフは名前を名乗り、自分たちの一族の生活を、彼女につたない言葉を駆使して話聞かせた。彼女は言った。

「素敵な名前ね」

 カトレアも自分たちの暮らしていた世界。なぜあの建造物から出てきたのか、そして自分のことを訥々と打ち明けてくれた。

 カトレアはかなり衰えていた。彼女を回復させるためには、栄養と、まずなによりも休息を取れる場所が必要だった。

 彼女は左腕の計器を使い、悪魔が少ない場所を探し出した。それが、この集落から程近い森を抜けたセフィロトの廃墟にあることを示した。そこはアレフたち一族にとって、〝命を受け取る〟時以外では簡単に足を踏み入れてはならない聖地だった。アレフはこの時だけ自分が族長であることを忘れた。

 カトレアを支えながら、アレフはその目的以外で初めてセフィロトの廃墟に向かった。林立する細長い建造物群の間を、二人はゆっくりと歩いた。見上げるくらいの高さのものもあれば、アレフの身長よりも低いものもあった。それらは空から降り積もる悪魔――スイード――と大破壊の粉塵が降り積もり、大部分が地下に沈んだ都市国家セフィロトの高層ビル群だった。どれも黒い色がこびりついており、手で触れると煤のようにばらばらと表面が飛び散った。極酸性を示す風雨が、濃い酸素を含む大気との相乗効果で建造物を構成する元素をもろく還元していた。

「待って。もしかしてここかしら」

とカトレアが、廃墟群でもひときわ高く突き出ていた建造物に近づいた。身体全体を雑巾のようにして、黒い煤を落とすと重厚な銀色の扉が現れそこから中に入ることができた。

 光の入らない室内を、カトレアの防護服の頭から出るサーチライトが照らした。人間一人が寝転がれるくらいの、四角い台のようなものが二つ並んでいた。ここは外の環境にさらされておらず、それは綺麗過ぎるくらい原型を保っていた。ここは巨大な研究施設を兼ねた病院施設の一室だろうとカトレアは説明した。

 カトレアは左腕の計器を確認し、「ここなら大丈夫」とヘルメットをとった。防護服の背中にある物入れから、小さな缶のような形をした置物を取り出し部屋の隅に置いた。置物の中には脱酸素剤が封入されおり、室内の酸素分を吸収し続け酸素濃度を下げた。濃い酸素の中で長時間呼吸すると、カトレアの肺はうっ血して機能を損なってしまうという。

 カトレアは防護服の後ろ、首の下の背中の辺りに両手を回した。白い背中が左右に割れた。蝶のさなぎが脱皮して羽の生えた成虫が現れるように、カトレアの肢体がしなやかに生まれ出た。黒のインナーは彼女にピタリと張り付き、アレフの目は無意識に肩から下の身体の線を辿った。

 胸の辺りは大きくふくらみ、深い渓谷のような隘路を経て腰から下にさらなる隆起を結ぶ。メビウスの輪のように連環する曲線は、終わりなく追い続けることができた。

 カトレアの身体はようやく窮屈な殻から開放されて、部屋の中央にあるベッドに横たわった。

 彼女の衰弱を回復させるために次に必要なのは栄養分だった。集落に帰ったアレフは族長として一族の者に事情を説明した。白き民の襲撃で焼け落ちた家屋と何人かの怪我人は出ていたが、命を落としたものはいなかった。さらわれた子供たちも戻ってきており、これ以上の闘争は必要なかった。最初に攻撃を仕掛けてきたのは白き民の方だったが、多数の白き民を殺害したのは過剰な行為で、少なくとも今生きている白き民はもといた場所に帰すべきだとアレフは提案した。一族の主だったものはアレフの意見に賛成し対応はアレフに任された。

 一族の食事は主に、狩猟で捕獲した食用昆虫で作った肉団子か、シダ類の巨木の柔らかい新芽を摘んだものだった。おそらくどちらもカトレアは受け付けないだろう。アレフが彼女の食することのできるものとして思いついたのは、ハニービーに擬態した一族のものが、まれに開くシダ型広葉樹の花から採取する蜜だった。重要な糖源を彼女にと考えた。

 アレフの胸の内の太陽は、雲などにおおわれることもなくカトレアに光を降り注がせた。

 アレフの思った通り、カトレアはその黄金に輝く液体を飲み干してくれた。透き通るくらいに青白くなっていた彼女の頬や唇に、薄紅色の明かりが燈り、笑顔の花が咲いた。

 貴重な花の蜜を毎日口にして、カトレアの体調は劇的に回復した。一週間もすれば身体を起こし歩き回れるほどになった。

 カトレアたちがこの危険な場所まで出向いてきた目的のひとつに、このセフィロトの廃墟を調査することがあった。彼女たちがあの建造物に引きこもる前はここで暮らしていたという。カトレアは探索につきあって欲しいとアレフを連れ出した。

病室を出た廊下の先、非常階段が続く吹き抜けの空間横のパイプシャフトにある扉を開くと、中には蔦のようにコードが絡まり、蛍のように淡くチカチカと点滅する光の粒が並んでいた。

「よかった、電気が生きている」

 分電盤と呼ばれる装置をカトレアが操作すると、アレフの頭上に走る人間の型をとった緑の光が浮んだ。セフィロトの地下には核融合炉があるから、電気エネルギーが来ていると思った。そう言ってはしゃぐカトレア。

「電気?」

 アレフにはわかない言葉だらけだった。

「あなたたちが使っている火の灯りをもっと便利にしたものよ」

 廊下に出ると天井にずらりと光の列が並び、カトレアは自慢げに右手で指差した。ヘルメットのおおう透明な壁の先に、一族の子供たちと同じような無邪気な笑顔だった。

 非常階段から出て反対側の突き当たりにある扉は、横にあるボタンを押してしばらく待つと開き、中に入ると自動で閉まった。数人が入れば一杯になる箱型の部屋の中には、何もなく扉の上に並んだ数字が点滅する。身体が浮き上がるような感覚が一瞬あったあと、数字が点滅しながら横に滑った。扉が開くと広い部屋に出た。驚くことにここははるか地面の下らしい。

 何列も続く机の上に並べらえて四角い箱が置かれている。そのひとつの前にカトレアが立って何かに触れると、箱に灯が入った。

「あなたならこれが使えるかもしれない」

 アレフはカトレアに勧められ箱の横の手形に掌を乗せ、目を閉じた。

 頭の中には、深蒼の海の中を漂い、身体を自由に動かすことのできない海水の重みを感じる自分がいた。突然深海から立ち上る奔流に乗って、アレフの身体は海を飛び出し天に浮んだ。抵抗もなく自由に動かせるようになった身体の存在も、次第に感じられなくなり散り散りになってしみこむように空に混じってなくなる。

 目を開くと、この星をおおう雲の上に出れば見える蒼穹のように、アレフの頭は一転の曇りなく冴え広がった。そして自分が何者なのか、世界の理をはっきり理解することができた。

 そしてわかった。目の前にいるこの女性に対して抱いている感情が、愛であるということを。

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