第3章―7
サイトロンドームの外れに設置された小さなコンテナの四角い部屋の中、マァイ・ヴァジャノーイは目をつむってベッドに座り、下着姿になっていた。身体じゅうに刻み付けられた傷跡ひとつひとつが疼き、ケテルでの過酷な日々を思い出させようと語りかけてくる。
営倉に入れられるのはキベルに来て二回目だった。アルカナの命令に違反し、二体のコックローチを処分しキベル特別区でもお世話になった。薄いシーツが一枚だけ敷かれただけで、身体を伸ばすこともできないくらいに狭いベッド。ベッドと壁の脇にはギリギリのスペースで収まる便座があり、幅はいったいどうやって身体をそこに納めようかと悩むくらいにしかない。この簡易営倉はキベル特別区のそこよりさらに狭く劣悪な環境だった。
昨晩の騒ぎでマァイとアニタは一日の営倉入りだ。さらに見張りを勝手に代わったエイルは、三日間の営倉入りをアルカナから通達されていた。処分を言い渡されたものの、アニタはその体格から営倉に入れず、一日食事抜きとういう処分に軽減されていた。
アルカナドームからここまで運ばれた新兵器は、生体ディセプト機能を有した『インセクトディセプター』と呼ばれるものだった。蓋外性生物が空気振動する脳波を使って交信することについては、長年キベルで研究されてきた。その能力を逆手にとった兵器は、進化種の脳波を使って下位種を操る機能を妨害する空気波を発生させることに成功し、実用化された。さらに大型の振動性パラボラアンプを併用することで、遠く離れた場所までピンポイントにその空気波を届けられた。
その兵器をアルカナによらず、ケテル独自のオペレーションシステムのダアトによって稼動させられるよう、アニタは最終調整を行っていた。それを邪魔立てして……。
――エイル……。
マァイは包帯を巻いた右手の傷をさすった。ヘリオスーツの衝撃吸収機能を、オフにしてでも直接殴りつけてやりたかった。
あの時、下から自分を見上げるエイルの瞳は揺れがなかった。不満や不安。目的を持って動くケテルの人間と同じく、気持ちが揺らぐことのないその瞳は、マァイが拳を顔面に振り下ろすことのないことを確信していた。隙をついて足をこじ入れる俊敏さ。そして身体を跳ね上げる巴投げ動きは、スラスターで勢いが増幅されていて五メートル以上も上空に飛ばされた。それは、瞬時にヘリオスーツの推進システムをマニュアルに切り替えられるよう、事前に設定していないとできないことだった。やはり他の連中とは違う。
「目的は同じ……か……」
だが捕虜と言った。あのおぞましい身体をもった生物を捕虜だと。
目を開けたマァイは、天井近くにある通風口下に左右に伸びるくぼみを見つけた。ジャンプしてそこに取り付き懸垂を始めた。ケテルでもそうしてきたように、寸暇を惜しんで身体を鍛える。肘をしっかり曲げ顔を上げると、通風口になっている鉄格子から隣の房が覗けた。通風口からベッドに座るキベル制服姿のエイルを確認し、マァイも懸垂をやめベッドに座り通風口に向って声を張った。
「エイル! 聞こえる? いいきみね! あんたも私も」
返事はすぐ返ってはこなかった。挑発したつもりがつまらない。しばらくたちマァイがベッドに仰向けに横たわると、上からエイルの返事がした。
「次はいつ手合わせしてくれる?」
澄んだ声に、嫌味というよりエイルの本心だとマァイは感じた。
「聞こえてたの? いつでもよ。何なら窮屈なドームの外でやる?」
「わたしは三日出られないから、また機会があればね。それよりアンを宜しく。あの子戦闘は苦手だから」
今日はまだ行動探索班もサイトロンドーム内で機材の設営作業をしている。だが明後日、遅くとも明々後日には外での作戦も始まるだろう。
「補償できないわね。足手まといになるなら置いていく」
壁を隔てた声の張り合い。見えないエイルの表情はこの壁のように冷たい色をしているのだろうか。再び返事が返ってこなくなってそうだろうと思う。
マァイは膝を三角に曲げ、腹に力を入れ上体を起こす腹筋の動きを始めた。筋肉を傷めつけ、生じた損傷を修復させることによってそれはより強いものになる。熱を持った身体が、わだかまった感情も一緒に燃やしてくれる。
「なぜそんなに敵意をむき出しにするの? わたしたち目的は同じでしょ?」
額にうっすら汗がにじんだ頃、継続されたエイルの問いかけは気にさわるものだった。
――甘い。甘すぎる。
「あなたたちが何も知らなすぎるからよ! どういう目的よ? 言ってごらん?」
「わたしたちが生き残ることでしょ? ワクチンができるんでしょ?」
「姿がかわってもいいのか?」
「……どういう意味?」
返って来るエイルの言葉が少し遅れた。戸惑っている。なら全てを教えてやろうか。そしてこの女ならもしかして……。
「アルカナはこの私たち人間をあのおぞましい生物に作り変えてでも、生き残らせようとしているのよ。キベルの食事にもなにか混ざっていたかもね!」
「……なぜあの生物も憎むの? わたしたちと同じじゃない?」
マァイはただいらだった。まるでわざと避けているように、質問の弾丸は命中せずにエイルの身体の近くをすり抜けて行った。
「バカじゃないの? この身体と同じところひとつもないからやろ! 違う? もし人間のまま生き残りたいなら……私と一緒にこい!」
それからどれだけの時間がたっても、エイルから返事がくることはなかった。マァイは止まっていた腹筋の動きを再び開始し、汗だくになってひたすら時間を経過させた。
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