第4章―7

 ヘルメットを突き破るアンの声が、硬直していた全員を動かした。鎌と羽を広げグライダーのような形になって、緑のマンティスが上空をおおいつくすように崖を飛ぶ。

 熊手状になった腕で土煙をあげながら、モールクリケットが地面を耕しながら地を這う。

 上空に向ってレーザプロセスを撃つ者、地面に向って火炎放射で炎の壁を作る者。訓練されたキベルの隊員は、極限状態でも最善の行動をとった。

 マァイも手を離し、右腕に水素サーベルを形作った。尻もちをついたミロはセルフェスの中、必死にディセプターのデータを探した。

 ――少し……。もう少し……。

 マァイの華麗なサーベルの舞は、近づいてきたマンティスを何体も切り裂いた。

 アンたちは密集隊形のまま火炎放射でモールクリケットを後退させている。

 ミロは立ち上がって意識へ集中した。左腕からセルフェスを取り外し、システムとリンクして頭の中に浮ぶ数式をもとにマクロを組んでいく。

 ――あとちょっと。

 ――あれ? 何? 邪魔……な?

 突然、ミロのヘルメットの中を不快なアラート音が満たした。インセクトサーチが漸く目標の場所を特定したようだ。ミロは目の前に広がった、赤い熱源グラフィックの意味を直ぐに理解することができなかった。

 刹那、背中から鳩尾に向って、何かとても熱い……何かが通り抜けたように感じた。

「何? これ?」

 と、ミロは言ったと思った。自分のお腹から緑の鋭利な刃がまっすぐ突き出ている。

 本来緑であろうその刃に、赤い鮮血が絡みつき滴っていた。

 身体の中心が火箸で抉り取られたように感じ、足の力が抜けたがなぜなのか身体が沈まない。身体が腹部を支点として持ち上げられている。

「う、ううげぇ」

 腹の中が沸騰したようににえたぎり、湧き上がる血潮を抑えきることができず口から吹き出し、バイザーがべったりと赤黒く塗りたくられた。

 視界がふさがれ落としそうになったセルフェスを必死につかんだ。ヘリオスーツのシステムが、内側からバイザーを洗浄し汚物を外に排出して直ぐに視界を確保する。

 マンティスを切り払ったマァイが、こっちに向って何か叫んでいるように口を大きく開けている。

 ――どうして? 何も聞こえない。あんぐり口あけて、パンでも食べようと……。

 ――違う! 違いますわ! インセクターが一体、真下に……。

 ――こいつ……わたくしのチップを……。

 ミロはセルフェスから刃のついたインプラント用の生体データチップを取り出し、後方へ裏拳のように腕を力いっぱい振った。

 ――手ごたえあり……もう一体は……。

 ミロのヘルメットのバイザーに再びアラート音とともに矢印が表示された。

「マァァァイ!! 真下!!!!」

 今度は自分の声をはっきりと耳にした。マァイは何か叫びながら最大出力で水素サーベルを足元の地面に突き立てた。

 突然自分の意思に関係なく視界が振れる。身体が投げ飛ばされ宙を舞うのを感じる。それはまるで自分の身体でないかのように軽くゆっくりとしていた。

 ――ああ、本当に空を飛んでいる。

 モールクリケットが開けたのだろう、大穴の横に立つマンティス型インセクターの姿が視界の端に映る。

 ――そんなのわかりませんわ。ずるい。

 何十秒もゆっくりと羽毛のように空を漂う感覚のあと、身体は仰向けに地面に落ちたらしい。いつも見飽きた星の分厚い雲が目の前に広がった。

 ――最後ぐらい晴れてくだされば……。

仰向けに転がるミロの傍らを、コントロールを失ったモールクリケットがまちまちの方向に走り去って行った。

 ――さすがマァイですわ。一撃でしとめた。

 残ったマンティスと、生き残ったマァイらが入り乱れて近接戦となり切っ先を交え戦っているのが見える。たぶんマァイが必死に呼びかけてくれているのだろう、はるか向こうで蚊の鳴くような、言葉も成さない音が微かに消え入るように小さくなっていく。

 ――もうなんも聞こえません。

 ――でも、大丈夫。なんとかできた。簡易型のディセプターで動き数分くらいならとめられます。これなら、マァイたちはもちろんあのコも逃げられますわ。

 ミロは最後の力を使い、腕を掲げセルフェスから浮んだ起動アイコンにふれ意識を伝え叫んだ。

「わたくしにかまわず早く行って!」

 腹部にぽっかりと開いた穴から、込めた力と出した声がどんどんもれ出ていくような感覚だ。暖かかった背中の地面も次第に冷たく温度を失っていく。

 ――おかしい。スーツ越しに地面の温度が感じられるわけないですわ。

 体の中心から体温がどんどん抜け落ちていく。手を触れると、べったりと血糊がヘリオスーツの白い手袋を赤黒く染める。

 ――なにこれ? ジャムみたい。昨日アンコがおっしゃってた、まずいパンに塗ると美味しくなる甘い……。

 大脳から血液が引いていき、現状認識ができなくなる。直近の楽しい記憶が意識を混濁させ彼岸へと誘う。

 少しだけ頭を振ることに成功すると、動きが乱れたマンティスを無視して、マァイら黄昏団の面々がスラスターを使ってセフィロトに向い飛び立っていくのが見えた。

 ――よかった。わたくしにかまわず行ってくれたのですわ。ありがとう。この気持ち……。いっしょにいれてよかった。

 ミロはなぜか飛び立つマァイらと離れず、ゆっくりと自分が浮遊していくのを感じた。

 ――嫌や。また飛んでますわ。

 下を見ると仰向けに横たわる自分の身体が見えた。身体を離れて、意識がどんどん遠のいているのがわかる。

 ――やっぱり、そっか。

 中身の抜けたミロの身体の手をとって、一人ヘリオスーツの隊員がすがっていた。

 ――だめ! あのコ……。 一人でも逃げてって言いましたのに!

 意識体となったミロは叫んだつもりだが、声が届くはずもないことも同時に理解した。 

 名を呼ばれたような気がして上を向く。

 切れた雲から光が燦とさしこみ、周囲が心なしか明るくなったような気配がした。

 ――晴れ……た。かみさまが最後に……。

 視界の端、マァイが飛び立った反対側から、空を飛び近づく新手の蓋外性生物の一団が見えた。ディセプターの効果が切れたらマンティスも再び動きだすだろう。

 ――わたくしがあそこにいるからあのコ逃げませんのね……。もう助けられませんわ。

「なぁんだ。わたくしが足手まといですわ」

 高度が上がるにつれて、現世に残した未練も段々薄まり消えていく。

 ミロは優しく自分を呼ぶ空を再び見上げた。

 見たことのない光の渦から、両手が伸びる。

 光の中には、メガネをかけた優しい女性の顔が浮んだ。

「……お母さま……」

 抱きとめられるように、ミロの意識は光とひとつになった。

 ――どうして? すごく暖かいですわ。

 ――……なんだか、ほっとしたらからかな。とってもお腹へりましたわ。お母さま。

 ――あっちいったら、いっぱい甘ぁいお菓子を食べようね。

 ――アンコ、あるかな。

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