第3章―5
サイトロンドームは星のクレーターの窪みを利用した直径一キロ弱の簡易型ドームで、中では混合空気生成ユニットが稼動し、ヘリオスーツなしで活動できる正常な空調が保たれていた。簡易型核融合コアを動力減として、普段は五小隊二十人ほどが観測と警備のために駐屯していた。スイード濃度の濃い気流の乱れで、この駐屯地からも約百キロ先までしかレーダーは効かずそこから先は未知の世界となっていた。
今回の作戦のために派遣された百名近い隊員が駐屯するにあたり、到着したエイルたちはまず自分たちの寄宿舎となる簡易野営天幕の設営を始めた。アルカナからの命を受け、先遣隊として乗り込んでいたマァイとミロの二人が隊員達の役割を決め指示を出した。休暇でも帰らなかった二人は先発し、後発部隊の受け入れ準備を進めていた。
久しぶりに見る二人は、ヘルメットを脱いだ姿でセルフェスを見ながら的確に周囲に指示を与え、自らも忙しく動いていた。
エイルは視線が合ったマァイにすぐに近づき、「遅くなってごめんなさい」と言ったが、マァイは返す刀で「謝っている暇があったらあっち手伝って」と顎で大型装甲エアカーの方を指した。久しぶりに直接聞くマァイの声は相変わらず尖っていた。
装甲エアカーの方ではミロの指揮のもと、貨車から何か大型の機材を搬出していた。アンもヘリオスーツの機能で跳躍し、荷台の上によじ登り拘束具を取り外しにかかっていた。身体を動かすのに慣れない研究開発班隊員の頼りなく悲鳴に近い掛け声が耳に入り、エイルは頭を掻いた。確かに、手伝うとしたらあちらの方だ。
マァイとミロの的確な指示のおかげで、薄日が落ちてしまうまでに機材を降ろすことができた。メインドームに帰る装甲エアカーの車列を見送ったところで、セルフェスからセレナ司令官の姿が立体投影された。各自割り当てられた野営天幕の簡易ベッドで休息をとるようにと、あわただしいその日の終業が各自に告げられた。
長方形の野営天幕の中はぎっしりと二列にベッドが十ずつ並び、エイルら第302小隊の四人は、右奥から順番にベッドが割り当てられていた。給仕担当の整備工作班の隊員が、缶に入った簡易食を配っており、おのおのベッドに腰掛けながら食事をとっていた。明日は食堂も兼ねる共用スペースのテントが設営されるのでこういう窮屈なこともないだろう。
消灯までの時間をアルカナがカウントしていたので、エイルは半分ぐらい食しただけでスプーンを置き、私用の袋から薬とインプランタをとりだした。必要な私物は定期的にアルカナドームからエアカー便が出され補給されることになっていた。エイルは脇腹に注射針を指しながら、ふと補給線が断たれたらどうなるのだろうと考えた。水は大気を合成して製造できる装置があるし、簡易食は山ほど備蓄してある。困るのは薬が切れる自分くらいのものだ。
なぜ、そんな欠陥品の自分がなぜここまで来ているのだろう。もっとも、この檻の中から外に出ることができなくなった人間が、この星にとって欠陥品になってしまっているのかもしれないけど。
消灯時間前に全員が床についたのを自動感知して、照明が落ちた。エイルの背丈ギリギリの大きさしかない軍用ベッドは、ふんだんに硬く、寝ながらも身体を鍛えようという意図でもあるのだろうかと思わせる。エイルの横臥する視線の先に見える左隣では、マァイは身を縮めシーツをかぶりこんもり小山をつくっていた。手元に置いたセルフェスを起動させようとしても、警告が表示され身体を休めろとの文字が表示されるだけだった。
不意に後頭部の髪をつかまれたように感じ、寝返りを打った。右隣のベッドのアンもまだ起きていた。手に持ったおもちゃのマジックハンドを、ベッドから突き出さして先端をカチカチ開閉させながらくすくす笑っている。
「ちょっと、アンコ、何持ってんの?」
エイルは声を押し殺した。アンのベッドの下には、私物が入ったリュックが置いてあった。あの中にはうさぎのぬいぐるみや、そのマジックハンドや統一性のないガラクタが、彼女の一貫した趣味に沿って詰め込まれていた。「早速役にたったからいいじゃん」と屈託なく笑う。
「ねぇ、エイルぅお話しよぉ」
「もう寝ようよ」
「エイル。ここって、都市国家セフィロトに近いんでしょ? アイン・ソフ大教会から繋がっている地下の上。地下道で繋がっているのに、なぜアルカナはそこに行っちゃだめって言うのかな?」
「神聖だからじゃない? うるさいよ」
エイルは頭の上までシーツをかぶり、拒否の姿勢を示した。だが、
――神聖?
そんなつかみどころない言葉で自分も誤魔化している。キャミィが消えて行ったそこには、アイン・ソフ神が与える命の源や、アルカナのマザーボードや核融合炉があった。それらアルカナ建国史の冒頭で触れられている、セフィロトの地に近づけたくない理由でもあるのか。考え出したら朝まで起きていられそうな、ありがた迷惑な話題の提供だった。
「神聖? エイルらしくなぁーい」
と、かまわず続けていたアンのおしゃべりは悲鳴でピリオドが打たれた。
「うるさい!! 疲れているのにバカじゃない?!」
アンのベッドの脇に、ヘルメットを取ったヘリオスーツ姿のマァイが仁王立ちになっていた。丸太のような右足で蹴り上げると、ベッドはアンを乗せたまま手品のように一瞬宙を舞った。アンはおもちゃのマジックハンドを放り出して、薄いシーツで全身を隠し必死に身を守った。エイルも薄いシーツで身を隠しながら、笑い声がそこから漏れないように必死にこらえていた。
野営天幕から外に出ると、夜間のサイトロンドームの天井は赤色のルシフェリン照明の淡い光に包まれていた。蓋外性生物の複眼では見ることのできないその光は、保護色となっていたが、エイルの心をますます眠れなくかきたてた。
マァイの落雷を受けてから三十分もたたず、アンはいびきをかきだした。今度はそれがうるさいと咎められるのではないかと気を回す自分が、またおかしくなって笑いがとまらなくなった。自分で自分がおかしくなると、その感情が連鎖反応して爆ぜ自分では止められなくなる。
おかしな身体。ただ母から逃れたいがため、その母が言った存在を確かめるためここまできた自分。あるかどうかも分からない存在を追って。
――本当におかしい。わたし。
赤色灯はエイルの心の中のおかしな反応を、鈍くしつつ別なものに変化させ、低い小型ドームの天井は、それ以上広がらないように強引に押し込めた。薬を打たないと生きられない自分の身体はおかしい。この天蓋から出られない人間なんて、みんなみんなこの身体はおかしい。
――けどこのドームの外の生物は……。
ぐちゃぐちゃに掻き混ざった頭を整理しようと、外に出たくなったエイルはヘリオスーツを着装し、見張りの当直の交代を申し出ていた。礼を言いながらテントに帰る隊員を見送って、セルフェスからアルカナ監視モードを引き継ぎ起動させた。
見張りと言っても巡回でもするわけでなく、監視モードが異常を感知すれば、すぐ出撃できるようにスタンバイしておくだけだ。そう言えばマァイはヘリオスーツを着装したままベッドに入っていたような。
サイトロンドームの中央には指揮台がある広場があり、あちこちにまだ機材が乱雑に置かれていた。一つのコンテナの扉が開き人影が入っていくのが見えた。自分以外にも起きている人がいるのかと、エイルはそちらに歩を進めた。コンテナの中は赤色灯ではなく通常の照明がついており、閉まりきっていな扉からまばゆい光が漏れていた。
その隙間からそっとのぞくと、中には制服姿の隊員が、一人背中を向けて座っている。小刻みに揺れる背中は、達磨のように太って丸まっている。エイルは、「入りますよ」と声をかけたが、全く気づいていない様子だった。中に入ると、コンテナの奥は巨大な水槽になっていた。水槽はバイオ溶液が満ちており、浮かんだ小柄な人の形には様々なチューブがつながれており、それが生命維持のために繋がっていることがすぐにわかった。
――もしかしてこれは……。
「誰? 勝手に入ってきて」
黒髪の女は見知った顔ではく、体格からも行動探索班の者ではなかった。身体を動かすのも大儀な様子で、座ったまま振り返った女の前には、水槽を管理する計器が並んでおり、セルフェスを糸のようなケーブルで接続しなにやらデータをとっているようだった。エイルは自分の氏名所属と見張りの当直を代わった旨を説明し、天幕に帰るように促した。
「だから誰? けっけっ。あんさんがミロっちの言ってたコか?」
ミロと既知であるということはケテルの人間なのか。
「いい身体。けっけけけ。だけど邪魔」
太った女は自分の言いたいことだけ言って前を向き作業を始めた。話す途中で呼吸が止まったような不気味な笑いをする。その度に眼球が白く裏返り、自分自身の頭の中で思考の探し物をしているのかのようだ。ともかく話題がガラリと変わる。
それにしてもなぜセルフェスを使っているのに、アルカナが起動してアラームを出さないのか。何をしているのか確かめようと、エイルは水槽の前に立った。
水槽にチューブにつながれて浮かぶ人型には見覚えがあった。角にやや丸みを帯びた三角形の頭と背負った硬質の羽。切断された長い触角のあと。これはコックローチ。だが違う。瞳にはまぶたがあり、口には唇があり牙がない。それに縦横に地面を這いずり動き回るための六本の足がない。手足はエイルのそれと同じ五本指で、そして剛毛におおわれた股間にある棒状の器官は指よりかなり大きい。これは先の襲撃でマァイらが捕らえた蓋外性生物の進化種だろう。
水槽の前の計器は、心電図と脈拍のような数字を投影表示していた。数値が正常の動きを見せており、マァイらが捕らえた進化種はやはり生きていた。だがなぜそれが今回の作戦の機材と一緒にこのサイトロンドームに運ばれてきたのか。進化種がサンプルとして研究棟に運ばれたという噂は聞いていたのだが。
それにしてもこのコックローチと違う顔つき手足はまるで……もう一つの噂も本当……
――インセクター……?
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