第3章―4

 日が昇る前の真の暗がりの中作戦は始まった。サイトロンドームへは、大型の装甲エアカーを三両も連ねての大行軍だった。エアカーはスイードを遮蔽する強化コーティング鍍金鋼板を使った特殊装甲で、ヘリウムの揚力を利用した駆動系は前進と最小限の方向舵しかきかない簡素化されたものだったが、それでも度々不調を起こし行軍は難渋した。

 三度目の修理を終えエアカーは、ヘリウムの浮力で浮き上がった車体の下から推進ガスを噴射し、後方に向って尾を引く煙幕のように砂埃を巻き上げ進んだ。

 エアカーの監視口から頭を突き出し、歩哨に立っていたエイル・アシュナージは胸から上を外に出し、ヘリオスーツのヘルメット越しに猛る外の世界の風を感じていた。荒涼とした大地は生命が感じられず、後ろ振り返るとメインドームがはるか彼方に、砂埃に見え隠れしながら地平線の下に沈んで行った。はじめてゆっくり流れる外の風景。

 ――世界が続いている……。

 これから向うサイトロンドームは、ドーム国家アルカナのメインドームから見て北西の方向約百キロに場所に位置していた。他にもキザドームを含め観測と警備の役割を果たす小型の駐屯地として運用されるドームが合計四つあった。サイトロンドームはセフィロトの地に最も近く、付近の蓋外性生物の生息密度も高かった。

 先のコックローチの襲撃の際も、そこは彼らの進撃の通り道にあたっていた。応戦に出たキベルの隊員は残念な結果に終わったが、幸いサイトロンドームの機材は無傷で残されていた。最重要拠点の再構築に充てられる補充人員が直に編成された。二十日間の休暇を終えキベル特別区に帰った瞬間、セルフェスからアルカナが立ち上がりエイルに新たな任務を指示した。アルカナがバイザーに刻々と変わる環境を報告する。風速十三メートル。スイードの濃度は四ラド。メインドームから遠ざかるほどにその濃度は不気味に上昇していた。小雪のように降り出したスイードの塵が、目に見える大きさで吹雪のようになってバイザーに次から次へとぶち当たった。

 サイトロンドームにはマルクトの先輩だったアリアも所属していたということを、出発前のブリーフィングで知らされていた。泣きじゃくるアンの横で、エイルは冷静に目をつむった。

 ――自分だっていつそうなるか。

 現にあの時、コックローチに食われていてもおかしくはなかった。ヘルメットに取り付いたコックローチの頭部を思い出し、同時に輝き凛としていたアリアの顔も思い出した。あれから出撃を繰り返し何度も危険な目にあった。エイルは有害な風となって打ち付けるスイードに身を晒しながら、そうはならなかった己の運命を感じた。

 ――わたし、外に出ている。

 先遣隊の報告では、アリアの小隊だけ遺体が見つかっていない。アンは絶対助けると息巻いていたが、もうそれはできないことは能天気な頭でもわかっているはずで、せめて遺体回収だけでもしたいという強い想いにエイルも賛同していた。

 大型装甲エアカーの先頭車両には、エイルやアンらの行動探索班が搭乗していたが、続く二、三両には整備工作班の他、今回の作戦にはサンディら研究開発班も随行していた。最後尾の装甲エアカーはサンディらを乗せ、さらに大規模な機材を積んだ貨車を牽引していた。

 地平線のはるか彼方の薄い雲を突き破って、陽の光がバイザーも透過してエイルの頬をなで微かな温度を感じさせた。地から頭を出し段々と昇る太陽は、これから激しく燃えるだろうが、この星をおおう雲はこれからもっと厚くなりそれを遮る。一日のうちでこの時間帯が、最も日の光を感じることができた。ドームの分厚い透明の壁面がなければ、こんなにも直接肌で感じることができる。

 やがて風は弱まりスイードの塵の降下角度も垂直に近くなった。朝日に反射してそれはキラキラと幻想的にエイルの三百六十度を包んだ。エイルは思わずヘルメットを取ってしまいたい衝動にかられた。こんなにも綺麗なものがとても毒になるようには思えない。この身体を守っていてくれるヘリオスーツでさえ、エイルを閉じ込めるドームと同じような牢獄に感じた。

 ――わたし、ここからも出たい。

 下から足を引かれ我にかえった。座席にいつまでも戻らないエイルを心配したアンが、ヘリオスーツを身に付けて歩哨に顔を出した。ヘリオスーツの着装には時間がかかる上、この装甲エアカーでは着装ブースの数も限られるので隊員は順番でスタンバイ状態になっていた。監視口は二人が入ると抱き合うくらいの密集状態になった。ちょうど身体が触れているので接触回線が使えた。

「どうしたのぉエイル? アルカナの監視システムにまかしちゃえばいいじゃん」

「うん」

 生返事なエイルの様子に、アンはもう一度「どうしたの?」と聞きながら辺りをキョロキョロ見回した。自分が幻想的な風景の一部になっていることに気づいて、うっとりとした表情で、両手を天に掲げ身体を受け皿にするように背伸びをした。

「すごぉーい。きれー」

 柔らかくなった風はスイードの塵を上空に巻き上げ、帯のようにうねる光のカーテンを作り出した。エイルはアンと背中合わせにその様子に見とれていた。スーツ越しに伝わるアンの身体の柔らかさが心地よく、エイルは力を抜き背中を預けた。

これ、中生代の極北地で見られるオーロラっていうのに似ている。

 きっと昔の人間もこうやって空を眺めていたのだろう。それは本当に肌を合わせ互いの体温を感じ、身体を温め、一つに溶け合いながら。

「アンコ……何でこの星はこんなふうになっちゃんたんだろうね?」

「……なんでぇ? そんなこと聞くの?」

「ん、ごめん」

 この星の歴史で、中生代に人間は最も栄えた。その時代の人間は想像していただろうか? 自分たちが植物の出す花粉によってこの空の下で暮らせなくなることを。

「エイルはいっつも外を見て昔のことばっかり考えてるけど……この作戦が成功すれば、もしかして私たちスーツなしでこの外に出れるのね。この雲もきっと無くす方法。見つかるよ!」

「そうね」

 エイルも前を向き言葉に力がこもった。

「そのお薬を使えば、みんなきっと外でも大丈夫になるんだ」とアンも気合を込めて両手を握った。

 出発前のブリーフィングで、セレナ司令官から作戦の意義をティーチングされていた。

 先に捕らえた蓋外性生物の進化種の身体から採取されたパラサイトを使って、ある種のワクチンを生成することに成功をした。そのワクチンを接種することによって、人間はスイードへの耐性を獲得するという。そのワクチンの大量生産のためには、一体でも多くの進化種の捕獲が必要であった。捕獲した生体から生きたパラサイトを抽出するのだ。キベルでは大襲撃以来、蓋外性生物を大量に捕獲しそのパラサイトを研究していたが、その成果だということだ。

 今回の作戦に整備工作班と研究開発班の隊員が多数随行しているのは、ようやく完成した兵器をサイトロンドームに設営し、試験運用するためだった。その兵器は進化種を傷つけず安全に捕獲のための切り札となるという。兵器の核となる装置が完成し、作戦が実行に移されたのだ。捕獲した進化種のサンプルはサイトロンドーム内でパラサイト採取後、捉えた元の場所に逃がすことになっていた。

 装甲エアカーの車列がサイトロンドームに到着するころには、太陽の光も分厚い雲に遮られ、スイードも元のただ危険な煤色の粉に戻ってしまっていた。

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