第6章ー3

「そなたが申していた。友達。か?」

 アレフはエイルを見上げていた。苦痛に顔が歪み、頬を汗が滴り落ちる。暫しの沈黙のあと、アンが戸惑いがちに頷いた。

「聡明な若者だな……」

 エイルはアレフの声を聞き、何か懐かしいような安心するような気持ちになった。

「一族とかけじめとかぁ、わかんない!」

 アンは出血を止めようとアレフの両肩に手を置いた。

「人間として……。一族のきまりを守ること……。すまぬストローイよ……」

「あいつ悪もんだよぉ! 人間じゃないよ! ミロも皆も殺されちゃったんだからぁ!」

 ――人間として……。

 エイルはストローイを睥睨しつつその言葉を反芻した。

 ――人間とは何か? 人間とそれ以外の生物、怪物を区別する違いは何か?

 エイルを心配して通信を送ってくるサンディたち。胸に残る抱きとめたアンの暖かさ。一族の決まりを守ろうと、ゴアテアというインセクターも無言のまま激しく葛藤している。

 そして、アレフ……。

「姿なんて関係ない……心を通じ合わせることができる……それが!」

「くらう! お前、たちクラウ!」

 鼓膜が破られるくらいの強烈な空気の振動に乗って、念波が送られてくる。

「お前は! もうお前は人間じゃない!」

 エイルは叫びに乗せるように、ストローイにレーザプロセスを発射した。

 一射、二射、三射。完全な狙いを腕や足をほんの少しずらすだけの紙一重の動きで全てかわす。巨大な複眼を持つストローイの動体視力は、昆虫のそれをもはるかに超えていた。

 エイルは当たらない射撃を繰り返しながら、脚部のスラスターを開き大きくジャンプした。胸部の破損からスーツ内から大量のヘリウムが流出し、十分な浮力が得られない。

 なんとかアレフ達が倒れている場所から大きく離れ、ストローイの背後をとった。頭部の大部分を占める複眼の中に浮ぶ黒点が、エイルの動きを完全に追尾していた。後頭部まで広がる複眼の端まで黒点は移動しており、背後からの射撃も、振り向くことなく身体を傾けるだけで全てかわす。当たらない射撃にレーザー形成用のヘリウムが惜しくなり、レーザプロセスのアタッチメントパックを右腕から取り外し無造作に投げ捨てた。

 出力最大に調節した水素サーベルの青白い刃が、エイルの右腕から徐々に伸びた。ストローイは黒い単眼で、その先端をゆっくりと追いながら、鎌状の腕を揺らした。

 ――くる!

 髪がゆれ、左肩が深く切り裂かれる。

 エイルは大きく振り遅れた打者のように、でたらめにサーベルを振っていた。すぐ反転した緑の刃が何度もエイルに襲い掛かる。バックパックをえぐり、左腕に装着していたセルフェスを弾き飛ばす。

 嵐雨のように降り注ぐ緑の刃に全身を切り刻まれ、エイルは竜巻にまかれるぼろ雑巾のように翻弄された。ヘリオスーツの機関が故障したのか、青白い炎の水素サーベルの刃も消失した。

「エイルぅ――――!」

 アンの叫びを微かに聞きながら、エイルは片膝をついた。ストローイは小さな羽をはばたかせ、ゆっくり浮き上がった。思う存分いたぶるのに飽き、止めを刺す動き。次は身体を真っ直ぐ錐状にして串刺しにしてくる。

「エイルぅ――! たってぇ――!!」

 エイルはフラフラと揺れるように立ち上がって、雲をつかむように何もない右手を上げ、左右に振った。身体全体を使って、緑の刃となったストローイが高速で迫る。エイルは身体を若干低くし、地面を蹴り小さく跳んだ。

 次の瞬間、エイルの身体を貫くはずだったストローイの身体が、頭頂から真二つに裂け地面に落ちた。黄緑の返り血を全身に浴びたエイルがゆっくりと振り返った。

 何が起こったのかとアンが駆け寄ってくる。

「エイルぅ! 一体何が……?」

「何とかうまくいった。あいつ動きを眼だけでおっていたから、見えなかったみたい」

 エイルはにっこりと微笑み、右腕に最大出力の青白い炎を浮びあがらせた。

「そっか! 燃料ガスだけを調節して水素の透明な刃を! 水素だけで作った炎は透明で見えないから危ないって最初に習ったよね」

 アンは思い出し悪戯っぽく笑った。エイルは、ストローイが物の動きを複眼の中を激しく動く単眼だけで追っていたことを注意深く見て気づいていた。三メートル近くまで長く伸ばし、透明になるよう出力を調整した鋭利な障害物に気づかず、自ら身体を両断させてしまった。

 エイルは頬についた返り血をぬぐった。黒く変色し出した血糊が、左手のひらにべっとりと。

「やられっぱなしになって、ガンパックも捨てて油断させたら、最初のあれをやってくると思った」

 水素サーベルが徐々に短くなって消失した。エイルは全身を切り刻まれて機能を失ったヘリオスーツを脱いだ。黒いインナースーツまで切創に刻まれ肌から血がにじんだ。

「エイル。スーツが、ドームも開いて……」

 エイルはアンがそれ以上何も言えないように抱きしめた。

「ごめん。大丈夫、大丈夫だから。何で、だろう……大丈夫……。な、気がする。これが、これが本当のわたし。こんな姿になっても、わたしはわたしだから」

「あたり前じゃん! あたり前じゃん!」

 エイルは上空の雲を見上げ大きく息を吸い込んだ。

「あの人に聞きたいことがある」

 エイルはアンを胸に抱きかかえたまま、ゴアテアが見守るアレフの元に駆けつけた。肩からの出血は止まらず、白い止血パッチが真っ赤ににじむ。

「アンコも助けて頂いてありがとうございます。私の名前はエイル。エイル・アシュナージといいます」

 エイルはアレフの手を握った。ごつごつと血管が浮き上がり武骨で力強い。

「こちらこそ申し訳ない。あのようなものを生み、沢山のものを殺してしまった」

 アレフは表情を曇らせた。

「それは私たちも同じです。きっと、話し合うことで分かり合えます。それよりさっきあなた、カトレアと言いましたね」

 アレフは遠くを見やるように、視線を一度空に向けた。

「まさか本当に生まれてここまで育つとは」

「あなたが……母がいつも言っていた。アイン・ソフ神なのですか?」

「違う。私はアレフだ。アインソフは私たちのさらに父のような存在だ。カトレアは?」

「母は……。おそらく亡くなりました」

「そうか……」

 アレフは眼を閉じた。

「お父さん……」

 再び見開いたアレフの瞳が鋭くエイルを見つめる。

「お前の身体の中には、私たちと同じ血がながれている。この環境に適応するのと引き換えに、姿が変わる。もう、皆のもとには帰れない」

 腕に力が入り、アレフは上体を起こした。

「はい。なんとなくわかります」

 あの薬が全て身体から流れ落ち、大事な存在を認識し、エイルは生まれ変わり本当の自分に気がついていた。

「いやぁ!!」

 アンが背中にすがるようにとりついた。

「アンコ! 見たらわかるだろう? この姿、皆と違う。超空間通信機が直ったら、サンディたちとメインドームに帰れ」

「やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ! だって、あたし……」

「わがまま言うな!」

 アンに腰に取り付かれ、重心をとられてよろけエイルはしりもちをついた。

「ちょ、アンコ離れて……??」

 視点が落ち地面に転がるマンティスの残骸が目に入った。その一つ一つから糸を引くように集まり蠢くものが見える。

「どぉしたのぉ? なに? これ!!」

 アンも異変に気づきエイルから離れた。エイルはむずがゆい感触に気がつき、自分の左手のひらについた血糊を見た。どす黒い飴の練り物の中を、苦しみながら泳ぐように、身体をくねらせ白い細かな糸が何本も寄り集まってくる。やがてそれは小さな細長い芋虫になってぽとりと地面に落ちた。それがエイルたちから離れるように身体を尺取った。

「これもしかして、中にいたパラサイト?」

 見渡せば辺り一面に、何百、何千と集まったパラサイトが糸のように列を成し、一点に向って体を結び付けている。そのパラサイトたちが向う先は……。

先ほどエイルが斃したマンティスの死骸から、焼け残ったコックローチの死骸からも、蟻の行列のように連なる糸に引かれ、死骸の破片がズルズルと一点に引き寄せられていた。エイルはその先にまだ意識が残っているのを感じた。

 ――わかる……この感情は……。

 苦しみ、恨み、憎しみ、それら人間が持ちうる負の感情が、ないまぜになって底なしで漆黒の沼地のようになってそこへ集中し沈みこむ。パラサイトを介し、命を落とした生物たちの同じ感情を吸収している。

 蓋外性生物たちの今際の際の苦しみに、自分の負の感情を重ね、沼の底の受け皿となってストローイの意識はまだあった。彼が最後まで持っていた人間らしい感情が形を成す。

 引き寄せられた蓋外性生物の死体の残骸が、両断されていたストローイの肉体を核に、巨大な人型を作っていった。


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