第6章ー4
アルカナを討伐し、セフィロトを離れたマァイ・ヴァジャノーイは、アニタたちとともにサイトロンドームに向っていた。針葉樹林を抜け飛行編隊をとった。途中何匹かの飛行タイプの蓋外性生物に遭遇し撃ち落としていた。安全より今は時間が重視されていた。
アルカナのシステムダウンを合図に、メインドームではマリーナが元老院を掌握し、新しい国家の設立を宣言しているだろう。メインドームから迎えの合流部隊がサイトロンドームに向っているはずだった。
アルカナが最後に語ったこと。セフィロトの地下にあったもの。
自分たちに進化をもたらす〝異性〟は、マァイが考えているものではなかった。ただ遺伝子を取り出す為だけの醜く矮小な存在だった。アルカナは〝男〟の性に、それ以外の存在価値を見出していなかった。
――だからあんな醜い姿で。
バイオ溶液につかった〝男〟は、遺伝子を取り出すために、生殖器だけが成長した醜悪な姿をしていた。
――あれは人間なんかじゃない。
〝異性〟の存在に期待したマァイは、裏切られた気持ちになっていた。ただアルカナの選別によって〝男〟から必要な遺伝子が取り出され、コールドスリープした女に機械で注入されていただけだった。自分の身体の中にもあのおぞましいものの血が流れているのかと身震いする。
飛行速度を上げると、スイードの塵がバイザーにまとわりつき視界をさえぎった。
――だが……。ただ一人だけ〝男〟として成長したあいつならもしかして……。
スイードの濃度が徐々に薄くなり視界が鮮明になる。不毛の荒野にぽつんと建つ目標の建造物の異変にマァイは気がついた。
「なぜ? 開いている」
すかさず後方を飛ぶアニタから通信が入る。
「妙な反応があるね。何十体も一箇所にかたまっている反応。けけけ」
ダアトのインセクトサーチは、サイトロンドーム内の一点で、蓋外性生物が複数集中して存在していることを検知していた。マァイは全員の降下を指示した。アルカナが無力化され蓋外性生物に襲われたのだろうが、なぜドームの天井が開かれているのだろう。
「アニタ。様子がおかしいわ。ドームに着く前に合流部隊へ行って。あそこに近づかないほうがいいわ」
「あんたはどうする?」
「生き残って賛同するものがいないか探す」
「なんでぇ? 生き残ってたとしても、あいつらどうせみんな怪物になるか食い破られて死ぬんやろ? アルカナも言っとったやろ。食事にパラサイトを混ぜてたって。けけけ」
マァイはゆっくり降下するアニタらを見送りながら通信を送った。
「本当に怪物になったかこの目で見たいの」
マァイはひとりサイトロンドームの外壁に沿って歩いていた。ダアトのインセクトサーチによると、何十体も重なった蓋外生物の反応が、一体となってドーム内を激しく動いていた。マァイは戦闘に備えヘリオスーツの装備を念入りに確認し、非常入場口よりサイトロンドームに侵入した。
サイトロンドーム内の空気は、重苦しく湿っていた。開いた天井から間断なくスイードが降り注ぎ重苦しさに拍車をかけた。
マァイは通信機材のコンテナの影から、恐る恐る顔をのぞかせた。
「何……? 人間??」
立ち尽くすエイル・アシュナージの頭に、振り下ろされようとした巨大な鉄槌を、飛び出したゴアテアが防いだ。蓋外性生物の死骸は、巨大な肉の人型を形作りエイルたちに襲い掛かった。寸でのところでゴアテアが、人型の片腕に取り付き防いだ。ゴアテアの巨躯をもってしても彼が子供に見えるくらい人型は大きく、力比べに押されジリジリと後退する。両腕に渾身の力を込めるゴアテアが、人型の左腕一本に身体を沈めさせられている。顔にあたる部分の表情はなく、ただ人型の身体じゅうにあるコックローチやマンティスの死骸の眼が全てエイルを見ていた。
――自分が狙われている。
「アン! アレフさんを連れて離れろ!」
「あぇ……。う、うん」
エイルの言葉に反応し、アンがアレフを抱えてドームの端の方へ走った。同時に、硬いものがひしゃげるような衝撃音が響き、ゴアテアの巨体が弾かれたように飛ぶ。重力を無視し、ゴアテアの身体が水平に飛びドームの壁に激突する。人型の右腕が、ハエたたきのように平手で造作なく巨体を飛ばし排除した。
人型の身体中の眼がエイルを見ている。感じることができる。全て同じ意識を持っている。真っ黒に染まった人間の原始的な感情。全ての眼は仲間を見つけたように、エイルに視線をつきたてた。
――わたしにもわかる! ああ!
エイルは目を閉じた。まるで頭から触角が伸びたかのように、敏感な感覚がその感情とシンクロする。人型の頭の中に脳幹のような形になってストローイの感情が収まっている。
――か弱き人間ども!
目を開けると、人型が両手を組んで頭上に振り上げていた。
エイルは自分の太ももに意識を集中した。まるで自分の身長の何倍でも跳ねる、 バッタのような力がみなぎるのを感じた。力を解放した瞬間、身体はドームの天井にぶつかりそうなくらい飛翔し身体を反転させ足をついた。はるか眼下で、人型の巨大な拳が地面を打ちつける。
天井に足をつけたエイルは、つま先に力を入れた。鋭利な感覚が足先に走り、カナブンの足のように伸びた爪が鉤爪となりドームの天井を捉えた。そうしてエイルは天井にぶら下がりながら、頭部から伸びた触角のような感覚でストローイの気配を探った。
――人間をくらえ!
無防備にさらされた人型の頭部の中に、スロトーイの身体は赤子のように丸まっていた。
エイルはドームの天井から足を離した。身体を伸ばすと、まるで背中に蝶の羽が生えたようにゆっくりと宙を滑空する。人型が上空のエイルに気づき顔を上げた。
エイルは右手に力をこめた。その手刀はスズメバチの毒針のように鋭く硬度をもち、一気に人型の額をめがけ急行下した。頭部に着弾する前に、人型は右腕をかざしそれを防ぐ。エイルの手刀は、人型の二の腕あたりに深々と突き刺さった。
人型が右腕を水平に振りかぶると、エイルの手は抜け、ドームの壁に向って一直線に向って飛ばされた。
全身に力を入れたエイルの身体は、クロカタゾウムシのような硬度を手に入れた。エイルの身体はぶちあたったドームの壁にヒビをいれ、直下にあったコンテナを潰し瓦礫の山に変えた。もうもうと立ち込める粉塵の中、何事もなかったようにエイルは立ち上がった。
――どうしたの?? わたしの身体……。
エイルはまじまじと両手のひらを眺めた。ずっと見ていると自分の身体でないかのような感覚が湧くが、肌色の五本の指は変わっていない。これだけの衝撃を受けたのに痛みを感じない。まるで思った通り、エイルの意思を受け身体の各部分が役割を変えているようだ。だけど今、手も足も、胸も……そのほのかな膨らみを失った以外は、上半身がボロボロにはだけたインナースーツで露出した身体は、なんら変化していることはなかった。
身体は。エイルは目をつむり自分の心のなかに意識を向けた。
――わたしは人間……。なの?
超空間通信機の陰までアレフを担ぎ、ほっとしたアン・コモリは、額に流れる汗をぬぐおうとして自分がヘルメットを装着していることに気づいた。
口調は乱暴であったが大人になって初めてエイルは自分の名前をちゃんと呼んでくれた。
胸の奥がジンと熱を帯び、ずっと暖をとっていたくなるような愛おしさが身体の中にしっかりと存在感を持つ。
アレフを安全なところに横たわらせる。さっきエイルは、このインセクターを「お父さん」と言った。
エイルの母カトレアがずっと片親だった。
カトレアがアンの母親たちに内緒だと言いながら、自分はキベルの第一期生だったと語っていた。
一筆書きの絵がアンの中で繋がりそうで繋がらない。
――あたし考えるの苦手だし。
アンの思考を完全にストップさせる光景が展開されていた。巨大な肉の人型に向って、エイルの頭から触角が伸びた。人型の拳を避け、エイルの脚は伸び曲がり、膂力を地面にぶつけ天井まで飛び上がった。天井にぶら下がったと思うと、突然背中から一対の鮮やかな羽が現われ滑空する。右腕がひじから先が巨大な針になり、注射針のように人型の腕に突き刺さった。最後、吹っ飛ばされたエイルは、壁にぶつかり、つぶれるどころかむしろドームの壁を壊した。
そして今、平然と瓦礫の埃を払いながら立ち上がる。その姿は何も変わらないエイル。
いや……違う……。いつも間にか胸のふくらみはなくなり、曲線のないその身体はまるで本当のアイン・ソフ神のよう。あっけにとられるアンの傍ら、アレフが身体を起こした。
「我々は、長い時間をかけてそれぞれ昆虫に身体を擬態させた……。それが彼は自分の意思で自在に必要なときだけ瞬時に擬態できるとは……。受け継いだものが、新しく入ってきたパラサイトを統率しているのか」
アレフの言う意味をアンは理解した。
――エイルはもしかして、私たちよりこの人に近いのかもしれない……でも。
エイルの姿に、アンの胸の奥の愛おしさは優しい暖かさから煮えたぎる炎に成長し身体を焦がした。
止まらない汗、うずく全身。それがエイルに対するあふれる愛おしさなのか、それとも別の何かなのか。アンは必死にエイルの姿を追い続けた。
――どんな姿になってもエイル。あたしも。
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