第6章ー5

 マァイ・ヴァジャノーイは二つの人型を見た。ひとつは蓋外性生物の死体が集まって形作られた巨大は人型。頭と両足と両腕を持つが、それは数十のコックローチとマンティスの死骸が集まったぐちゃぐちゃの身体が、肉団子のように集まっているだけだ。ダアトのインセクトサーチによると、死骸を無数のパラサイトが結合子となって結び付けており、それを操っている念波が人型の頭部から検出されていた。

 そしてもう一つの人型は、マァイと等身大の身体で巨人に立ち向かっていた。その頭からは、探るような触角が伸び、強靭に発達した脚は重力をまるで無視し、背中に現われた羽は空中を優雅に滑空し、突き出した右腕は鋭い針になった。瓦礫を掻き分け立ち上がった姿は、何事もなかったような人間の姿だった。だが、自分たちとは違う。身体には動きを邪魔するような丸みはなく、隆々とした無駄のない筋肉の鎧を身に着けた姿だ。

「エイル……」

 マァイはヘリオスーツのヘルメットの中、忌々しげに呟いた。アルカナが言っていた通り、もうその姿は……。インセクトサーチで解析すると、エイルの身体の中には大小様々なパラサイトが存在していた。

 もともと遺伝的に持っていた多能性をもったあのパラサイトが統率する形になり、後天的に獲得したパラサイト――おそらくキベルの食事に混入されていたもの――とともに細胞を瞬時に変化させ、身体を望む昆虫の一部に変えていた。だが役割を終えるとそれらは直ぐ人間のそれに戻った。人型に対峙するその凛々しい姿は……。

 その姿にマァイの心には、惹かれる想いが瞬時に燃え上がり火炎を生じた。だがだんだんとその火炎が、燃料を失いくすぶるように鎮火した。

 ――やっぱり〝男〟など……。あれはもう、人間じゃない……。


 身体に起こった異変を、じっくり確認することもできず、エイル・アシュナージは脚力を使い飛翔した。先ほどの針の一撃で、損傷した右腕を引きちぎり、人型が投げつけてくるのをかわす。失った右腕も、直ぐに足元にある蓋外性生物の死骸から部材を補充し修復される。何度か急降下攻撃を繰り返すも、頭部は守られ再生可能な身体を傷つけるだけ。暴れ周りながら人型は、だんだんサンディたちが避難したシェルターに近づいている。

 ――きりがない……何とか一瞬でも隙があれば……。

 エイルは、当たり前のように蝶の羽をひらめかせ、人型の上空を漂っていた。


 アン・コモリは、うめきながら立ち上がろうとしたアレフの身体を支えた。肩からとめどなく流れる血は止まらず、赤い血は自分たちと同じ。

「ゴアテアは……?」

 エイルは先ほどから上空を漂い、人型の隙をうかがっていた。

 ドームの反対方向の壁に目を向けると、うずくまった黒い塊がもぞもぞと動いているようだ。

「大丈夫。ゴアテアさん。何とか動けそぉ」

 そう言って再びアレフを寝かせた。

「エイル……何とか援護しなきゃぁ」

 もどかしげな上下の動きでエイルが焦っているのがわかる。アンはヘリオスーツの機能を確認した。

 アルカナは反応せず、兵装もガス切れで使い物にならない。それよりもあちこちガタがきていて、さっきアラート音がうるさいから切ったのだった。

 でも、早く寄り添いたい。あのエイルの身体に一刻も早く。身体を焦がす炎がエネルギーを供給し、心臓がトクン、トクンと早鐘を鳴らせた。

 ――でもだめ。スーツが……。いえ……。

 アンは激しいめまいを感じ、うずくまる。ヘルメットのバイザーを、曇らす激しい呼気が打ち付けた。気持ちばかりが、離れたがって身体が動かない。

 ――あたしの身体は……だめみたい……。せっかくミロが助けてくれたのに……。

 アンはアドナイが大事にしていたうさぎを思い出した。

 ――あたし、あのうさぎみたいになりたかった。

 そうしたらエイルみたいな身体になって、いつまでも寄り添っていられるのに。

 アンは混濁する意識のなかで、離れていくエイルの身体を追った。


 マァイ・ヴァジャノーイはセルフェスで時刻を確認した。メインドームからの合流部隊がそろそろ到着する時間だ。アニタを先に行かせ、合流地点を変えたのは正解だ。こんな怪物たちに関わる必要ない。マァイは踵を返し合流地点に向おうと視線を切った。視界の端に、羽を生やし上空をただようエイルの異形の姿を捉えた。

 ――あいつはもう人間じゃない。

 マァイはそう思いながらも、一歩を踏み出せないでいた。心の奥にくすぶる燃えカスがわずかに熱を持っていた。

 ――あの、凛々しい姿。

「……思い出した。そう言えば、あいつとの約束あったんだ」

 マァイはわざと自分に言い聞かすようにひとりごちた。踏み出そうとしていた足を反対に向け、暴れる回る人型にレーザプロセスの照準を合わせた。ダアトのインセクトサーチで人型から発する念波を分析しながら、焦点をあわせる。その時、インセクトサーチが人型の中に見覚えのある反応を捉えた。

「これ……? 何? ……なるほどね」

 マァイは構えていたレーザプロセスを降ろして、セルフェスから浮かび上がった起動ボタンに軽く触れた。


 投げつけられる瓦礫や死骸の破片をかわしながら、エイル・アシュナージは飛翔した。

 上方からは人型にスキがないのと、ドームへの損傷を心配したエイルは地面に降り立ち人型と対峙した。

 人型の無数の眼がエイルを凝視する。

 何百という感情が空気を響かせエイルの耳朶を打つ。

 ――苦しい、妬ましい、憎い、人間……。

 ――弱い、弱い人間をくらう!!!!

 人型は両手を上げ、エイルを捉えようと飛び掛った。人型の頭の一点に意識を集中する。右腕をスズメバチの針に変え、目をつむり向ってくるどす黒い意識の中心に向って、跳躍しようとしたその時。

 刹那、空気に波が走った。

 どす黒い意識が、ガラスにヒビが入るごとく細かく別れる。目を開けると人型が脚をもつれさせこちらに倒れてくる。いや、脚がもつれているのではなく、脚がなくなっているのだ。死骸のつながりが解除され人型の身体全体が崩れる。だがついた勢いはそのまま、雪崩のようにエイルにおおいかぶさってくる。

 何百体の蓋外生物の身体の質量がエイルにふりそそいだ。うつぶせに倒れた上に、どんどん圧し掛かる重みに身体がうごかせない。息もできない。戦闘でおった体中の傷が押し広げられるように痛む。息苦しさと激しい痛みに意識が揺らぎ遠のく。

 ――わたし、死ぬかも。


「おきるんだ。エールよ」

 思い頭を持ち上げ、声のほうに顔を上げると暗闇にむこう三人の人影がみえた。中央にいる白衣を着た人物が呼んでいる。

「あなたは……誰?」

「君のお仲間の頭のなかにいた者だ。それよりお前に紹介したい者がいる」

 白衣の人物の両側にいた人影が一歩前に進み出た。白衣の人物は背の低い人影の肩に右手をおいた。それはキベルに捕虜とされていた、コックローチ型のインセクターだった。

「彼は幼いころ人間にさらわれ、実験体にされようとしていた。助け出されたてあともその時の恐怖と苦しみから、人間を憎しむようになっていた」

 白衣の男は左手を背の高い細身の人影の肩に置いた。先ほどまでエイルが戦っていた、ストローイと呼ばれるマンティス型のインセクターだ。

「彼は狩猟が得意で、一族を率いる自信があった。だが一族の長に軽率な行動をとがめられ、長を恨むようになった。理不尽におさえつけられた恨み、それが長の大事にする人間への敵意に昇華していった」

 白衣の人物は二体のインセクターの肩を押した。

 エイルに向ってゆっくり歩き出した二体は、混ざり合うように一つの人影になった。這いつくばるエイルの前にたった人影は自分と同じ顔をしていた。

「やっと会えたな」

「あなたは誰?」

「お前はおれだ」

「わたし?」

 人影は漆黒で筋肉につつまれたしなやかな体をしていた。自分と同じ顔をした人影は続けた。

「そうだ。おれはお前が自分でおさえつけていたお前だ。チビだといじめられた憎しみと母におさえつけらえた恨みのかたまり。それで無理やり女として育てられたのがお前だ」

 人影に差し出された手をつかんでエイルは立ち上がった。

 手を触れてわかった。

 これはわたしだ。

 姿だけみて『片親チビ』とはやし立ててくる人間たち。

 折に触れ干渉し偽りでおさえつけ理不尽を押し付け続けた母。

 人影がにやりとわらった。

 ――わたし、こんなにいやらしく笑うんだ。

 漆黒の人影がだんだんうすくなる。触れ合う手から真っ黒の感情が流れ込んでくる。

「エール! それがお前だ!」 

白衣の人物が高らかに嗤う。

 澄んだ水面におとされた墨汁のように漆黒の感情が広がる。

 ――わたしは……おれは……。

 ――わたしは人間じゃないの?

 ――おれは人間を超えた。

「不完全な人間にとってかわり、この星の支配種となるのだ。エールよ」

 白衣の人物は背をむけかき消えた。

 全身の傷口からどんどん注ぎこまれ、全身が真っ黒に塗られているようだ。

 ――わたしが消えて行く。

 肉塊の海の中、必死に身体を動かす。

 伸ばした右手が温かい何かに触れた。そこにある小さな感情に手を伸ばした。

 ――そこに誰かいるの?

 右手の針はいつしか手のひらにかわり、何かをつかもうと伸ばした。

『わたしたちは同じ』

 確かにそれをつかんだエイルは、肉塊をかきわけ立ち上がった。

 ――わたしも同じだよ。

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