第2章―8
中央病院前まで戻りロータリーまで戻ると、運よく客を降ろしたタクシーエアカーを拾うことができた。「キベルの隊員さんですか? ご苦労様です」と運転手はドアを開いた。制服でそれとわかるキベル隊員は、公共施設の使用料を免除されていた。外見から三十をとうに過ぎているだろう運転手の女は、自分も若い頃はキベルで従軍していたのですよと昔話を始めた。後部座席からは表情はうかがえない。懐かしむ顔なのか、得意げな顔なのか、少なくとも口調からは、それはこの人にとって人生の良き思い出になっているのだろうと想像ができた。話の内容からもっと若いのかと思わせる。ドームに守られているとはいえ、スイードの影響は深刻な影をおとしていた。キベルでの任務以外にも農業と工業の労働役務は過酷で、現代の平均寿命は中世代の半分にも満たないという。
行き先を告げると運転手は目の前のコンソールに何回か触れた。エアカーはほとんど自動運転だが、行き先を入力したり速度を調節したりする有人に頼る機能があえて少し残されていた。
この人が現役だった時代は、大遭遇後のドームの修復や装備の開発といった地道な作業の日々だったはずだ。ヘリオスーツの開発に成功して、昨年よりキベルはドーム外への探査活動を再開できた。
完成したヘリオスーツは新規の隊員に優先的に配備された。新しい機能に慣れるために、慣熟訓練にはかなりの時間がかかった。ドームの維持管理作業に従事している、古参隊員を長期間任務から外すことはできなかった。
マルクトの先輩であるアリアたちはエイルらより一年前にヘリオスーツを受領し、ドーム外の駐屯地で新たな任務についているらしかった。
アルカナの公共放送でも、キベルの活動は日々伝えられていた。バックモニタでエイルの表情をチラチラと窺う運転手の視線には、微妙な羨ましさと妬みが含まれていた。エイルはねっとりとした濃厚な蜂蜜を、顔に塗りつけられているような不快な気分になった。
中央病院区域のゲートをくぐり、エアカーはアイン・ソフ大教会区に入った。舗装された道路を向う先には、高さ百メートルはあろうかという薄いクリーム色の建造物が見える。左右非対称の二棟が、中央の七色のステンドグラスと呼ばれるガラス窓を持った低い建物を挟み並んでいる。左側の建建造物の先端は三角に尖っており、ドーム外の分厚い雲を突き刺していた。正面から見える窓はひとつで、全体に幾何学模様をあしらったこの聖堂の様式は、中生代の宗教建造物を模していた。
聖堂を囲む壁に、一箇所だけ設けられた黒い鉄格子状の門扉の前でエアカーを降りた。壁はアイビーに似た蔦のような人工植物で一面緑におおわれていた。この門扉も装飾のようで開かず、招待状の情報を読み取っていたセルフェスに反応して、すぐ右に人が一人入れるくらいの扉が形成された。
壁をくぐると地面は人工芝が敷き詰められており、毒々しいくらいの深緑は足を踏み入れるのを一瞬ためらわせた。
七色ガラス窓の下にある入り口に続く階段の中腹には、こんもり人だかりができており、式はもう始まっているようだった。真っ白な薄い布が泳ぐドレスに身を包んだキャミイは遠方からでもすぐ見分けることができた。
キャミイのお相手ソニアは、薄いブルーの水面を重ねたような透明感のあるフリルつきドレスに身を包んでいた。ソニアはキベルに徴用されることなく、トーラー卒業後は農業プラントでの公業についていた。
手を取り合って階段を上る二人。パニエで大きく膨らんだスカートのドレストレーンを引きずらないように、それぞれ子供のベアラーを従えていた。ゆっくり階段を上がる主役を取り巻くように、三十人ほどの参列者も思い思いの華やかな装いでおしゃべりしながら、陽だまりのような雰囲気をつくっていた。聖堂の入り口にその一団が吸い込まれて行く。
制服姿のエイルは距離をおき階段を上り始めた。階段脇には流れ落ちる水路の間に花壇が設けられ、チューリップのような人工花が曇り空を晴らそうと懸命に原色の花弁を開かせいた。階段を上りきり、聖堂入り口の影から覗き込むように式の進行を見続けた。
吹き抜け広がるフロアの正面上にもステンドグラスがあり、その前には台座に乗ったアイン・ソフの彫像が参列者を見下ろしていた。大教会のアイン・ソフ像に見守られて愛を確認し、司祭と参列者の祝福を受けることによって二人の結婚は成立した。参列者に囲まれ、クリーム色の振袖のような法服を身に着けた司祭の前で、白と青のドレスの二人が向かい合った。司祭が何か言葉を述べている。ひとつひとつは当然エイルも知っている単語なのだが、そのつがなりが意味のあるものとして耳に入ってこなかった。
何かを誓い合った白と青のドレスは、口付けを交わし混じり合って水色になるように抱き合った。エイルはアンとの口付けを思い出し、口唇がジンと熱くなった。だがそれは表面こそ熱くすれ、胸に落ち全身を火照らすことはなかった。
抱き合っていた二人が離れ白いドレスのキャミイが、アイン・ソフ像の前に進み出た。青ドレスのソニアがキャミイの背中に手を置いた。背中はファスナーがあるのか手が上から下に動き、ゆで卵の殻が割れるようにドレスが左右に分離した。
音もなく降り積もる雪のごとく、ドレスが床に落ちる。
下着だけを身に付けたキャミイがこちらを振り返った。司祭が半透明の長いショールを肩にかけて胸を隠す。キャミイは生まれたてのヴィーナスの彫刻のように、下半身と胸の前に手を置いた。恥ずかしそうな花嫁に、参列者は祝福の言葉をのせて花びらや穀物の雨を降らせた。
キャミイが顔を上げ真っ直ぐ前を見た。ちらりと聖堂の入り口の方に視線を投げ、エイルは視線が合ったように感じた。再び背中を向いたキャミイがアイン・ソフ神の台座の正面に立った。いつの間にかそこには扉が開き、階段が地下に続いていた。
その先のはるか地下は、ちょうどセフィロトの真下だった。我々人類がそこからあふれ出したと言われていた発祥の地。そのセフィロトの地の地下でアイン・ソフ神より命を授かり、約十ヶ月後に妊娠、出産した赤子を抱えここに戻る。そしてパートナーとともに二人の母親となって子を育てていくのが、このドーム国家アルカナでの結婚の儀式だった。キャミイとソニアは今日ここで婦婦(ふうふ)となり、十ヶ月後キャミイが生んだ子を育てこの天蓋のもと暮らしていく。そうやって人々は命をつないできた。
キャミイがゆっくり階段を下りて行き、姿が見えなくなった。扉が閉まり、残されたソニアに向って参列者が言葉をかける。ソニアとともに輪の中心で祝福されている四人は二人の母親だろう。
たしかあれはトーラーの入学式の日だっただろうか。華やかに着飾った二人のお母さんに両手を引かれる同級生達にとり囲まれて、幼かったエイルは、それまでも感じていた自分の境遇の違いを形として認識した。
「なぜわたしのお母さんは一人だけなの?」
トーラーの校門の前で、行きたくないとダダをこね泣き出した。繋いでいた左手を振りほどき、うずくまったエイルに、カトレアも腰を落とし、そのときただ一度だけこう言った。
「あなたにも、お父さんはいるわ。あの壁の、あの雲のむこうにきっと。あなたは本当のアイン・ソフ様の子供だから……」
その後入学式がどのようだったのかは覚えていない。
――お母さんでなくてお父さん?
知らないその誰かを追い掛け回し、頭の中で想いだけが自分の尻尾を追いかけグルグルと回っていた。
いくら手を振っても繋がれることのない右手を、エイルはいつしかドーム外の雲空に向って伸ばすようになっていた。大人になっても。逞しく右腕を突き上げているアイン・ソフ神の彫像のように。
聖堂入り口脇で、ドーム越しの空を眺めているエイルに気づく人はなく、祝福の群れは青いドレスを先頭に階段を下りていった。
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