第3章―2

 一族の意志決定の場である寄り合いは、定期的に族長であるアレフの住居で開かれていた。かやぶきの下むき出しの地面の上に家具類はなく、ただ小石が綺麗に取り除かれて、中央に明かりとなる焚き木がくべられていた。

 アレフの右隣のゴザに座る者はなく、ストローイはこの大事な寄り合いをもう三回も連続で欠席していた。左隣にはゴアテアが、窮屈そうに肩を縮めて懸命にゴザの四角に収まっていた。油断すると伸びた角が天井を突き破ってしまいそうだ。

 揺れる焚き火の炎を皆見つめながら、誰もが率先して口を開かない。最近の寄り合いで毎度議題に上る重大な意思決定を先送りし続け、現実から目を逸らしていた。

 セフィロトの廃墟に接近しようとしているのか、再び現れた白き民の動きは着実に集落へと迫っていた。はるか昔、集落を彼らに襲撃され我々はこの地に居を変えた。

 あの時の過ちを繰り返したくはない。だが、彼らにこの集落を発見される前に移動するのならば、今度は過酷な環境の下、命の危険を侵しずっと遠くへ移住先を探さなければならない。昼の暑さと夜の寒さを地形で遮る都合のよい場所は、周囲で見つかりはしなかった。

 それに移住は、一族の濫觴の地であるセフィロトの地から遠く離れることを意味した。その決断の重さを理解した全員が押し黙るこの場では、焚き火にくべられた薪が無駄に炭に変わっていくだけだった。この重大な決断をするのは自分しかいないとアレフはわかってはいた。 

 頻繁に出没している白き民は次第にセフィロトに近づきながら、発見した昆虫を何匹も捕らえていた。大人たちが順番で見張りに出かけ彼らの動きを監視していた。見つかれば昆虫の姿をした我々も捕獲されるだろう。あの時と同じ殺戮は避けなければならない。

 夜の冷え切った大気は、隙間だらけのかやぶき屋根を容易に突き抜け、焚き火のあたらない肩から背中のあたりの温度を奪っていく。

 どうするのだと空気念波を送ってくる者に対して、アレフは苦悶の念波で逡巡する意思を表現した。アレフやストローイのように言葉を発する代わりに、主に念波を使い意思疎通を図る者も一族には現れていた。脳から発せられる念波が空気を揺らし、鼓膜に触れ言葉を成した。送られてくる空気の振動は、アレフの決断を迫る切迫さと期待する切実さが錯綜して、この場に身体をしばりつけるように絡みついた。ゴアテアは石像のようにまんじりとただそこにいる。

 白き民という外部の脅威と同じく、ストローイら粗暴な動きをする者の存在も一族にとって大きな問題だった。特にストローイと行動を共にしていたアワードの姿が随分前から見えない。コックローチに擬態をした小柄な身体だが、粗暴でストローイ以外は意思疎通も図れぬほど獰猛な性格をしていた。何か厄介ごとでも起こしていなければよいが。

 アレフの腹の底でとぐろを巻くヘビのように渦巻いていた意思が、口からようやく這い出そうとしたその瞬間、飛び込んで来た鋭い念波が、縛り付けていたものを断ち切った。

 場にいた者の視線が、住居の入り口に立っている甲虫の姿をした一族に向けられた。アレフは何があったのだと問いかけた。

「シロ、シロキタミガ……ニシ……ヨニン……。タオ……」

 言葉では理解することができない。アレフの左側に座していた同種の一族が、彼の意思を念波に変えアレフに解説した。

西の渓谷で倒れている白き民が見つかったらしい。

 

 夜明けを待ってアレフは主だった一族の者を連れ、西の渓谷に向った。はるか先の地平線から薄明かりが上ってくる。目を閉じていても頬を撫でる温度で熱源の方向が分かった。風も収まり、熱を伝えやすい大気はたちまち温度をたたえ、生物が活動し始める。ゴアテアを先頭に黒色林を進んだ一団は、程なく西の渓谷をのぞむ断崖絶壁に立っていた。突然林の途切れた崖面に生える植物はなく、谷底には申し訳程度の水量をもったせせらぎが流れていた。

 断崖は知らずに足を踏み外すと、大人でも命を落としかねない危険な角度と高さがあった。はるか地平線の方を見渡しても、始まりも終わりも見えない地面むき出しの渓谷は、森林を隔て大地をえぐり、星を一周しているのかと思わせる。アレフ達は一人ずつ背中をつけてゆっくりと谷底に滑り降りた。ゴアテアは勢い余って渓谷の向こう側の断崖に、大きな音をたて激突していた。頑丈すぎる彼だけにアレフは笑い飛ばすことができた。

 谷底まで降り、小川にそって案内役を先頭にして歩くと、すぐに白い塊のある場所までたどり着いた。白き民は全部で四人いた。二人は一つの場所に折り重なるようにかたまって倒れており、そこから少し離れた場所にうつ伏せで一人。もう一人は崖を上ろうとしたのか、斜面を背にして仰向けに倒れていた。

 アレフは、うつ伏せの一人のそばに腰を下ろした。鋭利な刃物でずたずたに引き裂かれた白の装備の下から、薄い桃色の肌色が見えた。久しぶりに目にする色。絶命してからまだ時間がたっていないからなのか、細胞の崩落はまだ見られない。

 白き民という呼び名は、彼らが漏れなく白い装備を身に付けているからであった。彼らはこの装備なくしてはドーム外のこの世界で長く生きていくことはできなかった。谷底のせせらぎが不気味な質感と光沢を持った鈍飴色で、音もなく細々と流れ続けている。

 装備が破損したからなのか、直接的な身体損傷が原因なのか、この白き民の死因はわからない。だが四体とも一様に刻み付けられた鋭利な斬傷を確認したアレフは、無意識に自分の首筋あたりを手で押さえた。

 細かく空気を震わす振動が耳に入る。アレフは予感を確信に近い形にしながら上空を見上げた。巨大な三匹のトンボがゆっくりとアレフの目の前に、ストローイと彼に従う二人の一族の者を降ろして去っていった。地に足をつけるや否や、ストローイは素早く折り重なった方の白き民の死体に近づき、鎌腕の先を引っ掛けて仰向けにした。

「お前がやったのか? ストローイ!」

 鋭くにらみつけるアレフを、にらみ返すストローイは、緑の複眼の中で単眼の黒点が激しく跳ねた。

「まさか! こいつらが勝手に切りつけあってるのを俺は見ただけだ! それとも一族の者を疑おうってのか? 族長さんよ?」 

 抱いてはいけない疑心を突かれ、アレフはみぞおちに一撃くらったかのように動揺した。ストローイの後ろ、配下の二人が白き民の死骸をどこかに運ぼうと手をかけた。

「何をしている!」 

 反射的に放った言葉が二人の動きを止めた。

「アレフ。これは俺たちが先に見つけた獲物だぜ。横取りしようってのかい?」

 ストローイは作業を続けるように二人に目配せをした。

一族の者の言葉を疑うことはできない。そうやって我々は生きてきた。アレフは拳を握り、奥歯を噛んだ。だがストローイの言った通りだとしても、今この状況を白き民の仲間に見られるのはまずい。もし彼らの仲間が周囲にいたら……。我々が彼らを襲ったと既成事実になってしまう。

「違う。やめるんだストローイ。彼らは我々と同じ知的生命体だぞ!」

 ストローイの小さな瞳の動きが止まり、爆発するように膨らんだ。

「知的生命体? 俺たちと同じ? 人間だからってか? え? 族長様は分かっていらっしゃるんですか? 俺たちが飢えているということを?」

 ゴアテアがアレフの隣にまで進み出た。ストローイは右腕の鎌を伸ばして、指揮棒で差すようにアレフの顔を捉えた。

「やめろと言っている。彼らは敬意を払い弔うべき存在だ」

 アレフは突きつけられた切っ先から目を逸らさず、警告の言葉を発した。後方で白き民の死体の頭と足を持った二人の動きが再び止まり、ストローイは声を荒げた。

「食って何が悪い? 食らって、子袋を奪えばいいだろうよ。あの時みたいに! セフィロトとかいうあそこから離れるにはそうしていくしかないだろうよ!」

 言葉より先に身体が動こうとした時、振り子のように揺らしていたストローイの左鎌腕が、アレフの視界から消えた。

 刹那、アレフの右わき腹に、熱せられた鉄棒が押しあてられたような鋭痛が走った。跳躍のため地面を蹴ろうした渾身の力が、伝わらずそこからあふれ出したように身体が折れ、膝が崩れたアレフは右肩から地面に転がった。

 それとほとんど同時に、ゴアテアの体当たりに弾き飛ばされたストローイは、棒切れのように宙を舞った。アレフはわき腹を押さえながら必死に膝立ちになり、ゴアテアを制止した。頭頂の角を対象に向けて、串刺しにしようとする重戦車の突進は進み出したら止められる者は誰もいない。ストローイの挑発に乗って戦意を心に持ったのはアレフの方が先だった。それにストローイほどの戦闘力をもった者ならば、最初の一撃でこの身体が両断されていてもおかしくなかった。

 ――食らう。子袋を奪う。

 ストローイの言葉は肉体を抉った刃よりもっと鋭く、触れられたくはない神経むき出しの悔恨の念を傷つけた。それに、あれほど理性を保とうとしていたのに、抑えられなくなり体が動いた。自分ももう、理性を保った人間ではなくなってしまっていっているのではないか。

 アレフは必死にゴアテアの足を掴んでいた。逆立っていた体毛がゆっくり身体に張り付き、ゴアテアは頭を上げ、ストローイに向けていた角は空を指す。ストローイはゆらゆらと立ち上がって両手の鎌を空に掲げた。合図を受けた上空から、今度は五匹増えた巨大トンボが、木の葉のように巻いた風に乗りヒラヒラと舞い降りた。ストローイと二人の従者は、一体の白き民の遺体を抱えトンボの尻尾を掴んでいた。黒色林の上、飛び去った彼らがだんだん小さく見えなくなった。

 アレフは従ってきた一族の者たちに命じて、三人の白き民に遺体を、断崖を背にして並べさせた。墓をつくり弔うにせよこの場所はあまりにもふさわしくなかった。

 アレフは傷をかばいながら歩みより、白き民の装備を確認した。左腕についている四角い板は以前の白き民はもっていなかった。灯は入っておらず、機能は停止しているようだ。頭部にそっと手をかけると、ヘルメットは簡単に脱げた。

 卵形の輪郭は肩までの黒髪でゆったりと包まれていた。土桃色の肌は死後硬直が進み、温かみが引き死化粧をまとったように白に支配されつつある。硬く閉じた両目と紫に変色した唇の淵からは、それぞれ一筋ずつ赤い小川が流れ出している。粘膜の剥離が続けば、この美しい顔もすぐに崩れてしまうだろう。

 彼女の面影を思い出させる美しい女性。

 早く弔うべきだと考えたアレフは、白き民の首から下げられているチェーンを引きちぎった。彼女たちは皆、首から自分の氏名や身体情報を記録した固体認識プレートを下げていた。墓標に記すべき名前ももちろん。

 アレフは無念にも命を落としたこの女の名前を口にした。

「……アリア……というのか」  

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