第2章―2

 中央府二十七階の小部屋にはもう他の参加者は集合していた。任務で寄宿舎を離れているキベルの隊員以外、おおよそ三十人くらいのケテル出身者が集まっていた。中には、白い制服を身に着けていない中央府に勤務する文官もちらほら見かけられた。縦長の会議室は楕円の巨大なテーブルが置かれており、マァイとミロが座った場所はブースのように透明なアクリルのような板で仕切られていた。マァイは、「これなんなの」と拳で強く突いてその厚さを認識した。

 アルカナはセーフモードに入っているが、最低限の機能は維持しており、セルフェスを持っている限り行動はトレースされていた。中央府やキベル特別区内はセルフェス無くしては移動もままならなかった。この壁はアルカナの通信を遮断していた。また声による細かい壁の振動をダアトのシステムが読み取り、音声を物理的に伝えるという役割も持っていた。セルフェスを使った通信で事欠かないのに、わざわざこうやって参集する必要性をミロはそう説いた。その説明は難しくて理解できない。マァイは振動で声を伝える糸電話のようなものだろうと、都合良く解釈した。

 楕円卓の向こうにある上席側にあった扉が開いた。床に引きずるくらい長い法衣をまとい、金色の装飾をあしらった学帽のようなものをかぶった小柄な人物が上座についた。ケテルの元老院代表マリーナは、たとえそれらの装飾がなくとも醸し出される威厳のある表情で出席者を見回した。

 ドーム国家アルカナは、十の自治地区の代表が出席する元老院で意思決定がなされていた。同時にマリーナは〝紅の黄昏団〟の創始者でもあった。全員が立ち上がり戒律を口にし、誓いをたてた。

「ひとつ! 進化を我々に取り戻すこと」

「ひとつ! 科学を我々に取り戻すこと」

「ひとつ! 人間として我々は永遠にこの星で生き続けていくこと」

 生物がそれ自身の肉体を進化しくために必要なのは、自由な選択から系を紡いで行くこと。その選択の自由が、父は神であるという洗脳で誤魔化されている。マァイは一節目に特に力を入れた。

 だが我々が生き、命をつないでいるこの環境は何世代も前から構築されたドーム国家の社会システム・アルカナに完全に依存していた。それを操る科学を意のままにできないジレンマを、一番感じているだろうミロは、第二節を吐き出すようにつぶやいていた。

 間もなく環境に耐えられなくなって崩壊するだろう、この天蓋のタイムリミットをマリーナは切実に感じていた。日和見主義の他地域の代表と温度差に御苦労しながら、第三節を常に心に留められているだろう。

 アルカナが計画し元老院で採択された人間適応計画『アイン・ソフ計画』の内容を知った以上、マァイとしてもそれは到底承服できる内容ではなかった。

戒律の宣言が終わり席についた皆の中、ひとりマァイは立ったまま発言を求めた。

「マリーナ同志。今回の配属でキベル第302小隊の所属になった。マァイ・ヴァジャノーイであります」

「聞いています。修練施設を正式に卒業できたのは、あなた方ふたりだけだったとか」

 マリーナはほほを優しく緩めた。目尻に刻まれた年輪が彼女の年齢と経験を表現していた。ミロも立ち上がって直立不動でマァイに習った。

「マリーナ同志がお感じの通り、我々に残された時間はあまり多くありません。それなのにアルカナはアイン・ソフというありもしない偶像を作り出し、それを信じさせています。供給される無限のエネルギーと、人工知能による社会システムの支配は、人間から今を生きるということへの不信を無くさせ、思考を奪いました。しかし抑えつけられた本物の不満と不安が我々を渦巻いています。一刻も早くセフィロトにたどりつき謎を解き全てを我々に取り戻しましょう! このまま、我々が人間でなくなってしまうなんて……」

 マリーナは優しく柔らかくなった頬を崩すことなく優しく諭した。

「その、アイン・ソフというありもしない神が、私にもあなたにとっても父親であるということを今は信じるしかありません。父親という存在が神というものではないということは、今のところ我々しか疑っていませんが、それは事実なのです。わかりますよね。マァイ・ヴァジャノーイ同志」

 年長者は逸る若者の気持ちを汲みつつ受け流した。必ず迫ってくる生死に関わるような不可避の危機に対峙した時、弱い人間は何か超越したものに頼りすがり自分を安定させる。

 偉大なる父性がいつか全てを払う。その妄想とつながりをここで断ち切らなければならない。だが事実は認めることで初めて乗り越えることができる。マァイは顎が胸にめり込むほど深く頷いた。

「よろしい。キベルが設立されて今年で一五年になります。大襲撃の被害から立ち直り、昨年よりようやく本格的な探索活動が再開されました」

「だからこそ、今一気に!」

 マァイは再びアクリル板に拳を置いた。

「マァイ・ヴァジャノーイ同志。我々は組織で行動しているのです。我々はまだ、大いなる社会基幹プログラム・アルカナの一部に従って動いているのにすぎないのです。アルカナのマザーボードもセフィロトにあることでしょう。その正確な位置を知る必要があります。我々は今のところ便宜上、キベルで他の自治地区と協同しています。が、人間でなくなってでも、人類全てが生き残ろうとする計画を実現させるわけにはいきません」

 一瞬語尾に怒気がはらんだマリーナは、表情を温和に戻し制するようにゆっくり右手のひらをマァイの方にかざした。

「すぐに活躍してもらうことになります。あなた方の成績は聞いていますから、マァイ・ウァジャノーイ同志。ミロ・スムーカ同志」

 マリーナにもミロにも自分にも、半分同じアイン・ソフの遺伝子が引き継がれている。

そんなわけない。

 議題が他の出席者の活動報告に移った。席を立って楕円卓の中心に一人が立ち、床が開きフローディスプレイが浮き上がった。干渉を受けずセフィロトへ地上からアクセスするルートを黄昏団は秘密裏に探っていた。ディスプレイに大まかな場所が表示された。

 マァイは報告を聞き流していた。

「ミロ。社会基幹プログラム・アルカナって結局のところ何なの?」

 ミロは頬杖をつくように顎に手をやって眉を曲げていた。

「……この国家。ひいては私たちを支配している神のようなものじゃなくて?」

 頬杖を解きミロはメガネを外した。テクノロジーしか信じないその瞳が何を見ているのか、一旦閉じて開くと今度は焦点が合わないように移ろった。自分でもどう表現したらいいのかわからないというように、ミロが神と口にしたのは初めて聞いた。それはおかしなイントネーションだった。

 

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