第2章―3
「本日は朝から蓋外性生物への対処訓練を行う。第302小隊は、ヘリオスーツ着装の上、演習場に所定の時間までに集合すること」
アルカナの無機質な音声が暗い朝の始まりを告げる。二段ベッドの遮断光壁を切ると、マァイとミロのベッドは空だった。エイル・アシュナージにとって一番の問題は、上のベッドのお寝坊さんをどうするかであった。
訓練棟に隣接する演習場は、ドームの中に存在する小型の内部ドームのような構造をしていた。寄宿舎からも大きく見える半タマゴ型の中では、混合ガス供給装置と、三次元の映像投射装置が完備されており、あらゆる環境を再現することができた。
召集のかかった十小隊は皆へリオスーツを着装で整列し、演習場内に白い塊を作っていた。アルカナのプラグラムで作り出した擬似画像の風景が、すでにそこには準備されており、薄暗いドーム外側の風景があった。
砂地むき出しの地面から、人間の胴と同じ太さくらいの幹を持ったシダ類と思しき植物が、何本も突き出ていた。二メートルくらいの高さに、ぜんまいのようにぐるぐる巻いた重そうな頭があり、幹からところどころ黒色の葉が、バランスの悪い小さな手足のように生えている。シダ類はスイードを出さない。彼らは針葉樹に押されながらも、大型化しつつドーム外で一定の植生を保っていた。
ドームの外の植物は、太陽光が弱いため緑がかった黒い色をしている。一方彼らの葉緑素は環境に適応し強靭に進化し、二酸化炭素を貪欲に吸収する代わりにその何倍もの酸素を排出した。中生代の人間の活動で生み出された二酸化炭素はたちどころに食い尽くされ、この高い酸素濃度をもたらした。その酸素を吸収し巨大化した蓋外性生物の活動がまた二酸化炭素を発生させた。再び増えた二酸化炭素は陽光を遮られ成長に限界のある植物達では吸収しきれず、この星特有の気流に乗って、漂い日中の温室効果を生んだ。ドームの外は蓋外性生物にとってますます住み良い環境となっていた。
エイルはアンの手を引き、小隊ごとに隊列の一番端に潜り込んだ。アルカナが訓練のガイダンスを説明し始める中、人をかきわけ移動しマァイたちを見つけて後ろについた。
目の前のシダ類の林の先にはドームの外壁が再現されており、生体サンプル園から借り出された本物の蓋外性生物が配置されていた。
「割り当てられた区域を哨戒し、蓋外性生物を捕獲すること。なお、演習場の中の大気組成はドーム内と同じ酸素濃度となっているため、蓋外性生物の動きは本来より鈍いことが予想されるが、十分注意すること」
今回の訓練の小隊キャップを務めるミロがアルカナのガイダンスを復唱した。
「放たれた蓋外性生物の個体のほとんどは下位種のコックローチの幼体。身体に油分をまとうことで病原菌や雑菌を克服し、生息域を広げ中生代から広く人間になじみ深くなった種です。おそらく餌を置かれたところに集中しているはずですわ」
ミロはメガネの前にかかる前髪を少し気にして横によける仕種を繰り返した。聡明そうに広がる白い額。マァイは少し後ろに立ち、すでに哨戒に飛び立った他の小隊の動きを目で追っていた。
「ありがとう」とエイルが声をかけると、「あなたたちにも役に立ってもらわないと。足手まといは本当に困るので。宜しく御願い致しますわ」と画面から目を離さず慇懃無礼。エイルもミロから送信されたデータを受け取りつつ恭しく礼をして返した。
セルフェスに触れ意識を送ると、ヘリオスーツ内のヘリウム圧力があがり身体が浮き上がった。ミロを先頭にエイルたちはゆっくり編隊を組んで飛行した。右舷方には、白く四つずつ固まり渡り鳥のように飛び先行する小隊が見える。眼下に広がるシダの巨木は次第に密度を濃くし、とぐろのように巻かれた頭も葉を広げ、底なしのドス緑の沼地のようになって一帯をおおっていた。
ヘリオスーツ内のヘリウム圧力を四百メガパスカルまで上げたところで、身体は上空二十メートル辺りまで浮んだ。ヘリオスーツはパックパックにある液化ヘリウムを気化し、内部に高圧で充填することで身体に浮力を得ることができた。さらに全身に縦横無尽に配置されているスラスターから、高圧でそれを推進ガスとして噴射することによって、さながら宇宙空間を遊泳するような動きがこの重力下で取ることができた。操作は基本アルカナが自動制御するが、マニュアルにも変更できるし、その方が精緻な動きをすることが可能だ。
エイルは編隊のやや上方に出たとき、擬似投影された灰色のドーム外壁に、点々と散らばる黒い斑点を認めた。先頭を飛ぶミロもそれを見つけたようで、指を差して小隊をそちらに旋回させた。他の小隊はシダの樹海の中に目標を見つけたらしく、次々と林の中に着陸していった。エイルらの小隊はドームの外壁を模された壁の前に降り立った。
大襲撃からしばらくたって、蓋外性生物がドームに飛来するようになった。蓋外性生物は下位種と進化種の二種類が存在しており、進化種はあの大襲撃以来一度も現れていない。進化種はコックローチなどの社会性を持たない下位種を、何らかの方法で操る能力を持っているとエイルは教えられていた。
キベルの工作整備班はドームの修復作業に従事したが、大型の重機もスイードの影響が大きくなるにつれ使い物にならなくなり作業は難航した。細かなスイードの粒子が精密部に進入し、駆動系がだめになるのだ。行動探索班が蓋外性生物を警戒し護衛についたが、単体もしくは数個の下位種の固体群にすら当初は排除するのに苦労し犠牲もでた。そうしながらも、追い払わずに捕獲に成功した固体も徐々に増え研究も進んでいた。
エイルの見上げる先、五メートルくらいの高さの壁に二体の蓋外性生物が頭を付き合わせていた。先ほどミロが説明してくれたコックローチという種は、頭の触角を絡ませあうように動かしていた。体長は五十センチに満たない小型の固体。捕獲され、慣れない環境に入れられ、身体を寄せ合うさまはお互いを思いやっているかのようだ。
エイルは右腕のレーザプロセスの射出ユニットの入ったアタッチメントパックを外した。ヘリオスーツの右腕は、アタッチメントパックを取り替えることによって様々な武装を使うことができた。エイルはバックパックから蓋外性生物捕獲用のネットの入ったアタッチメントを取り出した。ミロは自分のセルフェスとコックローチの方を何度も往復するように見ながら、マァイと何か話し合っていた。
「ミロ。早く、やるよ」
「待って! 今調整していますから」
「調整って何を?」
「うるさい! あんたは黙って見てな」
突然通信に割り込んできたマァイの語気にエイルは前に踏み出せなくなった。
再び壁の方を見上げたとき、エイルはコックローチの触角がピンと直角に伸びているのに気がついた。突き刺すようにエイルの方に向って動いたそれが、一度だけしなって空気を打つ。わずかに波立った空気の動きが、エイルの鼓膜に届いたように感じた。
「違う!」
「さがれ!」
ミロとマァイの言葉が突然鋭くなった。同時に二人は、身体の前面にあるスラスターを開いて後方に跳ねエイルの後ろまで下がった。
「バカ! さがれ!」
マァイの声で、鼓膜に意識が行っていたエイルは我に返り、傍らのアンの手首の辺りを掴んだ。コックローチの一体が壁からはがれ落ち目の前の地面に落ちゆっくりとこちらに歩いてくる。触角が再びエイルの方を向く。それまで眠っていたかのようにだらりとしていたアンの身体に、力が入りエイルの腕を掴み返し叫んだ。
「ゴ、ご。ゴゴごご……ゴキブリー!」
「アンコもしかして寝てたの!?」
身体に触れていため、接触回線で入ってきた悲鳴で、エイルのヘルメットが割れそうになる。
――ここまで寝ぼけていたの?
エイルはアンを引っ張って飛ぼうとしたが、スラスターが開かない。セルフェスを確認したが、画面は暗くアルカナが落ちていた。
――なぜ?
急いで操作をマニュアルに切り替えようとセルフェスに意識を送る。視界の端に黒く飛び込んでくる影。エイルがそちらを向き直ろうとするよりも早く、その影は二つに分離して散り散りになって地面に落ちた。
エイルの後ろから跳躍したマァイの右腕から伸びた水素サーベルの青白い刃が、エイルの目の前を上から下に振り下ろされていた。
一旦地面に着地したマァイは、再び脚部のスラスターを吹かせる。水素の色づけ用に少量の燃料ガスを添加した薄い青白い炎が、巨大な扇を開くように半円を作る。マァイは身体全体を使って宙に絵画を描くように舞い、着地すると同時に前方の歩くコックローチを地面に刃で串刺しにした。コックローチはちょうど頭と胴の節目を貫かれ、一瞬身体をそらせ触角がだらりと垂れ下がった。真っ黒だった瞳に光が戻り段々ついえていく。
――死んだ……の?
「……殺すことない!」
エイルはヘルメットを取って叫ぶ。
「突っ立ってた分際で! その頭かじられたいの?」
マァイもヘルメットを投げ捨て応酬した。
「ごごご、ごめんなさぁい!」
二人以上に大声でアンが泣き叫ぶ。注意を引こうとする赤ん坊のようだ。
両断されて地面に落ちたコックローチの死体を調べていたミロも、ヘルメットを取っていた。立ち上がったミロはあきれたような顔をして、大きなしぐさで左手に持ったセルフェスから飛び出した画像を指差した。エイルのセルフェスにも訓練中止と、第302小隊への帰還命令のアラートが浮んでいた。
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