第5章ー2

「お姉ちゃん。何をしているの?」

「お祈りよ」

 顔の大部分を占める複眼を七色に輝かせて、昆虫の姿をした子供がアンに語りかけた。顔を中心にドラゴンフライに似た姿をしているこの子供は、自分の名前をアドナイと名乗った。「白い人間さん」って呼ぶから、アンがお姉ちゃんと呼ぶように訂正させた。腕には薄いピンクの毛皮におおわれたうさぎを抱いている。アンは耳をおり、縮こまるうさぎの身体をそっとなでた。

 ここはインセクターたちが暮らす集落の外れにある共同墓地だった。棒切れを直角に組んだ質素なつくりの十字架に、架けられた識別標の下ミロは眠っていた。アンは膝を地面に立て、両手を組んで目をつむり、頭を垂れた。傍らに立つアドナイも意味を知ってか、知らずか、うさぎを地面にはなし同じ仕草をした。

 高濃度のスイードに汚染された谷底で、襲撃を受けマァイたちは離脱し、ミロは命を落とした。突然現れた巨大なビートル型の蓋外性生物の出現に覚悟を決めたアンだったが、気が付くとこの集落に連れてこられており、傷の手当てを受けていた。

 彼らは自分達のことを人間と言い、族長を中心に黒色針葉樹林に囲まれぽっかり開いたクレーターの底で身を寄せ合って暮らしていた。族長のアレフは、後頭部と背面に茶色がかった外皮を持つ他は、アンとほとんどかわらない身体を持っていた。筋肉が集まり引き締まる隆起を見せる胸板をはじめ、全体に丸みがそがれた身体は芸術品にように洗練されていた。

 彼らは襲撃で命を落としたミロらの遺体も運びこの墓地に埋葬した。墓地にはアリアの識別票がかけられた墓もあった。

 集落は藁葺きの屋根にシダを乾燥させ板状にした壁をもつ十ほどの住居を中心に、柵でしきられた農場や牧場を持つ小さな共同体だった。アンが運び込まれた小屋は、アドナイらインセクターの子供たちが暮らしていた。

 アンをここまで連れてきてくれたあの大型ビートルのインセクターは、言葉を話さなかったが、このアドナイや族長のアレフは流暢な言葉を操った。アンは自分が食料にされてしまうのではないかと不安で四六時中身体をこわばらせていたが、彼らはアンをまるでたまたま一人立ち寄った旅人のごとく、特別なこともせずただ彼らなりに持て成した。アドナイがもってきてくれた水と蜂蜜のような食事が、疲弊した身体に染み込むように入っていった。

 十字を切った墓標が、ミロやアリアを合わせて十ほど雲空の下風に吹かれていた。アドナイが言うには、ここは集落の中でも朝の薄日が一番あたる場所だ。

スイードにさらされ、身体が崩れてこの星の自然に蹂躙されることなく大地に還ることができて……よかった。

 彼らは弔う心を持っていた。まるで人間みたいに。

 アンは膝を立てて立ち上がるとセルフェスに触れた。あの最後の夜、いずれこうなることを予見していたのか、ミロからのメッセージが入っていた。画面から立ち上がった彼女はこう語り始めた。

「こほん。このデータの起動プロセスはわたくしの生命反応消失をトリガーとしているから、あなたがこれを見ているってことは……そういうことですわね」

 小さな画像のミロが疲労のにじむ表情を無理やり柔和に変え、メガネのつるを一度だけ持ち上げた。こほんともう一度咳払いすると、視点を定めきりりと睨みつけるような表情になった。

「わたくしとマァイ。それと今回の遠征に帯同した者の中にも数人いますが、ケテル内で結成された〝紅の黄昏団〟という組織の人間ですわ。周知の通り、アルカナのメインドームは崩壊の危機に直面し、蓋外性生物からの防衛と、蓋外活動のためにキベルは創設されています。わたくしたちはある目的をもってキベルに入隊しました。今回の遠征では、蓋外性生物の進化種を捕らえ体組織を採取し、スイードへの抗体ワクチンを生成するものとされていました」

 そのワクチンで皆がドームの外に出られる身体になれる。アンは司令官セレナを通してそうアルカナから作戦の説明を受けていた。

「進化種は下位種から進化したが偶然にも人間のような姿をしている……というアルカナの説明ですが、それは根本的に違いますわ。進化種は人間そのものだったのです。以前から発見されている、下位の蓋外性生物……、ああ、めんどくさい。昆虫ね、昆虫」

 ミロがまどろっこしく首を振った。

「つまり進化種は、昆虫が外の環境で進化したものではなく、もともと人間だったものが、あの姿にかわったとしか考えられないわけ。インセクターと言うべきだわ。その変化させている要因が、昆虫の身体にいるパラサイト。昆虫がなぜドームの外で活動できるか? それは彼らの身体に寄生しているパラサイトがドームの外の大気を利用し、スイードを遮断できる強固なキチン質のクチクラにおおわれた身体をもっているから。それにもしスイードが体内に入っても遺伝子崩壊の原因になる抗体が奴らの体にはできない。だけどパラサイトを同じように宿すと、わたくしたちは生きていられない。普通は。そして下位種の蓋外性生物の中にいるパラサイトは全て成虫だったけど、インセクターとなった人間の中のパラサイトの一部は全く別種のものだった」

 ミロは一度ゆっくり瞬きをし、メガネを取った。

「人間にとりついたそのパラサイトは、宿主の中で幼体移行を発現して無限に増殖する。中生代では、そのまま宿主である人間を食い尽くし共倒れになって奇病扱いされていた記録があったわ。それと同種のそのパラサイトが、このドームの外では、宿主の体内でスイードの影響から遊離した有害な塩基と融合し、多様性を獲得した細胞に変化してパラサイトたちの住まう最適の身体に変化させるのよ。つまり、姿が人間ではなくなってしまうということですわ。アルカナはワクチンなんか作ろうとしていたんじゃなく、そのインセクターや昆虫の中にいるパラサイトで、わたくしたち人間を別の生物につくりかえようとしていたのよ」

 だからあの夜ミロはあんなこときいてきたんだ。「自分が人間じゃなくなるって、考えたことある?」って。

「わたくしたち黄昏団は、人間として生きていくためにアルカナからの脱却を目的とした秘密組織です。生命、進化、科学といったこの世界のあらゆるものをアルカナの支配から我々の手に取り戻すのです。今回のわたくしたちの行動の最終目的は、都市国家セフィロトにあるアルカナのマザーボードの破壊です。おそらくあそこの守護者のように振舞っているインセクターに襲われるかもしれません。またアルカナが何らかの妨害をしてくるかもしれません。でも仲間たちならやってくれる。この作戦のためにはアルカナから独立して動くオペレーションシステムが必要でした。それがこのダアトです。スタンドアローンで動くように、データをこのメッセージと一緒にインストールしておきましたわ」

 これまで何度かあった、突然アルカナが動かなくなる挙動は機器の故障ではなかった。

「そして、私たちはケテルと黄昏団を中心に新たな統治体制を確立し、残った優れた人間だけで……」

 立体画像のミロが一瞬後ろを振り返えると、少しうつむき加減になり再びメガネをかけた。

「とにかく、もし一人になってもダアトが起動すればサイトロンドームまでは戻れるはずですわ。そこで作戦が終了した黄昏団には、メインドームから迎えが来る手はずになっています。アン、あなたなら私たちの仲間になれますわ。もしわたくしがいなくても。ありがとう、アン。また会いたかった……」

 ミロのすっきりした笑顔が広がりメッセージは終了した。アンは無言でセルフェスを置き、バックパックから最後の飴玉を取り出し十字架の下に供えた。アンの足元にいたうさぎが興味深そうに飴玉に鼻を寄せた。

 ミロたちがそんな目的を持って動いていたなんて知らなかった。アンは思い当たる節を探して頭の中を駆け巡った。そこで障害物のようにぶち当たって思考が急停止した。

 ――そうだ。エイル……お母さん。

 ――優れた人間だけでって何? 皆はどうなるの?

 アンはミロが上って行った曇り空を見上げた。雲はもう割れない。

 ――ミロ。教えてくれてありがとう。でも……。戻らなきゃ。

 アンは頭を振り農場のほうを見渡した。先ほどまで傍らにいたアドナイは、いつの間にか農場で作業の手伝いを始めていた。

 大人のインセクターたちは、簡単な道具を使い水をやり、しな垂れドス黒い植物を何とか奮い立たせようとしていた。見る限りその努力に応えているものはない。 アンは作業の指揮をとっている、痩躯のインセクターに近づき話しかけた。

「アレフさん。助けて頂きありがとうございます」

 アレフは右手に持っていた粗末なクワを地面に置いた。他のインセクターも、棒切れに紐で扁平な石をくくりつけただけの原始的な農具を手に懸命に地面と格闘していた。人間が中生代の初め、ようやく社会性を獲得して農業を始めたころの風景がそこにはあった。

「もう身体は良いのか? 白き民よ」

「はい。なんとかぁ」

 アンは静かに低頭した。アドナイたちの小屋で目を覚ましたアンは取り乱し、目の前のアレフに銃口を向けた。アレフは抵抗しようとする素振りを見せず頭を下げた。周囲にいたアドナイら異形の子供たちが脅え泣く姿をみて、アンは彼らに敵意がないことを悟った。頭の傷もどうやったか手当されており、血も止まっていた。

 アレフは自分がこの集落に住む一族の族長だと名乗り、今回のことは自分の責任だと頭を下げた。人間性を失いつつある一部の者が一族を離脱し、アンたちを襲ったのだという。「これは我々一族の問題なのだ。私が止めないといけないのに」

 そう言いながら深々と垂れた頭をゆっくり上げたアレフの顔には、眉間に峻険な山脈が刻まれ苦渋に満ちていた。多くの仲間を殺され、アンは複雑な胸のなかさまよう無念さを、中々落ち着かせることができないでいた。

 でも、食事を運んでくれるアドナイら子供たちの優しさ。

 アリアや仲間たちをここまで運び、弔ってくれる悼む心。

 そして族長を中心に、肩を寄せ合って懸命に生きようとする素朴さ。

 ――それをあたしたちは、蓋外性生物だからつかまえて自分たちのために使っていいなんて。

 ――それは自分たち人間の傲慢さ。

 アンはそれに気づかされたようで、胸のなかに鉛が流し込まれたように重苦しく気分が悪くなった。

 ――彼らはあたしたちと同じ。エイルが言っていた。

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