第5章ー3
「どうした? まだ気分が優れないのか?」
アレフは再び鍬を乾いた硬い地面に打ち立てていた。それは豊穣を願う祈りのようだ。
「いえぇ……大丈夫ですぅ」
「そうか」
黙々と鍬を振るい、身体を上下に動かすアレフの頬を汗がつたう。
――この人はまるで。
「いろいろありがとうございましたぁ」
アンはもう一度ペコリと頭を下げた。アレフは腕で汗をぬぐい向き直った。
「やはり私たちは交わるべきではないのかもしれない。戻ったら白き民の長に伝えてくれないか? あの時の約束を守ってほしいと」
「あの時の? 約束?」
「今から十五年前のことだ……」
アレフは時々瞳を閉じ、努力して手繰り寄せるように話を始めた。あのキベル創設当初の大襲撃の話は、アンも知識として教えられていた。
「あの時は、あたしたちの先輩があなた方のよう……んぅう……子供を捕まえて……、でもあたしたちも沢山死んで……」
キベルはインセクターの子供を、単なる蓋外性生物の幼虫と認識していた。
だがアドナイはとっても人懐っこくて、賢くて。それに本物のうさぎを可愛がって飼っていた。アンがはじめて見た本物のうさぎだった。
――エイル。うさぎ本当にいたよ。
それは、か弱いものを守り慈しむ心。
――虫なんかじゃなかった。
「……そう、だから我々は二度と接触するべきではないとあの時約束したのだ」
セレナがアレフたちとそんな約束を交わしていたことをアンは知らなかった。
アンは何も言えずに下を向いた。どんなに頑張っても、命を奪われた仲間たちの顔がよぎる。
――確かに、この人たちとあたしたちは出会ったらいけなかったのかも……。
「我々は生きていくのがやっとなのだ」
アレフは真一文字に口を結び、渋面を作った。感情を表情であらわすことも自分たちと同じだった。
「ごめんなさい」
約束しておきながら、この人たちの生活を壊そうとしたのは自分たちだ。自責の念がアンの口から謝罪の言葉となって出た。
だが同時に、胸の中をぐるぐるとめまぐるしく情報が巡った。
――あたしたちだってこれからどうなるんだろう……。
スイードで損傷したドームはもう長く持たない。マァイたち黄昏団は一部の人間たちだけで生き残ろうとしていた。アルカナの計画はアンたちが考えていたものとは違うとミロは言った。
――でもわからない。もしかして……、この人たちからそのパラサイトと呼ばれるものを分けてもらえたら、もしかして本当にワクチンが作れるのではないか?
――この人たちは人間だった……。いや、今もきっと人間だよ。
願いを口にしようとしたアンより先に、何か決意をした眦が動きアレフが口を開いた。
「やはり、白き民に知っておいてもらわないといけないことがある。アドナイが心を開いたあなたなら、我々がどうやって命を受け取っているかを知ってもらおう。我々にとって子供は特別で、とても、とても大事な存在なのだよ。なぜなら、我々は自分たちで子孫をつくることができないのだ」
アリアたちが埋葬された共同墓地の先に進むと、クレーターの断崖が現われた。天空から雷がおちたように、壁に切り裂かれた割れ目があった。アレフは壁にある背丈より高い巨大な岩石に両手を置いた。彼につき従っていた数人の甲虫型のインセクターが手伝うと、岩石は少しだけ動き割れ目に侵入できる入り口が現われた。アレフはそこに身を滑り込ませ、ついてくるようアンに手招きをした。
断崖に切り開かれた自然の小道は、星の地表が見えないくらい深く、それにだんだん地下に降りているように感じた。ただでさえ微かな陽の光はここまで入らず、それでもアレフは慣れた様子で先へと進む。横に並べる広さはなく、アンは何度も小石を蹴飛ばし、足をとられないように気をつけながら背中を追った。そうして一時間近く歩いただろうか、断崖が開けた。
丸く開けた広場は、上から覗き込んだら井戸の底のように見えるだろう。アンは真上を見上げた。ここは針葉樹の黒色林の真ん中に位置し、セフィロトの廃墟にも近いはずだ。集落にあった入り口からかなり地下に下っているらしく、地上の針葉樹ははるか上方で風に揺らいでいる。頼りない陽光もここでは底まで届き、なんとなく気のせいでも暖かく心強く感じた。
アンは立ち止まったアレフの隣に立った。歩いてきた小道の反対側の広場の奥の岩の壁面に、鉛色の金属でできた扉があった。
「ここが、我々が命を受け取る場所だ。ここから先は、白き民たちがセフィロトと呼ぶ場所の地下にあたる」
「これはぁ……もしかして、エレベーターですかぁ?」
「白き民の呼び方ではそうらしいな」
扉はアンの腰辺りの高さまでしかなく、人が乗るものというよりは、配膳に使われるような業務用のものに見えた。
「命を受け取るということは、どういうことなのですかぁ?」
「我々は皆この神の道から現れて育った。神の道の入口はここ以外にもいくつかあるのだ。ここから現れた赤子は、この環境に対応できないか、それとも昆虫に食われるかして皆死に絶えた。ずっと」
アレフは硬く閉まった扉に手を置いた。
「その中で、突如突然変異で環境に対応した赤子が現われ、昆虫に混じって育った」
アンはミロがセルフェスの残したメッセージを思い出した。環境に対応したのではなく、その赤子は、何らかの偶然で特殊なパラサイトを体内に取り込んだのだ。
「最初にただ一人で生き残り、育ち、我々の祖先を神の道から拾いあげ育ててくれたただ一人の存在。彼の名前は、『アインソフ』」
――このエレベーターはまるで要らないものを捨てる廃棄用みたい、それにここのずっと下はあのセフィロトの廃墟の地下だった。
「ということはぁ……」
アンはこれまでに感じたことのない寒気を背筋に感じた。
「そう。このさらに地下の場所が、生命が湧き出す場所なのは白き民と同じ。我々は白き民と同じ兄妹たる人間なのだ」
「つまりぃ。ここから出てくる赤ん坊をあなたたちが、拾って育てた。自分たちの子供として。それがぁ、アドナイたちっていうことなの?」
アレフは大きくひとつ頷いた。
「そうだ。それにアドナイのように環境に適応して成長する子供はごくわずかだ。もともと我々は同じ種から生まれたのだ。だから争うことはなく、そっとしておいてはもらえないだろうか」
この下には一体なにがあるのだろう。アンの意識は自分が踏みしめる足元のはるか下を想像しようとした。膝をついて手のひらを地面つく。
「我々の方も、白き民に対しては申し訳のないことをしたと思っている。ああいう者達を生んでしまったのは私の責任だ」
コックローチやマンティスの進化種と呼ばれるインセクターたちは、アレフと違い話し合える雰囲気ではなかった。アンたちをまるで獲物かと考えているかのようだった。
アンは地面から手を離し立ち上がった。
「あなたの責任なのですかぁ?」
「アワードは……あの十五年前に白き民にさらわれてから頑なな少年になってしまった。ストローイも私の右腕だったが、もう近年は……。我々はもう本当の昆虫になろうとしているのかもしれない。彼らはここを一族の発祥の地としてこだわり、近づくものを無差別に襲うようになっている。それに、ここからはもう何年も赤子は現われていない。我々がこの地を離れないといけない時が来たのかもしれない」
「離れるって、どこにいくのぉ?」
「どこだかはわからぬ。いずれ我々はこの星の支配種と一緒のようになって……」
アレフは上空に流れる雲を眺めた。
「そうですかぁ。わかりました……。帰ったらあなた達のことをみんなに伝えます。同じ、人間だって……」
――そういえば、エイルも同じようなこと言ってたっけ……。そうだ! いかなきゃ!
「あたし、戻らないと……。まだ仲間があの近くのドームにぃ! けほぉ、けほぉ」
アンはあわてて喋りはじめたせいか、少し咳き込んだ。
「まずいな……。その白き民をストローイたちが襲うやもしれぬ。一族のけじめをつけなければならない。私も一緒に行こう」
「あ、ありがとうございます。はぁはぁ……。うぅうう。けほぅ、けほ」
もと来た道を急いで引き返そうとするアレフの背中をアンは追った。よろけそうになる身体を支えるようにアレフが「大丈夫か?」とアンの手を引いた。
息苦しくなりもう一度大きく咳き込む。
胃の奥から何かがこみ上げてくるのを感じ、とっさに口を閉じる。
口内には錆びた鉄のような質感を持った液体が広がり、アンはそれを吐き出さないように必死に飲み込んだ。アンは悪寒が走り震えた身体を、自分の腕で必死に抱きとめた。
――もしかして……。あたし……。エイルぅ……怖いよぉ。
アンはそう何度も心の中で繰り返しながらその場に倒れた。
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