第1章―5
翌朝。セルフェスのバイオコネクトが感知するよりも早くに目覚めたエイルだったが、マァイとミロのベッドは既にもぬけの空だった。ただマァイの前に置いたロールパンと固形栄養食品がなくなっていた。
制服に着替えて上のアンを呼んだが、返事がない。カーテンを乱暴に開けても、寝息を立てる横臥は、しかばねのように変わらなかった。露わな下着姿に昨晩の質感が思い出されてエイルは打ち消すように頭を振った。
腹がたってセルフェスを操作した。けたたましい警報音が鳴り、アンは突然起き上がり小法師のように頭を上げた。
「アンコ、時間やばいよ。バイオコネクト切ってたの? あたま」
結局、着替えるだけの時間しかなかったアンは、炸裂頭のまま廊下を歩いていた。
階段状のブリーフィングルームの座席はもうほとんど埋まっていた。セルフェスからのガイダンスで皆小隊ごとに集まって着席しており、エイル達も左端に大柄なマァイの姿を認めて彼女の前の席についた。ミロはセルフェスを触り、マァイは肘をつき栄養補助食品をかじっていた。マァイの大きな瞳がエイルとアンの動きを監視するように動いた。
「マァイさんおはよう」
「おはよー」
「だから、さんづけはやめてくれる?」
昨日と同じ台詞にエイルは振り返った。
「それと、これは昨日のやつじゃないからね。でももらったことにはお礼する。ありがと」
礼とともに小首を傾げたつくり笑顔には、心にはしていない感謝の言葉を無理やり発した歪みがあり、わざとらしさを感じさせた。
「でも、別にこれからは気にしてくれなくていいから」
「どうしてカンティーネに行かないの? すっごく便利だよぉ?」
敬語が不要と言われアンが率直に聞いた。
「あんたたちも行かないほうがいいわよ」
「なんでぇ?」
このアンの問いかけには答えず、マァイはそっぽを向いてしまった。アンも気まずく感じたのか肩をすくめ押し黙った。
定刻まではまだ時間があり、階段状に座席が並んだ室内はざわつきが細波のようになって教壇の方に寄せていた。段々畑は制服の白で埋まり、エイルは実る綿毛が風に揺れているように見えた。
「これで全員かな?」
「そうじゃない? 今日はセレナさんとかぁ出てきたりして」
アンは両肘を机に突いて丸顔を乗せた。
「あんたたちやっぱバカじゃないの?」
マァイの怒声に、エイルは鈍感なふりをしてゆっくり振り返った。アンはそのまま彫刻にように固まった。
「ガイダンスで表示されたあの人の姿は、自立型のオブジェクト端末として投影されていただけですわ」
「そんなことも分からなかったなんて、やっぱりマルクトは平和ボケして幸せそうね」
マァイの大声でなじる罵声に、はさまれたミロのつぶやきをエイルは聞き逃さなかった。
「ちょっとぉ! ひどいことばっかり言ってぇ! 平和なんかじゃないもん!」
突然何かが爆ぜたように、アンは前を向いたまま肩を震わせ叫んだ。
「そう? 言いたいことあるならちゃんとツラ見せなよ。司令官様がいちいちあんたらごときの前なんぞにいらっしゃられるわけないでしょ? コモリさん??」
ゴテゴテと飾られた冷淡な言葉を手繰り寄せるように、アンはゆっくりマァイの方を向いた。マァイはアンの顔を舐めまわすように視線を動かした。猫がネズミ、ヘビがカエル、まるで圧倒的強者が圧倒的弱者をどうしてやろうかと舌なめずりしているかのように、マァイは不適な笑みを浮かべていた。アンは涙をためてその蹂躙に耐えるのが精一杯で、何も言い返せずいた。
この人も不満を形に変えて誰かにぶつけるだけなのだろうか?
エイルは、教壇の方に向っていた細波が、自分たちの方に向ってきているのを感じてゆっくり立ち上がった。
「マァイは正しいわ。わたしたちは確かに、少し知らなさ過ぎたのかもしれない」
エイルはアンの肩に手を置いた。
「これからは小隊での行動になるから足を引っ張らないように、わたしたちが頑張らないと。ここで暮らせなくなる。大事なものが消えちゃうんだからね。アンコ。これからも知らないこと色々教えてね。マァイ。ミロ」
エイルは集まる視線を意識して、一人立ち上って声を張った。
マァイは頬杖をつきながら、「へー」と一声つまらなそうに鼻で笑った後、整った顔つきに戻っていた。
エイルは首をかしげ上目遣いのマァイの三白眼から目を離さずにいた。見たことのない、深い湖にように飛び込んでいけそうな深いちいさな黒。
打ち寄せていた細波が、だんだん音を立てるざわついた小波に成長してエイルに向って打ち寄せていた。その感触がとても心地良かった。だが、その波はすぐに引いた。
エイルに集まっていた視線が、階段下の教壇の方に一斉に向った。各人が緊張の面持ちで見つめる先に、粗い立体画像でセレナ司令官の姿が教壇に立ち上がった。音声は各自のセルフェスから発せられていた。
「それでは、これから小隊ごとに三班に分かれて訓練を開始する。各員のセルフェスにキベル基幹コマンドオペレーションシステムをアルカナに従って起動させる」
このドーム国家は建国当初から、その名を冠したアルカナというオペレーションシステムで統括されていた。個人の持つ端末から、組織や公共施設で使用する電子機器の全てに網の目のように張り巡らされたそれは、社会のあらゆるシステムを統括していた。キベルから支給されたこのセルフェスは、次世代型の性能を持っていたが、中身はアルカナと同じオペレーションシステムの延長だった。
エイルは「アルカナ?」とつぶやき自分のセルフェスに視線を落とした。システムがダウンし、ロード中のアイコンが目の前に浮き上がりグルグルと回った。その渦巻きが段々大きくなり、大昔のデスクトップのパソコンと呼ばれるものを象った。
「私はアルカナ。行動探索班所属・第302部隊アシュナージ隊員へ初めての指令を伝える。ヘリオスーツを着装せよ」
機械的に合成された音声は、エイルに蓋外訓練棟への移動を促した。
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