ep1.平穏主義者の失敗-01
社会科準備室は準備室というには狭い教室だ。
資料が押し込まれた棚に四方を囲まれ、入りきらなかった本やプリントの束が机や椅子、床の面積を埋めている。
それでも何とか資料をあっちこっちに追いやりいくつかはゴミ箱に押し込んで、人の入れるスペースを確保した。
そうして出来上がった場所が「
今この場には3人の生徒がいる。
その内の1人、前髪を長く伸ばした不機嫌そうな少年の名前は
安穏と平和をこよなく愛する平穏主義者で、先日から花の高校生となったが友人を作る気もなければ学校生活を謳歌しようという気すらない。
前髪を長く伸ばしているのもわざわざ黒色のパーカーを選ぶのも、「俺に関わらないで下さい」という無言の主張である。
だがそんな彼がこんな部活動等という学生生活の内、最も青春を育む場とされている場所に身を置いているのは彼の意思ではない。
「よし、それじゃあまず自己紹介から始めようか! 我が同好会へ入ってくれた新入生の顔合わせになるしね!」
手を叩いて新入生の注目を集めようとする2年生を、閑は不愛想に睨みつけた。
弁明しておくと、彼は自らこの
いうなれば不可抗力という奴だ。
「ともあれ、まずはオレからね。今年度から部長を任されてる2年の
そう胸を張る吉良2年生は明るく染めた長い髪を後ろで結い、黒縁の眼鏡をかけ、一目でわかる程の男子高校生特有の浮わついた雰囲気を押し出している。
こういうタイプは天敵だ、と閑は心の中で思う。
自分の平穏を脅かし、侵害し、一人の人間の人権・黙秘権・拒否権というあらゆる権利を無視してさらし首にしようとするとんでもない連中だ。
世間では「リーダータイプ」と呼ばれているが、閑は「暴君・独裁者タイプ」と分類している。
そんな暴君もとい吉良はニコニコと人懐っこい笑顔で新入生のリアクションを待っているが、残念ながら彼の期待した反応は返って来なかった。
そもそも新入生と言えど2人しかいないのだ。他の新入生は所用で来れないとかではなく、入部届を出したのは閑ともう一人だけ。
閑の向かいに腰かけている、彼と同じクラスの物静かな少女だ。
彼女の存在、顔は知っているが残念ながら名前までは把握していない。
「うんうん、今年の1年生は静かだね~。でも気にしなくても大丈夫! 入学したてって緊張するもんね、それに上級生相手だと尚更。オレも去年はガチガチだったしさ~」
(絶対嘘だ。初対面から顔・名前、挙句には連絡先まで覚えるタイプに決まってんだろ)
口にはせず、心の内で悪態をつく。
そもそも緊張からくる静かさならこの部屋は息の詰まるような張り詰めた空気で満たされているはずだ。
入学式の昼時の教室内のような。どう切り出していいかわからず話題に困り、心理戦のような譲り合いが繰り広げられる……楽しみにしていた弁当も喉を通らないあの空気。
それがここにはない。
この室内を満たしている空気は普通のものだ。
ただ一つあるとすれば、ここまで露骨に早く帰りたいという空気を出しているのに他2人が全く気にしていないことくらいか。
「じゃ、とりあえず五十音順で自己紹介お願いしよっかな。
(入部動機と抱負ぅ?)
頬の筋肉がひくついているのがわかったが、閑を助けてくれる人間は残念ながらここにはいない。
吉良からの指示を受け、向かいに座る狩野窪という少女がようやく口を開いた。
「1年2組の狩野窪です。入部動機は……」
彼女のその想像通りの声に閑はハッとした。
紺碧の艶やかな長い髪に感情を見せない冷ややかな眼差し、新入生代表として壇上に立った小柄な彼女は学年主席として黒いシャツを着ている。
自分と同じく、クラスの誰かと喋ることはなくいつも自分の席で本を読み
社交性の低さからクラスの蚊帳の外にいる彼女だが、閑は確信している。
クラスの中心にいる高校生活エンジョイ中のスカートの短い声のデカい女子よりはるかに、狩野窪の方が美しく、可愛い。
ただの個人の好みなどではない、ただ誰も視界に入れていないから気付かれないのだ。
唯一彼女に興味を持ち、彼女を視界に入れていた閑はそう密かに思っていた。
だが、
「動機は、この部が殺人事件等を議題に上げたりすると聞いたので。抱負は……将来に役立つ何かが掴めれば、と」
「将来? 狩野窪さんは将来就きたい職とか決まってるの?」
「刑事を志望しています」
「へぇ! あ、だからいつも猟奇殺人とかそれ系の小説ばっか読んでんのか! なるほど~」
どうやら頭の中は想像を絶していたようだ。
そして吉良の言葉によりいつも彼女が読んでいた本の中身が初めて判明した。
気になってはいたが聞こうとは思わなかったのだ。
(刑事……なんで狩野窪みたいなのが……)
正直想像出来ない。だがルールを破るタイプには見えないし典型的な優等生には違いない。
きっと何か理由があって刑事になりたいのだろう……。
「じゃあ次、シズカくんヨロシク!」
「……はあ」
バッチリこちらを向いてさあどうぞと振られても、動機も抱負もあったもんじゃない。
今は一刻も早く家に帰りたいのだ……。
「……1年2組の閑です。動機は、吉良先輩に捕まって……なんとなく。抱負は……活動しながら決めていきたいです」
及第点の答えだろう。
吉良に捕まっての入部というのも嘘じゃない、不可抗力なのだから。
「えぇ~つまんないなぁシズカくん。もうちょっと気の利いた感じない?」
(うるせぇな……何だよ気の利いた感じって。つか何で俺にだけそんなハードル求めんだよ)
依怙贔屓だ、悪い意味の。
そう目で訴えても吉良は何か? と笑顔を崩さない。
そして根負けした閑は微かに口を開く。
「スンマセン……」
「ま、冗談だけどね~シズカくんにいきなりそんなコミュ力求めてもさ~アハハ!」
何がしたいんだよお前は!
とは言わずにグッと堪え、とにかく早くこの顔合わせとかいうものが終わらないかと腕時計を見た。
始まってからまだ5分も経っていないことに絶望する。
「あ、そうだった。本当はオレ以外にもあと2年が2人と3年の先輩が1人いるんだけど、大体皆が揃うことって滅多にないんだ。ここに来てればその内会うと思うからさ」
「部活活動日って、毎週水曜だけなんですか?」
「うん一応ね。でもこの部室自体は土日でも開けてあるし、大体毎日誰かしらいるから来たい時に来てOK。朝とか昼休みもOK!」
「わかりました」
「ということで、とりあえず何か1つやってみようか」
「え」
そこで初めて閑が声を上げた。
思わず心の声が漏れた、という方が正しいかもしれないが。
「閑さん、何か用事が……?」
「あ、いや……そうじゃない…………」
ただ一人になりたいだけです。
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