ep2.殺人主義者の友達-07


「……は?」



 気の抜けた返事を待たず、吉良は窓から躊躇もなく飛び降りた。

 自分の服を入れた鞄まで律儀に持って行ってくれたが、なぜ俺を置いて行った?



「……何で」



 そしてもう一度猫面の方を向く。

 右手には何か長い獲物を持っていた。

 あれは何だろう、どこかで見たことがある……。

 猫面はその長い獲物を前へ突き出すと、両手でそれを持ちゆっくりと左右に手を開いて行く。

 弱い月明かりに、青い何かが光を反射させていた。

 そうだ、アレは……。



「刀」



 美しい弧を描いているそれが日本刀だとわかった時にはもう、猫面は刀を振りかぶっていた。

 こちらに突っ込みながら刀を振るわれ反射的に走り出した。しかし、体重をかけていた右足を挫いて転倒。

 頭上を刀が通過し、風を切る音が聞こえた。

 猫面は首を回して閑の位置を確認すると、再び刀を振りかぶる。


 何で刀を持った奴がいるんだ。

 どうして吉良は真っ先に逃げたんだ。

 俺はこいつに何かしたのか? 狙われるようなことをしたか!?


 頭の中を様々な疑問が飛び交いアドレナリンが分泌される。右足の痛みを感じない。何とか立ち上がり、階段の方へと駆け出した。


 だがほんの一瞬。

 左腕に違和感を感じた。

 指先まで電気が走る。熱い。

 何だ? 何が起こった?

 違和感を感じる部分を触ると指が滑った。ぬるっとした液体が指に付着する。



「……う、嘘だろ」



 切っ先がかすったのか、左腕には浅い切り傷が刻まれていた。

 真っ赤になった右手を見る。べっとりとついた自分の血を見てパニックになる。


 何だこれは、一体何がどうなっているんだ?


 全身が震えて足に力が入らない。立ち上がることが出来ない。

 猫面はゆっくりと近付き、閑を見下ろした。

 刀を軽く振って血を払い両手で構える。



(…………殺されるのか?)



 数秒後の自分がどうなっているか、想像に難くない。

 振り上げられる刀が光る。刀なんて初めて見たが、きっと切れ味は想像以上にいいんだろう。

 殺される。殺されるんだ、俺。



「……ふ」



 絶望し、思考が止まり、……やけくそになった。



「ふざけんな!」



 こんな言葉が最後になるなんて、もっとマシなことが言えなかったのだろうか……。

 刀が下りてくるまでの時間をやけに長く感じた。

 走馬燈というものが見れるのだろうか? 大した長さの人生ではなかったからあっという間に終わるだろう。


 ……だがいつまで経っても走馬燈は始まらない。

 おい、いつまで待たせるつもりなんだ。俺は殺されたんだ、さっさと……。



「…………?」



 目の前が真っ暗になっていたのは目を瞑っていたかららしい。

 そして、目を開くことが出来たことに混乱する。



「……な、んで」



 恐る恐る頭を上げると目と鼻の先で刀が止まっていた。いつの間にか被っていたフードが落ちている。

 猫面はまっすぐこちらを見下ろしたまま、ゆっくりと首を傾げた。

 何だ? どうした?



「……」

「……な、何だよ」

「……」



 閑が呼びかけると猫面は肩をピクリと揺らし、刀を引いた。

 ベルトに差していた鞘を取り出して、刀身を納めると紐でグルグルと巻く。



(おい、何なんだって聞いてるのに何で何も答えないんだ……)



 刀をベルトに差すとコートの内側にしまった。

 そして猫面が何かに気付いたように下を見る。

 何だと閑もそれにならうと、先程吉良が殺した死体の腕を猫面が踏んでいた。

 死体から流れる血をいつの間にか自分も踏んでいたらしく、コンクリートに赤い足跡がついている。


 胃液がこみあげて来て、しかし息を止めていなければならないような気がして、体中から汗が滲んだ。



「……」

「お、おい」

「?」

「お前、……何なんだよ」



 問いかけると、猫面はぺこりとお辞儀をして後頭部に手を回す。

 紐をするりと抜き取ると、コートの中に入れていた長い髪が肩にかかった。

 パチンと金属音がして猫のお面が取れる。

 それを見て、頭が真っ白になった。



「……すみません、閑さん」



 少し申し訳なさそうに眉をひそめて、狩野窪はもう一度頭を下げた。

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