ep2.殺人主義者の友達-08


 腰が抜けてしまった閑は小柄な狩野窪に支えられて工事現場をあとにした。


 しばらく歩くと駐車場脇に小さな古ぼけたアパートが現れる。

 階段を上り、鍵のかかっていないドアを開けるとそこは最低限の家具しか置かれていないワンルームだった。


 クーラーもTVもなく、ノートパソコンだけ机に置かれている。折り畳み式のベッドに小さな冷蔵庫、古い洋服ダンス。小さな本棚から本が溢れていて、文机の上には教科書やノートが綺麗に並べられていた。

 閑はベッドに座らせられ、狩野窪は猫面と刀、コートを壁の引っ掛けにぶら下げた。その横には制服もかかっている。


 現状を説明すると、閑の負傷した左腕の治療をしたいと申し出た狩野窪に連れられて彼女の住む家に来たのだ。

 先の工事現場での出来事さえなければドギマギしてもいいようなシチュエーションだが、どちらに転んでも閑にとっては嬉しくない。



「な、なあ……独り暮らししてんのか?」



 そう聞かずにはいられず、ためらいながらも口にすると狩野窪はあっさりと首を縦に振った。



「両親は小さい頃に事故で他界して、以来親戚の家に預けられていたのですが保険金もあったので高校に入学してからはバイトをしながらの独り暮らしです」

「……全然そうは見えなかったけどな」

「親戚の家にいると煙たがられてしまうので……独りで静かに暮らしたいなと思っていたんです」

「……そうか」



 狩野窪は棚から治療道具一式が入った箱を手に閑の前に膝をつき、長い髪を一つに束ねてから包帯や消毒液を準備し始めた。


 その間の沈黙に耐えられず、閑はまた壁へ視線を上げる。

 黒い猫面と、黒い鞘に納められた刀。青い紐がふらふらと揺れている。

 世間話などせずにアレについて言及したいのはやまやまだが……正直、



(聞きたくねぇ……)



 首を突っ込みたくない、詳しく知りたくない。また平穏から遠ざかってしまう……。

 しかしもう一人の自分は「散々迷惑かけられたんだから吐いてもらわないと気が済まん」と言うのだ。

 上着を脱いでくださいと言われ、大人しく上着を脱ぎついでに左腕の袖をまくった。



「……なあ」

「はい」

「とりあえず、何で俺を切ろうとしたのにやめたんだ?」



 消毒液を含ませた脱脂綿が傷口に触れる寸前で彼女の手が止まる。

 命が助かった今だが、これからまだ何が起こるかわからない……。

 心臓がゆっくりと鼓動を大きくしていく。



「……すみません、閑さん」

「それはさっき聞いた」

「……間違えてしまったんです」

「誰と」



 少し間があってから、狩野窪は答えた。



「『雨男』と」



 グッと息を呑む。

 心臓が一瞬止まったかと思った。



「……な、何で……『雨男』?」

「閑さんがフードを被っていたので……フードの方が『雨男』だと思ったんです。しかし、よく声を聞いてみると聞いたことのある声だったので、おかしいなと思ったら……閑さんでした」



 無表情のまま狩野窪はポツポツと答えるが、閑には彼女の感情が読み取れた。

しょんぼりとしている。明らかに肩を落として落ち込んでいる。

 再度すみませんと彼女は謝り治療を始めたが、傷口にしみる痛みを感じないくらい閑は動揺していた。


 フードを被っていたから間違えたというのはまぁ納得しよう。

 だがその言葉をそのままとると、彼女が今晩あの工事現場に来ていた目的は「雨男」に会う為だ。

 そして「雨男」を見つけるや否や、抜刀して切りかかって来た……。



(殺人鬼って知ってて、……殺すつもりだったのか?)



 何故? 刑事を目指していると彼女は言っていた。

 つまり正義の為か?

 慈善事業の為に殺人鬼を探して、それであの刀で殺していたというのか?

 彼女は。


 いや待て、憶測で片付けてはいけない。

 こればっかりはきちんと確認しておかないと……。

 「雨男」と繋がりがあるとバレたら、俺も殺される可能性がある。



「狩野窪、お前なんであんな物騒なもん持ってんだ? それに何で『雨男』なんかに……殺人鬼ってお前が言ったんだろ?」

「あの刀はもらいものです」

「誰から」

「わかりません」



 ……わかりません?



「小さい頃に誰かから譲り受けたものだと祖父から聞いています。ただあの刀はきつく締められていたので誰も中身が真剣だとは知らず、私が中学生に上がってから中身を知りました」

「他に知ってる人は」

「いません。親族は皆模造刀だと思っています」



 まぁそうでないと今頃警察に届け出ているだろうしな、と閑は眉間をつまんだ。



「じゃあ何か、あの刀で殺人鬼『雨男』をやっつけてやろうとでも思ってたのか」

「やっつけてやろうと思ったことはありません。あの刀はあくまでも護身用です」

(……斬りかかって来なかったっけ? コイツ)



 驚いた顔でそんな発想したこともない、なんて言われても驚きたいのはこちらの方だ。



「今までにも何人かの殺人鬼とは会いましたが、皆さん目が合うなりすぐに襲ってくるので……ちゃんと武器を持っていないとお話も聞けないんだなと」

「おいおいおいおいちょっと待て! 今なんつった!?」

「……お話も聞けない、と」

「いや確かにそこも引っ掛かるけどな、何だって? 今までに何人の殺人鬼と会ったんだよ!? つか殺人鬼ってそんなポンと会えるもんなのかよ!?」

「探せば」

「探したくねえよそんなもん!!!!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る