ep2.殺人主義者の友達-06


 指示された通りの時間に間に合うよう閑はジャージ一式を鞄に詰め込んで家を出た。


 学校のすぐ近くでは新しいマンションを建てる為に工事が行われている。

 距離が近いせいで工事音はガンガン聞こえてくるし授業妨害レベルだが、窓を開けないと空調が悪くなる為致し方なく半分だけ窓を開けるのだ。

 そして昼過ぎになると工事の音も落ち着いて来るのだが、昼食直後に緊張が解けてしまうと生徒の大半は眠ってしまう。

 学校側もどうにかしたいらしいが、果たして対策をうったのかは知る由もない。


 夜の工事現場は当たり前だが人気が無く、一応気持ち程度の明かりがついていたがほとんど真っ暗だ。

 無断で侵入するのは気が進まないが、恐ろしき殺人鬼から脅迫を受けている身として、この程度を怖がっているようではダメだなと思う。

 時計を確認すると九時ちょうどになった。


 不在着信で電話がかかってくる。



「……はい」

『あーもしもしシズカくん? 三階にいるから上がって来てくれるかな? 階段はもう出来てるからさ。あ、切っちゃダメだよ』

「……」



 電話を耳に当てたまま閑は階段を探し、まだ手摺も壁も出来ていないコンクリートの階段を慎重に上がっていった。

 暗くて足元がおぼつかないが、もうしばらくすればもっと目が慣れてくるだろう。



「あんたこんなとこで一体何してんだよ」

『何ってそんなの……決まってるじゃない』

「先週殺したばっかだろ。殺人鬼ってのはそんなに忙しいのか?」

『忙しいとかそういうのは関係ないんだけどね~オレ別に殺し屋ではないし。ただまぁ……何と言うか……』



 ブチ。

 電話が切れた音ではないのはすぐにわかり、思わず足を止める。全身に鳥肌が立ち、身体が強張る。想像したわけでもないのに体はその音に対して拒否反応を示した。

 気持ち悪い、吐きそうだ。



『何かね~……殺したくなるんだよね、無性に』



 受話口から聞こえる冷たい声。

 いつもの軽い口調とは違い、空洞を感じさせる冷たい声だった。



「……イかれてんな、あんた」

『アハハハ! ありがと~!』



 何とか階段を上りきるとコンクリートの臭いに混じって別の臭いがした。

 これが「鉄臭い」と表現する臭いなのだろうか……と閑は壁伝いにその出所を探す。

 今日は懐中電灯を置いて来た。光は何もかもを鮮明に照らす。

 見たくないものも、見なくてもいいものも。



「お、こっちこっち~!」



 受話口から聞こえる声と重なり、ようやく通話が切れる。

 閑はなるべく上の方に視線を向けながら、そこへ歩み寄った。



「ご苦労様。予想通りばっちり汚れちゃったから、着替えちょーだい♪」

「……着替えってあんたのか」

「何かさせられると思った?」

「大いに」



 今更挑発されてももう怒る気にはなれない。

 そう閑は血塗れの吉良を見下した。


 吉良はフードをすっぽりとかぶり、そのフードと頬に赤い汚れをつけている。

 これが「雨男」という殺人鬼の姿か、と閑は息を呑んだ。

 今すぐこの鞄を押し付けて、この場から立ち去りたい。




「あれ、見ないの? せっかく現場に来たのに」

「俺はあんたみたいに頭おかしくないんでね。さっさと帰らせてもらう」 



 鞄を渡すと吉良は受け取り、閑のジャージを取り出してせっせと着替え始めた。

 それを確認して閑が踵を返すと「まだ帰っちゃダメだよ」と呼び止められる。

 最悪だ、吐きそうなのに。



「いつもはさ、着替えとか面倒だから人がいない夜中になってから帰るんだ。けどシズカくんがいてくれて助かったよ~!」

「俺は共犯じゃない」

「もちろん、そんなのわかってるよ?」

「どうだか」



 そこにあるはずの死体を視界に入れないよう後ろ向きのまま受け答えをする。


 コンクリートに四方を囲まれて空気は冷たいはずなのだが、人の体温に近い生温い空気が肌にまとわりついているのは……気のせいだと思い込んだ。

 ジャージのファスナーが上がる音が聞こえた。吉良が着替え終わったのだろう。いつもの眼鏡は伊達なのか、持っていないようだった。



「……その人、どうするんですか」

「どうって……うーん、まぁ。このままかな? 別に放置したってニュースにはならないよ」

「……はあ?」



 思わず振り向きそうになって踏みとどまった。あちらを向けば血の海を見てしまう。



「建築がここまで進んでるんだし、もしここで工事現場から死体がーなんてニュースになったら入居者は絶たれる。だからこういうのはそういう掃除業者に頼んで、さっさと隠しちゃうのがベストなんだよ」

「……ここに住む人が可哀想だな」

「なーんにも知らないで住むんだからね~」



 愉快そうに笑う吉良の声を背に、閑は吐き気をこらえるのに忙しかった。


 世間なんていうのはそう言うものかもしれない。結局こういう汚れを明るみに出す人間と、暗闇に埋めてしまう人間とがいる。

 自分自身だってそうだろう。命惜しさに、死体を見て見ぬ振りするのだから。


 いらぬ後悔が足元からじわじわと上ってくるようだった。



「……ん?」



 気分が悪くなるばかりだった閑が声をもらした。

 彼の声に吉良も何? と顔を上げる。



「どうかした?」

「いや、……今」



 足音が聞こえた?


 そんなまさか、こんなところへこんな時間に、一体誰が。と思うが現状殺人鬼と巻き込まれが一人ずつここにいる。

 まさか吉良が誰か呼んだのかと問うも、吉良は首を横に振った。

 本当か? と疑いたくなるが今はそれどころではない。

 この現場を誰かに見られてみろ。

 俺まで殺人犯呼ばわりされてしまう。



「おい雨男、あの階段以外に出口ねーのかよ」

「残念ながらあそこしかない。あとはエレベーターが入るであろうスペースがあったけどそれも反対側だし」



 吉良の気楽な口調に気が立つ。

 閑の背後には吉良と死体、そして窓枠のある灰色の壁しかない。階段は閑の向く方向にあるが、足音はそちらから聞こえてくる。


 誰だ? まさか警察が人の声を聞いて……見回りに?



(三階なら飛び降りられる……下手さえしなきゃ骨は折れない……はず)



 二階からなら飛び降りたことがある。案外余裕だったなと感想を抱いた記憶もある。

 回れ右して死体を飛び越え窓からダイブ。そうすれば……逃げられる?



「そんな心配しなくても大丈夫だよ~シズカくん」

「何だよ、やっぱあんたのお友達でも呼んだっていうのか?」

「だからキミ以外は誰も呼んでないよ」

「じゃあ何で心配しなくていいんだよ」

「殺せばいい」



 声のトーンが変わり、振り向くと吉良はナイフをくるりと宙に放っていた。

 まるでジャグリングのようにナイフを回すが、彼は手元を一切見ずにずっと笑顔で前だけを見ている。



「……あんたふざけんなよ、警察だったらどうすんだよ」



 出来るだけ声を潜めるが、怒りを押さえるのもそろそろ限界だ。



「警察だろうとなんだろうと」

「?」

「人間だよ?」



 そうだった。

 こいつは部活のくそ面倒な先輩でもなければただの浮ついた男でもない。


 殺人鬼なんだ。


 足音がはっきりと聞こえて、顔を見られまいと咄嗟にフードを被る。フードの端から足音のした方を覗く。

 窓から差し込む微かな光がその人物を照らした。まず、懐中電灯を持っていないことに違和感を覚える。

 こんな暗い場所を光で照らさずに歩くなんて、夜目が効くか誰かに見つかりたくないかのどちらかだ。

 暗闇に溶けこむ、黒いシルエットが目の前にいた。



「……なんだ?」



 閑は思わずそう呟いた。

 誰だ、とは言わなかった。

 シルエットはさほど大きくない。地面すれすれまで届く黒いロングコート。性別はわからない。

 あのお面は……猫、か?



「ゴメンねシズカくん」

「?」



 吉良の声に目だけ向けると、ナイフをしまっていた。

 どうした?



「オレ逃げるわ」


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