ep2.殺人主義者の友達-01


 どこまでも続く雲一つとない青い空。

 その青の真ん中に飛行機雲が一本の線を入れる。

 風が吹けば足元の木々が葉を揺らして音を立て、目下の道路を一台の車が通過した。


 校舎の最上階である四階の階段は閑以外誰もいない。

 まぁ人がいないのは当たり前で、階段は階段でも〝非常階段〟だからなのだが。

 教師に目撃されれば注意を食らう状況だが、鍵が開いていたのが悪いんだと閑は主張する。

 昼休みの喧騒は廊下のはるか向こうから微かに聞こえる程度で、普通教室から一番離れているこの場所は閑散としていた。



(……幸せだ)



 のどかな昼下がりに焼きそばパンを頬張って、残り少ない缶コーヒーをちびちびと飲む。

 時よこのまま止まってしまえとさえ思えた。



「シズカくんの『閑』ってさ、珍しい読み方だよね~絶対読み方聞かれるでしょ? ぼっち主義なシズカくんとしては嫌いなんじゃない? 自分の苗字」



 時よ今すぐ戻りたまえ。

 もしくは急激に加速してさっさとチャイムを鳴らして下さい。



「人の唯一の憩いの時間を妨害しないでくれますかね、『雨男あめおとこ』先輩」

「うっわぁ、キミもいい性格してるね~」



 閑はため息を吐きながら風に吹かれて揺れる長い前髪をかき上げた。

 静かさと状態維持と平穏を愛する彼にとって、今声を掛けて来た人物は大雨を降らす嵐そのものだ。

 しかしどこから声をかけて来てるんだ? と顔を上げると、その雨嵐は閑よりワンフロア上にいる。

 彼はひょっこりと顔を出し、閑をいけないんだーと笑った。



「非常階段は非常時以外立ち入り禁止だよ~シズカくん」

「……屋上はどんなことがあっても立ち入り禁止じゃないんですか? つか俺は鍵が開いてたからたまたま迷い込んだだけです」

「そっか。オレは鍵をこじ開けて入ったけどね」

「……」



 呆れた閑が返事もせずに焼きそばパンを口にするとその雨嵐は階段にひょいと着地した。

 いや待て、こんな足場もろくにない非常階段に今屋上から飛び降りなかったか? この人……。


 ドン引く閑をよそに、雨嵐こと吉良きら二年生は食べかけのシュークリームを平らげてコンビニのビニール袋から新たにエクレアを取り出す。



「何でこんなとこにいるんですか」

「シズカくんが人気のないとこで何をしてるのかな~? と思ってね。何かよからぬことをしているのでは? 誰かと密会をして秘密の会議でも開いて、あまつさえ内緒話でもしてるのでは……? なーんて!」

「あんた開口一番に俺のこと『ぼっち主義』とか言ったくせに。俺に友達いるとでも思ってるんですか?」

「いんや全然」

「……」



 怒ってなどいないし悲しんでもいない。

 自分に友人がいないことは当たり前でありそれが最高の状態であるのだが、一々この眼鏡男が人をからかおうとしていることに何とも言えない気持ちになるのだ。

 本音を言えば、理由はないがただ殴りたくなる。

 うざい。


「そんなに気にしなくたって誰にも言いやしませんよ。ここにいる社交性の塊みたいなへらへらした先輩が『雨男』って名前で夜な夜な人をめった刺しにしてる殺人鬼だなんて」

「別に心配してるわけじゃないんだよ、何度も言っている通り平穏主義者であるキミの口が軽いとは思ってないからね」

「じゃあ何で何かあれば俺のとこに来るんだよ……暇なのか」

「失敬な! オレは大忙しなんだぞ! キミをこうしてイジメるのに!!」

「ふざけんな他を当たれ!」



 先日、閑は自称平穏主義者であるにも関わらずとんでもない失敗をしてしまった。

 今彼の隣でエクレアを食べている男が、夜道で女性をめった刺しにし、血塗れでナイフを持っているところを目撃してしまったのだ。


 そして彼は「世間話ゴシップ同好会」という不謹慎極まりない活動をする部活に籍を置くことを条件に、正しくは殺人鬼の監視下に置かれ目撃内容を黙秘することを条件に生存を許されている。

 以来、何かと殺人鬼「雨男」もとい吉良は閑の動向にやたらと干渉して来るのだ。



(昼休みぐらい一人にさせてくれ……)

「そうそう今日はいじりに来ただけじゃあないんだよ、シズカくん。キミにとって嬉しい告知をしておこうと思ってね」

「悲しい告知の間違いだろ……」

「いやいやホントだよ。オレが卒業するまでの間だけにしようっていう告知さ」

「何を」

「『2年4組の吉良が殺人鬼である』ってことを黙ってる期間」



 耳を疑い、吉良の方を見た。

 彼はしたり顔でこちらを見上げている。



「オレが卒業してからは誰にどう言おうと構わないよ。先生に言おうが校長に言おうが教育委員会や警察にだって、思う存分暴露すればいい」

「……言ったら、あんたのところに誰かしら行くだろ」

「その頃には、オレはいないから」



 なるほど。

 卒業と同時にどこかへ消える。

 そしてどんなに探されようと見つからない自信があるんだ。

 この殺人鬼は。



「ま、逆に考えるとオレが卒業するまではキミの心臓はオレの手の中にあるってことだけどね。そこんとこヨロシク♪」

「……握り潰されないよう気をつけますよ」



 二年だ。

 二年の間、このイかれた先輩に付き合わなければならない。

 だがそれさえ耐えられれば晴れて自由の身だ。


 閑にとってどうして吉良が殺人鬼になったのか、どうして見ず知らずの人をめった刺しにするのかといったことはどうでもいいことだ。

 知るべきではないし、深入りなんてするべきじゃない。

 これ以上自分の平穏な日常を侵される訳にはいかない。



「ということで、今日も部室は開放中! 放課後は……」

「行かねーよ。活動義務日は水曜だけって聞きましたけど?」

「お昼だって皆部室に来るのに~狩野窪ちゃんだって来るかもよ?」

「行かないでしょうね、つか何で狩野窪の名前が出てくるんだか」

「えぇ~何で!?」



 あの風変わりな学年主席が上級生と上手くやれるはずがないだろう。

 趣味は合うだろうが……恐らく彼女は一人で上級生達の間に入れるタイプではない。

 そうに決まっている。



「自分の世界に他人を入れることを許さないような奴ですよ、……アイツも」



 俺も。

 吉良に聞こえないくらいの音量で呟くと昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 きっとこのタイミングで、彼女は昼休み中に読んでいた文庫本を閉じたに違いない。


 そう閑は想像した。


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