第35話 滲んだインク

 ヴァイス達の説得により、北東の城に住んでいた魔女は実に二百年ぶりに王都へと出向くことになった。

 王宮の宝物庫に保管されている「若返りの薬」の精製方法を、誰にも見られず自らの手で処分するためだ。


*

 王宮に戻ってすぐ、ヴァイスは魔女の映し出す映像とともに全ての事情を国王に話した。

 魔王の伝説は間違いだったこと、魔女は正しい心を持つ白魔導師だったこと、不老不死の薬の作成を命じたのは当時の国王シュバルツ一世だったこと、当時の国王や貴族の死因は魔女の薬のせいではなかったこと――。


 国王はヴァイスの話を黙って聞き終えると、重々しく口を開いた。


「話はわかった。魔女ブランシェよ、余の祖先が……王族の者が、罪のないお主に濡れ衣を着せたこと、心から詫びよう。お主の願いを、何なりと申すが良い」


 魔女ブランシェの答えは一つだった。


「王宮の宝物庫にある、若返りの薬の精製方法を記した書――それをわたくしの手で処分させてください」


 国王は頷き、すぐに命を下した。


「この者達を、宝物庫へ案内せよ!」


*

 王族でも通常は立ち入ることが許されない宝物庫に、魔女ブランシェとヴァイス達は足を踏み入れた。王の命令によって、ヴァイス達五人も宝物庫へ同行することが特別に許可されていた。


 王宮の地下に位置するその部屋は、分厚い石の壁と魔導結界で守られ、外には幾人もの守衛が立ち、厳重に見張られていた。魔女が一月ほど前に宝物庫への侵入を試みてから、警備が強化されていたのだ。

 魔女と国王が並んで宝物庫へと入っていくのを見ながら、守衛が緊張したように肩を強張らせている。奇妙ないにしえの魔導術を操り、王都を恐怖に陥れたと言われていた魔女が目の前にいるのだから、無理もない。


 宝物庫の中には黒檀でできた頑丈そうな棚がいくつも立ち並び、古い書物や様々な年代物の武器、防具が保管されていた。かつて英雄として名をあげた勇者たちの装備が、ここに仕舞われているのだ。


 「若返りの薬」の精製方法を記した書は、そんな棚の中の片隅で、かしの木でできた丈夫な木箱に収められていた。

 魔女ブランシェが、緊張した面持ちで箱を開ける。


「これだ……」


 二百年前に魔女自らが書いたものと変わらぬ書物が、そこにはあった。

 魔女ブランシェが安堵の声を漏らす。二百年の時を経て、忌まわしき伝説を生み出した書物がついにあるべき持ち主の手へと戻ったのだ。


*

 魔女ブランシェが木箱の中から書物を手に取った時、その隙間から一通の封筒が滑り落ちた。


「これは――?」


 封筒の色は長い年月によって褪せてしまっているが、相当に丈夫で高級な紙が使われていることが見て取れた。手紙の裏は魔法の蝋で封がされており、表の宛先は「ブランシェ」と記されていた。

 自らが入れた心当たりのないその手紙に疑問を持ちつつ、ブランシェが魔法の封を開けた。


 魔女が静かに手紙に目を通す。

 手紙を読んでいた彼女の目から、みるみる涙が溢れ出した。


「ど、どうしたのですか?」


 隣で見守っていたヴァイスは慌てて声を掛ける。涙を拭った魔女は、黙ってその手紙をヴァイスに見せてくれた。

 手紙には震えた弱々しい字で、文字が書かれていた。


*

『――ブランシェよ、直接この手紙を届けられなくてすまない。

 私はこの病気が、あの若返り薬のせいでないことを理解している。

 私の病も貴族の死も、すべては私のせいだ。

 不老長寿などを願った私に、神の罰が下ったのだ。


 ブランシェよ。

 私はお前と少しでも長く共にいたかった。

 だがそれは叶わぬ望みだということも理解している。

 今ようやく自分の運命を受け入れる覚悟ができたのだ。

 せめてお前の一生が、幸せであることを願う』


 最後の差出人の部分は、魔女が流した涙によって滲んでいた。


 差出人の名は――『シュバルツ一世』。

 魔女が愛し、長寿を願って薬を捧げたその人だった。


*

「あの方は私がここに来るとわかっていて、最期にこの手紙を遺してくれた……。私が一人で意地を張らずにもっと早くここに来ていれば、二百年の誤解を生むこともなかったのだ……」

「シュバルツ一世は隣国の皇女と政略結婚をせねばならず、生涯お子をもうけなかったと聞いていたが。真に愛する者はここにいたということか……」


 少し離れて見守っていた国王ヴァールハイトが、ぽつりとそう呟いた。


 シュバルツ一世は、"若返りの薬"の限界と自らの死期を悟っていた。自分の死後、万が一ブランシェがその責任を問われた場合に備えて、この手紙をそっとここに隠したのだ。王とブランシェの二人だけが唯一閲覧することを許された、この秘密の文書箱の中に――。


 かつてのブランシェは、その王の気持ちに気付かないまま、全ての責任を自分が引き受けるつもりで王都を去ってしまった。

 彼女が閉じた心の扉を開けて再び一歩を踏み出したとき、ようやく王の想いは彼女の元に届いた。

 彼が不老長寿を願ったのは、他ならぬエルフ族の彼女、魔女ブランシェと少しでも永く共に過ごすためだったのだと。


 手紙を胸に抱いた魔女は、人目もはばからずに声をあげて涙を流した。

 その姿は、まるで幼き日に恋文を抱く少女のようだった――。



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◆登場人物紹介 No.9: シュバルツ一世

 およそ二百年前に東の王都を治めていた国王。隣国の姫と政略結婚をしたが、子供はもうけなかったため次代の王は弟が引き継いだ。現在の国王シュバルツは、その子孫である。

 シュバルツがブランシェに不老長寿の薬の作成を命じてから二十年以上の研究を経て、ブランシェは「若返りの薬」を完成させた。その間に王は政略結婚を受け入れており、薬が完成した時には五十代となっていた。そこから病に倒れるまでのおよそ五十年は、若返りの薬のお陰で健康そのもので、数々の武勲を立てた名将だったという。

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