魔王の秘密

第32話 来訪者

 魔王の城に現れたグリフィンを倒したヴァイス達は、広間を抜けて階段を登り、さらに城の奥へと進んでいった。


*

 城の最奥から最も強い魔力が感じられる。

 ヴァイスとノエルの精霊も緊張したような雰囲気で、ぴりぴりといつになく警戒していた。こんな反応をする精霊達を見るのは初めてのことだった。精霊にも、強い魔力を持つ者への畏怖の念があるのだろうか。


 次々と階段を登り、長い廊下を抜けて、ついに一行は城の一番奥、目的の部屋へと到着した。強力な魔力は、明らかにこの部屋から漂い出ていた。


「ここに……魔王が……」


 重そうな真鍮の扉を前にして、カッツェがごくりと唾を飲んで戦斧を構え直した。


「開けるぞ……」


*

 ギギィッと鈍い音がして、何年も開かれなかったのではなかと思われる真鍮の扉がゆっくりと左右に開いた。


 ――魔王の部屋。

 そこにいたのは、全員の予想とは全く異なる姿の者だった。


 美しい、エルフの貴婦人。


 窓辺に立ちこちらを振り返ったその女性は、胸元が大きく開いた真っ青なイブニングドレスを着ていた。ウエストがすぼまり裾に掛けて大きく広がるそのドレスは、豊満な肢体のラインを惜しげもなくさらしている。

 豊かなブロンドの髪が波打つように肩から背中を流れ、ドレスと同じように体をふわりと覆っていた。にこりと微笑むその美貌は、東と西の大陸中を捜し歩いても超えられる者がいないのではないかと思われるほど、完璧な輝きを放っていた。


「えっ、あれ? 魔王……?」


 カッツェが驚いてぽかんと口を開けている。しかしこの城には、この女性以外の人物がいるようには思えない。


「あらあら、魔王が女性ではいけないかしら? 坊やたち」


 貴婦人は口元に手を添え、くすくすとこの上なく上品に笑った。


*

「この城に人が入るのは、何年――いえ何百年ぶりかしら」


 優雅な姿勢を崩さないまま、エルフの貴婦人はそう語る。


「どうぞ座って、手荒なことをしてごめんなさいね……お茶でもいかが?」


 思わぬその申し出に、一行は拍子抜けして戸惑った。

 しかしエルフの貴婦人はどこか嬉しげに備え付けの流し台に向かって行く。五人は顔を見合わせると、恐る恐る、女性が指示したテーブルに座った。


*

 ヴァイスは密かにもう一度、幻術破りの術を自分に掛けてみた。この部屋に危険な罠が仕掛けられているかもしれないからだ。


 目の前のテーブルも部屋の中にも、変わったところは見られない。

 ヴァイスの前にあるのは、少し広めの質素な丸い木のテーブル。ちょうど六つの椅子が置かれている。

 先ほど入った入り口から見て正面――先ほど女王が立っていたところには石造りの出窓がある。腰の高さから頭の上くらいまであるその出窓には花瓶が置かれ、窓硝子も綺麗に磨かれている。


 窓の右手には、ぎっしりと本の詰まった本棚があった。本棚の本はどれも古そうに見えるが――分厚い背表紙には、白魔導やまじない、薬の調合に関する題名がずらりと並んでいる。

 さらにその本棚の右手側は、書斎兼寝室に続いているようだった。その部屋には黒檀の机と檜の机がそれぞれ並べられ、机の上には様々な形や大きさの硝子管や書物が所狭しと置かれている。まるで錬金術師か研究者の研究室のようだ。


 ここに来る途中、広い城の内部には人の気配が全くしなかったが、この部屋だけは違った。明らかに人の生活している様子が感じられ、しかも部屋から感じられる印象はどこか暖かい。


*

 ヴァイスは、左手側の流し台でお茶を入れる貴婦人の後ろ姿を何気なく眺めた。

 そこで思わず、はっと息を飲んだ。


(――!!)


 その後ろ姿は、年配の女性――老婆のものだった。背は高く、背筋はしゃんと伸びて、その背中はかつての美しさを容易に想像させるが、加齢に伴う皮膚の衰えは隠せない。


 女性がお茶を煎れ終え、くるりとヴァイス達の方に向き直った。ヴァイスの視線に気付いた女性は、しかしとがめるでもなくニコリと微笑んだ。


(――やはり、これも幻術……)


 先ほどまでの美しい肢体は、幻術によるものだった。しかし真の姿の婦人は、年老いてこそいてもやはり美しかった。

 少し色が淡くなったブロンドの髪。顏には深い皺が刻まれているものの、白い肌にはシミ一つない。露草色ブルーの瞳は、優しい光を湛えている。


*

 ヴァイス達は、エルフの貴婦人――いや、美しい魔女に差し出された紅茶を恐る恐る口に含んだ。


「ふふ、毒など入っておりませんよ」

「ほんとだ……うまい!」


 本当に普通の、美味しい紅茶だった。いや、微かに林檎と蜂蜜の香りが漂ってくる。飲むだけで心と体が癒されるような、不思議な紅茶だった。

 お茶うけに、クッキーとケーキまで出してくれた。くんくんと匂いを嗅いだあと、カノアが喜んで食べ始める。彼女はすっかり警戒心を解き、このお茶会を楽しんでいるようだ。


 獣人族もエルフ族も、直感が鋭い。野生の勘や第六感とでも言おうか。敵か味方かは瞬時に判断することができるし、その判断はおおよそ外れない。レイアやカッツェはまだ多少警戒しているが、カノアが心を許しているのならばヴァイスの直感とも一致している。


*

 ヴィアスはずっと気になっていたことをエルフの魔女に訊ねた。


「貴女は、このお城に一人で暮らしているのですか?」

「そうよ、もうずっと昔から」


 テーブルの向こう側に座った魔女は、真っすぐヴァイスの眼を見つめ返しながらそう答えた。丸いテーブルには、魔女を囲むようにカッツェ、ノエル、ヴァイス、カノア、レイアが座っている。ちょうど入り口を背に座っているヴァイスは、魔女の正面にくる位置だった。


 この城に住んでいるのは、このエルフの女性だけ。ということは、やはりあの強力な結界と幻術を操り、グリフィンを呼び出したのもこの女性ということになる。その瞳は嘘を言っているようには見えない。それにこの女性――エルフの魔女の体から漂う強大な魔力がこの城全体の魔力の根源だということは、否応なく感じ取れた。


 しかし……と、魔女の優しそうな露草色の瞳を見つめながらヴァイスは思う。


「貴女は、"魔王"と呼ばれるような存在ではない。少なくとも我々が考えていた魔王とは違う」


 ヴァイスは躊躇いがちに、次の言葉を続けた。


「……なぜこんなことをしているのか、聞かせてもらえませんか?」


 この強大な力を持ったエルフの魔女は、なぜ一人でこの城に住んでいるのだろうか? そしてなぜ来るものを拒むのか? 本当にこの魔女が王宮に忍び込もうとしたのか? 何のために?

 かつて"賢者の石"を求め、沢山の命を犠牲にした"魔王"というのは、本当にこの魔女のことなのか?

 様々な疑問が、ヴァイスの頭の中で浮かんで消える。一つずつ、確かめてみるしかなかった。


「そうね、そう言われると思っていたわ」


 魔女は露草色の瞳を少し伏せると、立ち上がり、一続きになった隣の部屋から水晶の珠を持ってきた。


 それは「真実の鏡」とも呼ばれる魔法の水晶玉だった。術者の呼びかけに応じて、真実だけを映し出す魔法の道具。

 テーブルの上に置いたその水晶玉を、魔女がかざした手でひと撫でした。


 ヴァイス達の目の前で、水晶玉の中にある記憶と映像が浮かんできた――。



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◆冒険図鑑 No.32: 魔法の水晶玉

 水晶には魔力を増幅させる力があり、様々な魔導道具に応用されている。

 魔女が持っているのは「真実を映し出す水晶玉」と呼ばれ、術者の呼びかけに応じて異なる時代・場所の映像を映し出すことができる。

 使い方によっては、失くし物を探したり、手元にない文献を調べることもできる便利な品である。

 ただし他人への尾行盗撮ストーキングにも使用できてしまうため、国によってはこの類の水晶は所持・使用が禁止されている。

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