第34話 罪の記録・2

「これが、"魔王の伝説"の真実……」


 魔女の見せた記憶に、ヴァイス達は言葉を失っていた。「魔王」の伝説と事実は、あまりにかけ離れていた。


*

 あの映像に出て来たブランシェは――若かりし頃の魔女に間違いない。

 映像の中のブランシェは二十歳くらいに見えたから……二百歳を超えて生きることのできるエルフの彼女が、二百年の時を本当にこの城で過ごしていたとしても不思議ではない。

 しかし長い年月の間に人々の記憶と伝承は歪められ、事実とは全く異なる"魔王"の伝説が出来上がってしまったのだ。


(魔女は、自分を追放した王都を恨んでいるのだろうか?)


 ヴァイスは考えた。

 魔女は王都を恨み、この城に篭って王都の者を誰も受け入れず、二百年もの間、人知れず王都への復讐のチャンスを狙っていたのだろうか?


 ――違う、とヴァイスの思考が否定する。

 この城に入るまでの幻術の森、城を包む結界、王宮宝庫への侵入。いずれの術も、わざと人を傷つける意図のものではなかった。ただこの城と魔女を守っていただけ……。

 先ほど城の中で闘ったグリフィンも、本当はヴァイス達を傷つける意図はなかったのではないか。守りの結界と同じように、攻撃された分だけダメージを跳ね返す、城の守護者だったのではないか。


 この魔女ブランシェの魔力を持ってすれば、王都を襲うことなど造作もない。それでもこの魔女は二百年の間一人で沈黙を守り続けた。つまりそれは――


「私はもともと白魔導師。攻撃の魔導術は苦手なのよ」


 ヴァイスの思考を読み取ったかのように、魔女が笑って見せた。しかしその顔は、どこか寂しそうな陰を落としている。


*

「あなたは決して間違ったことはしていない。王の命令に従い、若返りの薬を作っただけです……それなのに、どうしてこんな扱いを甘んじて受けるのですか?」

「ふふ、それがわからぬうちは、まだ子供ね」


 ヴァイスの問いかけに、やはり魔女は悲しそうに笑って見せた。


 なぜ魔女は、新たな学説が発表されシュバルツ一世の死因に気付いた時に、その事実を公表して自らの冤罪を訴えなかったのだろうか?

 なぜ魔女は、言われもない「魔王」の噂が立っても否定しなかったのだろうか?

 なぜ魔女は二百年もの間、追放を守り王都に立ち入ることも無く、しかし王都が見えるこの地に留まったのだろうか?

 ヴァイスの脳裏に、次々と疑問が浮かんできた。


*

 魔女は全ての罪を自分が被ることを選んだ。そしてそのうえで、誰も傷つけまいとした。

 魔女が真実を話した時、被害を被るのは誰だ――?


 それは「不老不死の薬」の作成を命じ、また魔女を無実の罪で追放した者だ。

 つまり王宮に住む王族にこそ、その責任が問われる。


 しかし魔女はそれを望まなかった。なおかつ本来は恨んでもおかしくない王都から離れることをせず、その発展をそっとこの北東の地から見守ってきた。

 それはなぜか――?


 ぐるぐると思考を巡らせていたヴァイスの耳に、遠くの空から、空中都市で聴いたあの吟遊詩人の唄が聴こえた気がした。

 人の王子に恋をして、魔法の声と永遠の命を自ら失った、人魚姫の悲しい恋の詩――。あの空石の伝説と、目の前で悲しみに暮れる魔女の姿が、重なって見えた。


「あなたは、かつての国王を愛していた……いえ、まだ愛しているのですね」


 ヴァイスの言葉に、魔女ブランシェは少しだけ眼を見開き、それからゆっくりと深い溜息をついた。

 魔女の肩から力が抜け、それまでの緊張が解かれたのがわかった。それは長年の間に降り積もった想いをすべて吐き出すような、長い長い吐息だった。


*

 魔女が自らに掛けた幻術を解き、本来の姿に戻った。

 二百歳を超える年老いたエルフ魔女の顔は、深い悲しみに覆われている。しかしその瞳に宿る気品は失われていなかった。


 魔女はゆっくりと、言葉を紡いだ。


「私は誰かがこの結界を破り、この私を倒しに来るのを待っていた……。幻術の森と結界を乗り越えて、私の城に辿り着く者。暴力ちからに頼るのではなく、知恵と公正な判断力を持つ者。曇りなきまなこと、正しい心を持った真の勇者にこそ、真実を告げて死ぬつもりだったのだ」


 魔女は、さらに言葉を続けた。


「真実とはこうだ。"賢者の石"……"不老不死の薬"などというものは、この世に存在しない。"若返りの薬"の精製方法も、今となっては必要のないものだ。私は自分の寿命が尽きる前に誰にも見られることなく、若返りの薬の精製方法を処分したかったのだ。誰かが勘違いして、また間違いを起こすかもしれないからな」


*

 ついに、魔女の口から真実が告げられた。


 魔女が王宮に傀儡兵を放ったのは、王都を襲うためではなかったのだ。宝物庫に保管されていた"若返りの薬の調合書レシピ"を人知れず処分しようとしただけだった。


 その目論見は失敗に終わり、国王ヴァールハイトに疑心暗鬼を生じさせる結果となってしまったが。それすらも、「魔王の城」に人を呼び寄せるための魔女の思惑だったのかもしれない。


 幻術の森も、城を囲む結界も、幻の怪物・グリフィンも。見た目と先入観に惑わされずに魔女の元へ辿り着く者を選別するための「仕掛け」に過ぎなかった。

 敵意を持って攻撃する者には、相応の「報い」を。疑いの眼差しには、相反する姿を。真実を見極めようとする者には、「真実」を……。魔女の仕掛けた仕組みは、それ自体が相手を試す「鏡」のようなものだったのだ。


 魔女の意図を知った今、自分たちにできることは何だろうか……そう考えたヴァイスは、一つの結論を出した。


「私が、今代の国王に全てを話します」


 エルフ族の誠実さをもって、魔女にそう進言する。


「ふふ、もう良いのだ。今さら二百年も前の話をぶり返してもどうにもならぬ。私をほふり、あの薬の精製方法も葬り去ってくれ」


「あなたを殺すなんて、できません!」


 全てを諦めたような口調で語る魔女に、ヴァイスは慌てて否定した。


「大丈夫です。今の王は、正しく真実を見つめる方です。――なにせ超現実主義で、魔導術に頼るのはですから」


 ヴァイスの言葉は、この城全体を魔導術で覆って二百年もの間一人で事実を隠し通してきた魔女にとって、痛烈な皮肉とも受け取れた。

 魔女ブランシェは目を丸くした後、思わず笑いだした。


「なるほど、お前は面白いやつじゃ。時代は変わったか――お主の好きにするが良い」


 ヴァイスとの会話で、ついに魔女の方が折れた。



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◆登場人物紹介 No.8: 魔女ブランシェ

 その名の由来は「白」を意味する「ブランシュ」。

 王都を追われ、惑わしの森で二百年もの時を過ごした元王宮付き白魔導師である。

 二百年の間にその魔力量は増大し、常軌を逸した規模の魔力を操ることができるようになった。

 年齢を重ねるうちに多少頑固で人嫌いになった節はあるが、根は優しい女性である。

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