第19話 人魚の声

 ドワーフの町を出た一行は、やがて大きな川に辿り着いた。


*

 湖と見間違えるほどの幅をもつその川は、船が無ければとても向こう岸まで渡れそうにない。聞くところによると、その大河の中には恐ろしい食人魚やワニが口を開けて待ち構えていて、うっかり水にはまった動物をあっという間に食べ尽くしてしまうという。


 一行が慎重に川に近づくと、一人の人魚セイレーンが川の中から顔を出した。

 上半身は美しい女性の体、下半身は魚の体。伝説に出てきた人魚の姿そのままだ。

 豊かな空色の髪がきらきらと水面に拡がって揺らめき、同じく空色をした艶やかな尾が泳ぐたびにぱちゃぱちゃと軽やかな音を立てて水を叩いている。


*

「素敵な殿方、私達と遊んで行きませんか?」


 人魚が岸に近づいて来て、歌うように語り掛けてきた。

 その声は銀の鈴が鳴るように軽やかで、なんとも不思議な魅力を備えていた。ドワーフは気をつけろと言っていたが、とても危険そうには見えない。ただし、なぜこんなに可弱そうな人魚が、獰猛な肉食魚の住む危険な川に棲めているのかは謎だった。


 ノエルがやや戸惑いながらも、ドワーフに言われた通りに黄金の林檎を差し出した。


「えっと……あの、これ。ドワーフのお爺さんがあなたたちに渡せって」

「まぁドワーフが、そう……」


 人魚は美しい顔を曇らせ、少し残念そうな声で呟いた。


*

「わかったわ。あなたたちは向こう岸に渡りたいのね?」


 人魚は川の方を振り返り、仲間の人魚達を呼び寄せた。

 集まってきた人魚達はみな良く似ていて美しい。彼女たちはどこからか美しい金色の小舟を運んできてくれた。どうやらその小舟を人魚達が押して、向こう岸まで渡らせてくれるらしい。


 さっそく小舟に乗り込んだ一行。少しきついが、何とか五人乗れないことはない。

 小舟に乗るときに、浅瀬の水底に何やらやせ細った黒いミイラのような物が見えた気がして、ヴァイスは一瞬寒気立った。……もしかしたらワニか、木の枝や藻の見間違いだったのかもしれないが。


*

「そういえば、さっきの林檎は要らないの?」


 小舟に揺られながら、ノエルが訊ねた。すると先頭を泳ぐ人魚が首を横に振った。


「その林檎を食べると、私達人魚は声が出なくなってしまうの。だから要らないわ。あなたたちが食べる分には問題ないから、差し上げるわ」

「えっ、声が出なくなる?」


 涼やかな声で語る人魚の言葉に、ノエルは驚いた。


「そう。それはドワーフと私達人魚の間の、秘密の通行証みたいなものなの。私達人魚が歌えば、どんな生き物でも虜にできる……もしも悪い侵入者が現れたら、私達の歌でおびき寄せて、銀の船に乗せてそのまま水の中に引きずり込んで沈めてしまうの。でも、黄金の林檎を持っている旅人さんは襲わない。私達は私達なりのやり方で、この川を守っているのよ」


 人魚が真相を教えてくれた。

 水の中に引きずり込む……確かに、五人とも小舟に乗った今の状態で、もしも船ごとひっくり返されでもしたら逃げ場がない。敵を油断させて誘き寄せる人魚達のやり方は、危険な侵入者に対する対策としては理に適っている。美しく儚げな見た目に反して、人魚達の手段はこのうえなく冷徹だった。


「ニャ……浮島で聴いた人魚姫の唄は悲しかったけど、ちょっとイメージが違ったニャ」


 強張った表情のカノアが小声で呟く。


「あら、あの空石の伝説のこと? 人間の王子に恋して、この声と寿命を捨てるなんて、愚かだわ。だって、人魚の寿命は人間よりずっと長い。人間の殿方は、美味しく頂くに限るわ……♪」


 美しい顏で、平気で恐ろしいことを語る人魚。人魚は人喰い種なのだろうか――? ヴァイス達は思いがけずショックを受けた。


*

 人魚の話を恐々とした気持ちで聞きながら、ヴァイスは一人考え込んだ。


 人魚が人族よりも寿命が長いという話は、東大陸出身のヴァイスでも初めて聞く話だった。その話を聞くまで、人族より長い寿命を持つ種族はエルフ族くらいだと思っていた。

 人魚族セイレーンは見た目からして獣人に近い種族なのかと考えていたが、どうやらエルフ族と同じように、より精霊に近い種族らしい。


 ――精霊は寿命を持たない。つまり精霊の命は永遠である。それは精霊が肉体というものを持たない、完全なるエネルギー体だからだ。

 エルフ族もまた、人族よりも精霊に似て純粋なエネルギー体に近い。そのため、エルフ族は人族の倍ほども寿命が長い。

 逆に獣人など獣に近い種族ほど、その寿命は短いのだ。ヒト族、小人族ドワーフ巨人族オークは、その中間くらいの寿命である。


 ヴァイス達ホワイトエルフは、森の大気や光、精霊の力を直接エネルギーとして取り込める。だから食糧を消化して物質的なエネルギーを摂取する必要がなく、ヒト族のような食事をあまり必要としない。

 事実、ヴァイス達ホワイトエルフは動物や魚の肉を食べない。死んだ動物は生体エネルギーが消失してしまうので、その肉を食べてもエネルギーを摂取できないのだ。しかし木の実や果物といった植物ならば、摘み取った後も生命エネルギーが残っているので、食べれば僅かながらそのエネルギーを取り込むことができる。


 ダークエルフであるレイアは、ホワイトエルフとはまた少し違う。レイアも精霊や大地のエネルギーをそのまま取り込めるが、ダークエルフは肉や魚、野菜など、動植物の物質的なエネルギーも取り込めるように――より人間や他の動物に近い形に自ら適応した種族だ。遥か昔の森林減少という過酷な状況において、エルフの始祖から進化した、ある意味ハイブリッドな種族といえる。彼らは、ほんの少しの肉や野菜や木の実だけで充分活動することができる。


 では、人魚はどうなのだろうか――? ヴァイスは先ほど川底で見た、干からびたミイラのことを思い出していた。おそらく人魚達は、人や動物の「肉」を物理的に食べるのではなく、動物の生体エネルギーそのもの、精の元を吸い取ってしまうのだろう。精霊に近い存在にとって、物理的な消化を経ずに直接エネルギーを摂取した方が効率がいいのは納得できる。第一、見目麗しい彼女達が血肉を貪っている姿というのは、あまり想像したくない……。

 とそこまで考えていたところで、ヴァイスの思考は人魚の声に遮られた。


「……ふふ、大丈夫よ旅人さん。あなた達のことは襲わないから」


 相変わらず歌うような美しい声でそう語る人魚に、ヴァイス達は早く向こう岸に着くことを祈るばかりだった。



*

 五人の心配をよそに、金の小舟は何事も無く岸まで辿り着いた。


「元気でね、旅人さん。東の王都は、もうすぐよ」


 人魚達は歌うような声でそう言い、手を振るとすぐに水の中に消えてしまった。


「東の大陸には、いろんな種族がいるんだね……」


 その後ろ姿を見送りながら、ノエルは少しぼうっとした表情で呟くのだった。



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◆冒険図鑑 No.19: 人魚族セイレーン

 上半身は人間の体、下半身は魚の体をもつ種族。空色の髪と空色の尾びれを持っている。人魚族の男性は非常に数が少なく、男人魚マーマンと呼ばれることもある。

 男性も女性も美しい歌声をもち、唄で船乗りを誘い出してはその精気を吸い取ってしまう。

 本来の寿命は長いが、空石伝説の人魚は人間の王子に恋をした結果、美しい声と寿命を失う代わりに人間と同じ二本の足を得た。

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