第九章 忍びよる牙

 フィルが宿に戻り一人部屋で横になっているところ、扉を叩く音とかけられた声で体を起こした。


「フィル、いるか? 飯食いにいこうぜ」


 扉を開けるとゴーシェが立っていた。心なしか表情が暗い。


「ああ、行こうか。どうしたお前、珍しく暗いぞ」

「うん? いや、何でもない」

「楽しそうにトニと出かけていったじゃないか。カトレアに振られたか?」


 客室のある宿屋の二階から、粗末な階段を降りているゴーシェの足が止まる。振り向くゴーシェ。


「なあ、フィル……」

「何だ?」

「……いや、やっぱ何でもない」


(何だ……? 調子狂うな)


 いつもと違うゴーシェの様子に何かあったかと思うフィルだったが、「背中に何も聞いてくれるな」と書いてあるようで、それ以上は追及しなかった。二人が宿屋から表に出ると、トニが待っていた。


「早く行こうよ! お腹ペコペコだよ!」


 暗いゴーシェに反して、いつも通りのトニ。ゴーシェは何も言わず酒場への道を一人先に進む。前を歩くゴーシェについていくトニに、フィルがたまらず声をかける。


「何かあったのか? アイツ」

「うん? 特に何もなかったけど」


 トニの様子からも何かあった感じはしない。


(まあ、どうせいつもの病気だろうから放っておくか……)


 ゴーシェはいつも馬鹿話をして元気だが、気分の浮き沈みが激しい所もあり、面倒な雰囲気を察知すると放っておくのがフィルの常であった。その大体が女絡みの話だから尚更だ。


 三人で馴染みの酒場『馬屋』に入ると、いつも以上の喧騒に包まれていた。

 大声で笑う傭兵達に、故郷の歌を歌う傭兵達など、客層が傭兵ばかりなのはいつも通りなのだが、ほとんど満席と思えるくらいの盛況だった。

 いつも座る奥のテーブルは辛うじて空いていたため、腰掛けると蜂蜜酒のボトルとジョッキを持ってエリナがやってきた。


「ずいぶん盛況じゃないか。何かあったのか?」

「いらっしゃい。何かって、フィルさん達と同じに砦攻めに参加してた傭兵さん達よ」

「……ああ」


 フィル達は砦からほとんど一番乗りで町に戻ったが、砦側では戦闘の後片付けや他の仕事などで残る傭兵もかなりの数がいた。店で騒いでいる傭兵達は、ほとんどが砦で一仕事終えて戻って来た者なのだろう。


「夕方からずっとこんな調子よ。こっちはお金をいっぱい落として貰えるからありがたいけど」


 エリナはそれだけ言うとカウンターの方に戻っていき、「忙しい忙しい」と言いながら店の中をパタパタと駆け回っている。


「何だ何だ、いい雰囲気じゃないか! 俺たちもガンガン飲もうぜ!」


 ゴーシェがさっそくといった感じにボトルの口をフィルの方に向けてくる。切り替えは早い男なので、先ほどの沈んだ表情はすでに無くなっている。


「大概にしとけよ。お前を担いで帰るのは面倒だ」

「まあまあ、大仕事が終わった後くらい楽しめよ。ここ数日はお祭りだろうよ」


(確かに仕事も一段落したところだし、コイツの言うとおり少しは遊んでもいいか)


 ゴーシェは陶器の器にドバドバと酒を注ぐ。三人は器をぶつけ合い、何度となく繰り返しているような光景が始まる。


「しっかし、こう毎日酒飲んでるんじゃ体が持たないな!」

「お前がそれを言うか?」

「今日は酒はほどほどにして、女でも買うか?」

「どうするかな」


 いつのまに注文したのか、皿に盛られた肉にかじりついていたトニがその手を止め、フィルの方をじっと見ていた。


「何だ? お前も買いたいのか?」


 トニの視線にフィルが言葉を返す。


「何で俺が女を買うのさ!」

「何でって、そういうのを知らない齢でもないだろう」


 トニが赤くした顔をふいっとフィルから背ける。


「まあまあまあまあまあまあまあ……、まだ子供なんだからそういう話はよそう」

「どうしたお前まで。というか何だ、その焦りようは。お前、さっきから何か変だぞ?」

「まあ何だ……。楽しくお喋りをしようじゃないか!」


 空元気を装っているのが見え見えのゴーシェが、手に持った器を掲げて誤魔化している。


(さっきから何だって言うんだ――)


「もう一度言ってみろ!!」


 フィルがゴーシェの様子を不審に思っていたところで、店の中央のテーブルから叫び声があがった。店内は一瞬静まり、周りの傭兵達も「何だ何だ」という様子で叫んだ男の方を見る。


「おうよ何度だって言ってやるよ!! テメエ等全員、腰抜けだってな!!」


 見ると中央のテーブルで飲んでいた傭兵達に、数人の屈強な別の傭兵達が絡んでいるようだった。絡んでいる方の集団の頭らしき男が続ける。


「テメエ等、砦の門あたりで雑魚相手にしてただけなのに、よくもそう調子こけたもんだな。笑えるぜ!! 敵のボスの首を取ってやるとか息巻いてた割には、結局グレアムの所に手柄全部取られてるじゃねえか!!」

「ざまあねえな!!」


 絡んでいる方の集団は、相手の集団を馬鹿にするように大声で笑っている。その集団の中、大声で喚く男にフィルはかすかに見覚えがあった。確か砦攻めで居館で戦っていた時に、後発で突入してきた傭兵達の一人だ。


「何だ、喧嘩か?」


 ゴーシェはトニと仲良く肉をかじりながら、呑気に様子を見ている。

 恐らくどちらもグレアムの傭兵団に雇われた傭兵達だろう。小規模の傭兵団同士の小競り合いというところか。前線であるリコンドールの町には数え切れない程の傭兵がおり、手柄を欲しがる組織間の争いが起きることは珍しいことではない。


 絡まれている方の傭兵達は皆若くどこか小奇麗で、新兵の寄せ集めという感じだ。恐らく夢多き若者達で構成されている新設の傭兵団なのだろう。


「絡んでる方も大概だけど、絡まれてる方の奴等も大口叩いちゃったんだろうなあ」


 相変わらず呑気に肉をかじりながら、目の前のいざこざを評価するゴーシェ。

 トニも初めて見る傭兵同士の争いに多少驚いているものの、ゴーシェの言葉に「なるほどなあ」とつぶやきながら、同じように肉をかじっている。


「傭兵なんかさっさと辞めちまって、荷運びにでもなったらどうだ? お前等もそう思うだろ?」


 絡んでいる方の集団は、周りの傭兵達に賛同を求めるように馬鹿笑いを上げる。


「言わせておけば!!」


 絡まれている方の一人の若い男が嘲笑に耐えられなくなったのか、相手集団に殴りかかる。

 その拳は身をそらした男に余裕をもって避わされ、空しく宙を切る。さらに避けた男が突き出した足にひっかかり、酒場の床に滑り込むように盛大に転がった。


 その姿を見て、更に大きな笑い声が上がる。


「この野郎!!」


 絡まれている集団の別の男が同じように殴りかかるが、これもまた避けられ、今度はお返しとばかりに返ってきたゴツゴツの拳を顔に受け、吹っ飛ぶ。殴りつけられた男は宙を舞い、次の瞬間には隣のテーブルに突っ込んだ。

 床にぶちまけられた皿やボトルが割れる音が店内に鳴り響く。


「何しやがる!!」

「ふざけんじゃねえぞ、クソが!!」


 とばっちりを受けた方の集団が怒号を上げて一斉に立ち上がり、殴り合いが始まった。

 店の中央では争いが争いを呼ぶように、巻き込まれた周りの集団が次々と立ち上がり、揉みあい殴りあいの乱闘騒ぎとなっていた。


「あちゃー」


 店の奥で遠巻きに見ていたフィル達のテーブルでは、「始まっちゃった」とばかりにゴーシェが困ったような声を上げる。


 店の中央で揉みあう集団に「ちょっと辞めてよ」とエリナが止めにかかろうとするが、その声も空しく騒ぎは大きくなるばかりだ。店内は喧騒から怒号に変わって騒がしくなり、周りで見ている傭兵達も喧嘩を止めるどころか「もっとやれ」と笑っている。


「おいどうする? 面倒事に巻き込まれる前に出るか? って、ゴーシェはどうした?」


 フィルは振り返るが、いるはずのゴーシェは姿を消しており、変わらない姿のトニが肉をむしゃむしゃと食べているだけだった。

 落ち着いた様子で咀嚼を続けるトニが「あそこ」という感じに、店の中央の方を指差すと、その指の先に乱闘に混ざって誰彼構わず近くの奴を殴りつけているゴーシェの姿があった。


「いや、お前……止めろよ」

「いや、まさか混ざりに行くとは思わなかったからさ」

「何で混ざりにいったんだ、アイツ」

「なんかエリナを助けなきゃ! とか言ってたけど」


 見ると、当のエリナは喧嘩を止めるのを諦めたのか、カウンターの方に戻り店中央の騒ぎを眺めているようだ。

 相変わらず中央で暴れる傭兵達に混ざっているゴーシェは、笑いながら適当な相手を見つけては殴り、と楽しんでいるように見える。


 卓上の器を持ち上げ、ゆっくりと酒を口に含むフィル。

 騒ぎは無理かもしれないがゴーシェを止めるべきかと店の中央を眺めていると、カウンター奥の扉から人が出てくる音がした。そちらを見ると、清潔な布で手を拭いながら店主のバトラスが出てきたところだった。


 その表情は、一言で言えば憤怒。

 その顔を見て、騒ぎにも気を取られずに肉をむさぼり続けていたトニの手も止まる。


「お、おい……」


 遠巻きにして野次を飛ばしていた傭兵達も、物言わず店の中央にずんずんと進んでいくバトラスの姿を見て、声を静める。乱闘騒ぎは一人、また一人と倒れ、残っているのはゴーシェを含めた五人。

 そちらに向かって歩みを進めるバトラスは、一番手前で背を向けた男の肩を掴み、男が振り返ると同時にみぞおちに拳を沈める。相手の男の体が浮き、音もなく床に倒れる。


 バトラスの登場に周囲の歓声は止み、周囲の反応に構うことなく距離が近い順番にバトラスが傭兵達を殴り、それぞれを一撃で沈めていく。最初に暴れだした体格のいい傭兵が、バトラスの前蹴りで店のドアを突き破り外に吹っ飛んでいき、最後に残ったのはゴーシェだった。


「お、オヤジさん……違うんだ、俺は止めようと――」


 必死に弁明しようとするゴーシェの言葉が終わる前に、体格に似合わない速度の拳がゴーシェの顎に叩き込まれる。ゴーシェはぐりんと白目を剥いて膝を折り、その体は静かに床に沈む。


「お前ら……」


 最後まで立っていたゴーシェが倒れ、店内はしんと静まり返る。その静寂の中――


「誰の店で暴れてやがる!!」


 バトラスの怒号が響き渡った。

 乱闘騒ぎで暴れていた者は全員意識を失って横たわっているため、答えるものはいない。

 周りで騒いでいた連中も、バトラスから目を背けるように自分達のテーブルを囲んで震えている。


(順番が違うだろうに……)


 そう独りごちながらも、巻き込まれないようにとバトラスから視線をそらしグラスを傾けるフィルだったが、背後にただならぬ威圧感を感じ、振り返る。

 そこにはバトラスが静かに立っていた。


「おい」

「オヤジさん……いや、俺は本当に違うんだ。ゴーシェが勝手に――」


 しどろもどろに答えを返すフィル。


「手伝うよな?」

「……え?」

「店の片付け。手伝うよな?」

「はい……」


 静かな声でフィルに語りかけるバトラスは店内を振り返り――


「お前らも関係ないふりしてないで、さっさと立て!!」


 再び店内に響き渡るバトラスの怒号。


「は、はいぃ!!」

「すいませんでしたぁ!!」


 我関せずを決め込んでいた傭兵達が次々と立ち上がる。

 次の瞬間には、ある者は床に散らばった割れた皿や器の欠片をかき集め、ある者は床にモップをかけ、ある者は倒れている傭兵達を店の外に放り投げ、と協力しながら店の掃除をする傭兵達の姿があった。

 最初に暴れだした傭兵達はというと、顔に容赦なくバシバシとバトラスの往復ビンタを食らって目を覚まし、割れた皿やなにやらを弁償するための代金を搾り取られていた。


(ひどい目にあったな……)


 倒れていたゴーシェは回収して、フィル達のテーブルの横に転がしておいたものの、目を覚ます気配がない。


 片付けが終わり、何事もなかったかのように店は営業を再開する。やれやれとテーブルについて再び酒を飲み始める傭兵達だったが、全ての傭兵がその晩はニコニコと不気味に笑うバトラスに散財させられた。

 今日は酒を控えめにしようとしていたフィルも、バトラスやエリナの強引な勧めにより、足取りがおぼつかなくなるまで飲んでしまった。


***


 酒場で一騒ぎがあった翌日。

 鼓動のようにズクズクと痛む頭を押さえながら宿屋の食堂で朝食をつついていたフィルの所に、顎を押さえながらゴーシェが階段を降りてくる。


「あー、痛え。これ骨にヒビいってんじゃないかな」


 顎をさすりながらフィルの横に座るゴーシェ。


「喋れてんなら大丈夫だろ。というかお前、まず謝れよ……」


 昨晩フィルはひたすら酒を飲まされていた中、ゴーシェは意識を失ったままだった。

 トニが「ゴーシェさん死んでんじゃないの?」と不安になっていたくらいだ。


「いやー、すまなかったよ。急に巻き込まれたもんで途中から楽しくなっちゃってさ」

「巻き込まれた、って自分から騒ぎにいったんだろ……?」

「最初はホントにエリナを助けようと思ったんだよ。騒ぎに混ざったら急に殴りかかられたもんだから、殴り返してたら段々と……ねえ?」


(何が、「ねえ?」だ……)


 昨晩もゴーシェを担いで帰ったフィルは、ゴーシェのお気楽な様子に多少腹が立つ。


「大概にしとけよ、ゴーシェ。この調子だとすぐに仕事に戻るぞ」

「そうだな、依頼を受けてるんだったら仕事するのもアリだな」


 意外な答えを返すゴーシェ。


「何だお前、急にやる気になったな」

「いやー、だってなあ……町にいるとバトラスのオヤジさんに見つかってどやされそうだからさ……」

「そういう理由かよ……」


 二日酔いのものではない頭痛にも悩まされるフィルだったが、さっさと仕事を片付けてしまうのは賛成だ。


「じゃあ今日にでも発つか? もう昼前だが」

「そうだな、数日で戻るんだったら大した準備もいらないだろう。そういえば、トニはどうした?」

「カトレアの仕事の準備を手伝うって昨日言ってたな。俺が起きた時にはもういなかった」


 二人が話している所に丁度良く、宿の扉を開けてトニが戻ってきた。


「あ、フィルさんおはよう。ゴーシェさんも大丈夫なの?」

「なんとかな。顎が割れてそうだが」


 トニが二人が座るテーブルにとことこと寄ってくる。


「ちょっと予定が変わるんだが、今日にでも仕事を始めようと思うんけど、いいか?」

「もう休みは終わりなの? 俺は退屈してたからいいけど」


 長い休みが欲しいと騒いでいたゴーシェの方をトニがちらりと見るが、顎をさすりながらはははと乾いた笑いを浮かべるゴーシェの表情から察したのか、それ以上は何も言わなかった。


「じゃあ昼にでも出発するか」

「分かった! 何か準備するものはある?」

「食料だけ用意するか。往復で四~五日のところだから大した準備はいらないだろう」


 再び「わかった!」とだけ答えると、準備のためにトニが宿の外に出て行く。砦の戦いで戦闘要員としても使えることが分かったが、雑務を進んでこなすため、段々とありがたい存在になってきた。


「トニが戻ったら出発するか」

「あいよ」


 相変わらず顎をさするゴーシェが短く答える。


(もしかしてコイツより、トニの方が役に立つんじゃないか……?)


 フィルはそんなことを胸の内で独りごちる。


***


 今回、アランソンから受けた任務は以前行ったものと同様だった。

 グレアム傭兵団は砦攻めに成功した後、その砦周辺の魔物の掃討を行っているとのことだったが、砦にはほとんどの団員を残しているため、そちらの対応は身内でまかなえる、ということだ。


 ガルハッド国は、ベルム城の攻略に向けた動きの他、リコンドールの町から南東側方面の開拓を同時に進めており、そちらの対応が手薄になっているため今回の話がフィル達に依頼された。聞いた話によると、魔物により分断され国交が閉ざされた南東側の国――山人領に向かって勢力を伸ばそうとしているらしい。


 そんなわけで、フィル達は南東側に向かって町を出た。

 前回の依頼の際は、明確な目標地点があったものの、仕事を終えたばかりのフィル達に気遣ったのか、アランソンからの依頼は周辺地域の調査のみだった。勿論、魔物の掃討と調査報告はするようにと念押しされたものの、指示された地域の調査が主目的なので楽なものだ。

 ゴーシェの方は昨晩大して酒を飲んでいないからか、もしくは昨晩の失態の引け目から真面目に仕事をする姿を見せるアピールをしているのか分からないが、進む足が速い。


「今日はどこまでいくの?」


 ゴーシェに先導される形のフィルにトニが声をかけてくる。


「そうだな。状況次第でいいと思ってるが、森を抜けて南に進んだところに村があるらしい。まずはそこに向けて進んでいこうと思う。今日中には無理だろうから途中で野宿だな」

「分かった!」


 トニが元気良く返事を返してくる。いつも元気なのは構わないことなのだが、昨晩の酒が残っているので頭に響く。

 一行は森と森の間の小道を徒歩で抜けていった。リコンドールの町の東側は森を抜けた先に荒野が広がっているが、南側は森林地帯が続いている。ゴーシェは相変わらず、森の歩き方や索敵のコツをトニに教えながら先を進んでいく。


 道中、魔物に出くわすことが数回あったものの、いずれも小規模なゴブリンのキャンプであったため、労することなく倒し進んでいった。ここでもゴーシェはあえてトニを前に立たせ、魔物との戦闘の経験をさせているようだった。トニも砦の戦いで大分肝が座ったのか、落ち着いた様子で危なげなく剣を振るっている。


(短期間で中々いい連携になってきたじゃないか……)


 ゴーシェとトニの二人が頑張るので、フィルの出る幕はあまりなく、かつ足取りは軽く思ったよりも進んだところで野宿をすることにした。


「中々いい動きだったじゃないか。もう十分戦力になるな」

「そうかな? 嬉しいな」


 野宿の準備を終え、三人は火を囲んでいる。


「弓ができたらそっちも仕込んでやらないとな」


 ゴーシェも弟子の成長に満足げな様子で、鼻の穴を膨らませている。


「この調子だと仕事を終わらせて帰っても予定より早いだろうけど、ヴォーリの所に顔出してみるか」

「うん!」

「俺の剣も仕上がりが楽しみだな。砦のゴブリン、かなりの強さだったからな」


 昨日の喧騒が嘘のように静まる森の中で、三人が談笑する声が響く。


***


 翌日、早朝から元気なゴーシェに牽引され、日が傾こうとする頃には目標地点としていた廃村に着いていた。森の道が終わり、過去に開拓されたような土地にその村はあった。


 三人は足を止め、森の中から村の様子を伺っている。平地に広がる村は高低差がないため、中の状態は遠目からでは分からなかったが、ゴーシェがその様子を口にする。


「妙だな。魔物がいる気配がない」


 ゴーシェが「妙」と評した理由はフィルにも分かる。遠目から観察しているので何とも言えないが、村には確かに魔物がいる気配がしない。魔物が廃村に巣食っていないのは確かに妙だった。

 この地域一帯は、過去に魔物侵攻で蹂躙されており、魔物は人が住まうような場所――水が十分にあり、雨風をしのげるような場所を好む。家屋が建ち並ぶ村などは魔物にとっても縄張りとするのに絶好な場所であるはずであり、そんな場所に魔物が全く巣食っていないのを、フィル達は見たことがなかった。


「確かに妙だが、見ていてもしょうがない。中を調べてみよう」

「おう」


 フィルとゴーシェが先行し、念のためにとトニには少し後をついてくるように指示した。

 魔物の気配はしないものの、家屋に身を隠しながら慎重に二人が進んでいく。しかし進めば進むほど、やはり村に魔物がいないように思えてくる。村に入り少し進んだところで、家屋の中を覗いたゴーシェがフィルに声をかける。


「フィル、中を見てみろ」


 ゴーシェの指示に従い、壊れた窓の隙間から家屋の中を覗くと、中に横たわった魔物がいた。正確には、血を流して横たわっている魔物を、だ。

 中に動くものがいないことを確認し、扉だったのであろうぽっかりと空いた枠内に足を踏み入れる。


「一体、どういうことだ」


 フィルは建物内を見回すが、外から見た様子と変わらず中に変わった様子はない。

 唯一変わった部分は、家屋内の中央に一体の魔物の死体が転がっていることだ。絶命して随分と経つのか、ひどい腐臭がする。

 臭いに構わずに、魔物の死体をゴーシェが調べているとトニが追いついてきた。


「くさっ! 何この臭い!」

「この跡……獣の噛み跡に見えるな。食い散らかされている」


 魔物の死体が食い散らかされている様子を見るのも、フィル達には始めてのことだった。

 魔物同士での共食いなど聞いたことがない。ましてや、普通の獣が魔物を食い殺せるとも思えないし、そもそも襲い掛かることすらしないだろう。


「いよいよ分からないな。とにかく村の中を見て回ろう」


 その後も三人で村中の家屋という家屋を見て回ったが、同じように魔物の死体が点々と転がっているだけだった。一箇所に数十体の死体が転がっている場所があったくらいで、やはり村の中に生きた魔物はいなかった。


「念のために確認するけど、このあたりを調査するのは初めてなんだよな?」

「アランソンが言うことが正しいならな。それを置いておくとしても、これは異常だ」

「そうだな」


 フィルとゴーシェが「異常」と考えるのは一点、魔物を襲う者が人間以外にいる、ということだ。


「どういうことだい?」


 イマイチ状況が理解できていないトニが、二人に声をかける。


「魔物を襲う獣がいる、ってことだ」

「そんな獣いるの? 熊とか?」

「熊が魔物を襲ったなんて話も聞かないな」


 獣であれ、人間同様に魔力を持たない。魔物に致命傷を負わせることは困難だろうし、警戒心の強い獣が村に巣食っている魔物をわざわざ襲うというのも現実感がない。

 フィルが端的に答えたことに、少し間をおいてトニもピンときた顔になる。


「獣みたいな魔物がいるってこと?」

「そう考えるのが妥当に思えるな……」


 今まで人間が戦ってきた魔物は、ゴブリンとオーガのみだ。

 時に強い魔力を持った異形とも思える固体がいるが、基本的にはこれらと変わらないものであり、魔物は二種と認識されていた。


「もし本当にそんな種類の魔物がいるとしたら、とんでもないな」


 ゴーシェがそう言うのは、人間からはほとんど未知の存在である魔物の一端が発覚したことになるからである。

 大陸に魔物が現れてから、何十年もの年月が経っている。過去の歴史では交流のあった、旧帝国を含めた大陸東側の国々も遠い昔にその安否が分からなくなっている。つまり、人間からすると魔物という勢力の実態が全く分からないのだ。


 普段、傭兵団などから依頼を受けるままに仕事をこなしている傭兵達からすると、そんな途方のない話は気にもしないが、目の当たりにすると実感するものだ。


「それでどうする? すぐに戻って報告するか?」

「報告するにしても、これじゃ全く状況が分かっていないのも同然だ。もう少し調べていく必要があるだろう」


 落ち着かないゴーシェに、フィルが改めて調査をと言い切る。


「じき日も暮れる時間帯だ。危険かもしれないが、今夜はこの村に留まろう」


 フィルの言葉に、他二人がこくりと頷く。


 三人は村の中を見回っている間に見つけた、元は教会だったのであろう建物で夜を過ごすことにした。建物は石造りで中に広い空間があり、壁が打ち崩されている場所があるものの、中で火を炊いても問題ないだろう。

 建物内に残っていた壊れた木の椅子などを集めて、トニが火を起こしている。それを見守りながらも、フィルとゴーシェには緊張感がある。談笑しながら過ごした昨晩とはうって変わって、ひりついた空気が建物内に漂う。


「気持ちは分かるけど、休まないと!」


 建物の外の気配を探ろうと警戒を弱めない二人に、トニが声をかけてくる。


「確かにその通りだな」

「まさかトニに気を使われるとはな」


 二人の緊張が少しほぐれる。


「なんだよ、その言い方! 昨日はもう一端いっぱしの傭兵だって言ってたじゃないか!」


 トニがあげる不平に二人は声をあげて笑う。火のそばに腰を降ろすと、トニが荷物から出した干し芋や干し肉といった保存食を受け取り、口にする。


「今夜は俺とゴーシェで見張りをやる。トニは休んでおけ」


 状況が状況だけにトニを見張りから外すことにしたが、トニの方も察したのか何も言わずに頷く。


「先に俺が見張りをやるから、交代でゴーシェが――」

「いや、待てフィル。その話をするのは早い」


 フィルの言葉を打ち切り、狩人の顔になったゴーシェが静かな声を出す。


「どういうことだ?」

「声を落とせ。恐らく、囲まれて・・・・いる」


 外の音。夜の風が森の木々を揺らす音に紛れ、何者かがかなりの数で村に入り込み、フィル達のいる建物を囲んでいることをゴーシェが察知していた。


「敵か?」

「多分な」

「ホントに敵なの? ここについてまだそんな時間も経ってないよ?」


 トニが珍しく怖がった様子でゴーシェに聞き返す。


「もう日も落ちて外は真っ暗だ。気付かなかったが、恐らく見られていたんだろう。村から出なかったのは正解だったかもな」


 未知の魔物に暗闇の中で襲われたら大変だ、というようなことをゴーシェが呟く。


「トニ、お前は俺の弓を使え。前には出るなよ」

「うん……」


 そう言い脇においていた弓と矢筒をトニに渡すと、立ち上がって両手に剣を抜き放った。


(――もう来るのか?)


 ゴーシェの動きを見て、フィルも立ち上がり、剣を抜き放ち小盾を手にする。気配察知を可能とするフィルより先に敵の存在に気付いたゴーシェに改めて驚かされながらも、戦闘態勢を取る。

 焚き火の灯りに薄暗く照らされる建物内、ゴーシェが入口に向かって立つ。


「――来るぞ!」


 ゴーシェが声を上げるのとほぼ同時に、建物の扉を突き破り複数の黒い塊が飛び込んできた。その内、一体ずつがフィルとゴーシェのそれぞれに飛び掛かり、交錯するその瞬間に剣を振りぬいた。


 二人の一閃で絶命しながらも、飛び掛かった勢いで血を流しながら建物を転がる死体。

 それは、狼の姿・・・をしていた。


 後方に落ちるそれらの死体をちらりと確認しながらも、すぐに前方に視線を戻す。そこに対峙しているのは何体もの黒い狼。いや、正確には狼より二回りも大きい、全く別の何かだった。


(狼の姿をした魔物……?)


 考える間も与えないというように、対峙した次の瞬間には唸り声を上げながら襲い掛かってくるそれらを、フィルとゴーシェの二人は交錯する毎に切り捨てていく。トニも後ろから矢を射るが、どれもすんでの所で避わされている。


「トニ、剣にしろ! 守りに徹しろ!」


 ゴーシェの指示が飛ぶ。


「こいつら一体一体は大したことないぞ!」

「数が問題だがな!」


 フィルの叫びにゴーシェが返す。ゴーシェの言うとおり、間髪いれずに襲い掛かってくるそれらは際限がないように思える。


「うわっ!」


 建物の正面からではなく、後方の崩れた壁から飛び込んできた狼に、トニが声を上げる。

 すぐさまトニに襲い掛かるが、間一髪というところで突き出した剣で、それの頭部を貫く。


「ちっ!」


(後ろからも来るか……)


 フィルの舌打ちに応じるようにゴーシェが後方に回り、フィルとゴーシェの二人で背中合わせにトニをはさむような位置取りとなった。


 再び前後から襲い掛かるそれらを、一刀のもとに切り捨てるが、数が多く反応が間に合わない。何体か、後方に抜けていくことを許してしまうが、落ち着きを取り戻したのか、トニが対応している。

 何十体の獣を切ったか分からないが、その攻防を繰り返した後、前方の獣達は唸り声をあげ続けているものの、警戒しているのかすぐには飛び掛かってこないようになった。


(攻めるのを躊躇っているのか……? いや――)


 フィルの淡い期待を裏切るかのように、建物の入口から巨大な黒い塊がのっそりと姿を現した。

 それもまた黒い狼だったが、他の獣達とは大きさが明らかに違っていた。


(なんだコイツは……? オーガなんか比にならないぞ……)


 初めて見る巨大な獣にフィルが戦慄する。

 四足で立っているはずの獣の顔の位置が、フィルの顔の高さと変わらない位置にある。


「ゴーシェ!」


 後方の獣の相手をしていたゴーシェがこちらを見て唖然とする。


「おいおい、何だよそいつは……。群れのボスってか?」


 呆れたような感想をそれぞれに述べる二人の声を打ち消すように、巨大なそれが地の底から響くような唸り声を上げる。

 そして、フィルに向かって突進する――


「トニ! 避けろ!」


 大きさに似合わない速さで駆けてくる巨大な塊を横に飛んで避けながら、フィルが叫ぶ。

 この重量は受けきれないと判断しての回避だ。


 飛びながら後方を見ると、巨大な獣を前にして固まってしまったのか、足を止めているトニが見える。


(しまった――)


 受けることをリスクと感じ回避を選んだことを、すぐさまに後悔した。


 動けないトニに、大口を開けて唸りながら飛び込む巨大な狼。


 あわやトニがその牙の餌食になるというその瞬間、横から飛び込んだゴーシェに蹴り飛ばされてトニが床に転がる。


「がっ!」


 トニを攻撃の射線上から外した後、同じ方向に回避しようとしたゴーシェだったが、敵の爪を背中に受け、苦悶の叫びを上げる。


「ゴーシェさん!」


 引っ掛けられたように食らった攻撃だったが、回避するために飛んだその勢いでゴーシェが床に転がる。飛び込んだ勢いから後方からこちらに向き直る敵に対して、すぐさまフィルが追いつき正面に対峙する。


(受けたらダメだ――)


 重量感のある突進を見て、敵の側面に回るようにフィルが動く。

 瞬発的に飛び込み、横っ腹を切り上げるフィルの剣だったが、手応えは浅かった。針金のような堅い毛に守られ、薄皮一枚を切りつけたような感触だった。


「ゴーシェ! 無事か!」

「大丈夫だ! マトモには食らってない!」


 向き直る余裕がなく、後方に声をかけるフィルだったが、ゴーシェからは応答がある。

 幸いなことに群れのボスらしき巨大な狼の猛威を恐れてか、周囲を取り巻いている獣達の動きはない。


「ゴーシェ、囲むぞ! 動けるな!」

「おう!」


 正面から側面に回る動作で注意を引きながらフィルが叫ぶ。

 丁度、敵から死角になるようなタイミングで、ゴーシェもまた横から切りかかる。ゴーシェの攻撃もまた有効打にならなかったようだが、巨大な狼が苛立ちを唸り声を上げる。


 フィルとゴーシェはそれぞれ交互に攻撃を繰り出し、注意を引き付けあう。しかし、攻撃を受けながらもその牙や爪を向けてくるその敵は、弱った様子が見えない。


(……効いてないのか?)


 まるで鎖帷子くさりかたびらを着込んでいるような丈夫な毛皮が、フィル達の攻撃を肉まで届かせていないように思える。

 攻撃を繰り返しながら、二人とそう遠くない位置のトニの様子を見るが、幸いなことに周囲の獣達からの攻撃には対処できているようだ。


 敵を挟んでフィルの反対側にいるゴーシェもまた、動きづらそうにしている。

 ゴーシェの片方の剣は防御用に帯刀しているだけの、通常の刀剣だ。そっちは確実に攻撃には使えないだろう。


 二人で囲んでいる状態だと、敵があまりに巨大だとしても、攻撃には対処できているが、互いに決定打のない膠着状態となってしまった。


 そんな中、ゴーシェの叫びが響く。


「フィル!」


 ゴーシェは呼びかけの後、意を決したように敵の後方から飛び込むように深く入り込み、地面をさらうような低い軌道で後ろ足に切り込む。


 その攻撃がまともに入ったのか、巨大な狼がバランスを崩し、苦悶の声と共に一瞬動きを止める。

 ゴーシェの掛け声にタイミングを合わせるように、フィルも狼の首元に上段からの斬撃を振り下ろす。


(これも浅いか……?)


 手応えは確かにあったが、僅かにそらされた。

 しかし、それた攻撃は顔を切り裂き、片目から血を噴出した敵がのけぞる。


(ここだ――)


 好機と見たフィルは左手に持った小盾を放ると、両手で柄を力強く握り、敵の喉元に向けて突っ込む。

 フィルの刺突が敵の喉を貫く。


「うおおおおおお!!」


 雄たけびを上げながら、柄を引き絞る。

 刀身に集中した意識が魔力のものと思える光となり、そして確かな手応えとなって返ってくる。


 そのまま、敵の首元に深く刺さった剣を地面に打ち付ける様に、――振り抜く。


 喉を深く裂かれた巨大な狼は声を上げることも許されず、大量の血を噴出しながら小さな身震いをした後、ゆっくりと足を折るようにして崩れ落ちた。


 地面に膝をつくフィルの目の前に、倒れこんできた巨大な狼の頭が現れる。

 その目からは光が失われており、フィルは敵の沈黙を確信する。


「……やったか?」


 巨体の奥からゴーシェが声をかけてくる。

 息を荒げながら立ち上がるフィルには、ゴーシェに言葉を返すような余裕もない。


「フィルさん!」


 トニが駆け寄ってくる。


「敵が逃げてくよ!」


 トニの声にハッとなり周りを見回すと、遠巻きにして唸り声を上げていた獣達が、こちらの姿を見て撤退していくのが見える。


(魔物が逃げていく……?)


 魔物との戦いではありえない光景を、血を滴らせる剣をしっかりと握りながら、フィルは呆然と眺めていた。

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