第一章 傭兵業
「旦那、起きてください」
軽く肩を叩かれ、かけられた声にフィルははっと目を開ける。
目の前の地面には焚き火がぱちぱちと音を立てながら揺れ、フィルの横には先ほど声をかけてきた小男が立っていた。
くせのついた短髪の赤毛をぐしゃぐしゃとかき上げながら声がかかった方にフィルが目線をやると、小男は呆れたように言う。
「こんな時に寝ちまうんですか? 全く肝が太い方ですな……」
おどおどとした様子で汗を拭う小男の名前はオズモンドと言う。
「ゴーシェの旦那が戻ってきました。近くに奴らのキャンプがあるみたいです」
オズモンドが続けて言うと、フィルはその奥にいる男に気付いて目をやる。
フィルの視線に気付いた男が、こちらに気付いて少し呆れたように苦笑いを返してくる。
男の名前はゴーシェと言い、少し長めの黒髪を後ろに流した髪型で細目のシルエットを持つ優男だ。
周りの反応を気にもしない素振りでフィルはふっと立ち上がる。
「じゃ、支度するか」
焚き火を囲んでこの場にいるのは、フィル、ゴーシェ、オズモンドの三人。
目的地の村まで半日という所だったが、日が暮れてきたこともあり三人は野営の準備をしていた。
その準備をオズモンドによろしくと丸投げし、木に寄りかかってウトウトとしていたフィルだったが、ゴーシェも少しの間単独で行動していた。
元々、狩人を生業としていた彼――ゴーシェはここまでの行程での森の様子が気になると言い、周辺の様子を見て戻ったところだった。
そして彼の予想通り、近くに敵のキャンプがあることが分かった。
「道なりに少し進んだ森の中にキャンプがあった。遠目で見た感じだが、数は十程度ってとこだな」
ゴーシェがそう言うと、依然おどおどとして目を泳がせているオズモンドが念を押すように言う。
「雇っていただいた時にも言いましたが、旦那方でよろしくお願いしますよ」
案内役の非戦闘員として雇っていただけのオズモンドだった。
端から戦闘の要員に数えようという考えはなかったフィルは、彼を一瞥し淡々とした様子で言う。
「戦わないにしても付いて来い。単独のやつが近くにいないとも限らない」
「……分かりました」
出立の準備のために、肩の部分までを保護する胸当ての鎧をつけながら言い放つフィルに対して、オズモンドは諦めたように返し、そうして三人は移動を開始した。
***
木の枝葉で音を立てないように身をかがめながらフィルとゴーシェが森の中を進む。
少し遅れるようにしてオズモンドが続くが、ちゃんと付いてきているようだった。
森の外からは分からなかったが、進むにつれて奥の方の少し開けた場所に火の灯りが見えてきた。
焚き火の周りにギャギャギャと笑う魔物――数体のゴブリンが、何が楽しいのか馬鹿騒ぎをしている。
地面に突き立てた細長い木にボロボロの布を乱暴にかぶせたような粗末なテントが四つあり、それぞれのテントの中心に焚き火。火の周りに六体、テントの更に外側となる手前、そして奥にそれぞれ一体ずつのゴブリンがいた。
テントの外側で周囲を警戒している二体は、歩哨の役割ということだろう。
足音を忍ばせながら共に進んでいたゴーシェが敵のキャンプの手前で静止の合図を出し、フィルも了解の意を返した。
月が出ている夜だが、森の中であるため月明かりは届かず辺りは真っ暗だ。
そのためフィルとゴーシェの二人は、暗闇の中でもお互いの動きが分かる程の近い距離にいる。
オズモンドも前を進む両名が止まったことに気付いたようで、フィルが後ろを見やると目の届く範囲で木の後ろに隠れていた。
フィルが腰に付けていた小盾を持ち、音もなく剣を抜き放つ。
背負っていた弓を静かに構えたゴーシェが、フィルの合図を確認した後、ひゅっと矢を放った。
矢は風を切りながら真っ直ぐに飛んでいく。
手前側に立っていた一体の見張り役のゴブリンの首元に放った矢が吸い込まれるように刺さると、一瞬の静止の後、声を上げることもなくゴブリンが崩れ落ちた。
地面に倒れたそれが動き出さないことを確認し、フィルはゴーシェに対して目線の合図を送ると、キャンプの中心に向かって走り出した。
フィルは静かに、そして無駄のない動きでキャンプの中央に向かっていく。
新たな矢が、走るフィルを追い抜いていき、焚き火の周りにいる別の一体のゴブリンの首に突き刺さる。
フィルは真っ直ぐ敵に向かわず、立ち並ぶ一つのテントの後ろに周りこむ。
テントの裏から飛び出す格好で、急な矢の襲撃を受けたことで慌てて立ち上がったゴブリンの一群の前に出る。
柄を握る力を強めると、後ろ向きに立っているゴブリンに対して
一閃で首を飛ばされたゴブリンから鮮血があがり、目の前に突如現れた襲撃者に残りのゴブリンが対峙する。
体の外側に剣を振り抜いた姿勢のフィルは、盾を突き出すような形で残った敵に向かって構えた。
首をなくしたゴブリンの体が崩れ落ち、警戒を
先ほど矢を受けた一体はぴくぴくと動きながらも倒れたままである。
襲撃に応対しようとする四体のゴブリンは自らの獲物――刃渡りが三十センチほどの短剣やそれより一回り大きい直剣を構えるが、臨戦態勢を取ってすぐ、フィルの右方向から再度襲ってきた矢がまた一体のゴブリンの首に突き刺さる。
矢が刺さったゴブリンは衝撃にひるむものの倒れはせず、攻撃を受けた方に怒号を上げて走り出した。
「ギアアアアアアアアアア!!」
一体のゴブリンがフィルの視界から出ていく。
目の前に対峙した三体は、ギギギと警戒の声と荒々しい呼吸音でこちらを威嚇している。
フィルは一番手前にいる固体に向かって間合いをつめると、体の内側に引いた小盾で裏拳を叩き込むように殴りつけた。
構えていた短剣ごと顔をぶちかまされたゴブリンはひるむんで後方に下がるが、小盾に追いつくように上段から切り下ろされる直剣により、体を斜めに分断される。
片半身を失ったゴブリンはそのまま崩れ落ち、吹き出した返り血が再びフィルに降り注ぐ。
すかさず残った二体を見ると依然こちらに注意を向けているが、攻めあぐねているのか警戒の態勢のままだ。
改めて対峙した後、一瞬の静止があるものの、右方の視界の外から飛び込むように襲い掛かるゴーシェの刺突により一体が首を貫かれた。
ゴーシェは前蹴りの勢いで刺さった剣を引き抜き、そのままの勢いでもう一方のゴブリンを上段から切り落とす。
フィルの左方から別のゴブリンが単体で走ってくるのが見え、敵が片付いたことでそちらに向き直ると、突き出すように盾を構える。
少し引いた剣をこちらに向かってくる敵のタイミングに合わせて大きく振り下ろし、その体を断ち切った。
先ほど敵と対峙していた後方に向き直ると、ゴーシェが逆手に持ち直した直剣で矢を受けたゴブリンに止めを刺していた。
「これで全部か?」
剣についた血を振り払いながらフィルが聞くと、ゴーシェも同様に乱暴に剣を振って血を払い、「多分な」と笑いながら剣を収めた。
念のためにと警戒を解かぬまま、フィルたちがゴブリンたちの左耳を削いでいると、オズモンドが怯えた様子できょろきょろとしつつ森から出てきた。
「いやあ旦那方、流石ですね……旦那方が走り出したと思ったら終わってましたよ」
「小規模なキャンプだったからな。村に巣食ってる連中の規模だとこうはいかないだろう」
削いだ耳を皮の小袋に収めながら、フィルがそう返す。
ゴーシェは薄汚れたテントの一つ一つの中を見て回っているが、金目のものがなかったのかテントの支柱を蹴っ飛ばしている。
「さて、戻るか。明日は目的地の村を見つけるぞ」
そうして三人は野営の準備をしていた場所まで戻っていった。
***
「いるな」
「いるねぇ……。うようよと」
「ゴーシェ、見えるか? 監視台の下のところだ。あれオーガじゃないか?」
「多分そうだな」
昨晩の野営地点を早朝に発ち、森の中の道を進んでいた一行だが、昼前といった頃合で開けた場所に出た。
森を出たところの道は下り坂になっており、眼下に平原が広がる。
その平原の少し奥に見える村――正確には廃村だが、二人は村の中を徘徊する魔物たちを評している。
遠くに見える廃村が今回の目的地である。フィル達は傭兵団から、現在地周辺の調査および魔物が巣食っている場合の討伐の依頼を受けている。
依頼元の傭兵団はかなり規模の勢力を持っており、フィル達がいるガルハッド国からの依頼を受け、魔物に占拠された砦の奪還を行っている最中である。
傭兵団の本隊は、現在フィル達が討伐に向かおうとしている村の、やや北東に位置する砦の攻略に向かっている。
傭兵団がフィル達のような傭兵を下請けとして雇っているのは、魔物の生態――というより行動パターンに起因する。
魔物にもその力の
しかし、多くの魔物は少数のグループ単位で縄張りを持っており、各地に散らばっている。そのため今回、傭兵団が魔物が占拠する地域を侵攻するにあたり、その周辺の魔物が巣食いそうな場所に下請けの傭兵を派遣しているわけである。
フィル達が一つの村に向かっているように、同様な依頼を受けた小規模の傭兵団およびフリーの傭兵が、それぞれ別の場所の調査を行っている。
つまり、本隊となる傭兵団が数百人規模で目的の砦攻略を行っている間、フィル達には目の前の廃村の対応が依頼された、というわけだ。
「で、どう攻めるかね?」
ゴーシェの問いかけに、フィルは少し考える。
「監視台の上に弓を持ったやつがいる。馬鹿正直に正面から行ったら見つかって騒ぎになるだろうな」
「そうだな」
ゴーシェは特に感情もないように肯定するが、面倒そうな素振りを見せるだけで嫌な顔はしない。
村の規模から見て、恐らく敵は三、四十程度の数だろう。さらに見えている中では、複数体のゴブリンの他、オーガが一体だけである。
基本的にゴブリン種はゴブリン種のみ、オーガ種はオーガ種のみ、という集団を形成することが多いが、固体としての強さを持つオーガは自分より下位のゴブリンを統率することもあることが分かっている。
恐らくオーガはいたとしても二、三体程度だろう。
フィルは馬鹿正直にと言ったが、ある程度の規模のゴブリンの集団を真正面から相手取るのは、フィルとゴーシェの二人にはそう難しい話ではない。
少なくともオーガが見えていることをリスクと見て警戒すべきだというのが、無言の中での二人の合意である。
どうしたものかと考える二人にオズモンドが割って入る。
「旦那方、横からすいませんが、あの村は奥側が森に接しています」
「なるほど。となると、後ろから攻めるか? ここからだと森をぐるっと回らないといけないから少し手間っちゃ手間だが」
(夜まで待って闇に紛れて動いてもいいが――)
フィルはふとそう思うが、ゴブリンは人間と比べ夜目が効くため、さほど意味はないだろうと思い直した。
「よし、後ろから攻めるか」
フィルの言葉に二人とも異論はないようで、頷き返す。
「して旦那、私はどうすれば――」
「一緒に来たほうがいいだろう」
「はい……」
フィルが即答すると、オズモンドは諦めたように頷き、三人は開けた平原を迂回するように森の中を歩き始めた。
***
森の中から村を見ると、村の周りに木でできた防護柵が巡らせてあり、尖った部分がこちらを向いている。
前の住人である村人が作ったものかも知れないが、恐らく縄張り意識を持つゴブリン達が後付けで作ったものだろう。
「ここからだと監視台のやつが狙えないな」
「まあ仕方ないだろう。最初は隠密行動でいくから狙えそうだったら狙ってくれ。乱戦になったら……まあ、任せる」
「……了解」
フィルの適当とも思える指示にゴーシェが肯定した。
互いに気ままな傭兵をやっているため、基本的にやり方には干渉をしない方針だ。
「では、旦那方。あたしはここで」
フィルとゴーシェの二人は無言で頷くと、走って柵を乗り越え、家屋の壁に張り付いた。
壁越しに安全を確認しながら、ゴーシェが弓に矢をつがえた状態で先行する。
村の裏側から侵入すると、昼間だからだろうか活動しているゴブリンが少ないように思えた。
かつ、このあたりのエリアへの侵攻は今回の傭兵団の依頼が初めてとのこと――そのためにオズモンドのような案内人を雇っているわけだが――なので、魔物側の警戒も薄いのだろう。
二人は隠れながら監視台が射線に入るところまで向かう。
走っては壁に取りついて、という行動を繰り返した後、壁の向こう側を覗き込んだゴーシェが静止のサインを出す。
フィルが追いつくと、前方に単独で歩いているゴブリンが見えた。
ゴーシェが弓で狙いをさだめたところでフィルがターゲットに向かって走り出した。ゴーシェの矢がゴブリンの頚椎あたりに刺さり、その直後フィルの剣が首元に突き刺さる。
矢の一撃で沈黙するとも限らないため、確実に止めをさしながら進む。
開けた場所でなければ、このやり方で確実に数を削っていける。
廃村になって何十年も経っていないと思うが、家屋は壁が崩れていたりと酷い状態だ。
壊れた壁の隙間から家屋の中を確認しながら進むと、中に眠っているのであろう数体のゴブリンが見えた。
音を立てずに進入すると、フィルとゴーシェのそれぞれが剣を逆手に持ち、静かに敵の息の根を止めていく。
少数で行動をしているものや、家屋内にいたものを屠りながら進み、二十体弱のゴブリンを始末したところで、監視台が狙えるポイントまで来た。
監視台の上にゴブリンが一体、弓を持って周囲を警戒しているようだ。
下には先ほど遠目で見えていたオーガと、八体のゴブリンが見える。それぞれ意味があるとは思えない会話や行動をしているように見えるが、巨体のオーガの脇には刀剣の類であろう巨大な獲物が見える。
壁に隠れながら二人は目で合図し合うと、間を置いてゴーシェが狙いをつけ弓を引き絞る。
監視台の敵を射った際、下の魔物達に気付かれる可能性が大いにあるため、矢を放った後すぐに突入する構えである。
キリキリと弓を引く音がひゅっと風を切る音に変わった瞬間、フィルが家屋の影から飛び出した。
監視台の上のゴブリンは矢を受けた後、台上から落下している。
落下したゴブリンがどさっと地面に叩き付けられた音で異変に気付いた魔物の中の一体が、走って向かってくるフィルの姿を見つけ騒ぎ出した。
オーガ、そしてゴブリン達が立ち上がるが、一本、そしてもう一本と射ち出される矢を受けたゴブリンが倒れる。
ゴーシェは矢を撃ち終え、フィルに追走してくるようだ。
「でかいのは俺がやる! ちっこいのは任せた!」
「了~解!」
弓を背中にしまったゴーシェが抜き放った剣を両手に持ちゴブリンの群れと対峙するが、何体かはフィルの方に威嚇をしている。
向かってこられた時に対処すればどうとでもなるため、フィルは見上げるようにオーガと対峙する。
目の前に立つオーガは巨体だ。人間だったら高いほうか、と言うくらいの身長だが、盛り上がった全身の筋肉――特に肩の筋肉のせいか、ただならぬ威圧感を放っている。
刃渡りが一メートルほどあり、
(どこから持ってきたんだ、そんなデカい剣……)
フィルはそう独りごちるが、目の前のオーガは怒号のような咆哮を上げる。
「グオオオオオオオ!!」
荒ぶる仁王立ちの獣を前に、フィルはいつも通り冷静に構えを取った。
横では魔物の群れをするする抜けていくように、一体、また一体とゴーシェがゴブリンを切り捨てていくのが見える。
先ほどまでフィルを警戒していたゴブリンもゴーシェに向かっていくが、オーガの方は変わらずフィルに注意が向く。
フィルが斬りかかるために間合いをつめようと動き出すが、オーガが巨大な刀剣を横殴りに振るう。
攻撃を放つ所作を見て取ったフィルは、前に出る足を止め、軽く後ろに飛んだ。
フィルの胸の少し前の空間を、鉄の塊が通りすぎていく。
盾で受けたとしても、自重ごと持ってかれそうな重量感である。
オーガが剣を振り回してはフィルが避け、という動きを繰り返したところで、フィルの動きが変わる。
(鈍いな――)
オーガが外側に剣を振った瞬間、フィルは前方に向かって一気に間合いをつめる。
急に詰め寄ってくる相手に驚いたように、振り抜いた先――上段から剣を振り降ろそうとするが、すでに懐に入っていたフィルの下方向からの斬撃を腕に受ける。
「ふっ!」
フィルの掛け声と共に、女の腰周りほどありそうな太さの腕が、血飛沫と共にはね上がる。
フィルは相手の脇の下をくぐりながら切り上げた返す刀で、さらに下段から足を切りつけ、敵の後ろに回る。
少し距離を取って構え直すフィルだが、足の腱を断ち切られたオーガは地面に肩膝をつき、唸り声を上げながらフィルの方に向き直る。
切りつけられた腕は辛うじてくっついているようで、反対の手に持ち変えた剣を地面につき、自重を支えている。
(浅かったか――)
反省でもない感想が胸中に浮かぶフィルだが、間髪入れずに再度オーガのもとに飛び込み、丁度いい高さにある敵の首の位置に、水平に剣を振りぬく。
一呼吸置き、宙に舞ったオーガの首が落ちる。
地面に転がるオーガの首を一瞥し、ふっと横を見ると、先ほどまで付近で群がっていたゴブリンを仕留め終えたゴーシェが、騒ぎで目をさましたか別の場所にいたのか、わらわらと出てくるゴブリンを変わらず淡々と切り捨てているのが見えた。
「後は任せたぞ」
フィルが声をやると、少し遠くにいるゴーシェから「あーい」と返ってくる。
フィルは剣を振って血を落とすと、鞘には収めずに周囲を警戒しつつ、踊るように両手の剣を振るうゴーシェの方を眺めていた。
***
敵を殲滅した後、一向に現れないオズモンド――森の中で青い顔をしながら立っていた小男を回収し、またオーガの死体のところに戻ってきた三人だった。
「オーガですか。本当にお強いんですね、旦那方」
「オーガでもこいつは大した強さじゃなかった。傭兵団が攻めている砦の方はもうちょっと手練がいるだろう」
地面に転がるオーガの首と巨体を見て呆れるように言うオズモンドに、フィルが返す。
「この村の奴らは始末できたから仕事は終わりだ。回収するもんを回収したら町に戻るぞ」
ゴーシェの方ではゴブリンとオーガの耳を削ぎ終え、腰の皮袋に収めている。
「さて、お宝探しに行きますか。コイツの石はどうする? フィル」
「俺が回収しておくから、お前は適当に村を見て回っててくれ」
フィルがそう言うと、ゴーシェは待ってましたという感じに村の家屋を見て回っている。
フィル達が魔物の耳を削いで回収しているのは、魔物を倒した証明――いわゆる
首を持ち帰るのでは邪魔になるので耳というわけだが、左耳としているのは慣習だという。
詳しいことはフィルも知らなかったが、左右のどちらかでは水増しできてしまうからだろう、という程度の理解に留めていた。
フィルは腰の後ろに携帯していた小ぶりなナイフを抜くと、首を失ったオーガの体を蹴り飛ばしてうつ伏せにさせた。
大きな背中に膝をつくと、首の根元辺りにナイフを突き立て、深めに切り込みを入れていく。
巨大な割りにあまり脂肪のついていない肉を、切り込みを入れた部分から指で広げていくと、二センチくらいの大きさの赤黒い結晶が見えてきた。それをナイフでくり抜くように抉り取る。
「魔晶石ですか」
先ほどまで疲れたような顔をして、大きめの岩にちょこんと座っていたオズモンドが、いつの間に後ろに立っていた。
「そうだ。この程度の奴じゃ大したものは持っていないが、一応金にはなるからな」
結晶にくっついている肉片をこそぎ落としたフィルは、ごしごしと自分の手と結晶を布で拭っている。
「その大きさの魔晶石だったら大銀貨三枚くらいにはなりますかね」
「……まあ、そんなところだな」
もう少し値が付きそうかと思ったが、傭兵ではないオズモンドに分かるものでもないと思い、フィルは答えを濁した。
汚れを落とした結晶を、腰の皮袋にしまう。
魔晶石というのは、魔物の力――魔力と言われるその力を司る器官のようなもので、体に魔力を循環させるような働きをする。
全ての魔物は首の根元あたりにこの結晶を持っている。
魔物の生命活動を停止させる――つまり殺すためには、急所に致命傷を食らわせる他、この魔晶石を破壊して魔力の供給を止める必要がある。
魔晶石が希少価値の高いものとして取引されている理由は、単純に魔力を持っているということだけではなく、魔物と敵対する際の武器になるからだ。
フィルやゴーシェはもちろんのこと、魔物討伐を目的とする傭兵のような者は、この魔晶石を核として造られた武器――『魔剣』と呼ばれる剣を持つ。
魔剣の性能は、核となる魔晶石の大きさと純度に依存すると考えられている。
フィルとゴーシェが持つ刀剣と弓は勿論、その魔剣である。
他の傭兵が徒党を組み、組織として魔物を討伐していることに対し、極少数で魔物討伐を可能としているのは、武具の性能ゆえである。
「しかし、羨ましいものです。軽々と魔物討伐を成し遂げ、魔晶石まで得られるとは……」
「そう簡単なものでもない。俺やゴーシェだって最初はゴブリン一体倒すのにも苦労したもんだ」
「そういうものでしょうか。少なくとも私には縁のなさそうな話ですが」
諦めと羨望が半々というようなオズモンドの目線に苦笑いを返すフィルだが、そんな話をしていると、袋を提げたゴーシェが二人のもとに戻ってくる。
「あらかた見て回ったけど大したものはなかったよ。この国の銀貨と銅貨が数える程度、ってとこだな。貴金属の類は……ゼロだ」
残念そうに言うゴーシェが袋をふると、ジャラジャラと軽い音がする。
ありがたい事にゴブリンなどの魔物は、貨幣や貴金属、それと人間には全く意味がないように思える動物の骨や角などを集める習性があるようだ。
武具を扱ったり独自の言語を喋るなど、人間に劣るものの知能を持っているためか、奴らにも財産のような価値観があるのだろう。
商行為のような行動をしているのを見た、という噂もあるくらいだ。
「辺境の村だし、そんなもんだろ」
「まあ敵も多かったことだし、報酬は頑張ってせびらないとな!」
(いつも楽しそうで羨ましいな、コイツは……)
気合十分といったように笑うゴーシェを少し遠い目で見る。
「さて、町に戻りますか」
ゴーシェがそう言うと、三人は町に戻る準備を始める。
行きの行程を考えると、まだ日が高いので町に着くのは、今日を入れて三日といったところだろう。
***
依頼を完了したフィル達三人は、拠点としている付近の町――『リコンドール』に戻ってきていた。
依頼元の傭兵団は、町からそう遠くない位置にある魔物の砦を攻略するため、砦近辺に陣を張る本隊は不在としているが、フィル達のような下請けとのやり取りや本隊への補給の役割を担う分隊が町に常駐しており、依頼の報告などは分隊を通してできるようになっている。
「それで旦那方、すいませんが報酬の方は……」
「そう焦るなって。払うもんは払うぜ」
気まずそうに報酬の請求をしてくるオズモンドに、そんなことは気にしない様子のゴーシェが笑いながら彼の肩をバンバンと叩く。
少し嫌そうに苦笑いを返すオズモンドだが、戦闘には参加しなかったものの案内人との仕事はきっちりこなしたとフィルは評価していた。
基本的に魔物が巣食っている地帯は過去の魔物侵攻により侵略された他国の地であり、オズモンドはその亡国の出身――いわゆる難民だ。
数十年前に人間が失った地域、ましてや他国の情報収集は手間と労力がかかるため、オズモンドのような存在は重宝している。
「遅れてすまなかったな、約束の報酬だ」
「すいません。……って旦那、こんなに貰っていいんですか?」
報酬を渡すフィルだが、雇った時の約束より少し多めの報酬となる三枚の大銀貨を見たオズモンドが確認してくる。
貧困層の人間であれば、大銀貨一枚で七日ほどは食いつなげるくらいの価値だ。
定職を持つこともままならない難民のオズモンドからすれば、破格の報酬だろう。
「慣れないことをさせたからな。少し色を付けてある」
オズモンドは報酬を受け取り、少し嬉しそうな表情を返してくる。
「またよろしく頼むよ」
「……それはご勘弁を」
最後までつれないオズモンドだったが、情報提供だけならと言い、雑踏に消えていく。
「さて、俺たちは報告に向かうとしますか」
ゴーシェがそう言いフィルが頷くと、二人は町の中心部近辺にある傭兵団の拠点に向かうのだった。
***
傭兵団の拠点は、人員の規模に対してこじんまりとした様相だ。
町の中央広場を少し西側に行ったところ、中々の高立地に構えてはいるが、建物の大きさは付近にある商店とそう変わらない。
傭兵団のあり方――というよりは近頃は魔物に対して攻勢に出ていることから、一所に拠点を構えるのではなく、流動的に移動をしているのだ。
フィル達がいるこの町――リコンドールも数十年の間、魔物の支配下にあったわけだが、数年前に人間の反撃により奪還に成功し、復興された町である。
現在、この国――ガルハッド国の軍隊や大規模な傭兵団は、魔物領に深く入り込んだこの町を拠点とし、周辺の領地の攻略に勢力を出している。
ガルハッド国では傭兵業が盛んであった。
それはひとえに魔物領の攻略時に乱取り――すなわち魔物から奪い返した財産の個人取得が認められていることによる。
そのため、危険が伴う割に高い報酬が期待できない傭兵業であっても、村々の征服時に得られる報酬――場合によっては一攫千金も望める宝物を得られるため、職のないものや家を継げない者などは傭兵となりたがるものだった。
また、仕事のない亡国からの難民が多いのも一因となる。
反面、フリーの傭兵ではなく、ガルハッド国お抱えとなるような大規模な傭兵団に入団するものは、功績により士官が有利になることを狙っていた。
これが、ガルハッド国における傭兵のあり方である。
拠点の建物に着くと、フィルはゴーシェと連れ立って入口の扉を開け、建物内にいた傭兵団のメンバーであろう男に軽い挨拶をして用件を伝える。
「受けた依頼の報告をしたい」
フィルが初めて顔を合わせるその男は、武装はしていないものの、しっかりとした体躯を持つ利発そうな男だった。
事務職もこなす傭兵といったところだろう。
「所属をよろしいか?」
「フィルという者だ。傭兵団には所属してはいない」
受付をした男は奥のテーブルに座る別の男のもとに行き、まとめてある書類を確認する。
奥にいる男はフィルと面識のある、アランソンという名の落ち着いた雰囲気の中年の男だった。
フィルを応対した男と共に、アランソンが書類を持ってやってくる。
「フィルさん、早いお帰りですね。南方の村の調査は完了ということでよろしいでしょうか」
「その通りだが、魔物が巣食っていたので討伐もした。確認してくれ」
フィルはゴブリンの耳の入った皮袋を男に渡す。
「……五十体ほどの分はありますな」
「契約時に、討伐をした際の別報酬の約束をしていたよな」
「勿論、お約束どおりお支払いしますよ」
依頼の完了は難なく受け入れてもらえたようだ。
通常は、依頼元の傭兵団の人間に同行する依頼など、仕事の遂行を確認してもらう必要がある。リコンドールの中でも特に規模の大きいこの傭兵団から依頼を受けることは少なくないため、その実績により、ある程度の信頼をもらっている。
報酬の袋――その中に三十枚の大銀貨が入っていることをフィルが確認していると、アランソンが話を切り出した。
「戻ったばかりのところ申し訳ないですが、追加で依頼を受けてもらえないでしょうか。もちろん今回の依頼とは別契約としてです」
アランソンが少し苦い表情をし、話を続けた。
「我々の本隊の砦攻略なんですが、戦況が思わしくないようでして。本隊付きになる形で砦攻略に助力いただけないかと」
(一介の傭兵に戻ってすぐの追加の依頼なんて、弱みを見せるようなことはあまりしないと思うが……)
アランソンの話を聞いて少し懐疑的になるフィルは、ここは断ることに決めた。
「俺達は二人しかメンバーがいなくてね。砦攻略に助力できる戦力とも思えない。それに、今回の仕事で装備の消耗もあるもんで、残念だが今回は……」
「そうですか……」
「もう少し規模の大きい傭兵団に声をかけた方がいいだろう。今回の仕事と同じような依頼があれば、また声をかけてもらえるとありがたい」
フィルがそう言うと、さほど気にしていない顔で了解の意をアランソンが示す。
簡単な挨拶で話を終わらせて建物を後にすると、傭兵団との仕事のやり取りで一言も喋らなかったゴーシェが口を開く。
「さて報酬の山分けがてら、酒場にでも繰り出しますか」
「待て、こっちの換金がまだだ」
(ようやく口を開いたと思ったら酒の話か……)
ゴーシェの顔を見て少し頭が痛くなるフィルだが、ゴーシェの方は恐らく目の前の軍資金でどれだけ夜遊びをしてやろうか、という考えで頭が一杯なのだろう。
まだ日が落ちてもいないのにそんなことを言うゴーシェに、廃村で集めた貨幣の袋を振って見せる。
袋には銀貨と銅貨が入っているが、ガルハッド国で流通している貨幣と異なるものだ。
フィル達がいるリコンドールの町を含め、現在領土の奪還を進めているこの地域一帯は、今でこそガルハッド領となるが、元々はサルゴニア帝国という亡国の領地だった。
フィルが村で収奪した貨幣は、このサルゴニア帝国で流通していたもの――当時の住人の財産である。
亡国であるサルゴニア帝国の貨幣は、ガルハッド国では取引に使えないが、元々価値が均一であったこの貨幣は、金・銀・銅としての価値はもちろんある。
手数料は取られるもののサルゴニア帝国の通貨を引き取る専用の業者がある。
昨今のサルゴニア帝国領への侵攻が進んでいることにより、この貨幣がガルハッド国内に大量に流入したからだろう。
「じゃあ金に換えたら酒場だな」
あまり真面目に相手にしないことに決めたフィルは、応とだけ答えると、ゴーシェの首根っこを掴むようにして両替商に向かうのだった。
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