第九章 王からの宣告

 フィルが目を覚ましたのは、清潔感のあるベッドの上だった。


 ぼやける視界、焦点が定まるのに時間を要し、今いるのが自分の知らない部屋であることを理解するのにもまた時間がかかった。


「――フィルさん!! ゴーシェさん、フィルさんが目を覚ましたよ!!」

「やっとか、良かった。このまま目を開けないかと思ったぜ……」


 フィルがまともに開かない目を凝らしながら、顔だけを声の方に向けるとフィルの傍らに座るトニが見えた。

 そのトニの奥には、フィルと同じようなベッドの上に座るゴーシェの姿があった。


 ゴーシェは裸のままの上半身に大げさに包帯を巻いている。


「トニ……それにゴーシェか。ここはどこだ? ベルム城じゃないのか?」

「お前、いつの話してんだよ」

「ゴーシェさん! フィルさんはずっと目を覚まさなかったんだから知らないよ! フィルさん、ここはリコンドールだよ」


 ゴーシェをたしなめるようなトニの声が部屋に響く。

 フィルは身を起こそうとするが、全身が痛むのを感じる。


 体に掛けられた清潔そうな毛布を少しめくると、フィルの体にもゴーシェと同様に、体のあちこちに包帯が巻かれていた。


 無理をすれば体を起こすこともできそうだったが、ひとまず寝たままにすることにする。


「一体どういうことだ。状況を教えてくれ」


 フィルが弱々しい声でそう言うのを見て、トニが心配するように眉間に皺をよせる。


「ベルム城の戦いは終わったんだ。俺達の勝ちだよ。フィルさんが、敵の親玉を倒したんだ」

「それは記憶がある。何で俺達は町にいるんだ?」

「戦いが終わったのは、もう十日も前のことなんだ……」


 トニの言葉に、フィルは少し驚かされる。

 十日も意識を失っていたというなのか。


「それにしても分からないな。どうしてリコンドールに戻ってるんだ?」


 フィルがずっと意識を失っていたとしても、この傷だ。ベルム城に残っていてもおかしくないだろう。

 むしろ、傷を負って意識のないものを無理に町まで運ぶという方がよく分からない。


「それが、カーティスさんが町に戻るようにって。グレアムさんやティムさん達も一緒に戻ってきたんだ」


 トニが言うには、ベルム城では魔物を駆逐した後、ガルハッド本国から送られてきた援軍が加わって城の防衛の復旧が進められると言う。

 今後、ベルム城が魔物領攻めの最前線になるため、かなり力を入れた防衛の準備をするらしい。


 ベルム城への攻撃に参加した兵達もそのまま復旧作業を行っていたが、リコンドールの町まで戻って来るようにとカーティスに本国からの呼び出しがあったそうだ。


「カーティスに呼び出しか」

「城攻めの報告のためだろう、って言ってたよ」

「それで一緒に城攻めをしていた俺達も一緒に、ということか」


 フィルはいまいち状況が掴めていなかったが、ひとまずは話を鵜呑みにすることにした。

 いちいち引っかかっていては話も進まない、というものだ。


「フィルさんにも呼び出しが来ているんだ。傷が酷いし意識も戻らないから、呼び出しにいつ応じるかはカーティスさんの判断で、ってことになってるよ」

「そうか、確かにすぐには動けそうにないな」


 全身からずくずくと痛みが伝わってくる。


「そりゃあお前、派手にやられたらしいからな。まあ、それは俺もか!」


 やられたことの何が面白いのか分からないが、ゴーシェが笑う。

 笑っているゴーシェの方は、あの敵――リググリーズの一撃を受けた際に気を失っていたために覚えがないようだ。


「しかしお前もしぶといな。流石に死んだかと思ったよ」

「しぶとさが俺の長所だからな!」


 ゴーシェは攻撃を受けた際に身を捩って最低限の回避をしていたため致命傷には至らなかったようだが、それでも深く剣を受けていた。


「ゴーシェさんも酷い傷だったんだよ……グレアムさんはもっと酷かったんだ。フィルさんみたいに三日も意識が戻らなかったんだよ」

「あのオッサンも大概しぶといよな」


 意外なことに頑強さばかりが強みのようなグレアムが酷い手傷を受けていたようだ。

 確かに、リググリーズの剣をまともに受けていた。生きている方が運がいいというものだろう。


「オッサン、もう平気な顔して歩いてるけどな……」

「誰がオッサンだ」


 部屋の入口の方から急に声がかかり、視線をそちらに向けるとグレアムが部屋に入ってくるところだった。


「おお、フィル! 目を覚ましたか!」

「あっ! グレアムさん、丁度今目を覚ましたところだよ!」


 意外なことにグレアムは果物などが入った籠を手にしていた。


「見舞いだ。目を覚ましてよかったぜ、聞いてるかも知れないが俺達に本国から呼び出しが来ている」

「ああ、聞いてるよ。しかしまだ動くのがキツいんだが……」

「そうも言ってられない。大隊長殿の方に催促がきてるらしい」


 先ほど聞いた限りでは、呼び出しに応じるまでには余裕があるような話だった。

 しかし、目の前のグレアムが言うには、事情が変わったのだろうか呼び出しの催促が来ているという。


「大隊長殿も恐らくこっちに来るだろう。本人からついさっき聞いた話だからな」

「そうか、分かった。まあ全く動けないというわけでもないから大丈夫だ」

「そりゃ良かった。じゃあ俺はこっちの仕事でアランソンに呼ばれてるからもう行くぜ」


 グレアムはほとんど見舞いを置いていくだけ、という感じに部屋を出て行く。

 リググリーズとの戦いのことに全く触れなかったのが少し気になるところだったが、病み上がりの身を気遣ってくれたのだと思うことにした。


(……呼び出しを急かされているのは、あのこと・・・・じゃないよな……)


 フィルが気にしたのは、リググリーズと戦ったときに起きた現象のことだ。

 ケイラファビルと名乗った男、あれは恐らくフィルの魔剣そのもの・・・・だろう。

 フィルにも十年ほど前に魔剣を鍛えた時の記憶がうっすらとあるため、まず間違いない。


 しかし、魔剣とあれほど明確に対話をしたというのはフィルも聞いたことがなかった。

 故にそれが何かと問われてもフィルにも答えようがないのだ。


 全身の痛みからベッドに伏せるフィルだが、特にやることはなかった。

 グレアムが出ていってから、ゴーシェももう動けるのか外に出ていった。じっとしているのを好まない男だから特に用事もないのにふらふらとしているのだろう。


 ベッドの横に座るトニも、いつの間にかフィルのベッドにもたれ掛かって寝入っている。


(心配……かけたかな)


 すっかり安心したような顔をして寝るトニを見て、フィルはそう思った。


 しかしフィルには考えなければならないことがあった。


 まず第一に、先程頭をよぎったフィルの魔剣のことだ。

 ベッドの傍らの小さなテーブルに置いてある剣を、寝ながらの体勢で手繰り寄せ、目の前の中空で鞘から刀身を抜き出した。

 誰かが手入れをしたのか、綺麗な刀身が光る。


 リググリーズとの戦いで長剣へと変化したこの剣。

 今はいつもと変わらない直剣──グラディウスの形状をしている。


 戦いの最中、何故この剣が形を変えたのかフィルには見当もつかないが、あれはフィルの記憶違いではないだろう。

 そして今元の形状に戻っていることにも、同じく見当がつかない。


(魔力の根源が『変質』とか言ってたな……)


 フィルはゲイラファビルの言葉を思い出していた。

 なんとなく剣がその形状を変えたのも、魔力によるものだと察するが、魔力や魔法に疎いフィルにはそうと断じることはできない。


(今度、ディアにでも聞いてみるか……)


 分からないことは隅に追いやろうと思い、フィルは考えることをやめる。

 そしてもう一つ考えるべきことは、ベルム城でその名を聞いたアルセイダ国軍の隊長──バズルールのことだ。


 父の敵となる男の名を聞き、フィルの胸中には確かに怒りの感情が燃えていた。

 祖国を出てもうかなりの年月が経つ。傭兵としての生活を経て、その感情もどこか霧散しているように思っていたが、自身の本心と対面してしまった。


 あの不思議な空間で、ゲイラファビルから父の話を聞いたことも、少し関与しているようにも思える。


 ベルム城で運良く、か運悪くか顔を突き合わせなかったため、その答えを出す機会がなかったが、改めて考える必要があることを自覚していた。


(考えることが多すぎる……気楽に傭兵をやっていた時の方がマシだったか)


 フィルはそれが本心でないことも分かっているが、そんなことを独りごちる。


 部屋の中には開け放たれた窓からの心地よい風が吹き込んでおり、トニの小さな寝息と共に、静かな時をフィルは過ごす。


***


 カーティスがフィルのもとにやってきたのは、フィルが目を覚ました翌朝だった。


「フィル殿、目を覚まされたか。良かった」


 部屋に入って開口一番にそう言うカーティスに、部屋の中にいた三人が目を向ける。


「ああ、なんとか。強がりでも本調子とは言えないが」

「そうだろうな、何しろ傷が酷かった。見舞いだ、受け取ってくれ」


 カーティスは部屋に入って来るなり、フィルに果物が入った籠を渡してきた。

 先日、グレアムが持ってきたのと同じようなものだ。


(全然違うけど、何かノリがグレアムと似てるんだよな……)


「グレアム殿から聞いてると思うが、本国からの呼び出しがきている」


 フィルの妙な視線を気にすることもなく、カーティスが話し始める。


「ああ聞いてるよ、しかしこの体だ。もう少し先にならないか?」

「それは重々承知だ。だが、本国から国王が査察のためにこのリコンドールに向かっている。流石に呼び出しに応じない訳にはいかなくてな」

「国王が?」


 カーティスの口からは意外な言葉が出た。

 国王が前線の方に赴くなど、今まであまり聞いたことない。


「国王と査察団は今より三日後に来る。すまないが、謁見の際に同席させるようにと言われている」

「三日後か……まあ今でも立ち上がるくらいは何とかなる。仕事をするわけでもないし、同席させてもらうよ」

「そう言ってもらえると有難い。ベルム城でもかなり働いて貰ったのに続けざまですまない」

「大隊長殿にそんな言葉を貰う身分でもないよ」


 フィルがそう言うと、カーティスは軽く吹き出すように笑い出し、そのまま二人で少し笑った。


「……フィルさん、本当に大丈夫なの?」


 相変わらずフィルが横たわるベッドの横に座ったままのトニが心配そうな顔をして言う。


「ああ、大丈夫だ。結構酷くやられたと思ったいたんだが、何でか体はそれほど痛んでない」

「だったらいいんだけど……」


 フィルがそう言ってもトニの表情は晴れない。


「まあ王様に会いに行くだけだったら大丈夫だろ! 何だったらいつものお返しに俺が担いでってやるよ」

「ゴーシェさんのはいつも自業自得じゃないか!」


 軽口を聞くゴーシェをトニが嗜め、四人でそれを笑うのだった。


「とにかく、また来る。詳細はその時にでも」

「ああ。忙しいところをわざわざ来てもらって悪かったな」


 カーティスも来たばかりだったが、ベルム城のことで仕事もたまっているのだろう。

 すぐに、フィル達のいる部屋を後にしていった。


***


 カーティスに連れられたグレアムとフィルは、リコンドールの町にある王国の居館へと向かっていた。

 部屋でカーティスと話をしてから丁度四日後になる。


 リコンドールの町中央から少し北側に向かったところにある居館は、王国のものにしては簡素であるが大理石造りの立派な建物で、ちょっとした宮殿のようであった。


 カーティスの話によると、国軍やその他の面々は先日既に国王への拝謁を済ませていたようで、フィルやグレアムの怪我を理由として、ベルム城攻めに参加した面々としては最後の拝謁となっていた。


 故にカーティスも既に国王とは会っているようだったが、流石に傭兵団の人間をそのまま国王に会わせるわけにはいかないのか、謂わば付き添いのような形での拝謁となる。

 三人は宮殿内に進み入り、奥にある謁見用の間へと揃って歩いていく。


「フィル殿、あらかじめ言っておくが、先のベルム城の戦いのことで少々面倒があるかも知れない」


 謁見の間に進んでいるところで、カーティスは急にフィルに声をかけてくる。


「大隊長殿、いきなり何だ。面倒ってのは?」

「私もあまり聞いていないのだが……その、フィル殿があの男――リググリーズを倒した時に魔法のようなものを使っただろう。そのことに王が興味を持っているようでな」


 ここ数日間でカーティスはフィルのもとに数度来ていたが、そんなことは一言も聞いていなかった。

 カーティスもそんな噂を耳にした程度と言うので、まあ仕方ないかとフィルは思う。


 三人が宮殿内を進むと、豪奢な扉の前に兵がおり、カーティスに向かって挨拶をしてくる。


「カーティス様、もうすぐに謁見が可能となります。このまま進んでください」

「そうは言うが……そのまま行ってしまっていいのか?」


 カーティスが気にしたのは、三人の格好だった。

 王に拝謁するというのだから、事前に控えの間にて服装を改めようと考えていたものだが、このまま入って行けと言う。


「格好などどうでもいい」


 急に開け放たれた正面の扉から、声の主が出てくる。


「……陛下!」


 カーティスは目の前の男を見て、すぐに膝をついた。

 そのカーティスの姿を見たグレアムとフィルも慌てて、同じ行動を取る。


「……よい。それより早く中に入れ。待ちくたびれたぞ」

「はっ……言い付かった時間よりは早いと思いますが――いえ、申し訳ございません」

「では、中に入れ」


 目の前の男は大柄のグレアムより多少線は細いものの、十分に巨体と言えるだろう。

 逞しい体に、金の髪を短めに揃え、額部分に赤い宝石をあしらった簡素なサークレットを身に着ける男は、当代のガルハッド国王――ラウレンツ・ガルハッドだった。


 まさか謁見の間の外に出てくるとは思っていなかった三人は完全に面を食らってしまった。

 男に促される格好で、三人は奥の間へと進み入る。


 ガルハッド国の歴史は浅く、当代のガルハッド国王で三代目だ。

 世襲を重ねているとは言え、三代前の国王が興した国であるためアルセイダ国に比べると王室周りはざっくばらんとしている。

 とは言え、国王が外を平気でうろつくというのはフィルも聞いたことはない。


 尚、ガルハッド国で傭兵文化が根強いのは、歴史が浅いゆえに国軍の準備が整っていないというのと、三代前の国王の時代に傭兵を用いて周辺国と戦っていたため、という二点がある。


 三人の先を歩くラウレンツはずんずんと前に進み、そのままの足で玉座に座る。

 フィル達が進む大広間は、本国から遠いここリコンドールに存在する宮殿であるとは言え、質素な造りの中にも重厚な雰囲気がある。


 カーティスを中心とした三人は、玉座の手前で止まり再度膝をついて頭を垂れる。

 丁度、カーティスを少し前にして、両側にグレアムとフィルがつく格好だ。


「此度のベルム城での戦い、見事であった。運よくアルセイダ国に援軍の要請を取り付けられたとは言え、カーティス。そなたの働きが大きかっただろう」

「はっ、もったいなきお言葉」

「式典でもないのだからそう畏まらなくてもいい。それから、頭を上げろ」


 ラウレンツの言葉で、三人は頭を上げる。


 玉座にゆったりと座るラウレンツだったが、傭兵のフィルから見ても隙がないように見える。

 グレアムあたりは手合わせをしてみたいなどと思っていそうな雰囲気だ。


「それと、グレアム傭兵団のグレアム……それとフィルと言ったな。そなた達の働きも伝え聞いている。見事だった」

「陛下、此度の戦いではこちらのフィルが敵の将を討ち取りました。傭兵団は砦での戦いでも十分な戦働きをしております」

「それも聞いておる。実に見事、ベルム城の攻略は私の悲願でもあったからな」


 フィル達のいるガルハッド国とアルセイダ国は共に魔物領の侵攻を行っているが、昨今の魔物との戦いが安定化していることから、その戦線を競り合うように押し上げている。

 ラウレンツの言うベルム城は、両国の最前線の近くにあったことから、アルセイダ国に遅れをとるまいとその攻略を急いでいた拠点だ。


「しかし、此度の戦いで新種の魔物が出たとも聞いている」

「その通りでございます、陛下。新種の魔物に加え、魔族・・と名乗る人間のような魔物が敵の軍勢を率いておりました」

「カーティス、そなたほどの男を破る敵だったそうだな?」

「陛下……それは……」


 見透かすようなラウレンツの言葉に、カーティスは言葉に詰まる。


「よい。責めているわけではない。しかし、そのような敵が出てきたとあっては今後の戦い方を考えねばならないな」

「承知しております。部隊の強化を図るとともに、対策を講じます――」

「対策も大事だが……そもそもの地力・・が足りていないのではないか?」


 カーティスの言葉を切るようにラウレンツが声を上げる。

 そう言うとラウレンツは玉座から立ち上がり、三人に近寄るように歩み寄ってくる。


 ラウレンツはカーティスの前まで来てその姿を一瞥すると、今度はフィルに視線を向ける。


「敵の将――リググリーズと言ったか。その魔族を破ったのはフィル、そなただな?」

「はっ……」

「聞くと、そなたは戦いの最中に魔力を用いたと言う。森人などに魔力を扱えるものがいるのは私も知るところだが、剣を変化させる・・・・・ような傭兵というのは聞いたことがない。どれ、そなたの剣を見せてはもらえぬか」

「それは構いませんが……」


 目の前に立つラウレンツの迫力にフィルが少し萎縮しながら、腰に差した剣を鞘ごと抜き出すと、ラウレンツの方に両手で掲げるようにする。


 躊躇うことなくラウレンツはその剣を手に取り、鞘から剣を抜き放つ。


「ふむ、いい剣だな。だが、これは魔晶石か? このような色のものは見たことがない」


 ラウレンツは手にした剣の装飾部分――紫色に光る結晶を見てそう言う。

 ごまかしは利かないと判断したフィルは正直に答えることにした。


「申し訳ありませんが陛下、それは譲り物であるため私にも詳しいことは――」

「入れ」


 ラウレンツはまたも言葉を遮るように言葉を発すると、フィル達が入ってきた扉が開け放たれた。

 フィル達三人が後ろを見ると、そこには三人の人間が立っていた。


 国軍の兵というような格好をした一人の男と共に、フィルもよく見知る人間がいた。

 グレアムの傭兵団の副団長であるクレメント・・・・・と、カトレア・・・・だ。


***


 クレメントの横に立つカトレアはいつものような格好だが、その表情は暗い。


「クレメント……? お前なんでここに――」

「こっちに来い」


 疑問を口にするグレアムを気にしないように、ラウレンツが淡々とした様子で言う。

 国軍の兵とクレメント、それにカトレアがラウレンツのもとに向かい三人して膝をつくと、国軍の男が手に持った結晶を掲げるようにしてラウレンツに渡す。


「この魔晶石を見よ」


 ラウレンツは手渡された一つの魔晶石をフィル達に見せた。


「それは……」


 フィルと共に、横で膝をつくグレアムも目を剥く。

 ラウレンツの掌には、紫色の結晶・・・・・が乗っていた。


(……これが理由か)


 話の流れにフィルは歯噛みする。


「これは、その魔族――リググリーズの体内から取り出したもので間違いないな。カーティスよ」

「陛下……間違いはございません」

「さて、その敵の魔族から得た魔晶石と似たものをフィル、そなたが持っているのは何故か。私の記憶では、このような魔晶石は二つと見たことがない。これは一体どういうことだ」


 フィルはラウレンツの目を真っ直ぐと見ながらその言葉を聞いていたが、何と答えるべきか皆目検討がつかなかった。

 こんなことならば呼び出しを受けたことをもっと危ぶむべきだったと思うが、そんな考えは最早後の祭りである。


 フィルと見合っているラウレンツには、ごまかしなど勿論利かないというような雰囲気があった。


「……私はアルセイダ国の出です」


 意を決してフィルがそう言うと、横でカーティスが、グレアムが驚いたようにこちらに視線を向けるのが分かる。


「ほう、続けてみよ」

「十年ほど前のことです。私はアルセイダ国軍にて、父であるジュアン・ディエスの元で小隊を任されていました。この剣が持つ魔晶石は、その時に父より譲り受けたものです」

「なんと、ジュアン・ディエスだと?」

「ご存知ですか」

「当たり前だろう。隣国の大隊長を知らぬ王がいるか」


 大隊はアルセイダ国およびガルハッド国において、一個人に任される軍隊の最大の単位だ。

 故に大隊長とは、国軍の中でもかなりの地位に位置する者に与えられるものであり、同盟国同士の隣国とはそれなりの交流があるため、ラウレンツがフィルの父を知っているのも分かるというものだ。


「確かに、一人息子がいたとも聞いているな。そのアルセイダ国の大隊長の息子が、何故我が国で傭兵などをやっている」

「それは……」


 ラウレンツはフィルをいぶかしげな目で見つめる。

 急に出てきた傭兵が、隣国の大隊長の息子と言っても確かに信憑性は皆無だろう。


「祖国での戦いにて……父を亡くしました。これは死に際の父より渡されたものです。私はその時に、ここガルハッド国に亡命しました……」


 フィルは搾り出すような声で、そう言った。

 何を言っても疑われることだろう。この際、正直に言ったほうが身のためという判断だ。


「なるほどな、大体は分かった」


 予想に反して、ラウレンツはあっさりとそう言った。


「……信じるんですか?」

「信じるも何も、そなたが言ったのだろう。嘘でもついているのか?」

「いえ、全て誠ですが……」

「ならば問題ないだろう。ジュアン殿は私もよく知る。そなたの顔にはその面影がある」


 ラウレンツの言葉は全くの予想外であった。


「父を、知っているんですか」

「ああ幼少の頃だが何度か合ったことがある。剣の指南を受けたよ」


 フィルが伝え聞いている中では、アルセイダ国とガルハッド国でそれほどの交流があるとは知らなかった。

 しかし、考えると両国は長く同盟関係にあるため、確かにそれもあり得ない話ではない。


「……この場で昔話は不要だろう。単刀直入に言おう。フィルよ、そなたは我がガルハッド国軍の兵となれ」

「陛下、そんな話は……」

「カーティスよ、何を驚いている。グレアムの傭兵団を国軍に取り立てようというのだ。そこで仕事をするこの男を国軍に取り入れるのに何の問題がある」

「それは本当ですかい!?」

「ああ本当だ、私は強いものが好きだからな。便宜も図ろう」


 先ほどからの緊張感のあるラウレンツとフィルのやり取りなどどこかに飛んでいってしまったのか、グレアムが手放しに喜んでいる。


「それでフィル、そなたはどうする」

「俺は、国軍には……」

「嫌だと申すか? こう言っては何だが、身の潔白を示すには言う通りにするのが最善と思うが」


 歯に絹を着せない台詞ではあるが、全くもってラウレンツの言う通りだった。

 魔族の持つ魔晶石を持っている他国の出自の人間だ。一体何のためにと言われても難しいが、怪しむのにこれほどの理由はないだろう。


 しかし、アルセイダ国を出たフィルは国軍に入るという気持ちにはなれなかった。共に傭兵をやっていたグレアムの傭兵団を出たのも、その気持ちによるものだ。


 ベルム城での戦闘の際に、ゲイラファビルから受けた言葉もそれを後押しする。

 自らが取るべき行動も未だ決められず、他国の軍に身を置くことが正しい道だとはどうしても思えなかったからだ。


 口を閉ざし続けるフィルを見て、ラウレンツが再度声をかける。


「大人しく国軍で飼われてくれるのが望むところだったんだがな。それではフィル、そなたには国からの指名で仕事をしてもらう」

「仕事……というのは?」

山人やまびとの国――ミズールバラズへの査察へ行ってもらう」


 またしてもラウレンツから意外な言葉が出た。


「陛下、それはあまりにも……」

「有用な傭兵に国から仕事を依頼するのに問題でもあるのか」

「山人領は遠く、何度も査察の隊を送っていますが戻ってくるものはいません。傭兵が単独で魔物領を横断するなど、とても……」


 さほどフィルとの関係性のないカーティスが、言葉を選びながらもラウレンツに意見する。


「カーティスよ、私に意見するか。言っておくが拒否権はない。軍に入るか、仕事を受けるか、二つに一つだ。これでも譲歩している方だぞ」


 ラウレンツが言っていることは至極単純だった。

 国の意向に従い軍属となるか、自ら死地へと向かうかの判断を迫っているのだ。


 先ほどのやり取りで、ラウレンツがフィルの力――ベルム城の魔族と同様と思える魔晶石を持っていることに警戒していることが分かる。

 自国内で傭兵の身で好き勝手をされるよりは、国で飼い殺すかいっそ死んで欲しいということだろう。


 最も、ラウレンツの言う通りに譲歩してもらっていることも分かる。

 一国民が国王の命に背くなどあり得ない。怪しきは罰するとして、フィルの処遇はラウレンツの手で如何様いかようにでもできるのだ。

 ましてや、フィルがガルハッド国民ではないことも、この場にて明らかになった。


「分かりました、山人の国に向かいます……」

「そうか。それほどまでに軍属は嫌だと申すか、では致し方ない。念のために言っておくが、逃げようと思っても適わないぞ」

「重々承知しております」


 ここまでくるとフィルも覚悟を決めることにした。


「山人の国への査察の任、承りました。必ずや戻って参ります」

「よく言った。それでこそジュアン殿の忘れ形見というものだ」


 先ほどまでのやり取りで感情を出さない物言いをしていたラウレンツだったが、意外にもフィルの言葉に満足げに声を返す。

 どこか、フィルが軍属を拒否することが分かっていたような顔でもある。


「フィル殿、それでいいんですか……?」


 国王の御前であることを忘れたような調子で、カーティスが顔だけをフィルの方に向けて声をかけてくる。


「ああ、これしかないようだからな……」

「話は終いだな。カーティスよ、私は本国へと戻る。後のことは任せたぞ」

「はっ……」


 ラウレンツの言葉により、謁見は終わりとなった。

 話が終わり、膝をついていた面々は広間を後にする。


「クレメント、どういうことだ。説明をしろ」


 広間の扉を出たところで、グレアムが副団長のクレメントを捕まえる。


「団長には言っておらず申し訳ないですが、国軍の方より調査の依頼を秘密裏に受けていました。フィル殿は前回の砦攻めの時を含め、少々目立ちすぎたのかと……」

「てめえ、何を平気な顔して言ってやがる。俺に隠して軍の犬をやってたってか?」

「グレアム殿、気持ちは分かるがクレメント殿を責めないでやってくれ。先ほどの者は国軍の中でも王直属の近衛兵の者だ……顔を見て気付いたのだが、まさか裏でそんな動きがあったとは。フィル殿にも、城攻めで世話になったのにこんなことになってしまい申し訳ない……」


 カーティスが言ったのは、先ほどクレメントと共に広間に入ってきた国軍の兵のことだ。


「大隊長殿、謝らないでくれ」

「フィル殿には命を助けられたのだ、それなのにこんなことに……しかし、フィル殿がアルセイダ国の出自だとしても、そんな些事で王が直接動くとも考えにくい。私には検討もつかないが、きっと何かお考えがあるのだろう……」


 カーティスは柄にもなく歯切れ悪く話す。

 実直な男だからこそ、フィルを間接的に死地に追いやることに責任を感じているのだろう。


「もう決まったことだから仕方ないさ。元を正せば自分で撒いた種だ……」

「本当に軍属になる気は――」

「すまないが……」


 言葉を止めるように呟くフィルに、カーティスは無言で頷く。


「まあ何だ、山人領だか知らないが生きて帰ってくりゃいいんだろ?」

「簡単に言ってくれるな……まあ言う通り、そうしなきゃ死ぬだけだからな」


 状況を分かっていないのか励ましているのか分からないグレアムの言葉に、少し頭が痛くなるフィルだったが、最早心は決まっていた。


「私にできることだったら何でも言ってくれ。陛下も任せると言ってくれた。その傷だ、十分に体を癒してからの出立でも文句はないだろう」

「ああ、ありがとう。王様がああ言うんだから、きっと逃げもできないだろう。長い休みを取ってから町を出ることにするよ」

「そうか……」


 カーティスはまだ話すべきことがあるというような表情をしていたが、フィルは話を打ち切ることとした。

 今いくら話をしても、今生の別れにしかならないだろう。


 そう言って、グレアムやクレメント、そしてカーティスがそれぞれに向かう所があるようで、この場での解散とすることにした。


 フィルも一人、宮殿を出て宿に戻ろうとしたところで後ろからの声がかかった。


「あの、フィルさん!」


 振り返ると、先ほどフィル達の後から広間に入ってきたカトレアだった。


「カトレアか……」

「フィルさん、私……クレメントさんからお願いをされて、本当に私……何も知らなくて……」


 カトレアは震えながらそう言う。

 恐らく詳しいことは何も教えられずに、言われるがままにフィルのことを伝えたのだろう。


 今となっては、砦でのカトレアの視線にも納得がいった。


「ああ、もういいんだ」

「そんな……フィルさんにはお世話になったのに、こんなことになってしまって本当に……」


 少し残酷かとも思ったが、ここでカトレアと話をしても何にもならない。

 言葉を続けるカトレアに背を向け、手をひらひらと振って宮殿を後にすることにした。


 人気のない宮殿にはカトレアが一人、フィルの背を見続けるのだった。

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