第十章 リコンドールの町に集う

「フィル、お前それ本気で言ってんのか?」


 病室代わりに使っていた、グレアムの傭兵団が手配をした部屋の中で、テーブルを囲んで三人が座る。


 フィルの前に座るゴーシェが、王から勅命として受けた仕事の話をするフィルの言葉を受けて、訝しげな顔をしてそう言う。


「ああ、本当だ。国王から直接言われたというのも含めてな」

「フィルさん、俺はどこだってついてくよ!」


 予想通りの反応を返すゴーシェを見て、やはり言うべきではなかったかとフィルは少し後悔するような気持ちになる。


 ゴーシェでなかったとしても、自ら死地へと向かうような仕事を好ましく聞く人間などいないだろう。

 フィルも勿論それは分かっているし、ゴーシェやトニに話さず一人で町を出ようかと思ったのだが、グレアムから渡された報酬の分配もあり、王に謁見した際の一部始終を話したのだ。


 分配した報酬が入った袋――等分に分けたのにも関わらず一人頭金貨二十枚と、大金が詰まったその袋が三人の前に空しく並ぶ。

 魔族の将であるリググリーズを打ち倒しベルム城攻略の決め手となったフィルの功績は大きく、国軍からの褒章金として傭兵団からの報酬とは別に金貨二十枚を得ていたのだが、報酬は等分にするという決め事と厄介ごとに巻き込んだ謝罪の気持ちもあり、フィルはいつも通りに分けることとした。


 金貨二十枚と言えば、多少遊んだとしても一年は余裕で暮らせるだろうという額だ。

 報酬を分けている時には手放しで喜んでいたゴーシェも、その後に続いたフィルの話を聞いた今は顔を曇らせていた。


「おいトニ、もう少し考えて行動しろっていつも言ってるだろ。山人の国に単独で行く・・・・・なんて、どう考えたって正気じゃないぞ。イカれてる」

「そんな言い方、酷いじゃないか!」

「いや、ゴーシェの言う通りだ。今回ばかりは今までとは話が違いすぎる。元々お前達についてきて貰おうだなんて思っていないんだ」


 苦言を呈するゴーシェの言葉にフィルは仕方ないことだとトニを宥めるように言う。


「そんな……」

「フィル、悪いが今回は降りるぜ。俺は楽しく暮らしたいんだ、むざむざ死にに行くなんて俺の主義に反する」

「ああ、分かった」


 それだけ言うと、ゴーシェは椅子から立ち上がり部屋から出て行く。


「ゴーシェさん――」

「やめておけ」


 ゴーシェを引きとめようとするトニを制止するようにフィルが声をかける。


「すまないが、俺もちょっと外に出る。少し一人で考えたいんだ」

「フィルさん……」


 ゴーシェが部屋を出て行った少し後に、フィルもそれに続くようにして扉へと向かう。


 一人部屋に残したトニは、眉間に皺を寄せて泣きそうな顔になっていたが、それに気付かないようにしてフィルは部屋を出る。

 未だ全身は痛むものの、それよりも考えるべきことがあるため、今はトニの視線が痛かった。


「……俺は絶対についてくからね!」


 フィルが扉を閉めようとしたところで、部屋の中から声がかかった。

 トニの申し出は嬉しかったが、今回ばかりは連れて行くわけにはいかない。


 その声に返答することなく、フィルは静かに建物を後にした。


(……流石にヴォーリ達には挨拶をしないとな)


 フィルが向かおうとした先は、馴染みの鍛冶屋である『山人の鍛冶屋』だった。

 もはやこの町を出たら戻ることはないだろうと思い、一番世話になったヴォーリとディアリエンに挨拶をしてからにしようと思ったからだ。


 この町――リコンドールにフィルが来てから約十年。正確には八年だが、その間ずっと世話になっていたのはヴォーリだ。

 アルセイダ国を逃げるようにして出た後この町にたどり着いたフィルを、損得勘定なしに受け入れてくれたのは恐らく、あの山人族の男だけだろう。


「いらっしゃい──何じゃフィルか」


 何と説明したものかと考えながら店に向かい、扉を開けてすぐフィルにかけられた声はヴォーリのものだった。

 暇さえあれば鉄いじりをしているはずの目の前のずんぐりとした男は珍しく、店のカウンター内で仕上がった武具の整理をしていたようだ。


「あら、フィル。もう仕事が終わったの? 意外と早かったわね……って、町中大騒ぎだから知ってるんだけど」


 こちらは鍛冶仕事の後という様子で、汗を拭って休んでいるディアも声をかけてくる。

 フィルが目を覚まさない間、リコンドールの町ではベルム城陥落の報を聞き、町中で大騒ぎをしているようだった。

 フィルが店に向かうまでで見た中でも、昼間なのに酒を飲んで騒ぐ人が多かったため、ディアに言われるまでもなく何となく察していた。


「おやじさん、それにディア。久しぶり」

「何言ってんのよ、ちょっと前に町を出てったばかりじゃない」

「どうした、珍しくしおらしい態度じゃな」


 フィルは二人に何となく懐かしさを感じてそれを口にしてしまったが、気の置けない仲である鍛冶師達からはつれない言葉が返ってきた。


「そうだったな。おやじさん、奥いいか?」

「剣の整備か?」

「いや、ちょっと話がしたくてね」


 フィルがそう言うと、ヴォーリはフィルの目をじっと見据える。

 少年の頃、初めて出会った時と同じ目だ。


「分かった。おいディア、お前も来い」

「はあーい」


 フィルの様子と目線に何かを感じたのか、ヴォーリがその場では何も聞かずに、奥の自分の作業場へと促す。

 従業員が使う鍛冶の作業場が併設された店内の奥へと向かい、ヴォーリを先頭とした三人は『店長以外使用禁止』と札の貼られた扉を開けて奥の間へと進み入る。


「何じゃ、話とは」


 作業場の椅子をフィルに促し、自分も作業机の前の椅子に腰掛けるヴォーリ。

 ディアも適当な椅子を引っ張ってきて、二人の横になるように座る。


「それがな……」


 フィルは先程ゴーシェとトニに話したままに、目の前の二人にも国王との謁見のことを話し出す。

 魔族の存在やその戦いでフィルの刀剣の形状が変化したなどの話をした際に、ディアは詳しく話を聞きたいというような顔をしていたが、ぽつぽつと話すフィルの雰囲気を察したのか話に割り込むことなく聞きに徹していた。


ミズールバラズ・・・・・・・か……」


 フィルが王から山人の国に向かう任を受けたところまで話をすると、ヴォーリが目を細めながらそう言う。

 長年での付き合いでヴォーリは生まれもガルハッド国であり、魔物の侵攻により山人の国との国交が閉ざされていたため、山人族の生まれ故郷とも言えるその国には縁もなかったと聞いているが、懐かしむ感情があるような表情だ。


「儂ら山人族としては、ミズールバラズの安否が知れるのは願ってもないことだが、お前さん一人が行ったところで死ぬだけだろうな」

「俺もそう思う」

「ふむ……」


 既に覚悟は決まっているというフィルの表情を見て、ヴォーリは思案するように顎の髭を触る。


「どうせゴーシェは行かないって言うんでしょ?」

「そうだな」

「あの子――トニはどうするって?」

「付いてくると言うんだが、流石にな……」


 ヴォーリが考え込むように黙り込んでしまったため、ディアが間をつなぐように声をかけてくる。


「あら、いいじゃない。連れてけば」

「あ?」


 ディアの予想もしなかった言葉に、フィルから変な声が漏れる。


「そうじゃな、おいディア。お前も行きたいか?」

「え、店長いいの?」

「おいおい、お前ら何言ってんだ」


 ディアの言葉だけでも驚かされたのに、ヴォーリの方からも予想外の言葉をかけられ、フィルは完全に困惑する。


「こいつは前からそう言っとってな。仕事もあるし、一人でミズールバラズに行くなんて自殺行為じゃからな。だがフィル、お前さんが行くってんなら託してもいい」

「店長、モノのように言うわね」


 ヴォーリはまるで一人娘を嫁に出すような口調で話す。


「馬鹿言うな、死にに行くようなもんだぞ? 俺は道連れを探してる訳じゃないんだ」

「前から行ってみたかったのよ、山人の国。それに死なないようにフィルが守ってくれればいいでしょう?」

「いや、そういうことじゃないだろ」


 誰もが拒むような死地への道に勧んで行こうと言うディアに、フィルはどこから突っ込んでいいのか分からなかった。


「フィルが行くのには変わらないんでしょ? いいじゃない、連れてってくれても。こう見えても私結構戦えるのよ」

「いや、そう言われても……」

「本人が行くと言ってるんだから、いいじゃろう。長旅になる、剣の手入れができるやつがいた方が何かと便利じゃぞ」

「あら、お言葉ね」


 今生の別れを告げにきたフィルだったが、思いもよらぬ展開になっていた。

 何と断ったら良いのかと思案するフィルだったが、結局は二人の勧めるままにディアを連れていくことになってしまった。


 一人旅を覚悟していたところが、思いもよらぬ旅の連れができてしまう。


 目の前の森人族の女性――ディアリエンは、魔族との戦いを後で詳しく聞かせてくれとだけ言い、フィルをそっちのけにして片付ける必要がある仕事についてヴォーリと話し始めるのだった。


***


 ゴーシェが出て行き、続いてフィルも出て行った部屋では、一人残されたトニがベッド横の椅子に座っていた。


 王からの無茶な命令を説明するフィルの表情も心配だったが、そのフィルを簡単に見捨てたゴーシェにも頭にきていた。

 しかし自分はフィル達にくっついて傭兵をやっているだけの力のない身であり、そんなゴーシェを攻めるような言葉も持たない。


 それにつけてフィルの話にあった、王との謁見の際のカトレアの様子も気になっていた。


「……そうだ、カトレアに会いに行こう!」


 一人残された部屋でトニは口に出してそう言い、カトレアのもとに行こうと決めた。

 傭兵として生きると決めたこの町で、初めて出会った唯一の友達と呼べる女の子がカトレアである。


 気落ちしているであろうカトレアのことが単純に心配であるし、今の自分がゴーシェやフィルを追ったとしても、何も話すことはないと言われるだけだろう。


 そう考え、トニも部屋を後にする。


 通りに出たトニだったが、どこに向かったらカトレアに会えるのか分からないため、ひとまず宮殿の方に向かおうと決めた。

 そちらに行っても見つからないのであれば、アランソンの所にでも行き居場所を聞いてみようと思ったのだ。


 建物を出て通りを歩いていると、中央広場に向かう大通りはいつもより活気があり、そこらで歓声が上がっていた。

 カーティスの部隊と共にリコンドールの町に戻ってからと言うものの、町はずっとこんな調子だった。


(フィルさんは大怪我したってのに、いい気なもんだよ……!)


 国軍の凱旋にお祭り騒ぎをする町の姿を見て、トニはそんなことを思う。

 フィル達傭兵は自ら戦場に出ているため怪我をするのは当たり前のことだが、完全に八つ当たりだと分かりながらもそう思わずにはいられなかった。


 ぷりぷりとした表情を隠すこともせず、大通りをずんずん進むトニに酔っ払って騒ぐ町の人間から陽気な声がかかるが、そんな声など耳に入っていないというように町の北に向かって歩いていく。


「あ、カトレア!」

「……トニちゃん」


 中央広場にさしかかり、そこから少し北に向かって歩いたところで、一人とぼとぼと歩くカトレアに運良く出会った。

 フィルの話からすると、謁見は随分前に終わったはずであるが、宮殿からの道を戻ってきているところであるようだった。


「フィルさんから聞いたよ……」

「うん……本当にごめんね、トニちゃん」

「カトレアは知らなかったんでしょ?」

「そうなんだけど……」

「ならしょうがないじゃん! フィルさんも気にしてないよ!」


 カトレアの表情からは、間接的にフィルを売ってしまったことに後悔して止まないというような気持ちが伝わってくる。

 しかし、別にカトレアやクレメントが国軍の者に報告しなかったとしても、魔族の将――リググリーズとの戦いを見ていた兵は何人もいた。

 フィルの魔剣の存在は、遅かれ早かれ白日の下に晒されていただろう。


 フィルもそんな調子で話していたし、本当に気にしなくてもいいのだ、と主張する。


「そうなんだけど……」


 トニがフォローするも、カトレアは繰り返しそう言う。


「フィルさんにはお世話になったのに……トニちゃんともお友達になれたのに、私……」


 トニの言うことも分かるが、それでは自分の気がすまないという様子だ。

 思いつめるようなカトレアの表情を見て、トニも言葉を詰まらせてしまった。


「トニさん、それにカトレアさんも」


 うつむくカトレアを見つめるトニ、という所に後ろから声がかかった。

 トニが振り向くと、そこには買い物帰りというような格好のアランソンが立っていた。


「アランソンさん……」

「こんな所でどうされましたか。いい紅茶を手に入れました。立ち話もなんですから、うちの支部に遊びに来ませんか?」


 トニとカトレアの間にある妙な雰囲気や会話の内容を察していたアランソンだが、フィルの処遇をグレアムから聞いていたため、それを承知しながらも声をかけた。


「誘ってもらってありがとう。でも、ちょっと――」

「美味しいお菓子もありますよ?」


 そう言ったアランソンが抱えていた紙の小袋を二人に見えるように掲げると、トニとカトレアがさっと視線をそちらに向ける。

 結局、それ以上断ることはなく、アランソンの誘われるがままにグレアムの傭兵団の支部へと三人で向かった。


 支部に入ると、他に人はいなかった。

 グレアムの傭兵団はそのほとんどがまだベルム城での仕事をしているため、城攻めのために兵を狩り出されたここリコンドールの支部は町周辺の仕事を中断しており、一足先に戻ったグレアムと副団長のクレメント、そして支部長のアランソンが居るだけだった。

 そのグレアムも、国軍の呼び出しに応じて外に出ている。


「話は聞いています。思うところはあるでしょうが、カトレアさん、あなたが気に病むことではないでしょう。うちの団長も副団長を責めるかと思いましたが、納得いかないにしても責めはしていません。国軍の方で秘密裏に動いていたのであれば、どうしようもありませんから」


 いれた紅茶をそれぞれのカップに注ぎながら、アランソンがそう言う。


「それは分かっているんですけど……」

「それに、フィルさんはそんなことを気にするような人間じゃないと思いますよ。団長もそう言っていました」


 優しく諭すようなアランソンの言葉を聞いて、トニは胸がすくようだった。


「そうだよ、本当にフィルさんは気にしてなかったよ!」

「でも……」

「どうしても気になるというのであれば、違う形で返せばいいでしょう。フィルさんはそんなものを望んではいないと思いますが、自分のために、ですね」


 アランソンは紅茶と一緒に出した甘い焼き菓子を口にしながら、そうも言う。


「せっかくのお菓子です。紅茶と合いますから、是非食べてください」


 アランソンに勧められると二人しておずおずとお菓子に手を伸ばす。


「ホントだ、美味しい!」

「美味しい……です……」

「それは良かった」


 二人の反応に微笑むアランソンを見て、トニとカトレアがようやく笑顔を見せた。


「そうそう、そうしていた方がいいですよ。きっとトニさんは止めてもフィルさんについて行くんでしょう。暗い顔しているより、笑顔で横にいた方がフィルさんも喜びますよ」

「うん……そうだね!」


 トニはアランソンの言葉が最もだと思った。

 戦力としても大して役に立たない自分ができることは、フィルにどこまでもついて行く事と、いつも横にいてフィルの気を紛らわすことくらいだろう。


「私は……うん、やっぱりそれしかない。決めた……」


 アランソンの言葉にカトレアの方も思うところがあったようで、自らに言い聞かせるようにぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「トニちゃん、あのね――」


 そう言って話し出したカトレアの言葉を聞いて、トニは手に持っていた食べかけの焼き菓子を落とす。

 あんぐりと口を開けた状態で横を見るトニだったが、アランソンの方は啜っていたお茶を噴出したのか、手の甲で口を拭っていた。


***


(……全く、冗談じゃない)


 そう独りごちながら歩くゴーシェは、酒場への道を歩いていた。


 山人の国――ミズールバラズにはこれまでに何度も国軍の兵や傭兵が向かっており、そしてその全てが未だ戻らない。

 その道程は死が約束されているようなものだ。


 国軍に仕官する誘いを断ったフィルの気持ちは分からないが、それの引き換えとして出されたこの条件を飲むとは、本当にイカれたんじゃないかとゴーシェは思ってしまう。


 フィルとゴーシェはもう何年も組んで仕事をしている。

 共に死線を越えたことも、何度だってある。

 そんなフィルが死地に向かうと知り、ゴーシェにも思うところがないわけではないが、あまりにも常軌を逸した話だったため、ただただ否定をしてしまった。


(くそっ、何だって次から次へと厄介なことが舞い込むんだ……)


 生来、あまり考えて行動することがないゴーシェであったため、胸中で生まれる感情と頭の中との整理がついていなかった。


(俺は何も変わることなく生きたいだけだ……いつものようにグレアムの所で仕事を受けて、いつものように仕事を終えて酒を飲んで、いつものように酔いつぶれてフィルに担いでもらって……)


 ここのところフィルの様子がおかしかったことには流石のゴーシェも気付いていた。

 互いに詮索をしないことは、二人の中の暗黙の了解だ。ゴーシェはいつものように振舞っているだけだった。


(あの死にたがり・・・・・の大馬鹿野郎が……!)


「ゴーシェさん、そんな景気の悪い顔して飲まれちゃ他の客が帰っちゃうよ」


 仏頂面のままの足でいつものように馴染みの酒場である『馬屋』へと向かい、一人でいつもの店の奥のテーブルに座って、いつものように蜂蜜酒ミードの瓶を傾けるゴーシェに、店員の女性――エリナから声がかかった。

 いつものような光景だが、ゴーシェの暗い表情だけが普段と違っていた。


「……金を払ってるんだ。どんな顔して飲んだって、俺の勝手だろ」

「なあに、それ。もしかして八つ当たり?」


 馴染みの酒場にて口を開けばエリナを口説き落としにかかるゴーシェの意外な言葉に、心外だというような顔をしてエリナが声を返す。


「うるせえな……」

「まあ好きにしてちょうだい。いじけて声をかけて欲しいみたいな顔をしてたから、声かけただけよ」

「誰がいじけてるって……?」

「おお怖。大人しく退散するから、用がある時だけ呼んでちょうだい」


 そう言って、エリナは他の客の注文を取りに行くようにゴーシェから離れていく。


 店内は傭兵の数こそ少ないものの、様々な顔の客で賑わっていた。

 いつもならばその喧騒を笑いながら楽しむゴーシェだが、今日のそれはただ煩わしかった。


「本当にしけた面してるわね。横、座るわよ」


 エリナと入れ替わるようにゴーシェのもとにやって来たのは、ディアだった。


「うるせえな……って、なんだディアか。珍しいな」

「アンタが酒場で管巻いてそうな気がしたからよ」

「なんだそりゃ」


 一言二言を交わす二人だったが、ゴーシェのいつもと違う様子など気にせずにディアがその横に座る。

 ゴーシェが頼んだ蜂蜜酒の瓶を掴むと、自分の前の器に注ぎ何も言わずにそれをあおる。


「フィルから聞いたわよ」


 一息に飲み干した器を置き、また酒瓶を掴むディアがそう言った。


「その話か……柄にもなくちょっと混乱してるんだ。勘弁してくれよ」

「私、フィルについてくことにしたから」

「何だって?」


 お代わりの酒に口をつけるディアがさらりとそう言い、目の前の女が何を言っているのか分からないというようにゴーシェが声を返す。


「だから私も行くのよ、ミズールバラズ・・・・・・・に」

「……何言ってんだ、お前」

「別にアンタが行かないから、って訳じゃないわよ。前から行ってみたかったし」

「お前もイカれちまったか?」

「あら、お言葉ね。男って本当に口が悪くて、嫌ね」


 売り言葉に買い言葉というやり取りを二人がする。


「フィルは知ってるのか?」

「知ってるも何も、本人に言ったことよ。フィルからもオッケーもらったわよ」

「訳分かんねえな……」


 呆れ顔のゴーシェが目の前の器を手にし、酒をあおった後に頭を抱える。

 項垂れるゴーシェをディアが声をかけずに見守っていたところで、店の入口の方から更にゴーシェに声がかかる。


「ゴーシェさん!」


 声の方をゴーシェが見ると、店の入口からトニが入ってくるところであり、その後ろにはフィルとカトレアがいる。


「ゴーシェさん、お願いだよ。一緒に行こうよ! フィルさんを見捨てるのかよ!」

「またその話か……今日は勘弁してくれ」

「勘弁しないよ! お願いだよ!」


 声を発したトニは店の奥にいるゴーシェの方にずかずかと向かっていくと、掴みかかるようにゴーシェに懇願する。


「すまん、ゴーシェ。謝りついでだが、お前からもこいつらに言ってやってくれ。俺についてくると言って聞かないんだ」


 トニに続くように、フィルとカトレアも席の近くまで来る。


「ゴーシェさん、私からもお願いします! 私もフィルさんについて行くと決めました」

「はあ? 何でカトレアちゃんが――」

「私の気が済まないんです!」


 ゴーシェは何となく、トニは言うことを聞かずにどうしてもフィルについて行くと思っていたが、ディアやカトレアまでもが同じことを言い出すとは思ってもみなかった。


(一体、どういうことだこりゃ……揃いも揃って気でも触れたか……? いや、ディアの方は分からんでもないが……)


「何よ」


 普段から勝手気ままな振る舞いをするディアをさり気なく胸中で揶揄するゴーシェだったが、その視線の意図に気付いたのか、ディアから睨み返される。


「いや、すまん。というか、何なんだこりゃ」

「だからフィルさんについてくことに決めたんだよ! お願いだからゴーシェさんも一緒にいこうよ!」

「……何だそりゃ」


 矢継ぎ早にかけられる声に、ゴーシェがそう言って黙って俯く。

 ゴーシェには目の前の連中が何を考えているのか、全く分からなかった。


 何を好き好んで、死にに行かなきゃならないのだ。

 フィルには悪いが、そのフィルも、それについていこうという連中も、馬鹿だとしか思えない。


 いつだって体を張って、命を賭けて傭兵をやってきた。

 拾った命だって何度だってある。それをむざむざ捨てるなんぞ、馬鹿のやることだ。いや、馬鹿と断ずるのも馬鹿馬鹿しいほどのものだ。


 頭の中ではそう考えるが、胸中のもやもやとした気持ちが残る。


「ゴーシェさん!」


 トニが叫ぶ。


「うるせえな……」


 ゴーシェがぽつりと呟く。


「うるせえ、っつってんだよさっきから。どいつもこいつも死にたがりか! めでてえな! そんなに死にたいんなら勝手に死んでろっつーんだよ、俺を巻き込むな!」


 呟く声の後に続くように、苦言から怒号に変わるようなゴーシェの叫びが店の中に響く。

 周囲で酒を飲む者達は、一様に何の騒ぎだとゴーシェの方をちらちらと見る。


 フィルも目の前で起きていることを居心地が悪そうな顔で見ているだけだ。


「……もう帰るわ、こんな馬鹿馬鹿しい茶番に付き合ってらんねえよ」

「嫌だ!」


 そう言ってこの場を後にしようと立ち上がるゴーシェの前に、トニが手を広げて立ちふさがる。


「……どけよ」

「嫌だ!」


「……いくら俺でも怒るぞ。どかねえっつーんなら、ぶっ飛ばすぞ」

「どかないよ! いくらでもぶっ飛ばせよ!」


 ゴーシェの意思など無視するように今度はトニが叫び続ける。

 胸のわだかまりとその叫びに苛つき、ゴーシェが拳を固めた。


「おいトニ、そのへんでやめとけ。お前達の気持ちは嬉しいが――」

「やめないよ! 何だよ、フィルさんもゴーシェさんも! 今までずっと一緒に戦ってきたんじゃないか! 今までだって何度も死にそうになったじゃないか! 山人の国だか何だか知らないけど、それが何だよ! そんなの知らないよ! そんな訳分かんないとこに行くより、この前城で見たでっかい魔物の方がずっと怖かったよ! でもそんなことより、フィルさんが一人で死んじゃうことの方が怖いよ! 何だよ……」


 叫び続けるトニを誰にも止めることができなかった。

 フィルやゴーシェも、カウンターの奥で何事かとこちらを見る店主のバトラスですら、それを止めなかった。


「そんなこと……俺だって嫌だっつーんだよ」


 トニの叫びは、胸中にたちこめる暗雲に対するゴーシェの気持ち、そのものだった。

 それだけにゴーシェは、トニの主張に文句を言うこともできない。


「嫌なら一緒に行こうよ!!」

「ああ、うるせえ!!」


 トニとゴーシェが共に叫ぶようにする。


「もううるせえし、面倒くせえよ! 分かったよ、チクショウ! 俺も行くよ!」

「ホントに!?」

「ホントも何も、お前が言ってきたことだろうが! 何なんだよ本当に、一番馬鹿な俺が何で一番マトモなこと言ってんだよ! ホント、馬鹿ばっかりだな!」


 騒然としたやり取りの末、ゴーシェが出した結論はそれだった。


「ゴーシェさんだけには……言われたくないよ……」


 ゴーシェの言葉に安心したのか、ふっと力が抜けたようなトニが目尻を指で拭いながら搾り出すように軽口を利く。

 それを見たゴーシェの方は、ばつの悪そうな顔をしている。


「おいゴーシェ、そんな簡単に決めていいのか……? 何度も言うが俺は――」

「お前もうるせえな! もう行くって決めたんだから、行くでいいんだよ!」

「そうか……」


 フィル以外の面々は皆すっきりとしたような表情をしていたが、フィルはまだ納得し切れていなかった。

 しかし、うって変わって晴れやかな表情をしているゴーシェを見ていると、フィルの方も止めるのが面倒になってきた。

 何より、説得をできそうにないところが、だ。


「もう終わったかしら? 外でやってと言いたかったけど、丸く収まったみたいね」


 トニとゴーシェが声を静めるのを見てとったのか、手に蜂蜜酒の瓶を持ったエリナが席の方にやってくる。


「ああ、騒いですまなかったな」

「お得意様特典、ってことで許してあげるわ。これもサービスね」


 エリナは卓上に真新しい酒瓶を置くと、しなを作って片目を瞑るとすぐに戻っていった。

 強面のバトラスもカウンターの奥で同じ仕草をしている。


「こうなったら、もう前祝いだな。生きて戻れるように祝杯を上げるぞ」


 そう言って席に戻りながら、酒瓶をあけるゴーシェ。


「ゴーシェさん、怪我治ってないんだから大概にしときなよ」

「いいんだよ。おいフィル、お前も飲め」

「いや俺は無理だ。傷が――」

「うるせえよ、死にゃしないだろ。飲まないって言うんなら、またさっきのやつやるぞ?」


 よく分からない脅し文句を言うゴーシェに、フィルも諦めて席につくことにした。

 いつもの三人に、ディアリエンとカトレアが混ざり、ゴーシェの掛け声をもって杯を交わす。


 全くもって予想外の展開に、フィルの頭の整理も追いつかないが、ひとまずはこの不揃いな仲間達を受け入れようと思うのだった。


***


「フィル、もう諦めがついたか?」

「ああ、もういい。何言っても止められなさそうだしな」


 何度目かもう分からない乾杯をした後のゴーシェの言葉に、降参という仕草と共にフィルが言葉を返す。


「ディアさんもカトレアも増えて、賑やかになるね!」


 終止にこにことしながら、トニもそう言う。


「しかし、ディアはもういいとして、カトレアは大丈夫なのか? 戦ったことなんてないだろう」

「はい、申し訳ないですが……でも、長旅になるでしょうから物資も必要なはずです。私も野営のお手伝いでも何でもしますし、馬もいます!」

「そうか……もう何も言わないよ」

「ありがとうございます!」


 カトレアの方もトニと同様に嬉しいのか、飲みなれない酒に顔を赤くしながら微笑んでいる。

 何故か途中から放置されているディアは「何よ」という顔をしていた。


「しかし、ディアとカトレアちゃんか。二人も女の子が増えて確かに華やかになるな!」

「ゴーシェお前大丈夫なのか? 今まで男所帯だっただけに、お前の方が心配だよ」


 フィルは、女に弱いゴーシェをからかうようにそう言ったが、女性陣からは「何を言っているんだ」というような目線が返ってきた。


「フィル、アンタ何言ってるのよ。トニがいるじゃない」

「そうですよ、トニちゃんに失礼ですよ」

「は?」


 ディアリエンとカトレアから、フィルの言葉に糾弾するような言葉がかかるが、フィルは何のことだか分かっていなかった。


「フィル……アンタまさか、トニが男の子だと思ってたとか言わないわよね……?」

「え?」


 じとりとしたディアリエンの視線に、フィルが言葉を失う。


「フィルさん、本気で言ってるんですか……?」

「ん?」


 先ほどまで微笑を絶やさなかったカトレアも、真顔になっていた。


「フィルさん……俺、女だよ」


 トニがぽつりと呟く。

 一瞬しんとなる場に、口をつぐんだフィルが助けを求めるようにゴーシェの方を見るが、ゴーシェは明後日の方向を見ていた。


「マジで?」

「マジよ」


 冷ややかなディアリエンの声。


 沈黙の中、フィルは走馬灯のように記憶を思い返していた。

 言われてみればトニは、野営の際に体を拭う時も、用を足す時も、いつの間にかこそこそと茂みの奥で隠れるようにして済ましていた。

 フィルはてっきりそういう年頃かと思ってあまり気にしなかったし、振り返ってみると不審な点は他にも多々あったが、フィルは完全に童顔な少年だと勘違いをしていた。


 そう言われトニの顔を見ると、確かに小柄な女の子に見えた。


「フィルさん、酷いですよ……トニちゃん、可哀想。こんなに可愛い女の子なのに」

「流石に俺もびっくりだよ……」

「おいおいちょっと待てって。ゴーシェ、お前も男だと思ってたよな?」


 白を切り続けるゴーシェに助け舟を求めるようにフィルが声をかける。


「何を言っているんだ、フィル君。トニが男な訳がないだろう。もうトニが仲間になってから大分経つぞ?」


(コイツ……さては知ってやがったな)


 目の前のゴーシェの焦りを隠すような表情と、前に町で見せた不審な態度を思い出し、ゴーシェ自身もトニを男だと勘違いをしていたことがバレないように、騒ぎ立てずに黙っていたのだと把握した。


「いやだって、お前自分で女だなんて言わなかったじゃないか。『俺』とか言ってるし」

「普通分かるでしょ。『はじめまして、女です』なんて自己紹介する奴いないわよ」

「流石に俺もびっくりだよ……」


 フィルの言い訳に、辛らつな言葉を投げてくるディアと、沈んだ表情で言葉を繰り返すトニだった。


「いや、何だ。すまなかった……」

「ま、まあ勘違いくらい誰にでもあるだろう! それぐらいにしてやれよ、なあ!」


 ゴーシェの方もすまないと思っているのか、フィルをフォローするようなことを言い、トニの背中をばんばんと叩いている。


 幸いなことにその話は有耶無耶うやむやになったが、フィルの方は衝撃から立ち直れずにいることを表情に出さないように努めた。


「まあいいや! フィルさん、これからもよろしくね!」

「あ、ああ。よろしく頼む」


 切り替えが早いのか、トニの方はもう気にしていないような表情だ。


「ねえ、その『さん』ってのやめたら? 私のこともディアでいいわよ」

「そうだな、なんかずっとむず痒かったんだよな」


 ディアリエンが横から口を挟み、ゴーシェもそれに同意する。


「え、そう?」

「ああ。これからは一蓮托生だからな。俺のことも、フィルと呼んでくれていい」


 目の前のトニは少し困ったような表情になるが、すぐに笑顔に戻る。


「……分かった。ゴーシェ、ディアありがとう。フィルも……これからもよろしくね!」

「ああ」


 トニの元気な声に、名前を呼ばれた面々の顔が思わずほころぶ。


「ふふ、トニちゃん嬉しそう。良かったね」

「うん!」

「カトレアだけは『トニちゃん』なのか?」

「だって、トニちゃんはトニちゃんですもん」


 微笑みあう二人にフィルが言葉を差し込むが、「ねー」と二人ではしゃぐトニとカトレアだった。


「あ、でも私も『ちゃん』付けはやめて欲しいです」

「分かりました……」


 ゴーシェの方を見ながらそう言うカトレア。

 少しショックだったのか、ゴーシェはしょんぼりとしている。


 それからと言うもの、ゴーシェは治りかけの怪我など忘れたかのように酒を飲み、ディアも付き合って飲みながらゴーシェをあしらったりからかったりしている。


 すっかり増えた目の前の、仲間・・を見るフィルが思わず目を細める。


 状況は前途多難ということには変わりはないが、皆そんなことは忘れたか考えないようにしているのか、恐らく様々だろう。

 フィルはこれから始まる厳しい旅や、この騒ぎのせいで再び胸中に仕舞われた色々な思いに胸を馳せるが、ひとまずは目の前にいる仲間達を受け入れようと思った。


 リコンドールの夜はすっかり更け、酒場は一層の盛り上がりを見せる。


 勝利を祝うような歓声や笑い声に包まれる町は、それ自体がフィル達の旅を祝福しているようにも思えた。


 そうして傭兵はまた、次の戦いへと歩みを進めていくのであった。

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