第八章 魔剣ゲイラファビル

 カーティスは篝火に照らされる大広間の中、奥に控える異様な雰囲気を持つ男に近づいていく。

 広間の奥にいる男、動くこともなくぽつりぽつりと言葉を発するその相手は、どう見ても魔物には見えなかった。


 落ち着き払ったその姿はこちらを凄んでいるわけでもないが、物々しい威圧感を感じる。


(これは……魔力か?)


 体の内側がざわめく様な感覚を覚える。

 その威圧感の正体には見当もつかないカーティスは、手に持った長剣を握り締め、警戒をゆるめずにその男に歩み寄っていく。


「せっかくの機会だ、諸君らを歓迎しよう」


 目の前の男は、姿勢を崩さずにそう言った。

 篝火の明かりで男の顔がよく見える位置、大広間の中央より少し奥側まで来たところで、再度男から声がかかったのだ。


 カーティスには目の前の男が、先ほどから何を言っているのか全く分からなかった。

 敵を賞賛する言葉――それも、明らかに小馬鹿にした様子である。


「歓迎だと? 貴様はさっきからぐだぐだと何を言っている。貴様等魔物は負けたのだぞ?」


 目の前の男と会話をする気はなかったカーティスだが、男の調子に少し頭に血が上ったのか、思わず言葉を返してしまう。

 カーティスが苦々しげに言う様子を見て、男は添えていた手を顎から離し、口角を片方だけ上げてにやりと笑う。


「負けた? 一体どういうことだ。私はまだ健在だ」

「この城――ベルム城は我が軍が包囲している。外の魔物の駆逐もすぐに終わるだろうし、後ろの広間の魔物を片付けるのにも時間もかからない」


 依然、カーティスを挑発するようにとぼけた調子を見せる男に、顔には出さないものの苛立っているようなカーティスが返答する。


「君は何を言っているんだ。私が健在だということと、外がどうなっているかは関係ないだろう。頭が悪いのか?」

「――言わせておけば!」


 カーティスを侮辱されたことで、男のふてぶてしい態度に静かに腹を立てていたティムが激昂し、男に向かって駆け出す。

 男は玉座からゆっくりと立ち上がり、腰の鞘から長剣を抜き出し、構えという構えもないままにティムを迎え打つ姿勢をとる。


「ティム、待て!」


 駆け出したティムを止めようとするカーティスの言葉も虚しく、ティムの剣は男を捉えた――


 誰もが大上段からのティムの斬撃が男に届いたと思ったが、声もなく吹っ飛ばされたのはティムの方だった。


「ティム!」


 カーティスのすぐ目の前にまで飛ばされたティムは、石造りの床に体を強く打ちつけた後、気を失ったのか物を言わない。

 一体何が起こったのかと男の所作を見ると、ティムは剣を難なく受け止められた後、蹴り飛ばされたようだった。


 カーティスが倒れたままのティムに駆け寄りながらも、片手に持った切っ先を相手に向け牽制する。

 気を失っているものの、ティムは息をしていた。


「随分としつけのなっていない部下だな。話をしている時に斬りかかるとは何事だ」

「貴様……!」


 警戒するカーティスも、その後ろで構えるグレアムやフィルも、一撃でやられたティムの姿を見て構えたまま動けないでいた。


「まあせっかくの機会だから話をしようじゃないか。君達も聞きたいことがあるんじゃないか?」


 男は迎え入れるように腕を軽く広げるような姿勢を取り、微笑をたたえたままに言う。

 カーティスは男の態度とティムがやられたことに怒りと緊張を持って男を見据えるが、歯噛みをしながらもその口を開く。


「……貴様は何者だ。魔物なのか?」


 男が城門の上に立った時からの疑問を口にする。

 カーティスは耐え難く今にも討ちかかりそうな様子だったが、男の言う通り確認すべきことは山ほどあったからだ。


「最初に聞くことがそれか。まずは名乗った上で名前を聞くのが礼儀じゃないのか?」

「では名前は何だ」


 いちいち突っかかってくる男の言葉に、カーティスが吐き捨てるように問い返す。


「君達は力も持たなければ、態度も悪いんだな……まあいい。私はリググリーズという者だ。リグと呼んでもらっても構わない」


 カーティスと相対する――リググリーズと名乗った男は減らない口を利きながら、掌を自身の胸に置きながら軽く礼をする。


「ではリググリーズ、改めて聞こう。貴様等は何者だ? 魔物ではないのか?」

「前に挨拶したときにも言ったが、魔物というのも君達が決めた呼称だ。私は魔族と言ったつもりだが、まあ呼び名などどうでもいい。君達が魔物と定める勢力に属する者か、という質問であれば、答えは肯定だ」


 リググリーズは意外にも丁寧に答える。


「魔物に属すると言ったが、何故貴様は人語を話す? 我等の知る限りでは、そんな魔物はいない。貴様と同じような者がいるのか?」

「ああ、いるとも。私はヴァルドル・・・・・様に仕える魔族だ。君達と同じように言葉を話すし、より高尚な考えも持つ。君達も犬畜生と同等に扱われるのは嫌だろう? 君達が今まで戦ってきたのはそういった類のものだ。敵とはいえ、言葉を選んでもらいたいな」

「高尚、だと?」


 流暢に喋るリググリーズの話には不可解なことが多かったが、カーティスはおちょくるような言葉の方に引っかかる。


「人の地を蹂躙することの、何が高尚か!」

「……君達には随分と手を焼かされる。黙って大陸の端で我等に怯えながら細々と生きていればよかったものを、我等の力を奪って牙を剥いてくるというのだからな。飼い犬の方がまだ行儀がいい」

「ヴァルドルというのは何者だ! 貴様等の親玉か!」

「それを聞いても今日この場で死にゆく君達には意味がないだろう。ヴァルドル様は我等の王だ。口の利き方には――」


 リググリーズが喋る声が、金属がぶつかり合う音で途切れる。


「気をつけろと先ほどから言っているだろうが……」

「ぐううっ……」


 その声が途切れる一瞬の間に、リググリーズは跳躍するようにカーティスに肉薄し、横殴りのような剣閃がカーティスに襲い掛かった。


「ほう、これを防ぐか。君は人間にしてはやる方なんだな。魔力の感じからしても上々だ」


 剣と剣とが接触する。

 リググリーズの剣を辛うじて受け止めたカーティスだったが、ぎりぎりと押し付けられる敵の膂力により両手で持つ長剣の剣先が震えている。

 対してリググリーズの方は、カーティスと同じような長さの刀身を持つ長剣を片手で取り回しながら、カーティスを値踏みする余裕すらある。


「大隊長殿!!」


 明らかに押し負けているカーティスを見て、グレアムが焦りの声を上げてリググリーズに打ちかかる。


 リググリーズはグレアムが向かってくるのを見てとり、カーティスの剣を押し退け距離を取る。

 グレアムはいつものような隙だらけな大降りで長槍を振るうこともなく、小刻みに打ちかかり、突きや石突で流れるような攻撃を入れるが、その全てが防がれ受け流されている。


 長槍での猛攻をさばくリググリーズは、見るからに重みのありそうな長剣をまるで小枝を振り回すように片手で操り、体をよじる程度の回避や槍の軌道をそらすために剣を当てにいくような動作のみでひらりひらりと攻撃を避けている。

 そしてグレアムの間断なく振るわれる攻撃の隙間を縫い、ふっと剣を放ってくる。


「ぐおおおおっ!」


 リググリーズの剣をすんでに長槍の柄でグレアムが受けるが、その巨体がはぜるようになぎ倒される。

 石造りの床を転がり、受身を取りひざ立ちで即座に構えなおすグレアムだったが、追撃はなかった。


「君も中々に使う。少なくない魔力を感じる。君達がこの軍勢のなのかな」


 汗ひとつ流さないリググリーズが平然とした様子で言う。

 後ろに控えているフィル達は、一瞬の攻防を呆然と見ているだけだった。


「はっ、随分余裕こいてくれるじゃねえか」


 グレアムはゆっくりと立ち上がりながら、柄の部分までも金属でできた長槍を持ち直して構える。


「君達も随分と暴れてくれたもんだからな。先ほどは犬畜生と言ったが、あれら・・・も一応は私の大事な眷属だ。君達の命と魔力をもって返してもらうことにしよう」

「舐めたことを言ってくれる。貴様一人で何ができると言うのだ」

「言っただろう。外の奴等が使えないのなら、私一人で君達を残らず殺せばいい」


 リググリーズは当たり前のことを言うように、落ち着いた調子で喋る。


「面白え、試してやるよ!!」

「グレアム殿、加勢する!」

「いらねえ!! コイツと一緒に吹っ飛ばされたくなったら下がっててくれ、大隊長殿!!」


 カーティスの加勢を不要と言い、グレアムが再度リググリーズに打ちかかる。


「俺達も加勢しなくていいのか……?」


 怒涛の勢いで攻めかかるグレアムの姿を見て、フィル達を追って少し前にトニと共に広間内に来たゴーシェがフィルに声をかける。

 トニもどうしていいのか分からないのか、弓を構えることすらしていない。


「加勢した方がいいんだろうな……だが、あれじゃあオッサンの言うとおり加勢に入ったところで俺達も巻き込まれそうだ」


 リググリーズに向かって構えたままの静止した状態のフィルが、ゴーシェに応える。


 自分で言うだけあって、グレアムは長槍を大きく振り回し攻撃を繰り出し続けている。

 大振りであるものの、変則的かつ間断なく攻撃を放つグレアムの動きは、まるで一つの竜巻のようだ。


 先ほどは隙を縫うような攻撃を受けたものの、長槍をたくみに操り、リググリーズの反撃を柄や石突の部分で器用に防ぎながら攻撃を続ける。


「素晴らしいな、動きも力も人間とは思えない。私の部下にならないか?」

「ほざけ!!」


 グレアムの猛撃を変わらずいなしながら、リググリーズがグレアムの動きを評する。

 反撃をまともにもらわないものの、グレアムの長槍もリググリーズを捉えられていない。


「そうか、残念だ。もう少し試したい気持ちもあるが、後がつかえている。真面目に相手させてもらうよ」


 顔の真横を長槍の槍頭が通り過ぎた際にリググリーズはそう言い、グレアムが手元に引き寄せようとする槍を長剣で弾く。


「ぬおっ!!」


 先ほどまでと打って変わり、リググリーズが攻撃に転じた。

 長剣を軽々と――しかし鋭く振るい、数度の剣閃がグレアムを襲う。


 金属がぶつかり合う甲高い音が何度も鳴り響き、リググリーズの攻撃を危なげながらグレアムは防ぎ続けている。

 しかし、傍目からはもはや防戦一方になっていた。


「グレアム殿!」


 グレアムの窮地を察したカーティスが声を上げ、リググリーズに側面から襲い掛かる。


「ぐおおおおおおお……!!」


 カーティスが駆けつけようとする最中、長槍を弾かれ防御をこじ開けられたグレアムは、リググリーズの一閃を胸部に受ける。

 胸部を守る金属の板金鎧ごと裂かれたグレアムは、苦悶の声と共に血飛沫をあげた。


「オッサン!」


 カーティスが動くのと同時にフィルと共に駆け出し始めたゴーシェが、まともに攻撃を貰ったグレアムの姿を見て叫ぶ。

 カーティスが打ちかかってくる直前、わき腹あたりを狙ったリググリーズの中段の回し蹴りがグレアムを薙ぐように蹴り飛ばす。


 邪魔者をどけたリググリーズは、カーティスの上段からの切り込みを長剣で難なく受け止めた。


「グレアム! くそっ、トニ! グレアムのところに行ってくれ!」

「わかった!」


 リググリーズの蹴りで石の床を跳ねたグレアムは、血を流しながら動かない。

 トニをそちらに向かわせ、フィルはゴーシェと共にリググリーズと剣を交えているカーティスのもとへと走る。


「君の力はもう見たな。悪くないが、騒ぐほどのこともない。君がこの軍の将か?」

「そうだ! だったら何だというんだ!」

「君を殺せば我々の勝ちかな――」


 リググリーズは喋り終わる前にカーティスの剣を弾き、数度の剣を見舞う。

 グレアム同様に危なげながらもその剣を防ぐカーティスだったが、防ぎそこねた刺突で肩を深く刻まれ、怯んだところに襲ってきた一閃により剣を折ら・・れる。


「――終わりだ」


 ぽつりと呟くようにリググリーズの口から漏れる言葉と共に、守る術を失ったカーティスに剣が襲う――


 一際大きく鳴り響く、金属同士がぶつかり合う音。


 リググリーズの剣がカーティスに届く前に、駆け込んだフィルの剣がそれを止めた。


「ううっ……」


 刀身が半分ほどになった剣を手に持ったまま、カーティスが血を流す肩を抑えている。


「大隊長殿、下がっていてくれ! ゴーシェ、援護しろ!」

「俺達二人でなんとかなるのかよ、フィル!」


 得物を失ったカーティスを下がらせ、フィルとゴーシェでリググリーズを挟む。

 ティムが倒れ、軍の中でもおそらく一番腕が立つグレアムがやられ、カーティスも戦闘不能となった。


 グレアムがやられた時点で太刀打ちできる相手ではないことを察したゴーシェが悲壮感のある叫びを上げる。


「やるしかないだろ!」


 最早戦いになるのは、フィルとゴーシェくらいのものだろう。

 外で戦うライルの部隊の面々やアルカドが状況を察して助太刀に駆けつけることを期待するが、彼等とてフィル達とさほど力の差があるわけでもない。


 目の前の敵を止められるのは、事実上自分だけだという考えだ。


 手の中の直剣を数度振るうが、軽く防がれる。

 フィルの攻撃の合間を狙うように、ゴーシェも両手の剣で交互に切りつけるがこれも相手の体に届くことはなかった。


「ほう、君達も中々。しかし先ほどの者と大して変わらない」


 リググリーズは調子を変えることなく、フィル達を観察するように見ながら攻撃を防ぎ続ける。

 フィルとゴーシェの二人から息をつく暇もない程に剣の乱撃を受けるが、軽々と長剣で受け続けるリググリーズの様子に、フィルも焦りを隠すことができない。


「……邪魔だな」


 丁度両手に持った剣を同時に振るい強襲をかけたゴーシェの剣を受け止めると、リググリーズはぽつりとそう言い、両手で持ち直した長剣をかち上げるように振るい、ゴーシェの剣を払った。

 力強い一閃に、ゴーシェは右手の剣を弾き飛ばされ、残った剣を掲げるようにして防御を取るように構えたが、リググリーズの上段からの剣閃はゴーシェの剣をあっさりと砕いた・・・


 そのままの勢いで振り下ろされる長剣を止めるものはない。


「がっ……!」


 肩口から斜め下にへと切り付けられ、ゴーシェが沈む。


「ゴーシェ!! ……くっそがあああああああ!!」

「ゴーシェさん!」


 横で共に剣を振るっていたゴーシェをも切り伏せられ、フィルはリググリーズを押し込むように乱暴に剣を振るった。

 力任せの剣は先ほど同様に受け止められるが、フィルの圧力にリググリーズは一歩、一歩というように後退していく。


 広間内に駆けつけていた数人の兵にグレアムを預けると、トニもゴーシェのもとに駆けつける。


「勢いやよし。が、そう闇雲に剣を振るうもんじゃない」

「黙りやがれ!!」


 何度も打ち付けるように振るわれる剣は、その勢いむなしくリググリーズの長剣に止められる。


「君で最後だな。殺すにはちと惜しいが、私の軍門に降れと言っても首を縦には振らないのだろう?」

「黙れと言ってるだろうが!!」


 叫びと共に振るわれる横殴りの剣は宙を切る。


「どれ。心を折ってみれば、気も変わるか?」


 リググリーズはそう言って、正眼に構えていた剣先を下げ、フィルに刺突を見舞う。


「くっ!」


 繰り返しの突きは鋭く、フィルは小盾や剣で防ぐのがようやくだ。

 数度の刺突を逸らすように防ぐフィルだったが、徐々に防御が遅れ、肩口や腕、そしてわき腹などを敵の長剣がかすめていく。


 リググリーズのまるで少しずつ削り取るような猛襲に、フィルの口からは苦悶の声が漏れる。


「フィルさん!」


 先ほど切り伏せられたゴーシェのもとに駆けつけたトニが、フィルの状態を見て叫ぶ。

 ゴーシェの出血はかなりのもので、トニと共に数名の兵が駆け寄り血を止めようとしているが、もはや息があるかも危うげな状態だ。


 フィルもその体をもう数十箇所は切りつけられており、浅い傷であるものの大量の血が流れ出る。

 リググリーズの猛襲に刻一刻と傷だらけになっていくフィル。


 周囲の兵や傷を負ったカーティスには、それを眺めていることしかできない。


「どうだ。負けを認めて私の配下に降る気になったか?」

「……黙れと、言ってるだろうが……!」


 全身から血を流し、息も絶え絶えというような状態のフィルが、お返しと言うように剣を振るう。

 すっかり勢いが衰えたその剣が敵の体に届くことはなく、リググリーズはうっとおしそうに剣を払う。


「面妖な。そんな状態になっても、音を上げぬか。一体何が君を突き動かす」

「……黙れ……この、魔物が……」


 会話にならない相手にリググリーズが鼻を鳴らすと、剣を上段に構えた。

 相対するフィルはもはや剣や小盾を構えるのもやっとであり、迎え撃つことができない。


「もはやこれまでか」

『全く、なっていないな』


 とどめをさそうと意思表示するようなリググリーズの声に重なり、フィルはまるで耳の中で鳴っているかのような声を聞いた。


 意識を手放しそうな状態のフィルにはそれが何であるかを考える余裕もないが、そんなフィルに構いなしに、再度同じ声が聞こえる。


『なっていない』


 耳の中でその声が鳴ると同時に、汗と血で滲んでいたフィルの視界が、白くぼやけていく。


 視界内のリググリーズが上段に構える立ち姿が見えなくなっていく。


***


 目の前が真っ白になった直後、フィルはすぐにそれが自身の視界が真っ白になったわけではなく、自身が真っ白な空間の中にいることに気づいた。


 血を流しすぎて朦朧としていた意識も、何故か今ははっきりとしていた。

 空間の中には何もなく、音もなかった。


「あの戦いぶりはなんだ」


 フィルは後ろからかけられた声にはっと振り返ると、そこにはフィルよりも頭一つ大きい、鎧をまとったいかにも武人というような男が立っていた。

 男は厳つい顔に反して、透き通るような白い肌をしており、憮然とした表情をしている。


「お前の『逃げたい』という声が聞こえた。敵前にしてその心構えは何だ。恥を知れ」


 声を返せないフィルに、男が言葉を続ける。


「アンタは誰だ? ここは……どこだ?」


 フィルは男の言葉の意図が全く分からず、問いかけてしまう。

 問うたものの、自分がいるこの空間の感覚、そして男の立ち姿には何故か覚えがあった。


「何を言っている。お前とは随分昔に会っている。身の丈を考えず、この私を眷属・・とする契約をした時にな。よもや忘れたとは言わせんぞ」

「あ、ああ。そうだったか」


 男の答えで、フィルの頭にこの感覚が何であったかが蘇ってくる。

 これは初めて魔晶石に付呪エンチャントをした時の感覚だ。


 男の顔にもかすかに覚えがあるものの、それが何であったかは思い出せない。


「アンタ……名前はなんだったか? 記憶が曖昧だ……」

「ふん、名前も忘れたか。私の名は、ゲイラファビルだ」


 かすかに覚えがあるような名前だった。

 ゲイラファビルという名の男が言葉を続ける。


「戦いぶりに呆れてお前に呼びかけた。心構えもない者に戦う資格など、ない」

「さっきから何を言っているんだ? 心構えって何のことだ」

「自覚もないのか、改めて呆れさせてくれる。敵の強さを目の当たりにして、お前は『逃げたい』と思い続けていた。それが恥でないとして、何が恥なのだ」


 変わらず不満げな喋り方をするゲイラファビルだったが、フィルにはやはり言葉の意味が分からない。


「何を言っている。あの魔族との戦いのことか? 俺は逃げたいなんて一度も思っちゃいない」

「笑わせるな。私はお前の感覚を共有している。お前が心の奥底で逃げたいと何度も叫ぶのを聞いている。弱々しいその声をな」


 何を言っているんだと再度返したかったフィルだが、何故か声にならなかった。


「前にあった時と比べて随分と魔力を持ったようだが、心持ちは変わったな。お前がまだ小さき頃の方が、まだ真っ直ぐな戦う気概があった――」

「俺は逃げたいなんて思っていない!」


 目の前のゲイラファビルの言葉に心がざわつき、フィルは言葉を荒げる。

 改めて嘆息し、ゆっくりとゲイラファビルが話す。


「お前は命を捨てて戦いに挑んだ。命を投げ出して戦うことに問題があるわけではない。その命を捨てるようにして逃げ腰で戦うことが問題だと言っているのだ。現に、お前がいくら否定しようと、私にはお前の声が聞こえていた」


 フィルはその言葉に口を閉ざしてしまう。

 確かに強者が倒れていく中、自分の力ではどうにもならないのでは、という感情があった。


「怒りや恐怖に突き動かされて剣を振るうことも論外だ。全く、なっていない。武人であれば、自分が芯と思うものを頼りとし、揺るがないものを持たねばならない」

「さっきから武人、武人って何なんだ。俺はただの傭兵だ。アンタにそんなことを言われる筋合いもない」

「心に剣を取った時、誰しもが武人となるのだ。過去、お前にはその覚悟があったことも、私は知っている。都合のいいことを言うな」

「それは……」


 フィルは少年の時、自らの剣を作った時の感情を思い出していた。

 確かにあの時自分は、自分が信じるものを貫くために戦うと決意をした。


「しかし、前は魔力が微弱すぎて気にも留めなかったが、やはりお前はあの武人――私をほふった者の、子なのだな。お前の父は見事な武人だった。その子供がそんな体たらくであることを認めることはできない」


 意外な言葉に、フィルがはっとした表情となる。


「……父上を知っているのか?」

「知らない訳がないだろう。先刻言ったように私を破ったのがお前の父だ。立派な、武人だった」

「……父上は、強かったか?」

「無論だ」

「そうか……」


 白い空間しかないその中空を仰ぐようにフィルは顔を上げる。

 父を知っているゲイラファビルの言葉は、その全てがフィルの心に突き刺さるようだった。


 少しの時間、その体勢のまま自分を見つめなおすように考え、フィルがぽつりと喋りだす。


「……認めるよ。確かに、俺はさっき逃げたいと思っていた。どこかで弱くなってしまっていたのか、戦いの先を見るようになっていた」

「それ自体は悪いことではない。自らの力量を知ったということだ」

「そうだな……しかし、アンタが言ったことも今ではよく分かるよ」

「正直になることはいいことだ」


 フィルにかけられる言葉や声は、先ほどとはうって変わり優しさを孕むようなものになっていた。


「俺は強くなりたい」

「それも無論だ。今となっては、強くなってもらわねば私も困る」

「アンタには関係ないだろう」

「そうでもない」


 フィルとのやり取りの中、ゲイラファビルの言葉はその意図を図りかねるものとなっていた。

 しかし、フィルにもそれを追求しようという気持ちは沸かない。


「どうしたら強くなれる?」

「それは自分で考えろと言いたいが、お前はすでに私という力を持っている。自ら強くなろうとすることを捨てず、私の力も受け入れろ。お前の力――がそれに値するものになれば、自ずと私の力もお前のものとなろう」

「しかしそんなことも言ってられない。実際、今俺は死にかけているんだ」

「世話の焼ける奴だな。しかし、お前が言うことも事実だ。今このときだけは助けになってやろう」


 自らの窮地をあっけらかんとした調子で言うフィルだったが、ゲイラファビルの方もまんざらでもない調子で返す。


「私が力になるのだから、間違ってもあの忌々しいヴァルドル・・・・・の尖兵などに遅れを取るなよ」

「そいつは何者だ?」

「……それは、お前自身の目と耳で確かめろ」


 すっかりとずけずけとした物言いになっていたフィルに、眉間に皺を寄せながらの声が返ってくる。


「いいか、今回は助けになってやるがこれが最後だと思え。力の無き者に仕える意味などないからな。これはお前の父――ジュアンへの、手向けだ」

「分かった。ありがとう、助かるよ」


 父の名を口にしたゲイラファビルは、どこか懐かしむような目をしていた。


「それと、それがお前の剣か?」

「うん? そうだが」

「グラディウスか。古風だが、いい武器だ」


 フィルは手に馴染んだ自分の得物――身幅の広い両刃の直剣を見下ろす。


「父上に初めてもらった剣が……これと同じものだったんだ」

「ふむ、確かに奴もグラディウスを扱っていたな。適わないが、もう一度剣を交えてみたいものだ」


 目を細めるゲイラファビルに、フィルはかける言葉が見つからなかった。


「いずれお前が本当の意味で自分の剣を手にする時が来るだろう……さあ、もう行け」

「ああ」


 そう言うと、フィルの視界がまた白に満たされていく。


「最後にだが、私の力――魔力の根本は、『変質』にある。フェルナンド、それを覚えておけ――」

「何だって? まあ、いいか」


 段々と視界が失われていくと共に、その声も遠くなっていく。

 意識が手から離れていくような感覚に、ゲイラファビルの言葉の意図が分からなかったが、言葉だけを覚えておこうとフィルは思った。


 そうして、また白に包まれる。


***


 暗転したように戻ってくる意識。


 先ほどとは異なり、傷だらけで少なくない血を失ったはずの体には英気が満ち溢れており、意識もはっきりとしている。

 目の前には、今まさに剣を振り下ろそうとしている敵――リググリーズが立っていた。


 しかし、その表情は驚いているように目を剥いており、はっとした表情に変わった後に剣が振り下ろされた。


「――フィルさん!」


 トニの声が広間内に響くが、フィルは身をよじるようにしてその剣を避わす。


「なるほど、これが助けか……」


 フィルが手に持つ直剣を見やると、魔力によるものだと思える光に包まれたそれは、リググリーズが持つ長剣と同じような刀身の長さの剣となった。

 フィルは、左の手に持っていた小盾を放り出すと、長剣を両手で持ち直して構える。


「貴様……いきなり魔力光に包まれて何かと思えば、一体何のつもりだ。どこにそんな魔力を隠し持っていた」


 フィルに自らの剣を避わされたリググリーズは、余裕の表情を消して剣を構え、フィルを見据えている。

 フィルの変化に、魔力の圧を感じたための警戒だ。


 言葉もなく、フィルに打ち掛かってくるリググリーズだが、フィルは両手に持った長剣で迎え打ち、いなしてその攻撃のことごとくを避わしきる。


 明らかに変わったフィルの動きに、リググリーズが唾棄するように言葉を投げてくる。


「何なんだ、その魔力――」


 喋りかけた所で、再びリググリーズの表情が変わった。

 その目は、怒りで燃えるようにフィルに向けられる。


「その魔力……まさか、ゲイラファビル様のものか……貴様ごときの人間があああああ!!」


 叫びと共にリググリーズがフィルに切りかかる。

 飛び掛るように振り下ろされるその剣閃をフィルが長剣で受け止め、つば迫り合いの格好となった。


 憤怒の表情のリググリーズの剣だったが、フィルはそれに押し負けることはなかった。


 長剣の根元の方で接触した状態のまま、フィルは無理に押し込むことなくいなし・・・、側面に回るように動くと、瞬時に長剣を振り下ろす。


「がああああああああっ!!」


 絶叫と共に、リググリーズの両腕・・が剣を持ったままの状態で、石造りの床に落ちる。

 肘のあたりから両の腕を失い、血を流すリググリーズは苦悶の叫びを上げ続ける。


「――貴様は!! 貴様はああああああああああ!!」

「悪いな」


 フィルはそうぽつりと声を漏らすと、鋭い横一閃でリググリーズの首を跳ね飛ばした。


 広間内に反響する叫びが鳴り止まないままに、リググリーズの首が石の床に落ちる鈍い音がした。


 広間内にいる者、腕をおさえたままのカーティスですら声を上げない。

 一瞬の静寂が流れる。


「フィルさん!!」


 フィルの名を呼びながら、トニが駆け寄ってくる。


「トニか……終わった……ぞ……」


 フィルが両手に持っていた剣は床に落ち、乾いた金属音がした。


 依然血を流したままのボロボロな姿となっていたフィルは、駆け寄るトニに受け止められるような格好で、その意識を手放し倒れた。


 広間内は、再度フィルの名を叫ぶトニの声以外には音がなく、誰しもが地に伏した魔族とフィルの姿を眺めているだけだった。


 本城の外では依然戦いの音が鳴り止まず、広間にまでそれが聞こえてくる。

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