第八章 川辺の微笑み

 巨大な狼――ワーグと対峙し、フィルはまず逃げることを考えた。

 クゥやその妹のジャニスは狩人としては一人前であるとは言え、魔物との戦闘での力量は未知数だ。


 相手のワーグは単身であり、仲間の魔物がいるとも思えないが、他の四人を守りながら戦えるとも思えなかった。


「……あれはお前らの守り神様・・・・か?」

「いんや、違うべ。守り神様の臭いかと思ったんだが、違う」


 ワーグがすぐに襲い掛かってこず、こちらの様子を伺っているように見えるので、フィルは横にいたクゥに静かに声をかけた。

 きゅっと唇を結ぶクゥの立ち姿は戸惑っているようにも怯えているようにも見え、やはり戦いの頭数になるとも思えない。


「カトレア、こっちに来い」


 フィル達とは少し離れた場所にいたカトレアに声をかける。


「あ……ああ……」

「おい、カトレア!」


 距離があるとは言え、巨体を持つワーグの姿を見たカトレアは恐怖に体が固まってしまっているのか、こちらの声が届いていないようだ。

 ワーグの鋭い視線を受け、気圧されるようにじりじりと後ずさってしまう。


「カトレア、そっちはダメだよ!」


 カトレアが後退していく方は、川の流れで谷間のようになっている崖があり、フィル達からも離れてしまう。

 慌てて駆け寄ろうとするトニを制止した。


「クゥ、お前達三人は村に急いで戻れ。トニも連れてってくれ」

「馬鹿言うでねえ、あんな化け物一人で相手できるわけねえべ」

「牽制くらいはできる。それよりゴーシェやお前の親父さんを呼んできて欲しい」


 今この場にいる面々で事を構えたとしても、敵を仕留められるか分からない。

 ここで全員がやられ、ワーグに村に向かわれるよりマシと考えてのことだ。


「フィル、俺も一緒に戦うよ!」

「……トニ、お前もクゥと村に戻れ。カトレアも隙を見て逃がす」


 そんなやり取りをしていると、一人浮いていたカトレアを見定めたのか、ワーグがそちらに向かって駆け出そうとするのが見えた。


「――行け!!」


 フィルもそれと同時に叫びながら駆け出す。

 カトレアは依然固まってしまっているのか、ワーグが真っ直ぐに向かって来ているにも関わらず、逃げることもしていない。


「うおおおおおおお!!」


 敵とカトレアの間に割って入るように駆け出したのだが、少しでもこちらに注意を引こうと叫びを上げた。

 流石にフィルが上げた叫びには気付き、カトレアもはっとした表情になったが、ワーグの方も思惑通りフィルの方に向きを変える。


「ああああああ!!」


 カトレアを背にして、ワーグが引っ掻くように繰り出してきた爪を避け、牙を剥き出した顔をかち上げるように剣を振るう。

 フィルの剣閃は咄嗟に身を翻した敵の鼻先を掠めるだけに終わったが、体勢を立て直すためかワーグが飛び退いた。


「カトレア、後ろに回れ。俺が合図したら村の方に逃げろ!」

「あ、ああ……フィルさん……」


 一瞬、気を取り直したように見えたカトレアだったが、未だ恐怖がつきまとっているのかすぐに動けそうもない。

 対峙するワーグの奥を見ると、クゥ達三人が村の方に走っていくのが見えた。トニもクゥに引きずられるようにして村の方に向かっているようで、一先ず安心できた。


(あとはコイツを食い止めるのと、カトレアを逃がすだけだな……)


 背中に感じるカトレアの気配は恐怖でまだ動ける様子もなく、ワーグと一対一で相手取ることを考えた。

 随分と前のこととは言え、ゴーシェと二人で辛くも勝利を収めた相手だ。フィル一人で仕留めるのは難しく思え、時間稼ぎもどうかというところだ。


「カトレア、おい! 動けないのか!」


 唸り声をあげてこちらを見据えるワーグからは視線を外さずカトレアに声をかけるが、息が上がったような呼吸音以外は返ってこない。


(くそっ……やるしかないか)


 狩りを兼ねた山歩きの予定だったため、フィルも自身の剣以外の装備は置いてきており、新調した盾もない。片手に持った剣をちらりと見やり、覚えたばかりの魔法を使っての力押しを考えるが、数分しか維持できないことは分かっているため、止めを刺せなかったことを考えると決断に踏み切れない。

 魔力を消費しきってしまえば動くこともままならないため、仕留め切れないことは即ち、カトレア共々にワーグにやられることを意味している。


「カトレア! トニ達の方に走れ! このままじゃ二人して――」


 フィルが怒鳴り付けるようにカトレアに投げかけた声を威嚇と捉えたのか、言い切らないうちにワーグの巨体がフィルの方に飛んできた。

 その爪と牙をすんでで避わし、敵の側面を叩くように剣を振るうがこれも浅い。


 再び距離を取ろうとするワーグの方に踏み込み、追撃とばかりに数度剣を振るうが、反撃を警戒して距離を十分に詰められなかったため、フィルの剣は空を切った。

 敵の体格に比べ、明らかに規格の小さい自身の剣に舌打ちをする。


(せめて盾があればもっと踏み込めるもんだが……やはり魔法を使うか……?)


 距離を取ったワーグに向かい腰を落として構え直しながら、フィルは一人ごちる。

 このままジリ貧・・・になるくらいなら、一気に片をつけられる方がいいかと考えた。


 そんなフィルの視線をふっと外し、ワーグがトニ達が走っていった方のを見ると、そちらに向かって唸り声を上げ始めた。


 視線に追い付くようにフィルもそちらを見ると、崖の方にカトレアが立っている。


(何でそっちに――)


 村の方に逃げろと言ったのに後ずさるように逆の方に移動していたカトレアを視認したのとほぼ同時に、ワーグがそちらに飛び掛かろうと構えるのが見えた。

 間に合うかと思いながらも手の内の柄、そして刀身に魔力を集中させながら、カトレアとワーグの間の地点に向かってフィルが駆け出す。


「グルオオォォオオオオオオ!」

「きゃあああああああ!」


 雄叫びのような声を上げて飛び掛かるワーグを見て、カトレアの叫声が上がる。

 一歩後ろは崖、という所まで追い詰められるようになっていたカトレアはぐらりと体勢を崩し、今にも崖下に落ちようという様相だ。


 即座にまずいと判断し、ワーグの横っ面を叩くように、魔力の光を脱ぎ捨て長剣となった自身の剣をフィルが振るう。

 脇腹の肉を裂く感触があり、空中で身を捩ったワーグが飛び掛かる軌道が変わる。


 少しの安堵と共に視線をカトレアの方に向けると、その体がゆっくりと音もなく崖の向こうに落ちていくのが見えた。


「カトレア!!」


 その姿を追うように、脇目もふらずに崖の方に走っていくと、崖下の川の深さも確認することなく、フィルも迷いなく飛び込んだ。


 叫び声の後に、二つ続いて川の水が飛沫を上げる音がする。


***


「おいトニ、いい加減諦めるべ!」

「何言ってんだよ! フィルとカトレアを置いてくなんて、どーいうつもりだよ!」

「フィルさんも村に逃げろって言ってたべ! 親父を呼びに早く村に戻らなきゃなんねえ!」


 フィルのもとに戻ろうとするトニを引っ張りながら、クゥとジャニスは村に向かっていた。

 ファングなどの村の大人達に一刻も早く報告し、戦える者を引き連れて戻ろうと主張するクゥだったが、それでは間に合わないというトニの主張は平行線だった。

 ジャニスなどはその問答を横で見ながら、おどおどとしているだけである。


「村まであと少しだ。それから戻った方が確実だべ。おめえ一人で行ったって死ぬだけだぞ!」

「……村に戻ったらすぐフィルを助けに行くよ!」

「しつこいな、分かったって言ってるべ!」


 依然引き返そうとする様子のトニだったが、ひとまずはクゥの言に従う。

 三人は村への道を急ぎ進んでいた。


「グギャアァァアアアアアア!」


 その行く手を阻むように一体のゴブリンが叫びを上げながら木の影から飛び出してきた。


「魔物!?」


 腰の剣を反射的に引き抜き、目の前に飛び出してきた魔物をトニが切り伏せる。


「何でこんなところに魔物が……」

「お兄ちゃん、前から来るよ!」


 前方を見ると、五体ほどのゴブリンがこちらに向かってくるところだった。

 森歩きの際、周囲の警戒を怠らなかったクゥとジャニスの二人だったが、急いでいたこともあり魔物の気配に全く気付かなかったのだ。

 ましてや、こんな村の近くに魔物がいるということも、考えになかった。


 魔物の姿が見えた瞬間、剣を手に持ったトニとクゥが駆け出す。

 後ろからのジャニスの弓の援護もあり、ゴブリンの集団は数秒で骸となった。


「驚いたけど、ゴブリンくらいだったら大したことないね」

「んだな。しかし村の方が心配だ、急ぐべ」


 周囲に他の魔物がいないことを確認すると、警戒した状態で村に急いで向かう。

 クゥの言う通り、村にかなり近いところで接敵したようで、少し進むと村の建物が見えてきた。


「クゥ! お前ら無事だったか!」


 村に入るとすぐに、狩人の格好をした男が声をかけてきた。

 トニは面識のない男だったが、クゥの姿を視認して駆け寄るように向かってきた。


「どうなってるんだべ。村の近くに魔物が出た。親父はどこにいる?」


 声をかけてきた男の様子もそうだが、村の中は騒然としていた。


「裏にも出たか。さっきから化け物共が村を襲ってきてるんだ。族長は入り口の方で戦ってる。敵の数がもの凄い」

「魔物が村に? 何が起こってんだべ……」

「分からん。とにかく、族長のところに行ってくれ。こっちも状況を掴めていない」


 男はそう言うと、村の中に魔物が入っていないか見回る必要があると言い、クゥに別れを告げて去っていった。

 守り神の狼の領域テリトリーであるはずの村の近くに魔物が出たことも分からなかったが、魔物が村を襲ってきていることを聞き、ファングのもとへ急いで向かうことにした。

 村の入口まで向かうと、ファングと共にかなりの人数の戦士が集まっていることが分かり、その周りには地に伏したゴブリンやオーガの死体が転がっている。

 ファングと共に山歩きに出たゴーシェやディアも行動を共にしているようで、その姿が見えた。


「クゥ、よく戻って来た!」

「親父、村に戻ってたんだな。一体どうなってるんだ」

「詳しいことは分からん。魔物が引っ切り無しに押し寄せてくるので、村の守りで手一杯なのだ。そっちは何事もなかったか?」


 クゥの姿を見るなり、ファングが声をかけてくる。

 息を荒げているクゥとファングの会話に割り込むように、トニが声をあげた。


「ゴーシェ、フィルが大変なんだ!!」

「トニ、どうした。フィルはどこだ?」

「狼の魔物に襲われて……カトレアとフィルを置いてきちゃったんだ……」

「何ですって? 一体どこで――」

「馬鹿野郎! 何で一緒に戦わなかったんだ!」

「フィルがクゥ達と村に戻って大人達を連れて来いって、言うから……俺……」


 要領を得ない喋り方のトニに状況を確認しようとするディアの言葉を遮り、ゴーシェが声を荒げる。

 自身でもフィルと共に戦おうとしたトニは、言葉もないように意気消沈している。


「フィルがそう言ったのか……マズいな。場所を教えろ。すぐに俺達も行くぞ!」

「ゴーシェさん、俺が案内するべ――」


 フィル達のところに駆けつけようとするゴーシェにクゥが案内すると応じたそれぞれの声は、村の外から響いてきた魔物の叫声に遮られた。


「族長! また敵がこちらに向かってきます! 数が……」


 魔物の声に背中を押されるようにして村の外から男達がファングのもとに駆けつけ、更なる敵の来訪を知らせる。

 その背中越しに見える森の中には、おびただしい数の魔物――ゴブリンやオーガがこちらに向かってきているのが見えた。


「ゴーシェ殿、すまないが村の守りを優先してくれ!」

「ちっ、引っ切り無しに攻めてきやがって……ここを守らないと始まらんな。トニ、心配なのは分かるが、お前も守りに加われ! カトレアが心配だがフィルのことだ、そう簡単には死なないだろ!」

「……分かったよ」


 今にもフィルのもとに駆け出そうという表情だったトニだが、村を襲ってくる魔物を捨て置くわけにはいかないことは分かっており、ゴーシェの言葉に大人しく従う。

 村中のほとんどの戦力とも言えるだろう戦士たちと、魔物の大群とのぶつかり合いが始まるのだった。


***


 フィルとカトレアは、流れの急な川のそば、水際の岩場に伏していた。

 二人共意識はあるものの、息も絶え絶えとなっている。


「カトレア……無事か?」

「はい、フィルさん……あの……こんなことになってしまい、本当にすいません……」

「いや無事ならいい。相手が悪かったと思う他ない」


 二人が落ちた崖の下は、崖と崖の谷間となっている急流だった。

 最も、フィルにいたっては自ら飛び込んだのだが、幸いなことに流れは急であるもののかなりの深さがあり、崖から落ちたことによる怪我はほとんどなかった。

 とは言え、制御不能な濁流に、体を岩場にぶつけられながら押し流されたため、共に全身に擦り傷や打ち身などを負っている。


 谷間の切れ目の流れが少し緩くなっていた所で、フィルは前を流されているカトレアの体を捉え、何とか岸までたどり着いたのだ。


「……その足、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です……」


 互いに全身傷だらけであるものの、カトレアは濁流に流されている間に強く打ち付けたようで、片足に赤紫色のあざが広がっている。


「痛むか? 折れてはいないようだが」

「い、いたっ……すいません。大丈夫です」


 フィルが触れて確かめるが、骨が折れるまでには至っていないようだった。

 それにしても、痛々しい様相には変わりはない。


「動けそう……には見えないな。ひとまず、あの魔物――ワーグもここまでは追ってこないだろう。不幸中の幸いだな」

「すいません、ちょっとすぐには動けそうにないです……本当にすいません」

「謝らなくてもいい。こうして二人、一応は無事なんだ」

「でも……」


 全身の痛みに堪えているのだろうが、カトレアは謝罪を繰り返すばかりだ。

 その姿を見て、フィルも嘆息のような息を漏らす。


「とにかく、少し休んだら村の方に向かおう。ここがどこなのかも分からないが、また魔物が襲ってこないとも限らないしな」

「……多分、川を下っていけば村の近くまで出ると思います」

「そうなのか? よく分かるな」

「村の近くの川に行ったことがあります。多分、同じ川だと思うので……」


 カトレアの提案にフィルは頷き、二人は暫しの休息を取ることにした。

 村の様子が気になるし、依然魔物を警戒する必要もあるのだが、やはりカトレアの様子を見る限りすぐに動けそうもなかったからだ。

 川沿いを歩いて村に向かうことを決めると、二人は交わす言葉もなく眼前の川をそれぞれに眺めていた。川の流れや、鳥の声や風が木を揺らす音ばかりが場を満たす。


 長い沈黙を破ったのはカトレアだった。


「あの……本当に、すいませんでした……私、旅を始めてからずっと足手まといで……どうにかしようと思ってるんです。でも、できなくて……」


 その消え入りそうな声は、最後の方は言葉にすらなっていない。

 項垂れながらぽつりぽつりと言葉を吐き、声を絞り出すと共に、吐き出した言葉と同じようにぽつりぽつりと涙を落としているのが分かる。


「そう謝らなくてもいい。本当に気にしていない」


 気遣ったつもりのフィルの言葉だったが、カトレアは尚、胸が締め付けられるようだった。


「トニちゃんとも話してたんです。何とか役に立てるようになれないか、って。それでも、やっぱり上手くできなくて」

「おい、だから――」

「ダメなんです……役に立とうと思って付いてきたのに……一緒にいるだけで邪魔になるなんて、思わなくて……」


 せき止められていた言葉が流れ出すように、制止するフィルの声も耳に入っていないようで、カトレアは自分に語りかけるように喋り続ける。


「さっきもそうでした。あんなに大きな魔物が目の前に出てきて、頭の中が真っ白になったみたいでした……フィルさんが声をかけてくれてるのは分かってたのに、体がまるで言うことを聞かなくて……後ろが崖だったなんてことにも気付かなくて……フィルさんにこんな迷惑をかけるくらいなら、そのまま一人で死んでしまえば――」

「それ以上はやめておけ」


 フィルはカトレアの肩に手を沿え、強い声で言葉を止める。

 はっと気付いたように頭を上げるカトレアの目は充血して赤くなっており、焦点が合っていないような瞳からは、静かに涙が頬を伝い、いくつもの筋を作っている。

 そんな自分の姿をフィルに正視され、カトレアは再び俯いてしまう。


「……あのな、何度も言うが気にしなくていい。役に立とうとしてくれるのは有難いんだが、俺にとっては一緒に旅をしてくれるだけでも嬉しいんだ」

「そんなの、嘘ですよ……」

「嘘なんかじゃない。トニも、ゴーシェも、ディアは――あいつは好きで付いてきた物好きだからいいんだが、こんな死地に向かうような旅に付いてきてくれて、本当に有難いと思ってる」

「それは……ゴーシェさんもディアさんも強いですし……トニちゃんだって」

「別に一緒に戦えるから有難いってわけじゃない。旅を決めて、本当に俺は一人で向かうつもりだったんだが、考えが甘かったと痛感したよ。魔物との戦いだって一人じゃどうにもならなかっただろうし、仲間と言える奴等が傍にいるってのが、それだけで心強いってことが分かった。カトレアも、同じだ」


 フィルは優しく、諭すように言葉を紡ぐ。


「でもやっぱり、私だけ役に立ててないですし……」

「だから、そんなことはない。ゴーシェも言っていたが、野営の準備なんかもそうだし、気を使って動いてくれてるだろう。それだけでもかなり助かるんだ」

「そう、ですか……?」


 フィルの言葉に、ようやくカトレアも顔を上げ、意識が戻ったような視線でフィルを見つめながら声を返す。


「勿論だ。ゴーシェもトニも、そういう所はいい加減だからな。ディアなんか準備の手伝いすらしないだろ」

「ふふ、そうですね……」

「だから、もう十分に助かってる。あまり自分を追い詰めるようなことを言うな。もっとも、戦いに参加できるようになってもらえば、尚助かることは間違いないがな」

「そう、ですね……そうですね。ごめんなさい私、変なことを言ってしまって」

「おい、だからいちいち謝るなって」

「……ありがとうございます」


 カトレアは涙を拭い、微笑を取り戻す。

 フィルもその顔を見て、ふっと笑う。


「俺の方こそすまなかったな。俺も旅に出てから張り詰めていたのか、そんなことを思ってるとは知らなかった」

「いえ、そんなことないです。怖かったのと……何も出来なかったのとで、動転してしまったんです。きっと。本当に変なことを言ってしまって……」

「もういいだろう。期待してるぞ、これからも」

「はい。あ、それと、私も毎日弓の練習はしてるんですよ」

「ああ……知ってるよ。勿論そっちの方も期待してる」

「任せてください!」


 カトレアは背筋を伸ばして胸を拳で打ち、再び二人で笑いあった。


「……そろそろ行きましょうか。日が暮れたら大変です」

「もう大丈夫なのか? 足の方は……」

「これくらいフィルさん達についてくことに比べたら何ともないですよ」


 そう言って立ち上がったカトレアはふらつくものの、傍にあった長さのある太い枝を拾い、それを杖にする。


「これで大丈夫です!」

「そうか、きつかったら言えよ。肩ぐらいだったら貸せる」

「ふふ、その時はよろしくお願いしますね」


 問題ないと誇示するカトレアを後ろに、フィルはゆっくりとした歩調で進み、二人で川沿いを下っていった。


 途中で幾度か魔物の小勢に遭遇するも、フィルはカトレアを背にして戦い、カトレアも達者とは言えないながらも弓で応戦し、フィルの助けになるよう務めていた。


(まるで戦えないと思っていたが、腕もそう悪くない。練習したんだな……)


 侮っていたなと胸中で思うフィルと、それに付き従うカトレアは着実に歩みを進め、見覚えのある川辺へとたどり着いていた。

 一難はあったが、二人して生きて戻れたことに、ひとまずは良しとしようとフィルは思うのだった。


 日暮れの川辺でフィルが振り向くと、微笑んだカトレアの顔がそこにあった。

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