第一章 再び砦へ

「フィルさん!! 起きてよ!! もう昼過ぎてるよ!!」


 ガンガンと扉を叩く音と連動するように、頭の中で同じようにガンガンという音がする。


「トニ……やめろ。その音が……俺を……」


 際限のない騒音を止めるためにベッドから這い出ようと動くが、上半身を起こそうとすると視界が右の方に倒れていくように回転する。

 実際には傾いてもいないのに、回転運動をするような視界の動きに、目が回るというのはこういうことか、と感心するような気持ちが出てくるが、そんなことを思っている余裕などない。

 トニの方にはフィルのそんな呻きは聞こえているはずもなく、お構いなしにドアを叩き続けている。


「フィルさん、起きてよ! ってあれ、開いてるや」


 必死に叩く扉に鍵がかかっていないことに気付いたトニが部屋に入る。


「もう昼だよ、フィルさん! って、うわっ!」


 部屋に入ったトニが見たのは、ベッドから上半身がずり落ちた体勢で床に顔をつけながらこちらを見ているフィルだった。その顔は原型と程遠く歪み、真っ青だった。


「何してるんだよフィルさん、魔物かと思ったよ」


 不自然な体勢のまま呻きながらよだれを垂らすフィルは変わらず恨みがましい目でトニを見ている。


「み、水……」


 なんとか声をひねり出すフィル。


「水だね! 分かったよ!」


 トニが部屋を飛び出し、勢いよくバンと扉を閉める音が頭に鳴り響き、フィルがのけぞる。

 のけぞった勢いで、ベッドに残っていた下半身がずりおちる。

 水が並々と入った水差しを抱えてトニが戻ってきた時、フィルは床を這いずるようにしてもがいていた。


「すまん、助かった」


 トニに体勢を立て直してもらい、持ってきた水差しをそのままに一気に飲み干し、少し調子が戻ったフィルだった。


「昨日どんだけ飲んだのさ!」

「すまないが、あまりデカい声を出さないでくれ……」


 昨晩、盛り上がるゴーシェに促されるままにひたすら酒を飲み続け、宿に戻った記憶もないほどだった。はっと気付き、自分の剣や所持金を確認するが、特に問題はないようで胸を撫で下ろす。


「ゴーシェはどうした?」

「どうしたも何も、ゴーシェさんも呼んでも部屋から出てこないんだよ!」

「あいつもか……仕方ない、呼びにいくか」


 痛む頭を押さえ、ゴーシェの部屋の方にトニを連れて向かう。


「おい、ゴーシェ起きろ! 昼だぞ!」


 自分のことは棚に上げて乱暴に扉を叩くフィル。

 扉が壊れるんじゃないかとトニが冷や冷やして見るほどの勢いだったが、ゴーシェからは一向に返事が返ってこない。


「うん? 開いてるな」


 気付くと、部屋の扉はフィルの時と同様に鍵がかかっていなかった。


「入るぞ、ゴーシェ」


 扉のノブを回して、部屋に入る。

 部屋のベッドに、先ほどのフィルと同じような体勢で呻くゴーシェの姿があった。


「こっちもか……」


 トニが呆れるように呟くと、誰に言われるでもなく水を取りに階下に走っていった。


「大丈夫か、ゴーシェ。お前、オーガにしこたま殴りつけられた後そのまま肥溜めに落とされて這い出てきた豚みたいな顔してるぞ」

「フィルてめぇ……ぶっ飛ばすぞ……」


 今にも消え入りそうな声でゴーシェが毒づく。

 体を持ち上げて体勢を直そうとすると、一際大きく呻く。


 戻ってきたトニから渡された水差しを口にし、こぼした水を体に浴びながら飲む。


「いやあすまない、生き返った」


 水を飲み少し落ち着いたのか、ゴーシェが詫びる。


「ちょっと二人ともしっかりしてよ! 装備を整えなきゃいけないんでしょ?」

「ああ、そんな話あったな……。もういいんじゃないか? フィル」

「いいわけないだろ」


 頭から水をかぶりながら面倒くさそうに言うゴーシェである。


「武器も新調したばかりだし大したものはいらないだろう。ただ防具はもう少し調えておいた方がいい」

「防具かあ。俺動きにくいの嫌いなんだよなあ」

「そこは俺も同感だ。まあ補助的なものを揃える程度でいいだろう」


 三人は昼食を取ったら町に繰り出して装備を整えようと話し、宿屋で簡単な食事を取る事にした。


***


「さて防具を買いにいくんだったか」

「そうだな。適当なところでいいだろう」

「今回はフィルが金を出してくれるってことだし、いいものを買おうかな」

「おい」

「……冗談だって」


 三人で連れ立って装備を整えるために町の通りを歩く。

 リコンドールは数多くの傭兵が拠点としているため、武器防具を取り扱う店が多い。


「とりあえず鎖帷子くさりかたびらくらいは用意しておいた方がいいだろう」


 傭兵は国軍の兵と違い、自身の武器を初めとした装備を自らで整える必要があるため、その装備の傾向や質も様々なものだった。

 フィル達は基本的に小規模の魔物の集団を相手にする仕事をするため、軽装で臨む傾向にあった。特に、弓を扱うような魔物は少なく、乱戦だとしても魔物相手に手傷を負うようなこともあまりないため、二人とも胸当てと肩当てのみの板金鎧のみを身に着けるのが常だ。


 今回フィルが買い揃えようとしている鎖帷子は、主に防刀ぼうじんを目的とした防具である。

 板金鎧の下に着込むことができ、体に合わせて動く柔軟性を持っているため、傭兵の基本装備とも言えるものだ。


「鎖帷子くらいだったらいいか」

「あとは金属製のかぶとくらいは揃えようと思ってる」

「冑かあ。俺嫌いなんだよなあ、蒸れるし」

「まあ無理にとは言わない。俺の金だしな」


 話しながら武具を扱う店が多い南西地区の方に足を運ぶ。


「トニ、お前はどういうのがいいとかないのか?」

「あんま詳しくないから、よく分かんないや」


 まあいいかと思いながら、三人は手ごろな武具店に入った。


「傭兵さん、何かお探しで?」


 店に入るとすぐに店員が声をかけてくる。


「人数分の鎖帷子が欲しい。あとは金属製の冑を見てみたいから、あるものを出してくれ」

「かしこまりました」


 フィルとゴーシェの装備はすぐに揃った。文句を言っていたゴーシェだったが、服の下に着込む鎖帷子と、頭頂部を覆うのみで顔の部分の保護のない簡素な冑を選び、フィルも揃いとなるものを選んだ。

 鎖帷子は肘あたりまでのものであるため、武器の取り扱いやすさを意識して皮製の篭手ガントレットを選び、これも揃いで購入した。


 トニも同じ装備にしたがったので、同じものを一式で店員に用意させたが――


「こ、これは……」

「中々に……」


 一式の装備を身につけたトニを見て、フィルとゴーシェが微妙な反応を返す。

 二人の反応の理由は、どう考えてもサイズが合っていないからだ。


「どうかな?」

「ダメだろうな……」


 鎖帷子はいいとしても、サイズの合わない冑など無用の長物だろう。


「もう少し小さいのはないのか?」

「へえ、あるにはありますが……」


 そう言って店の奥に引っ込み、新たなものを持ってきた。

 トニが再度それぞれを身につけてみると、鎖帷子と篭手のサイズは問題なさそうだった。冑も確かにサイズは頭の大きさにぴったりというところだったが――


「どう思う? ゴーシェ」

「なんだろうなアレ。趣味かな?」


 トニが改めて身につけた装備一式、その冑の頭頂部には何故か左右に広がる装飾が施されており、猫の耳というような見た目になっている。


「狙って作ってるよな? きっと」

「多分な。しかし、作ったやつのセンスが分からないな」


 どう反応するのが正解かが分からないまま評しているフィルとゴーシェの二人だったが、装備を身に着けた当の本人であるトニの方は、その見た目を意外と気に入っているようだった。


「いいね、コレ! フィルさんたちのより可愛いよ!」

「そ、そうか……いいんじゃないか?」

「ちなみに他にはないのか?」

「すいません、サイズが小さめの冑は切らしてまして……」


 他の店も探してみるかとも思ったが、本人が気に入っているならいいだろう。


(少し気になるには気になるが……)


 三人の装備を購入するが、さすがに魔剣と比べると遥かに安価であり、一人頭で銀貨四十枚程度の出費で済んだ。銀貨四十枚となると、最も安価な魔剣の価格くらいのものだ。

 流石に大規模な戦となると国軍の兵などは板金鎧で全身を包むような装備で臨むだろう。

 フィルの懐も、全身装備を整える程度の金はあるが、動きやすさを重視した標準的な傭兵装備に落ち着くことにした。むしろこれまで何年も傭兵をやっているのに、フィルとゴーシェ二人して胸当てだけの鎧で済ませていた方が問題だろう。


 装備も整え終えて三人は武具店の外に出る。


「トニ、防具は整えたが盾なんかはどうする? お前ずっと片手武器だろ」

「そういえばそうだな。両手剣でもないのに片手が空いてるのはもったいないな」


 フィルとゴーシェが言うのはトニの戦闘スタイルについてだ。

 トニは片手剣の魔剣を持っているが、もう片方の手には何も持っていない。従来であれば盾を持つのが通例だが、ゴーシェのように両手に剣を持って戦うか、重量のある両手剣を扱うのが普通だ。

 盾や両手に剣を持つ場合、利き手と逆の手で防御ができるし、いずれかのやり方の方が有利に立ち回れるだろう。


「うーん、特に考えてなかったな。片手でも特に不便に感じたことはないんだけど」

「まあ戦い方を急に変えるのは難しいからな。特にこんなタイミングだ、ゆっくり考えたらいいんじゃないか?」


 ゴーシェはそう言う。確かに徒手空拳のように戦うナイフ術のようなものは存在するが、傭兵でそんな戦い方をしているものはあまり見ない。魔物を相手に素手で殴りつけるというのも現実味がない。


「まあいいか。戦い方なら教えてやれるから言えよ」

「俺は両手に剣を持つのがオススメだな。応用が効く」

「お前が得意なだけだろ」


 フィルの戦闘スタイルは小盾を前にして片手剣で構えを取るやり方である。ゴーシェとそんな会話をしながらも、フィルにも思うところがあった。

 対人戦やゴブリンなどの小型の魔物に対しては小回りが効いて使いやすい小盾であるが、最近のオーガや狼型の魔物との戦闘では使い物にならなかった。

 もう少しサイズが大きく強度がある中型の盾か、いっそのこと盾を捨てて両手持ちの剣を扱うか、というように考えるようになっていた。

 しかし、攻撃と防御を兼ねた小盾で戦うのはフィルが好むスタイルでもあるし、片手持ちの魔剣の方は思い入れ――というよりは因縁のような感情がある。


(俺も少し考えてみるかな)


 話しながらそんなことを考えていた。トニと話さなければ考えもしなかったかもな、とも。


「さて準備も終わりかな。明日砦に向かうんだろ? 今度こそ長丁場な仕事だろうから、リコンドールの最後の夜を楽しもうぜ」

「ゴーシェ、お前今日も飲む気か?」

「あったり前だろ! 当分しみったれた飯を食わなきゃなんないんだぜ?」


 フィルは昨晩の酒が全く抜けていなかったため、今日も今日で飲もうとするゴーシェの神経は分からなかったが、確かに食事に関しては言うとおりだった。


「……俺は飲めそうにはないが、少し買い物をしたら飯にするか」


 フィルがそう言い、三人で連れ立って町をぶらぶらと歩いて買い物をした。今回の仕事ではグレアムの傭兵団と行動を共にするため必要なものもそうはないが、もしもの時のための保存食、包帯や消毒液などを購入した。

 だらだらと歩きながら買い物をしていたため、準備が整った頃には日が落ちそうな時間になっていたため、そのままの足で『馬屋』に向かった。

 ゴーシェは酒こそ飲んだものの、流石に控え目にしているようで、店主のバトラスに勧められるままに飲み食いをし、リコンドールの夜を楽しんだ。


 ――そして夜が明け、砦に向かう日となった。


***


 宿を引き払い、アランソンと約束していた町の東門の近くで三人は待機していた。

 周囲には傭兵団の隊商たいしょうだろう商人達や荷馬車、そして団員の数十人の兵が門の前でたむろっている。


「あら、おはようございます。砦に向かわれるんですか?」


 フィル達に声をかけてきたのはカトレアだった。荷馬車の準備をしていたのか、商人の一団の中から出てくる。


「あ、カトレア! カトレアも砦に行くの?」

「トニちゃんおはよう。ええ、傭兵団の方から仕事をいただいて、こちらの隊商の方々と一緒に砦に向かうになっています」

「そうだったのか、じゃあ道中は一緒だな。俺たちも傭兵団の仕事を受けてるんだ」


 砦に向かう隊商の仕事を受けているというカトレア。

 恐らく、グレアムを初めとした団員達が砦に向かうのに合わせて、物資を運ぶ隊商も移動するのだろう。


「俺がカトレアちゃんの騎士ナイトってことか。悪くないな」

「ふふふ、よろしくお願いしますね」


 ゴーシェの方はよく分からないことを言っているが、カトレアは親切に応対する。そんな二人の何とも言えないやり取りにトニが割って入る。


騎士ナイトさんはこの前はうんうん言いながら馬車で寝てたけどね!」

「やかましいぞ、トニ」

「準備が残っていますので戻りますね。道中はよろしくお願いします」


 そう言ってカトレアが商人の一団の方に戻って行った時、周囲にいた傭兵団の団員の何人かがバタバタと走り出し、部下の傭兵達に挨拶をされながらグレアムとアランソンが町の中央の方からやってきた。


「フィルさん、おはようございます。先に着いているとは思いませんでした」

「フィル、早いな。準備は万端か?」


 グレアムとアランソンが連れ立ってフィルの元に声をかけてくる。


「おはよう。準備は問題ない」

「おはよう!」


 元気良く挨拶するトニの頭をグレアムが笑いながらぐりぐりと撫で、こねくり回されるトニの頭が左右に揺れる。


「もう分かってるかも知れませんが、隊商に付いて砦に移動します。道中、魔物が出たら仕事してもらいますんで、よろしくお願いしますね」

「ああ、そうだろうと思ったよ。団長殿が隊商の警護をするとは思わなかったけどな」

「経費削減です」


 アランソンは爽やかに笑いながら言う。グレアムは気にしていないようだが、フィル達のような下請け傭兵に対してだけでなく、傭兵団内でも抜け目のない仕事をするのだろう。


「さて、砦に向かいましょうか。急いで移動しますから、明日には着きますよ」


 アランソンは周囲の団員達に出発の準備にとりかかるように指示を出す。

 グレアムとアランソンは馬に乗って移動するようだったため、フィル達にも馬を用意させるか聞いてくるものの、ゴーシェが徒歩でいいと主張したため、三人は隊商の警護をしながら歩いていくことにした。


 そうして傭兵団の面々と隊商、そしてフィル達で構成される一団は砦に向かって出立した。


***


 砦への道のりは穏やかなものだった。


 警戒しながらも早足で進み、魔物に出くわすことはなく、一晩の野営を経て一団は砦に辿り着いた。

 砦奪還後、グレアムの傭兵団で周辺の魔物の掃討を行っているということだったので、リコンドールの町から砦までの安全は確保されつつあるということだろう。

 一団が砦に着くと、警備にあたっているグレアムの傭兵団の兵に声をかけて砦内に入っていく。


 砦の内部は、数日しか経っていないのにフィル達が戦った時とは様変わりしていた。

 ボロボロになった廃屋や魔物の死骸などは一掃されており、まだ野営用の天幕が建ち並ぶものの、駐屯地として機能させるための宿舎や馬小屋などの建設が進められていた。また、商人達もかなりの数が入ってきているようで、露店なども多く建ち並んでいる。

 さらに砦内には国軍であろう軍装をしている兵や傭兵団の兵など、様々な様相の兵達でごった返していた。


(さすがに城攻めとあって、かなりの人数がかき集められてるんだな)


 フィルは傭兵を始めてからは初めてとも言える、大規模な戦の空気を肌で感じる。


「まずは本部の方に向かいます。国軍の方々も集まって来られているので、挨拶に伺いましょう」


 砦まで共に移動してきた隊商の面々と別れると、アランソンがフィル達に声をかけた。


「俺たちも行くのか? グレアムのとこの傭兵団のメンバーだけでいいんじゃないか?」

「フィルさんは同行して下さい。簡易的に用意した宿舎がありますので、ゴーシェさん達はそちらで待っていて下さい」

「おいおい、だから何で俺だけ行くことになってるんだ?」


 説明もないまま話を進めるアランソンに、待ったをかけるフィル。


「何でって、フィルさんは砦奪還の立役者ですからね。今回の城攻めの作戦でも、我々の傭兵団の主要メンバーとして活躍してもらいますよ」

「そういうことだ! お前はウチの傭兵団の一員みたいなもんだからな!」

「勝手にメンバーに入れないでくれよ……」


 隙を見つけては自分の傭兵団にフィルを取り込もうとするグレアムだった。


(しかし、国軍とやり取りするなんてのは面倒そうだな……)


「俺たちはそういうのは面倒だからよろしく頼んだぜ、フィル!」

「フィルさん頑張ってね!」


 自分達が呼ばれないことに一切気にしない様子のゴーシェとトニはそそくさと宿舎の方に向かって歩いていく。話を聞いても分からないだろうし、面倒だからさっさと休もうという腹だろう。


「おい薄情だな、お前ら」


 フィルがかけた言葉は耳に入っていないように去っていく二人。


「さて我々は本部の方に向かいましょう」


 哀愁漂うフィルの姿にこちらも一切気にしない様子のアランソンが声をかける。

 フィルは気を取り直して、グレアムとアランソンに付いて砦中央の居館に向かって歩く。砦に入ってすぐに復興をしている様が分かったが、居館に続く道も今まさに駐屯地を整えている最中、という感じだった。たどり着いた砦の居館も、瓦礫などが取り除かれて簡易的な補修も終わった様子である。


 建物内に入り、奥の部屋――フィル達が見つけた執務室のような部屋の方に向かっていく。入った部屋は綺麗に片付けられており、まさに執務室というような砦の本部となっていた。

 部屋の中に立つ何人かの人間の顔を見るが、それがリコンドールの町で見た演説で壇上に上がっていた面々であることがすぐに分かる。それにグレアムの傭兵団の副団長であるクレメントもいた。


「遅くなってすまなかった。隊商の護衛に付き添っていたものでな」


 部屋内の面々に向かってグレアムが声をかける。


「構いませんよ。まだ城攻めまでの段取りを話し合っている段階です」


 町で演説していた国軍の人間が、グレアムに言葉を返す。まだ若さを残しながらも落ち着いた雰囲気を持った軍人である。物腰も柔らかい。その男がフィルに気付き、続ける。


「そちらは?」

「ああ、ウチで雇った傭兵だ。砦攻めの時にウチの傭兵団に参加してもらった」

「フィルと言う。場違いなのは理解してる、すまない」


 見るからに国軍のお偉い方と分かる面々や、大規模な傭兵団を持つ団長達を目の前にして、一介の傭兵に過ぎないフィルは煙たがられると思い、先手を打つような挨拶をする。

 すると、中央の国軍の男がフィルに歩み寄り、がっしりとその手を握った。


「君が! 砦攻めの話は聞いているよ、歓迎する」


 意外な反応にフィルは呆気に取られる。


(まさか、歓迎されるとはな……)


「今回のベルム城攻略は厳しい戦いになるだろう。君のような優秀な兵は一人でも多く欲しい。私は今回の作戦で大隊長として軍を率いさせてもらう、カーティス・ランドだ。よろしく頼むよ」


 何と返したものか考えていたフィルだったが、国軍の男――カーティスと名乗る男はかぶせて声をかけてくる。胸に付けた勲章や、身なりを見るからに国軍内でも地位が高いように見えるし、フィルもその名前は聞いたことがある。確か、国軍の中でも魔物相手の戦いで功績を上げている、という記憶がある。意外に気さくな男なのだろうか。


「こちらこそよろしく頼む、大隊長殿」


 予想外に歓迎されている雰囲気に、フィルは簡単な挨拶しか返せない。


「フィル、君は初めて会う顔だろうから簡単に紹介しよう。そこに立つ三人が国軍の隊長達だ。左から、ハワーズ、ルーサー、ティムだ。皆、優秀な千人隊長だ」

「ハワーズ・ファーカーだ、よろしくな」

「ルーサー・ウォーラムと言います」

「ティム・ウォーラムと申します。よろしくお願いします」

「ああ……、こちらこそよろしく頼む」


 カーティスの紹介により、隊長達がそれぞれフィルに声をかける。意外なことに大隊長であるカーティスだけでなく、各隊長もフィルには嫌な感情はないように見える。


「意外かい?」


 少し戸惑うようなフィルの表情を見てか、カーティスがそう言った。


「私は実力主義だからね、国軍の他の連中とは少し違う。三人の隊長も実力派の私の子飼いの隊長達だ」

「カーティス様、勿体無いお言葉……恐縮です」


 ルーサーと名乗った体格のいい若い男が、カーティスに言葉を返す。

 ハワーズという男はいかにも熟練の戦士といった筋骨隆々な見た目をしていたが、ルーサーとティムの二人はフィルより年下に見えるまだ若い男達だった。家名と見た目から察するに兄弟だろうか。実力のありそうな若い人間を千人隊長に据えているところを見ると、実力主義と言うカーティスの言葉にも納得がいく。


「そしてこちらは今回我々に協力をしてくれる傭兵団の団長達だ。グレアム殿は紹介を省くとして、エイブラム殿とクラーク殿のお二人だ」

「エイブラムだ。鉄騎の傭兵団の団長をやっている」

血架けっか傭兵団のクラークだ。よろしく頼む」

「そして俺が、グレアム傭兵団のグレアムだ! よろしくな!」


 大声で叫ぶグレアムは置いておくとして、カーティスが傭兵団の団長達を紹介してくる。

 国軍の人間なのに、雇っている傭兵団の人間に対し、礼節を持って接する喋り方にフィルは好感を覚える。これは本当に実力のある男なのかも知れない。

 傭兵団の団長達もフィルも顔と名前も知っている。実力派で鳴らしている傭兵団の面々だ。


「よろしく頼む。俺がこんな所にいていいものか分からないが……」


 終始落ち着かない状態でいるフィル。


「勿論居てくれていいとも。前みたいな活躍を期待しているがね」


 カーティスの言葉。この場にいる人間は恐らく全て日常的に戦いに身を置く人間だろう。実力のある人間は大歓迎だし、そうでない人間はお呼びでない、それだけの話ということか。


「グレアムの所でばっかり仕事を受けているって聞くじゃないか。俺の所で仕事をしないか? 報酬は言い値でいいぞ」


 そう言ってくるのはエイブラムの方だ。


「おいおい、こんな時に勧誘するのはやめろよ。フィルにはウチんとこでちゃんと仕事は渡してるぜ」


 グレアムがエイブラムの言葉を遮るように言う。

 この場の空気は、フィルは嫌いではなかった。下手に政治をやられるよりは分かりやすくていい。


「じゃあ面通しは終わったかな。本題に入ろう」


 落ち着いた空気の中、声を上げたのは勿論大隊長のカーティスだ。


「ここヨツーム砦を出て、リオネル砦に攻め入る。その後はクロスリー砦を落とす。諸君には簡単だろう?」

「大隊長、ここは私を出して下さい。結果を出すことを約束します」


(なんだ、その砦の名前は――)


 フィルが疑問に思うのは無理がなく、作戦を立てる本部にて付けられた名前だった。たまらずフィルが質問をしてしまう。


「リオネル砦というのは、魔物に奪い返された砦のことか? クロスリー砦ってのはどこだ?」

「ああ確かに説明をしていなかったな。ここ、召集をかけたのがヨツーム砦だ。名前は便宜上だが、私が付けた!」


 カーティスが自慢気に言うが、要は作戦上の名前を付けただけだ。フィルが知る中では、この砦は帝国時代のものであるため、名前はとうの昔に失われている。


「ここがヨツーム砦、魔物に奪い返されたのがリオネル砦、更にベルム城に近い砦がクロスリー砦、ここを順番に落としていく。クロスリー砦まで落とせば、ベルム城はもう目の前だ。ちなみに便宜上とは言え、名前を付けたのは全て私だ! 中々いい名前だろう!」


 ここまであまり主張という主張をしてこなかったカーティスが熱弁する。恐らく彼の趣味だろうが、都合上、砦に名称を与えたのだと言う。


「分かった。話を止めてすまない」


 その矛先の分からない熱意にあまり触れたくないフィルは話を進めるよう促す。


「目下の目標はリオネル砦だ。先ほどまで先鋒隊を決めようとしていたのだ」

「私にやらせて下さい」


 先ほどから主張しているのは国軍の隊長であるハワーズだ。


「私の不足により奪われた砦です。取り返さなければ、私の立つ瀬がありません」


 カーティスが言うリオネル砦は、今回の仕事の大目標であるベルム城に対して、初めて奪い取ることが成功した砦である。フィル達が参加していた砦攻めの最中、魔物の軍勢に再度奪い返されたのだと言う。

 話を聞くと、リオネル砦の防備はハワーズの隊の管轄であったが、彼自身がガルハッド本国に帰還している間に奪い返されたということだった。そのための主張だろう。


「分かった。先鋒はハワーズ、貴様に任せる。エイブラム殿の隊を付けるがそれでよいか?」

「承知しました。私の隊だけでも成果を上げることを約束しますが」

「俺の方も問題ない。いつでも出れるぞ」


 ハワーズとエイブラムがそれぞれ同意の意を示す。


「決まりだな、明日の早朝出撃だ。我々はその後の動きを考える必要があるから、後発で順次出る」

「分かりました。吉報をお待ちください」


 さほど大きくも無い砦なので、先鋒隊のみで落とす算段をカーティスは考えている。


 作戦会議として召集されたものの、大事な話はそれだけのやり取りで決定された。

 互いの実力に信頼を置いているからこその即断だろう。


 そうして本部での会議は解散となった。フィルはグレアムに以後のやり取りを明日の傭兵団内でのやり取りで決めることを伝えられ、同じく解散を伝えられた。


(なんだか、大した話をしていないのに疲れたな……)


 グレアムに言われた宿舎の方面に向かう最中、フィルは独りごちていた。

 本部会議ではそうそうたる面々が集まっていた。傭兵として仕事をしていてもそうお目にかかれる相手ではないだろう。それだけに、今回のベルム城攻略の作戦がガルハッド国にとって重要であることを改めて知る。


「軽い気持ちで参加するなんて言わなきゃよかったかな」

「何の話だ?」


 宿舎の前まで来て、独り言を言ったつもりのフィルだったが思いがけず声がかかってくる。

 見ると宿舎の前、外で一人剣の手入れをしているゴーシェが見えた。


「仕事の話だ」

「ああ、やっぱり面倒な話があったんだな。お疲れさん」


 ゴーシェが気軽な言葉を投げてくる。


「まあ、なるようになるさ。今までもそうしてきただろ」


 そうも言う。確かに、ゴーシェの言うとおり、今まで傭兵として言われるがままに仕事をしてきただけだった。少し規模が大きくなったとしても、今までとそう変わるものではないだろう。


「そうだな。少し話が大きくて混乱しているだけだ」

「よく分からんがな。まあ移動もあったし疲れてるだろう。今日はゆっくり休んで、明日から考えればいいだろ」


 フィルはゴーシェの言う通りにしようと思った。

 これから大変だとは思うが、今がそれではない。ゴーシェと連れ立って宿舎の中に入り、今日という日はゆっくり休もうと決め、床についた。


 翌日、ハワーズとエイブラムの部隊が砦を発ち、リオネル砦に向かっていった。

 先鋒が発った後、これからの行軍の段取りに関して、カーティスを始めとした面々と詳細を詰めていたが、いざ本隊の出撃という段階になり、伝令が砦に戻って来た。


 ――ハワーズ隊長の部隊が敵に敗れ、敗走しています。


 そんな報告が届いたのは、ハワーズ達が砦を発って三日目のことだった。

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