第十二章 狼の王よりの依頼

「う……うぅぅん……フィルか?」

「やっと目を覚ましたか。死んだかと思ったぞ、ヒヤヒヤさせるな」

「いっつつ……どうなってるんだ? ここは……村か?」


 ファングから貸し与えられた村の仮宿。そのベッドの脇にフィルは座している。

 まだ昼前という時分、ようやく体力が戻ってきた感覚があったので、ゴーシェの看病――もとい、ベッドの横で剣の手入れをすることにし、一日を過ごそうとしていた。


「戦いは終わった。俺達の――勝ちだ」

「終わったってか……途中から記憶がないんだが……城の戦いの時と逆になっちまったな」


 遺跡での戦いの中、巨体のオーガを屠った後しばらく、ゴーシェはまだ錯乱している様子だったが、叫声を上げ続けた後に事切れるように倒れた。

 オーガと戦っている時の異様な姿を最後に、三日ほど全く意識を戻さないゴーシェにひやりとしたが、体をベッドに沈めたままフィルに声をかける姿を見て少し安堵した。


「いつつ……全身がバキバキに痛むんだが、どうなってるんだ? 俺はどうなった?」

「……それを説明するのはちょっと難しいな」


 ゴーシェははじめ体を起こそうと試みていたが、あまりに体が痛むのかすぐにそれをやめた。それもそのはずで、意識のないゴーシェを村の者に見せたところ、全身の筋肉が痛んでいる――筋肉の部分的な断裂や損傷を起こしているようだった。打撲や裂傷などが多くあるわけではないため、自然回復を待つように安静に寝かせておいたのだ。


「他の奴らはどうしてるんだ?」

「トニとカトレアは、遺跡の作業を手伝ってる。魔物から奪い返したはいいが、大分古い施設みたいだから、柵を作ったり建物の修復をしてるみたいだ」

「そうか。ディアは?」

「……ディアはお前より傷が深かったから、村の者に診てもらってるよ。そこまで重傷じゃないが、あばらにヒビが入ってるらしい」


 その場にいなかったゴーシェにはそう言うが、戦いの最中、ディアが巨体のオーガの打撃を真正面から受けた時は正直もうダメかと思った。得物の戦槌での防御が取れていたのか、骨のヒビ程度の怪我で済んだのは不幸中の幸いだろう。


「皆無事か。まあ、良かったのかな」

「そうだな。少し――というか、大分ひやっとさせられたが、良かった」


 ゴーシェも安心したのか、体を横たえたまま目を閉じる。

 聞きたいことや話しておくことが色々とあったが、今日のところはゆっくりさせておいた方がいいかとフィルが思う。


「村の……村の奴らはどうなんだ?」

「……死人や怪我人は少なくない」

「どのくらいだ?」

「死んだのは五十人ほど、怪我人は大小含めたら大体百ってとこらしい」

「そんなにか……」


 死傷者は遺跡の戦いに臨んだ人間の、約半数ほどだ。

 大きくない村の、熟練の戦士が五十人ほども死んだというのは、村にとって大きな損害だろう。長をやっているファングも命は取り留めたものの、傷は深くゴーシェと同じように目を覚ましていなかった。


 しかし、頭が不在の状況となっても村の人間達は当たり前のように遺跡の整備や周辺の警戒を淡々と行っており、死傷者の数に途方に暮れている様子もない。それほど、今回の戦いが村の人間達にとって重要だったということだろう。


「それと……途中から記憶がないんだが、俺はいったいどうしちまったんだ?」

「何も覚えてないのか? ゴーシェ、お前の様子……普通じゃなかったぞ」

「それが全く覚えてないんだよ。ワーグ――守り神の狼と魔物が戦ってるのを見てたのは覚えてるんだが、途中から記憶が曖昧だな……そういや、守り神の狼が何か喋ってたような……」

「オーガの方に来ないと思ったが、そっちにいたのか。喋ってた? 何をだ?」

「いや、ちょっと覚えてないな……うっ……」


 ゴーシェは痛みに顔をしかめるようにして、話す。

 本人も記憶が曖昧だと言っているが、本当に覚えていないようで、記憶を搾り出すように思い出しながら喋っているように見える。


「おい、無理して喋らなくていい。全身メチャクチャみたいだぞ。どんな戦い方をしたらそうなるんだ」

「言われなくても分かってるよ……体中が痛くてしょうがねえ――けど、何でこんなことになってるのかだけでも教えてくれよ」

「そう言われてもな。俺が聞きたいくらいなんだが」


 フィルは剣を鞘にしまって傍らに置き、村の者が用意してくれた水差しから器に水を注ぎ、ゴーシェに渡す。ゴーシェは腕を上げるのも難しい様子だったが、弱々しく器を受け取って水を飲む。


「……うっく…………うっく……すまん。水が美味いな」

「無理しなくてもいいぞ」

「それで、俺はどうなってたんだ?」


 フィルに器を返すと、ゴーシェはまだ話の続きがあるように声をかけてくる。

 できれば寝かせておいてやりたいとフィルは思っていたが、本人が知りたいと言っているなら仕方がないだろう。遺跡での戦いの時の、突然どこからか現れたゴーシェの様子を説明してやった。


「――なんだそりゃ。目が赤かった? 牙を剥いてた? 俺一人でお前らでも苦戦するオーガをメチャクチャに斬りつけて倒した? 適当なこと言ってんじゃないだろうな」

「いや、全部本当のことだ」

「自慢じゃないが、俺はそんな戦いはできない。というか、したくない。俺の戦い方は知ってるだろ? ヒットアンドアウェイのクールな戦い方だ。お前やディアが吹っ飛ばされる敵なんか、一人で相手するわけないだろ」

「本当に全然自慢じゃないな。それは勿論分かってるが、全て事実だ」

「信じらんねえな……」


 フィルは数日前の戦いで見たことを包み隠さずゴーシェに話した。

 流石に、ゴーシェの異形とも言える様子については言葉を選びながら伝えたのだが、それでもやはりすぐに信じられるような話ではない。あの時のゴーシェの姿は、魔物そのもの・・・・・・というものだった。人間がそんな状態になるなんていうのは――狂った犬のようになる病気があると聞いたことはあるが、その程度のものだ。今のゴーシェの様子はいつも通りであり、そんな様子の片鱗も見せていない。


「……お前病気なんじゃないのか?」

「ひでえこと言うな、フィル。俺はこの通り正常だぜ。馬鹿なこと言うなよ」

「すまん、悪い冗談だった」

「それにしても全く分かんねえな。ディアに聞こうにも、怪我してるんじゃなあ」

「ディアが良くなったら聞いてみるか」

「そうだな――あっ」


 軽口をたたくフィルをゴーシェが嗜めるが、あながち冗談でもなかった。

 そんな会話の中、ゴーシェが何かを思い出したような声を上げる。


「どうした?」

「俺……守り神の狼を殺したんだ」

「何だと? 守り神は味方だろう。何だってそんなこと」

「いや、狼が俺にそうするように言ったんだ……うん、間違いない……それで俺は、狼の魔晶石・・・を、剣で砕いた」


 ゴーシェはその時の状況を思い出すように、言葉を紡ぐ。

 守り神の狼が喋ったというゴーシェの言葉は少し信じがたいものだったが、フィル自身、遺跡での戦いの前に現れた狼の言葉を聞いているため、恐らく嘘ではないだろうと思った。遺跡の戦いに現れた狼は、フィルが言葉を交わした狼とは別のものだったので、その部分が気になる。


「どういうことだろうか。村の守り神の狼は皆、言葉を喋るのか?」

「それは分からねえな。俺が会話した狼も、死ぬ直前まではそんな素振りはなかった。村の人間達も狼に喋りかけてもなかったし、俺達――人間に知られないようにしてるんじゃないかな」

「気になるが、やはり分からないな。ファングさんが回復したら少し聞いてみるか」

「ああ……それと、狼が俺に、力を与えると言っていた。何のことを言っているのか分からなかったが、『力を与えるために自分を殺せ』と俺に言ったような気がする」

「お前が豹変したのも、それが関係あるのかも知れないな」


 そんなことを話していたフィルとゴーシェの二人だったが、あまり難しいことを普段考えない二人で話していても埒が明かないと考え、ディアの回復を待つことにした。

 ゴーシェなんかは『俺も魔法が使えるようになったのかもな』と冗談のようなことを言っていたが、依然体が痛むようだったので、話もそこそこに体を休めることにした。


 遺跡の方で村の人間の手伝いをしているトニやカトレアは、どうやら数日を遺跡の方で過ごすらしく、村には戻ってこないようだった。ゴーシェを村に運ぶまではフィル達と行動を共にしていたものの、フィルの指示により遺跡の手伝いに向かった。

 最初の内は、目を覚まさないゴーシェやディアの様子を心配していたが、結果的にフィルの指示に従うことにしたのだ。


(あいつらも最初は不安だったが、少し頼れるようになってきたな)


 ベッドの上で寝息を立てるゴーシェの顔をちらりと見ながら、フィルはそんなことを思う。

 今回の戦いでも、最前線にいなかったからとは言え、二人には怪我もほとんどなかった。オーガとの戦いで予想以上の動きを見せたトニにも驚いたが、段々と成長を見せる仲間に思わず目を細める。戦いの終結に、フィル自身も安堵しているのかも知れないな、とも思った。


***


 ゴーシェがようやく目を覚ましたその日の晩。

 フィルの体力もほとんど回復していたため、明日にはディアの様子を見に行こうと思いながら、眠りにつくゴーシェのように自分も床につこうと考えていた。


(……また、この感覚か)


 フィルは一人、ある気配を感じていた。

 この村に来た時に感じたものと同じ、どこかから視線を受けている感覚だ。


「……前の、守り神か」


 村の外から感じる気配に何かしらの意図を感じ、宿を出る支度をした。

 昼間は、遺跡への支援や怪我人の対応にばたばたと忙しそうにしていた村の中も、夜にもなると静けさに包まれている。フィルは、そんな村の中を横切るように歩き、裏手側の村の出口から外に出ると、以前村の守り神の狼と会話をした場所に向けて歩き出した。


 森の間の狭い道をフィルが歩くが、周囲には気配を感じない。遠くから感じる視線以外の気配を除き、森の中に生き物がいないかのような静けさ。暗闇の中、空にぽっかりと浮かぶ丸い月を見て、『満月か』と緊張感のない感想を覚えたほどだ。


「……また会ったな」


 前回と同様、道の突き当たりの崖のようになっている丘の所に、それ・・はいた。


『妙な物言いをする。我の呼びかけに応じたのだろう』

「呼びかけていたとは知らなかったが。もう少し分かりやすく呼び出してもらいたいな」

痴者しれもののような口を利く』

「そう言ってくれるな。こっちは戦いの後で疲れてるんだ」

『汝の働きには感謝する』


 小高い丘の上からフィルに声をかける狼は、月明かりにその姿が映し出されているがよく見えない。その大きさを別にすれば、狼と変わらないその姿、その口からどう発声しているのかは分からないが、こちらに分かる言葉を吐く。


「色々と聞きたいことがあるんだが、今回は答えてもらえるんだろうか?」

『……それは、できない』

「まあ深くは突っ込まないさ。アンタを怒らせたら怖そうだからな」


 目の前で静かに話す狼の圧迫感にも似た気配に、気圧されそうになるのを耐えていることを口に出さないようにフィルは話す。何を考えているのかは分からないが、つれない様子は変わらないようだ。


「それで、何でまた俺を呼んだんだ?」

『謝礼と、口止めだ』

「そいつは分かりやすくて助かるな。殺す、とかは言わないよな?」

『そのような事はない。汝には恩もある。戦働きには感謝している』

「そいつはどうも」


 周辺の気配を警戒しながらも狼との話を続けるフィルだが、どうやら周りには妙な気配はない。守り神の狼の方も、こちらに敵意はないようだ。


「口止め、ってのは何のことだ?」

『我とここで会ったこと、話したことは口外無用だ』

「そのことか。すまないが、仲間にはそのことを話してしまっている。これはどうしたらいいんだ? あと、村の人間にも喋ったらまずいのか?」

『騒ぎにならなければ良い。村の人間も同様だ』

「……ぺらぺら喋るなってことか。寛大で助かるよ」


 狼は、自らのことを他言するなと言っているのだろう。

 わざわざ姿を現しているのにも関わらず、フィルにそう言う意図は分からないが、言う通りにしようと思った。気が変わって敵対でもされたら、たまったものではない。


「この前の戦いだが……アンタは何で戦いに出てこなかったんだ? 勘ぐるわけじゃないんだが、アンタが出張ったら魔物なんか簡単に蹴散らせるように思える」

『他言を禁じたことに関係する。我の存在は、他所に知られてはならない』

「そういうことね……戦いをアンタの手下――子供なのか? そいつに任せたのも、それが理由ってわけか」

『如何にも。我が子は命を落としたが、よく敵の頭を取ってくれた』

「それに関してだが、俺の仲間がアンタの――」

『分かっている。我が眷属の意思だ、問題はない』


 狼が言うには、フィル達を村の人間達と共に戦わせたのは、自らが表舞台に出ないためだということだ。何故姿を現せないのかは恐らく聞いても答えが出てこないだろうと思った。

 ゴーシェが、目の前の狼の手下――眷属といったその狼の命を奪ったことに対して、考えを確認しようと思ったが、既にそれを知っているようだ。且つ、意外にも大した気に留めていない様子でもある。


「……安心したよ。話ってのは、それだけか?」

『もう一つ。汝は、ミズールのもと――東の国に向かうのだろう』

「そうだが」

『であれば、これを持て。かの国の王に渡すのだ』


 話はそれだけかとフィルが言うと、狼は傍らに置いていたのか、何かを口に咥えてこちらに放ってきた。宙を舞うそれを前に出した両手で受け取ると、それが魔晶石のようなもの・・・・・・・・・であることが分かる。


「これは……?」

『それが何であるか、汝が知る必要はない』

「そうは言われてもな。王様に渡せって言われても、他に何か――言付けなんかはないのか?」

『渡すだけでよい』

「……分かったよ」


 言うだけ言って、というように狼は詳しくは教えてくれないようだった。

 争う気は毛頭ないフィルなので、気になることは色々とあるが、あまり無駄口を叩かないようにしようと思い、疑問の一切を飲み込む。


「じゃあ、俺は行くよ」

『道中気をつけろ。それと――』

「うん?」

『汝の仲間の男が身に付けた魔力、扱いきれるものと思わぬことだ。我が眷属がどのように思って力を与えたかは分からぬが、それは我の力の片鱗だ。身に余る力は身を滅ぼす』

「……ゴーシェのことだと思うが、どういう意味で言っているのかは分からないな。ただ、忠告は有難く受け取っておくよ」

『忠告はした』

「ああ。それじゃあな」


 狼の放つ気配が、少し鋭利なものになったような気がした。

 恐らく言っているのは、ゴーシェの異様な様子――言葉を信じるのであれば、ゴーシェが身に付けた魔力のせいとのことだが、やはりその真意は分からない。

 本当のところ、もっと詳しく聞きたいところだったが、質問は許さないという態度の狼に、話をさっさと切り上げて村に戻ろうと思った。


 狼のもとを離れ、村の方に足を向ける間、手の中に握った結晶を見てため息をつく。魔晶石のように見える結晶だが、感覚的にしか分からないが魔晶石とは違うものに思える。

 これを手にしてしまったことが、何か面倒事に思えたのだ。


 村に戻る道では何もなく、宿に戻るとゴーシェが静かに寝入っているだけだった。


***


 その翌日から、数日を体を癒すためにゆっくりと過ごした。

 トニやカトレアは相変わらず遺跡の方の手伝いをしているのか村には戻ってきておらず、ディアも意識は戻っていたものの怪我によりすぐには動けない状態だった。


 戦いが終わったというのに村で足止めを食らうのも気になったが、ファングとも会話をできておらずゴーシェやディアも旅立てる状態とは思えないので、療養のための時間ということにした。


「フィルーーー!」

「フィルさん、随分と良くなったみたいで安心しました」


 特にすることもなく、村の中をフィルがぷらぷらと歩いていたところで声がかかった。トニとカトレアの二人だ。遺跡での作業に一区切りをつけ、村に戻ってきたのだろう。


「トニ。それにカトレアも。遺跡の方はもういいのか?」

「うん! もう結構綺麗になったよ! 村の人たちで警備もしてるから、魔物の心配もないと思うよ!」

「それは良かった、戦いの後なのに二人に任せてすまなかったな」

「いいんです。ゴーシェさんもディアさんも怪我が酷いみたいでしたし……お二人は大丈夫ですか?」

「もう二人共意識が戻ってる。後で顔を出してやってくれ」

「うん!」

「はい!」


 元気に笑うトニとカトレアを見てほっとした。

 遺跡での戦いでも、その後も何かとあって落ち着かなかったが、ようやく普段通りになったように思えたからだ。


「それでフィルさん……お疲れのところだと思うんですが、遺跡の方で妙なものが見つかったようでして……」

「妙なもの?」

「そうなんだよ! なんか遺跡の中に部屋があったんだけど、村の人達が妙な気配があるって言ってるんだ。何もない部屋みたいなんだけど」

「それで、ファングさんも不在なので、フィルさん達に見てもらえないか、ってクゥさんが言っていまして……ディアさんもまだ怪我が酷いと思いますし、一応伝えますって言ってきたんですが」


 遺跡で妙なものが見つかった、というディアが聞いたら喜びそうなことをトニとカトレアが説明する。本人達はどんな部屋なのかも見ていないということだったので、イマイチ何を言っているのか分からない。


「調査か……ディアが動けるんだったら良かったんだが。一応、ディアの方には言ってみるか」

「伝えたら無理にでも行きそうにも思えますが……」

「あはっ、そうだね。這ってでも行きそう」

「とにかく、せっかく戻って来たんだ。ひとまずディアの所に行くか」


 そう言って、フィルは怪我を負った村の人間達が集められている診療所にまで向かうことにした。トニが言うように、無理を押してでも遺跡に向かうディアの姿が脳裏に浮かんだが、その時はその時だと思うことにした。


 フィルに連れられ、トニとカトレアの三人で、ディアのもとへと向かう。

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