第七章 戦の後の日常
昨晩まで戦場――もとい宴会場となっていた砦を昼前ほどの時間に発ち、フィル達はリコンドールの町に戻る道を進んでいた。
互いに酒をぶっかけ合うようにして飲む、地獄絵図となっていた宴会の中、負けじと最後まで飲み続けていたゴーシェは朝には気を失って倒れていた。
グレアムの傭兵団は砦に残り、砦の防衛と周辺地域の魔物を掃討する仕事があるようだった。
フィル達は昨晩の時点で一旦町に戻ることに決めていたため、昼前に死んだように突っ伏しているゴーシェを起こすよう試みた。
水を飲んでは嘔吐するゴーシェを見てもう少し砦に留まるか考えたが、「大丈夫だ」と本人が固辞するため町に戻ることにした。
グレアムに町に戻ることを告げると残念そうにしていたが、アランソンから仕事を貰うと言っておいた。
グレアムは仕事の報酬として、最初決めた額より明らかに多い量の金貨が入った袋を渡してくれたため、礼を告げて別れた。
ライル達にも挨拶をしにいくと、こちらも少し残念そうにしていたが「いつでも待っています」と言ってくれた。
隊員の一人一人に挨拶をし、砦を後にした。
町に向けて砦を発つと、フィルとトニが肩を並べて歩き、その後ろをふらふらと左に右に揺れながらゴーシェが着いてくる。
(……これは今日は使い物にならないな)
後ろの歩く死体のようなゴーシェを見て、フィルはため息をついた。
「ゴーシェさん大丈夫かな?」
トニの方も心配なのか、後ろをチラチラと見ながらフィルに声をかける。
「……ダメだろうな。本人が大丈夫だと言うんだから放っておこう」
フィルがそう言ったところで後ろからどさっとゴーシェが倒れる音が聞こえた。
「……トニ、近くに川があるはずだから水を汲んでこい。ここらで一旦休憩にするぞ」
先程より一段階大きいため息をついてフィルがそう言う。
「分かった!」
元気よく返事をするとぱたぱたとトニが森の方に走っていく。
(……ゴーシェの介抱はしないんだな)
倒れたままのゴーシェを道の端まで引きずっていくと、木にもたれかかるように座らせて水を飲ませた。
フィルも昨晩の酒がかなり残っており、日照りも強く少し疲れていたため、水を飲みながら木陰で涼んでいると、トニが戻ってくる。
「今日はでかい荷物があるから早めに野宿できる所を探すか」
横で木にもたれながら呻き声を上げる荷物を一瞥しながらトニにそう言い、いつ出発するかを考えていると、砦の方から向かってくる一台の馬車が見えた。
「傭兵さん、大丈夫ですか? 怪我ですか?」
道の脇に座って休んでいる三人の前に小さな荷台を持つ馬車が止まり、頭上から声がかかる。
御者台に座っているのは若い女性だった。
「いや、怪我じゃないんだが連れの体調が悪くてね」
「そうでしたか。町まで戻るんでしたら、乗っていかれますか? 傭兵団さんのところの行商の戻りで荷物がないので、良かったら」
「いいのか?」
声をかけてきた若い女性は町まで乗せていってくれると言う。
「その代わりと言っては何ですがその、護衛をお願いできないでしょうか? 報酬はお支払いできないんですか」
「勿論だ、助かるよ」
確かに砦攻めの陣に何台かの荷馬車が止まっていたなとフィルは思い出していた。
(帰りを徒歩にしないで護衛で同乗させてもらう口を探すべきだったか?)
そう思いながらも渡りに船なので厄介になることにした。
周りが見えていないように唸り声をあげ続けるゴーシェを荷台に押し込み、フィルも馬車に乗り込む。馬一頭で引く荷台なので、大の男が二人乗り込むと少し手狭だった。
「お姉さんの横に乗ってもいいかい?」
御者台に乗りたかったのか、トニが若い女性に声をかける。
「ええ、構いませんよ。どうぞ」
「ありがとう!」
そんなやり取りをして三人が乗り込むのを確認すると、馬に鞭を打ち走り出した。
「助かったよ、連れが動けなくて困っていてね」
走る馬車の荷台からフィルが声をかける。
「そんなにお加減が悪いんですか」
「ただの二日酔いだよ」
唸り声を上げるゴーシェを一瞥するが、フィルも飲み過ぎて気分が悪かったので人のことを言えない状態だ。
若い女性はそんなフィルの姿をちらりと見てくすくすと笑う。
「戦勝祝いでしょうか。昨晩は砦で見事勝利を納められたようですから、仕方ないですよね」
「ああ随分と盛り上がっていたな。おっとすまない、俺はフィルと言う。横のはトニで、後ろに転がっているのがゴーシェだ」
「私はカトレアと言います」
若い女性の名前はカトレアと言うらしい。
「トニだよ! よろしくね、お姉さん!」
「よろしくお願いしますね、小さな傭兵さん」
茶色の長い髪を編んで横に流すような髪型の女性――カトレアは白い肌に少しソバカスが混じっているが、その端正な顔をほころばせてまたくすくすと笑う。
年はフィルより五つは下というくらいだろう。行商人にしてはかなり若く見える。
「それにしても、あんた一人なのか? 女一人で行商なんて珍しいというか、危険じゃないか? ここらはまだ魔物や――盗賊も出るぞ」
「恥ずかしながら護衛を雇うようなお金もなく……。行商をやっていた両親を亡くしまして、今は一人でやっています。なので護衛をやってくれる方を拾えてラッキーでした」
カトレアは気落ちしたような顔で話し出し、言葉の終わりにはいたずらっ子のような顔で笑っていた。やはり若いのか表情がコロコロ変わる女だ。
「そういうことか、まあお互い利益があるんだったら良かった。道中よろしく頼むよ」
「はい、こちらこそ」
トニの方を見ると、行商人の両親を亡くしたと聞いて沈んだような表情をしていたので、声はかけずに肩をぽんぽんと叩くと、少ししてにっこりとした表情を返してきた。
「よろしくね、カトレア!」
トニがそう言うのを皮切りに二人であれこれと楽しそうにお喋りを始めたので、少し寝るかとフィルは横になった。
***
少し横になろうと思ったのが、気付くと日が暮れようとしていた。フィルも昨晩の戦闘の疲れが残っているのだろう。
「あ、フィルさん起きた? 今日はここらで野宿しようって、カトレアが」
「そうか、今どの辺りだ?」
近くに水場のある所で道の脇に馬車を停め、カトレアが答える。
「町まであと半分といった所です。この分だと明日の夜までには町につきますよ」
馬の足はやはり早く、予定よりも早く町につけそうに思える。幸いなことに魔物にもでくわしていないようだ。
トニも夜営になれたのか、フィルが指示を出さなくてもてきぱきと準備を始めている。
カトレアの方も一人で行商をやっているせいかこちらも手際がよく、トニが集めてくる枯れ木で火を起こして鉄製の鍋に火をかけている。
「休んでいてすまないな、手伝うよ」
「いえ、お疲れのようですからこちらでやります。売れ残った食料があるので、簡単な食事を用意しますね」
トニが準備をしている間に獲ったという兎を
(しかし、逞しいな……)
小降りなナイフで内臓を処理し、皮を剥ぎ終わった肉を、水を張って火にかけた鍋に沈めている。
続いていくつかの野菜を手のナイフで処理しながらぽんぽんと鍋に放り込んでいく。
トニが夜営の準備を終え、三人で火を囲んで鍋ができるのを待っていると、ゴーシェがもぞもぞと馬車の荷台から這い降りてきた。
「なんだ、いい臭いがするな……」
「やっと起きたか、もう日が落ちてるぞ」
「いやあ、すまない。もう大分良くなってきた」
そう言ってゴーシェが寄ってくると、カトレアを見て少し止まる。そのままフィルのところに来ると、小声で耳打ちをしてきた。
「おいフィル、誰だよこの可愛い子」
「お前一日寝ておいて一言目がそれか?」
ひそひそと話す二人の会話に気づいたのか、トニがじとっとした目でこちらを見ている。
「はじめまして、カトレアと申します。行商をやっています」
「これは失礼、お嬢さん。俺はゴーシェと言います。しがない傭兵をやっております」
ゴーシェがうやうやしいお辞儀をするが、普段しない所作がフィルにはわざとらしく見え、鼻につく。
(誰だよお前は……)
「馬車に同乗させてもらったんですか、非常に助かります。ややっ、これはとても美味しそうな鍋だ。お料理も上手なんですね」
「いえいえ、余り物で作ったものですから。お口に合えばよいのですが」
「こんな素敵な女性が作ったものが美味しくないわけがないですよ。うーん、いい匂いだ」
ゴーシェの演技がかった台詞と動きに拍車がかかる。実に見苦しい。
「ありがとうございます。よろしくお願いしますね、ゴーシェさん。……あ、それと――」
ゴーシェが「うん?」と首を傾げると、カトレアが続ける。
「普通に喋ってもらって構いませんよ?」
四人の間に少しの沈黙が訪れる。
首を傾げた姿勢のまま固まったゴーシェが、ゆっくりとフィルの方に向ける。「どういうこと?」というような表情をしているゴーシェに釘を刺すように言う。
「いや、わざとらしいからだろ」
「本当に? どのへんが?」
「全部だな」
「ゴーシェさん、いつもこんな感じなの? それじゃモテなくて当たり前だよ」
横から口を挟んでくるトニにゴーシェの拳骨が落ちる。
「痛いじゃないか!」
「うるさい! 俺はモテなくなんかない!」
「あれでモテたら苦労しないよ!」
「なんだと! チビ助の分際で!」
ギャーギャーと言い合う二人のやり取りを無視しているフィルに、器にもったスープをカトレアが差し出してくる。
「どうぞ召し上がってください。とても仲がいいんですね」
くすくすと笑いながら器を渡してくるカトレアに礼を言う。
「ありがとう、しかしこれが仲良さそうに見えるのか?」
二発目の拳骨を受けてトニは涙目になりながら息を荒げるゴーシェと睨みあっている。
「ええ、とっても。賑やかで羨ましいです」
「じゃあカトレアちゃんも仲間になる?」
「おいゴーシェ、適当なことを言うな」
「私も傭兵はちょっと……」
首をぐりんと回してこっちの会話に入ってくるゴーシェの言葉は簡単にあしらわれる。
カトレアは、トニとゴーシェにもスープの器を渡し、みんなで食べ始めた。
食事の間、砦攻めの武勇伝――何故かゴーシェが隊を率いたことになっていて、ボスを一人で倒したことになっていた話をゴーシェが力説していたが、カトレアも喜んで聞いていたので放っておいた。
スープに手をつけていると、横で芋を頬張るトニの胸元に光るものが見えた。
「何だお前、自分で着けてるのか。金にしないのか?」
見ると、砦でフィルが渡した赤い宝石のペンダントを身に付けているようだった。
「へへ、いいでしょ。気に入っちゃったから自分で使おうかなって」
トニはシャツの中からペンダントを取りだし、誇るように見せてくる。
「それは構わないが、それ女物じゃないのか?」
「変かな?」
「いや、似合ってるぞ」
フィルがそう言うとトニは照れるように笑う。
食事を終え、一息ついてもなおゴーシェの話が終わりそうにないので「いい加減にしとけよ」とだけ言って、フィルとトニは床につくことにした。
トニは首から下げた赤い宝石を嬉しそうに握りしめながら横になり、横で話続けるゴーシェの声を聞きながら眠りについた。
***
夕方。四人を乗せた荷馬車は、リコンドールの町についていた。
早朝に野宿をした場所を出立し、道中で魔物に出くわすことも少なく、日が落ちる前に町につくことができた。
「皆さん、どうもありがとうございました。魔物が減ってると聞いていたのですが、一人では危ないところでした」
「こっちも早く着けて助かったよ。しかし一人で行き来するのは流石に危ないからやめておけ」
「そうですね……。しかし中々他に稼が口もなく……」
町の門に入った所で、四人は立ち話をしていた。行商をするカトレアからしたら、前線への行商はいい稼ぎ口なのだろう。
「フィル、グレアムの所の傭兵団を紹介してやったらどうだ? あそこなら
ゴーシェが傭兵団の仕事を受けるよう提案する。
「確かにそう言っていたな。これから砦の復興が進むだろうから仕事も増えるだろう。カトレア、どうだ? 個人でやるより稼ぎは多少減るかも知れないが、隊商なら危険は少ないぞ?」
グレアムの傭兵団では複数の行商人に依頼を出し、自分の傭兵たちを護衛につけて移動する隊商を組んでいた。自分達で準備をするより行商人をそのまま前線に送る方が効率がいいのである。
隊商であれば護衛がつくため、個人で町と砦とを行き来するより自由度や稼ぎも多少は下がるが、道中は遥かに安全だろう。
「そうですね、私も考えていたのですが、傭兵団の方にツテがなく……。紹介していただけるなら願ってもないです」
「俺達は報告もかねて明日には傭兵団の支部に顔を出そうと思っている。そこで紹介する、ってことでどうだ?」
「いいんですか? すこし申し訳ありませんが……、どうもありがとうございます」
カトレアは嬉しそうに笑顔を返したところで、隙あらばと声をかけるゴーシェ。
「それで、今夜は食事でもしていかないか?」
「いえ、すいませんが仕事の後片付けがありますので……。お気持ちだけいただきます」
ゴーシェの誘いはあっさりと断られ、がっくりと肩を落とす。
「そっか」
「まあ、とにかく明日また会おう」
「はい、それでは。今日は本当にありがとうございました」
名残惜しそうな顔をしているゴーシェは放置され、フィルと挨拶を交わしてカトレアは荷馬車の方に向かっていく。
「俺達で食事でもいくか。部屋を確保しなきゃならないから、一旦宿に行こう」
フィル達はリコンドールにいる間滞在している馴染みの宿がある。
今回傭兵団の依頼を受けて長く離れるかも知れないので部屋を引き払っていたため、顔を出す必要がある。
「あんなしょぼくれた宿が埋まるもんかよ。このまま飲みに行こうぜ」
カトレアにあっさり誘いを断られたため、しょぼくれたような様子のゴーシェが足で土をいじっている。
「まあまあ、ゴーシェさんも俺から見たら中々いい男だよ」
「お前にそんなこと言われても何も得しないしなあ」
「なんだとー!」
ゴーシェに掴みかかろうとするトニの襟首を掴んで止め、「とにかく宿にいくぞ」とうっとおしそうにフィルが言う。
三人は宿に向かうが、ゴーシェの言う通り部屋はあっさりと取れたため、そのままの足で馴染みの酒場である『馬屋』に向かうのだった。
***
フィル達は顔馴染んだ店『馬屋』のいつものテーブルで蜂蜜酒を飲んでいた。
「じゃあいつも通り報酬を分けるか!」
ドンと陶器のジョッキを置くとゴーシェは催促するようにひらひらと手をふる。
「今回はたんまり貰っただろうからな、楽しみだ」
「それよりゴーシェ。お前、腰につけてる袋の中の分はどうするつもりだ?」
「え、これは個人の取り分だろ?」
ゴーシェはぱんぱんに膨らんでいる袋を隠すように半身を引いて、引きつった笑いを返す。
「分け前はきっちり分けるはずだろ、換金してこいよ」
「お前だっていくつか取ってたじゃないか! これは報酬とは別だろ! なあトニ!」
「俺もこれは金にしたくないな……」
首からぶら下げた赤い宝石のペンダントをぎゅっと握り、ゴーシェに同調する。
(まあ、今回はいいか……)
フィルはふっとため息をつくと、グレアムから受け取った報酬の袋を懐から取り出す。
空の布袋も二つ取り出すと、いつものように報酬を分配していく。
「お、金貨じゃないか。さすがグレアムは羽振りがいいな」
「フィルさん、俺も同じだけ貰えるの? 大して役に立てなかったけど……」
一枚ずつ金貨をきっちり分けていくのを見ながらトニが聞いてくる。
「まあ貰っときゃいいんじゃねーの? 今回はトニも結構働いたしな」
「そうだな、意外だったが十分戦力になっていた。報酬は三等分だ」
「そっか、ありがと」
トニは笑顔で答えるものの少し落ち込んでいるようにも見えた。
砦での戦いで前に出れなかったことを思い返しているのだろう。
「戦いは経験だからな。徐々に慣れていけばいいさ」
ゴーシェがフォローを入れると「うん!」と返し、ようやくちゃんと笑った。
「しかしお前が金に執着するのは珍しいな、いつもだったら貰える分だけで満足するだろ?」
三つに分けた袋の口を縛りながらフィルがゴーシェに問いかけた。
「いやあ、実は武器を新調しようと思っててね。今回の戦いで俺の武器じゃ刃が通らなかっただろ? 今後もあんなのが出てくるんだったら、もっといい武器を持たないとな」
「まさかお前、魔晶石も持ってくつもりか?」
「え、まずかった?」
珍しく強欲な面を見せるゴーシェにため息が出るが、たまにはいいかと思うことにした。
三つの袋に分けた報酬は一人頭金貨八枚。大銀貨にして百枚くらいだった。
前回の仕事の報酬の約三倍の額であり、頂戴した宝物の分も考えるとかなりの稼ぎになった。決死の任務を志願したことによるものだが、グレアムの気前の良さに改めて驚いた。
二人の前に袋を置くと、ゴーシェはさっと、トニはおずおずと、それぞれ手にした。
「これで等分だ。金貨一枚余ったが、ここの支払いと仕事の雑費として俺が貰うぞ?」
「あいよ」
(金貨の報酬なんて久々だな、上手いもんでも食うかな。俺も盾を新調するのもいいかもな)
フィルが金の使い道を考えながら指で報酬の袋をいじっていると、トニが質問をしてきた。
「魔剣作るのっていくらくらいかかるの?」
「ん? そうだな、モノにもよるが結構値が張るぞ」
「俺の今の剣で大体金貨十枚ってとこだな」
「ひえー、そんなにするんだ! でも今回の報酬くらいで買えるね」
トニが驚きを全面に出した表情をする。
今回のような羽振りの良い仕事をすると金銭感覚がおかしくなってくるが、普通の暮らしをしているのであれば、金貨一枚で一月は家族を食わせることもできるだろう。
「何だ、お前も武器を作ろうってか? 今持ってる剣も悪いもんじゃないぞ」
「それは分かってるんだけど……」
トニはおずおずとしながら続ける。
「弓を作りたいなって思って。借り物を使ってたけど、前に出れないならゴーシェさんみたいに弓でサポートできるようになりたいな、って」
「何だお前、可愛いこと言うな。というか、いい加減俺の弓返せよ」
砦攻めの時から貸しっぱなしになっており、トニが自分のもののように傍らに置いていた弓と矢筒をゴーシェが引ったくる。
「ごめんよ、だから俺も自分の弓を持とうかなって思って」
「なるほど、悪くないな。しかし魔晶石がないだろう。石も込みで買うと、ゴーシェが言ったみたいくらいの金がかかるしいい物が出ているか分からないぞ」
魔剣の価格が張るのは、良質な魔晶石自体が希少であることも一因だ。
強力な魔物を倒して魔晶石を得た傭兵は、魔物の力を持ったそれを使って自分の得物を作ろうと考える。質のいいものは中々出回らないのである。
「ゴーシェだって今回の魔晶石で装備を作ろうとしてるだろ? デカい魔力を持った魔晶石自体、中々出回ってないからな」
フィルのようにすでに十分装備が整った傭兵が売り払うものが出回るが、新兵の多いこの町ではそれもすぐに売れてしまう。
それも売れ筋の良い剣がほとんどであり、需要がそれほどない良質な魔晶石の弓が店に出ているのを見ることはほとんどない。
「剣もあるし、そこそこの物でもいいかなって思ったんだけど……」
そう言ってトニは自分の革袋から一つの魔晶石を取り出してテーブルに置く。それを見てフィルとゴーシェが顔を見合わせる。
「何だお前、自分のを取ってきたのか? 意外と抜け目がないな」
「違うよ、砦でフィルさん達がいない時にライルさんがくれたんだよ」
トニは手をぶんぶんと降って訂正する。
「意外と面倒見がいいんだなアイツ。なんかクールなイメージがあったけど」
「魔晶石は大体をあっちにくれてやったから、気を使ってくれたんだろ」
トニがテーブルに置いた結晶をフィルが手にとってまじまじと見る。
「詳しいことは分からないが、この大きさのものだったら十分だろう。何なら今持ってる剣のより質がいいんじゃないか?」
「ほんと? じゃあやっぱり剣にしようかな」
「この程度だったらそこまで珍しいもんでもないし、トニが言うとおり弓でいいだろう。弓のサポートは中々良かったぞ」
フィルにそう言われ、「俺ほどじゃないけどな」と言うゴーシェに肩を叩かれるとトニは嬉しそうにして結晶を袋にしまう。
「じゃあそうするよ!」
「俺の剣を作るのもあるし、明日にでもヴォーリの所に行こうぜ」
「相変わらず羽振りが良さそうな話をしてるわね、こんなところで金貨や魔晶石なんて見せびらかすもんじゃないわよ」
フィル達の横から声がかかり、テーブルの上に牛肉、豚肉、鶏肉、羊肉と、肉がこれでもかと盛られた大皿がドンと置かれた。
「エリナじゃないか、久しぶりだな。会いたかったよ」
店に入った時には姿が見えなかったエリナが横に立っていた。
「ゴーシェさんも相変わらずね、数日前にここで飲んでたでしょうに。全然久しぶりじゃないわよ」
「おいおい、こんなの頼んでないぞ?」
「お父さんが『稼いでるんならたまには金を落とせ』って」
ふっとカウンターの方を見ると強面の店主のバトラスがこちらを見て、台の上に蜂蜜酒のボトルをドンと置いた。
「かなわないな」
「お仕事が終わったんでしょ? たっぷり飲んで下さいね」
そう言って、しなを作るような仕草をわざとらしくする。
「フィル、今回はしばらく休みだろ? 今度食事でも行こうぜエリナ」
「食事ならいつでも店を開けてるわよ」
いつものようにゴーシェをあしらうエリナはウィンクを返してカウンターの方に戻っていく。
「お前もほんとに節操がないな」
先ほどまでカトレアに言い寄ろうとしていたゴーシェの調子のよさをため息混じりに指摘するフィル。
「女と酒に弱いところがなければゴーシェさんも格好いいのにね」
「何だよお前ら、最近俺に冷たくないか?」
そんなやり取りをしているとすぐにエリナが戻ってきて、今度は煮魚が盛られた大皿と蜂蜜酒のボトルが置かれた。
「たんと飲み食いしてね」
再びウィンクするエリナを唖然と見ていると、カウンターの奥からバトラスもウィンクを投げてきた。視線を目の前に戻すと、すでにトニが肉にかぶり付いている。
少し頭が痛くなったが、これもまあいいかと思い、フィルも肉の山に手を伸ばす。
久し振り――でもない町の夜を堪能し、ゴーシェがジョッキを持ったままテーブルに突っ伏すのは、それからさほど時間がかからなかった。
***
翌日部屋から出てこないゴーシェには部屋のドアの隙間に置き手紙を差し込み、カトレアと約束していた町の広場に来ていた。
トニと連れだって広場に向かうと、広場ではすでにカトレアが待っていた。
「おはようございます、いい天気ですね」
こちらの姿に気付くと声をかけてくるカトレアに手を上げて挨拶を返した。
「ゴーシェさんは今日はいないんですか?」
「あいつは例のアレだ」
フィルが口にする言葉の意味を察すると、「ああ」とだけ答えるカトレア。
「すぐにでも傭兵団のところに向かうがいいか?」
「よろしくお願いします」
合流した三人は連れだってすぐ近くの傭兵団の支部に向かった。フィルが建物の扉に手をかけると、カトレアの方は少し緊張しているようだ。
扉を開けると、ドアチャイムの音ですぐにこちらに気付いたアランソンが声をかけてくる。
「フィルさん、おはようございます。お早いお帰りですね」
そう言って微笑む、清潔感のある中年の男――アランソンがこちらに声をかけてくる。
「どうも、昨日戻ったんで仕事の報告にきた。現場の方でグレアム団長と話してきたから聞いているかも知れないが、報酬は向こうで貰っている」
「こちらも聞いていますよ。昨日砦から早馬で伝令が来たので詳細も聞いています」
最初の挨拶に含みがあったのは、詳細をすでに聞いているからだろうと思った。
「しかしフィルさんに出張ってもらって数日で砦が落ちたとなっては、こちらの面目が立ちませんね」
「俺は大したことはしていないよ、タイミングが良かったんだ。しかし既に詳細を聞いているんだったら、あまり来た意味がなかったな」
「いえいえ、砦が落ちたことで町との間の開拓を進められますから、仕事が山ほどありますよ」
しょげたような演技の後にすぐ依頼の話をしてくる抜け目のない男である。
「勘弁してくれ、向こうでこき使われたから少し休みが欲しいんだ」
「町周辺の魔物討伐なんかで長期で受けてもらいたいものもありますよ。受けるだけならどうです? 裁量はそちらにお任せしますから」
やんわりと仕事を断ろうとしても畳み込むように仕事を薦めてくる。
「それより先に紹介したい人間がいる。確か隊商を組む行商人を探していただろ?」
「ふむ?」
アランソンからの怒濤の仕事の話を避けるようにして、カトレアの紹介をしようとした。
フィルの後ろ、トニと一緒に突っ立っているカトレアに「こっちに来い」と手をこまないた。
「はじめまして、行商をやっておりますカトレアと申します。こちらで仕事の紹介をしていただけるとフィルさんに聞きまして」
「砦で知り合って町まで乗せてもらったんだ、俺からもよろしく頼むよ」
アランソンは顎の髭をさすりながらカトレアをじっくりと見る。
一見調子のいい紳士然に見えるこの男だが、仕事を依頼する管理者だけあって人はよく見ているのだ。
「分かりました、砦の物資の需要もまだまだあります。当面はこっちで用意する隊商に加わってもらうことになりますが、よろしいですか?」
「は、はい! 大丈夫です!」
「それでは詳細を話しますので、あちらの者と話して下さい」
そう言ってアランソンは奥で書類仕事をする事務員の男に促す。
「よかったね、カトレア!」
「うん、トニちゃんもありがとう」
知らぬ間に二人が仲良くなっていたことに少し驚いたフィルだが、「じゃあこれで」と支部を後にしようとしたところでアランソンに肩をがっしりと掴まれた。
「まあまあ、依頼の報告も聞きたいですし、ゆっくりしていって下さいよ」
静かに微笑む表情と肩を掴む力が合っていないアランソンに引きつった笑いを返しながら、フィルは観念した。
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