第十五章 ささやかな祝宴

「んもおおぉぉおお!! 何なのよおおぉぉおお!!」

「やめてくれーー、ディアさん!! 森の木には何の罪もないべ!!」

「アイツぅぅううう!! 今度合ったらぜっっっったいに許さないんだからぁぁあああ!!」

「止まってくれーー!! フィルさんもっ、ディアさんを止めて欲しいべーー!!」


 先程まで復興の作業の音くらいしか聞こえていなかった遺跡、その中でディアの雄叫びのような声と戦槌で木々をなぎ倒す音、そしてそれを止めようとするクゥの悲痛な声が響いている。

 その光景を完全に傍観しているフィルと、トニ、カトレアの三名は、ディアを止めることは早々に諦め、早く怒りが鎮火してくれと祈るだけだった。周囲で作業をしていた村の人間達も『何事か』とこちらに来ていたが、触れてはいけないものと悟ったのか、作業に戻っていた。


 遺跡の内部で会った人物――ピートとのやり取りの後、カトレアが彼から魔法の力を譲り受けたという話を遺跡の地下を出た後に打ち明け、そこから始まったのが目の前の光景だ。

 ディアの主張としては『何で魔法の力を貰うのが私じゃないのよ』という単純なものだったが、その怒りは凄まじく、かといって何も悪いことはしていないカトレアに向けるわけにもいかないので、という思いから今の状態になっているのだろう。


 はたから見ているこちらからして見れば、いらないことをしてくれたピートに文句でも言いたいところだが、遺跡の地下への道は既に閉ざされた。フィル達にできたのは、ディアが祭壇を破壊しようとするのを止めることくらいだ。


「このままじゃ森がなくなっちゃうべーー!! 誰かーー!! 何とかして欲しいべーー!!」


 遠くでクゥが叫んでいる。

 フィルがふと横を見ると、当事者のカトレアは困ったような表情を浮かべていたが、トニなどはもう心ここにあらずというように遠い目をしている。


 騒ぎの音がだんだんと遠くなっていき、それが完全に止んだのは、見なかったことにしようと判断したフィル達が村の人間に混ざって食事を取っていた時だった。


***


「はぁ……はぁ……はぁ……全く、祭壇の下に妙な奴がいたってだけでも悩みもんなのに、こんな騒ぎ……勘弁して欲しいべ……」

「すまなかったな、クゥ。ディアも……なんだろう、多感な時期なんだきっと」

「暴れたのは謝るけど、変なこと言わないでよ」


 散々暴れまわったディアがけろっとした顔でフィル達に合流してきて、その後ろをげっそりとした顔でついてきたクゥも食事を取り始めた。遺跡での戦いの後もこんな様子を見せなかったクゥだが、心なしかさっきより老け込んだように見える。


 ディアがなぎ倒した木々は、村の人間達に材木として回収され、今では立派な防護柵となるべく加工されている真っ最中だ。ただ森を禿げさせた、なんてことにならなくて良かったが、あれだけ暴れた後に涼しい顔をしているディアという人間が、フィルにはよく分からなくなってきた。


「クゥ、さっきも言ったことだが、遺跡のこと――ピートのことは秘密にしておいてくれよ。ファングさんに話して扱いを決めた方がいい」

「分かってるべ、フィルさん」

「それで一体、どんな魔法を貰ったって言うのよ――」

「おい、ディア。だからその話は今はやめろって言ってるだろ。後にしろ」

「分かったわよ!」


 終始機嫌の悪いディアは、フィルの言葉にぷいっと顔を背ける。

 遺跡を出た後、フィルはクゥに遺跡の地下で起こったこと――ピートとのやり取りを全てではないが伝えており、ひとまずファングの意向を聞くまでは内密に、とだけ言った。ファングの村や、今はないが周囲の村々が守ってきた遺跡。その内部に村の人間達に認識されないように存在し続けたピートの存在を、村の人間達が確かな情報もなく知ることは、得策ではないと思ったからだ。ピートの存在の善悪も計り知れていない以上、事は慎重に運ぶべきだ。


「とにかく、ファングさんと話をしなきゃな」

「親父もあの調子だからな……いつ起きてくるか分かったもんじゃないべ――」

「みっ、皆! 村長が、村長が来たぞ!」


 フィル達がファングの安否を心配する中、村の方角から聞こえた叫びが会話に割り込んでくる。

 面々が声の方に視線を向けると、複数の村の人間と共に、ファングがこちらに向かってくるのが見えた。しかしその姿は、片手で杖をつき、村の人間に肩を借りながら弱々しく歩いてくるものだった。


「親父っ――」

「ファングさん……あんな状態でなんでこんな所まで……」


 その姿を見たクゥが言葉を失いながらも駆け寄っていく。

 痛々しい姿を見て、カトレアもその身を案じる声を漏らした。


「ファングさん、こんな所に来て大丈夫なのか? 体の方は――大丈夫そうには見えないが」

「フィル殿、見苦しい姿を見せてしまい……お恥ずかしい。なに、体などどうとでもなる。それよりこの場をクゥだけに任せておく方が心配だからな」

「親父っ! そんなこと言ってる場合かよ!」

「黙っておれ、クゥ。お前はまだ子供だ」


 クゥに少し遅れて、フィル達もファングに合流したのだが、やはり無理を押してここまで来たようだ。ファングの体を心配しているのだろう、そんなクゥの言葉も聞く耳持たぬ、という様子だ。クゥも拳をぎゅっと固めて黙ってしまう。


「クゥはよくやってたよ、ファングさん。遺跡の状態も見てくれ。復旧も進んでるし、魔物への守りも徐々に整ってきている。村の人間にクゥが指示を出して、ここまでやったんだ」

「フィル殿……まあ、この愚息ぐそくにしてはマシな方だな」

「なんだとっ! こんの……クソ親父がっ!」

「あっ、クゥ……!」


 フィルが擁護しようとしたその言葉も、ファングは素直に受け取らない。クゥも頭に来たのか、言葉にならない言葉を吐き捨てて、その場を走って後にしてしまう。クゥを止めようとしたトニの言葉も届かなかった。

 フィルの目にも、ファングのクゥへの当たりは強すぎるように思えた。


「ファングさん……重要な話がある」

「……ここでは、しにくい話だろうか」

「できれば、場所を移して話したい」


 クゥの様子も心配だったが、まずはこの遺跡のことをファングに伝えなければと思い、フィルは遺跡の内部で話をしようと提案した。

 そうして場所を祭壇のある部屋へと移し、遺跡の地下で起こったこと、見たものをファングに伝える。


「――なんと、そんなことが。遺跡の内部にそんな者・・・・がおったとは」

「ファングさんにも心当たりがないのか?」

「残念ながら、ない。確かに遺跡での祭事や、この部屋が特別な意味を持つことは伝え聞いておったが、そんなことは聞いていない。恐らくは、前の長――儂の親父殿も、そのことを知らなかったのだろう」

「そうか……」


 ピートが一体何者なのか、その唯一の手がかりになりそうだったのがファングだったのだが、その存在すら知らなかったと言う。これで、ピートの存在を知るものは、ここにはいないということが分かった。


「それで、どうするつもりなんだ? ファングさん」

「どうするとは?」

「その……遺跡の地下に存在する者――つまりピートのことだ」

「……村の者には伏せておこう。このことを知るのは儂とクゥ、そしてフィル殿の面々のみ、ということになる」

「あ、ああ。それ自体は問題ないんだが、なんというか――それでいいのか?」


 フィルはピートが言っていた、『村の人間に祭事を行わせ、情報を集めていた』ということまでをファングに伝えていた。村の人間からすると、得体の知れない人物――と言っていいかも分からないが、その存在に使役されるような状態だったということだ。村の人間であれば、知ってもいいことであるし、その判断をファングに委ねようとしたのだ。


「我等の村のことを案じてくれているのだな、フィル殿。何から何まで……申し訳ない」

「いや、それはいいんだが……ピートの存在を許す、ということか?」

「許すも何も、村の祭事は我等のご先祖様の代から続いてきたことだ。遺跡の地下の者――そのピートという人物が何者かは知らぬが、何か理由があってのことだろう。我等が信じるのは我等の血を絶やさず繋げてきた者達の意向、それだけだ」

「そうか……強いんだな」

「そんな大層なものではない。浅慮せんりょ、とも言える」


 フィルにとってファングの決定は意外なところだった。

 得体の知れない、と言ってしまえばそれまでだが、確かにファングの言うとおり、この遺跡はこの周辺の村々が大事にしてきたものだ。村の守り神――ドゥーガという名の狼の意向があったとは言え、遺跡での戦いの際、ファングを始めとした村の人間達の『遺跡を取り戻す』という気迫には目を見張るものがあった。

 決して浅はかなものじゃない。自分たちの村の――この森で長く続いてきたことを、掛け替えのないものと思っているのだろう。


 フィルとそれだけを話すと、ファングは遺跡の状況を知りたいと村の人間に案内を頼み、祭壇がある部屋を後にしていった。

 伝えるべきことを伝えたフィルは、もう特にやることはないと思い、ゴーシェの待つ村へと戻ろうかと考える。


「フィル殿、せめてものねぎらいだ。受けてくれ」

「すまない。ファングさんもあまり無理しない方がいい。傷にひびく」

「なに、まだまだ死にはせんよ。クゥが――あの馬鹿息子が一人前に育つまではな」


 フィルは村には明日戻ることにし、遺跡での酒宴に混ざっていた。

 ファングが意識を取り戻して遺跡に来たこともあり、戦いの後も黙々と仕事を続けていた村の人間達も若干その影を見せていた悲壮感もなくなったというように、ささやかなうたげを楽しんでいる。


(ゴーシェが知ったら怒りそうだな……)


 フィルは村に一人残したゴーシェが、ここで酒が振る舞われたなんてことを知った時の顔を思い浮かべて少し笑う。

 厳しい戦いには違いなかったが、振り返ってみれば遺跡に巣食っていた魔物を一掃することができ、少なくない犠牲があったものの、ここからの立て直しも十分可能な雰囲気がある。


 フィルはファングからの酒の勧めを受けながらも、一つ言うべきことがあった。


「なあ、ファングさん」

「どうしたフィル殿。酒が足りんか」

「いや、そうじゃないんだが……今回の戦いは勝ったには勝ったが、ここらにはまだ魔物が残っている。今回の戦いの残党もいるだろうし、東から攻めてきた魔物の勢力も未知数だ。この先、また強大な魔物が攻めてくる可能性もあるだろう」

「ふむ……」


 酒の席でする話ではなかったかも知れないが、このタイミングを逃すといつファングと会話ができるかが分からないので、思い切って話を切り出した。


「そこで、だ。俺達の国――ガルハッドに救援を要請したらどうかと考えている。ガルハッドには国軍の隊長格の顔見知りがいるし、馴染みの傭兵団もある。今回俺達が東――ミズールバラズに向かっているのも、奴等は知っている。きっとこっちから声をかければ悪いことにはならないだろう、と思ってるんだ」


 宴の中、フィルがそう喋る言葉を聞いて、ファングは言葉の意味を咀嚼そしゃくするように間を空ける。周囲の面々――気まずそうな顔をして席に混じっていたクゥも声は出さずにファングの様子を見ていた。ぱちぱちと火がはぜる音が響くだけの短い時間が流れる。


「……願ってもない、話だ。我等のことを気にかけてくれるフィル殿には、頭が上がらないな。しかし、時期も時期だ。ガルハッドに要請するにしても、そこに向かわせるものがいない。戦いの後だ、戦力にも限りがある。道中、魔物に出くわすことを考えると、それを耐えしのぐ力がある者を今の我等の戦力から欠かすことはできない」

「しかし、それでは結局ここで耐えしのぐことには変わらない――」

「親父、俺が行くよ」


 フィルの提案に乗りたいのだが、今は無理だとファングが漏らす。

 それでもとフィルが再度強く推そうとするのを遮るように、二人の会話を見ていたクゥが声を上げる。


「クゥ、お前はまた……我等が今どういう状況か分かって――」

「フィルさんの言うとおりだべ。親父も戦いの場にいたんだ、あのデタラメ・・・・に強い敵を見てたんだべ? またあんなのが攻めてきたら、俺たちだけじゃどうにもなんねえ。フィルさんにもやることがあるんだ、ずっとここに居てくれなんて言えねえ。だったら可能性があるところに賭けるしかねえべ」

「クゥ……」

「クゥさん……」


 ファングがクゥの提案を否定しようとするのを、クゥ自身が強い言葉で止めた。

 トニやカトレアも見守る中、いつもとは違い覚悟を決めたような表情のクゥが意思を貫こうとする。


「……生きて戻れるのか?」

「ジャニスとスールカも連れて行く。三人だったら道中の魔物くらい何とかなる。生きてたどり着かなきゃ意味がないべ。絶対に――生きて戻る」


 決心は鈍らないと断言するかのようなクゥの物言いに、ファングが小さく嘆息を漏らす。少しの沈黙の後、ゆっくりと顔を上げ、そしてゆっくりと口を開いた。


「分かった、お前に任せる。これは長としても、お前の親としても命じることだが――死ぬことは許さんぞ」

「しつけえべ、親父。死なねえっつったら死なねえ。決めたことだ」

「……なら、これ以上言うことはない」


 その簡単なやり取りで、ファングとクゥは互いに納得したような様子だった。

 息が詰まるような空気の中、二人の様子を見守っていたトニもようやくホッとしたような顔をみせた。


「蒸し返すわけじゃないが、本当にいいのか? ファングさん」

「フィル殿には見苦しい所を見せたな。アレもアレで考えていることが分かったよ。儂が過保護すぎたのかも知れない。本人が決めたと言うんだ、親としては信じるしかないだろう」

「ならいいんだが……じゃあクゥをガルハッドに向かわせるとして、俺からの願い出であることも示そう。役に立つかは分からないが、書状を書くよ。向こうも無下むげにはしないと思う」

「何から何まですまないな、フィル殿。恩に着る」


 あくまで念のためだが、フィルの方でもカーティスやグレアムに宛てた書状を書くことを約束した。グレアムは、アレは脳みそまでもが筋肉でできているような男なのでもしかしたら字が読めないかも知れないが、フィルの旅路を案じてくれたカーティスは信用できるだろう。

 それに、本来フィル達がこの旅に出たのも、ガルハッドと山人やまびとの国――ミズールバラズとの国交を復活させるためだ。その中継地点とも言える、この村や砦となる遺跡の守備のために戦力を割くことを、嫌とは言わないだろう。


「難しい話はこれで終いにしよう。今日は祝宴だ。皆、ふるってくれ」


 ファングが手を叩きながら、周囲の村人達に声をかけた。

 フィル達の会話の空気を見て声を抑えていた村人達も、元の調子を戻すように、次第に笑い声が上がるようになった。


 宴はその後も続き、人々はささやかなその一時ひとときを大事にするように笑いあった。


***


「それじゃあ、残してきたゴーシェのことも気になるから、俺達は戻るよ」

「ああ、遺跡の状態が気になるから儂はここに残ることにする。フィル殿は、すぐにでも発つのか」

「どうかな。ゴーシェ次第だけど、あの様子だと数日もすれば元気になると思う。そうしたら、村を出るよ」

「分かった。しばらく村には戻らぬだろうから、ここで別れの挨拶としよう。道中の無事を祈る」

「ああ、ファングさん達も大変だろうけど、頑張ってくれ。帰りにまた寄るよ――無事に戻れたら、だけど」

「フィル殿なら大丈夫だろう」

「そうであることを祈るよ、それじゃあ」


 宴があった翌日の朝、遺跡にてフィルはファングに別れを告げていた。

 一旦村に戻って、ゴーシェの調子を見てからではあるが、恐らくそのまま旅に出ることになるだろうと思ったからだ。簡単な挨拶だけをして、笑いながらファングに手を振った。


「フィルさん!」

「クゥか……お前は戻らないのか?」

「ちょっとだけ仕事が残ってんだ。数日もしたら村に戻るからすぐ追いつくべ!」

「そうか。じゃあ書状はその時に渡す、でいいか?」

「うん、それと……色々ありがとう。フィルさん」


 村に戻ろうとするフィルにクゥからの呼び止めが入った。


「なんだクゥ、らしくないぞ」

「俺はいつもこんなもんだべ! でも、フィルさんや……ゴーシェさんがいなかったら俺達全滅してたかもって思うとさ……昨日も助けてもらったし……」

「今生の別れじゃないんだぞ、お前村でまた会うんだろ?」

「それは分かってるべ! ……まあいいや! じゃあ、また村でな!」


 そう言ってクゥは遺跡の修繕をしている村の人間達のもとへと走っていった。

 クゥなりにフィルにお礼を言おうとしたんだろうが、茶々を入れてしまい少しいじわるだったかなという気持ちになる。


 フィル達は一旦村に戻ってゴーシェと合流した後、村に戻ってくるクゥを待ち、書状を渡した後でまた旅に出る、ということにした。

 この旅の本来の目的である、山人の国――ミズールバラズへの旅路だ。


 残りの旅がどれほどのものか、またこの場所で強大な魔物と出くわしたことから、この先道中で何が起こるかは分からない。


 この地で得た巡り合わせ、それがこの先の道になることを願い、遺跡を後にする。

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