山田中獅子王の場合 その2


 明かりは燃え尽きようとするロウソクのように不確かに揺らめく魔法のランタンのみ。宗馬が遺した物だ。冷たい地面に転がり、空間を斜めに裂いたような長い影を落としている。


 魔王。それは災いが形を成したモノ。アーサーの目の前に立ちはだかるヒトのカタチをした災厄。白髪の魔法使いソロモンの身体を乗っ取り、一撃で曜市の巨体をバラバラに砕き、ひと睨みで宗馬を跪かせ、人間が考え得る最悪の現象が仁王立ちしていた。


 だからと言って。そうだ。だからと言って負けだと決まった訳ではない。相手は物理的な肉体を持っているんだ。一発殴ってみてから勝てるか負けるか判断しても遅くはない。


 とりあえず、絶対の速さで殴ってやる。話はそれからだ。


 山田中獅子王は、考えるが早いか、魔王の顔面に絶対的速度の拳をめりこませていた。


「マジやべぇだろ」


 拳の向こう側からアーサーを覗き込む真っ黒く冷たい瞳。それがアーサーが見た最後の光景だった。


 あー、黒いな。




 あー、白いな。


 アーサーは白いベンチに腰掛けて白一色の部屋を眺めながら思った。


 白い。前にもこんな事あったな。気が付いたら真っ白で、ムカつく声に呼び出されるんだ。


 アーサーが思った通りに、頭の上でおぼろげに光る輪っかがぽーんと音を奏でて三桁の数字を浮かばせた。そしてすぐさまその数字を呼ぶ声が聞こえてくる。


 しかし、それは懐かしきハスキーボイスではなく、どこか威圧感を含んだ低くこもった声だった。


「808番。現状を理解した上で速やかに前へ歩み出るんだ」


 アーサーの期待していたムカつきとは別方面のムカつき度合いで、思わず声のした方を睨みつけてしまう。


「808番。聞こえているのか?」


「宗馬さん! 何しちゃってるんすか」


 転生ハローワークのカウンターに座っていたのは宮原宗馬だった。アーサーはいつもノーラが座っていた席にまるで主か何かのようにどっかりと座り込んでいる宗馬に駆け寄った。


「808番、座ってよし」


「相変わらず偉そうっすね。で、ハロワで何してんの?」


「808番。いいから座れ。頼むから、手順通りに仕事させてくれ」


「ちゃんと名前で呼んでくれたらいいっすよ」


 アーサーはどこかぎこちない宗馬が異様に面白くて、わざと椅子には座らずにカウンターに寄り掛かって上から宗馬を見下ろした。


「山田中、獅子王。これでアーサーオーと読むのか? おまえの親のセンスは凄まじいな」


「そう言わないでくださいよ。字面はアレだけど、実はアーサーって呼び名は悪くないって思ってたんだ」


 アーサーはようやく椅子に座ってやり、まるでバーカウンターでバーテンダーに絡む悪酔いした客のようにカウンターに身を乗り出して、宗馬が持つタブレット端末に長い手を伸ばした。


「で、宗馬さんは転生ハロワ職員に転生しちゃったの? マジやべぇな」


「死者どもがわがまま言いやがって、なかなか思うように仕事させてもらえないんだ。ほれ、おまえの生前のデータ見てみろ。すごいぞ」


 宗馬がアーサーの伸ばした手に端末を渡そうとすると、不意に横から現れた白く細い腕が端末をかっさらった。


「だからお客様にデータを見せるなって言ってるでしょ」


 ノーラだ。いつもと同じお団子ヘアを軽く揺らして、赤眼鏡越しにアーサーを軽く睨む。


「アーサーも仕事の邪魔しないの」


 ノーラはタブレット端末を宗馬に返し、野良猫でも追っ払うように手をひらひらとさせて言った。


「アーサーの相手は私がやるの。宗馬は隣で809番の話を聞いてやりなさい。とにかく数をこなして早く慣れなきゃ」


「そうか。わがまま言いやがったら地獄のような異世界に叩き落としてやればいいんだな。じゃあな、アーサー。また会おう」


「うん、いつか死んだらまた来るよ」


 仕事に関しては素直な宗馬が席を立ち、アーサーはそれに別れを告げて、少し静かになったカウンターにノーラとアーサーと二人きり。


「お疲れ様、アーサー」


 ノーラが赤眼鏡を薬指で直しながら穏やかに言った。


「ああ、疲れたよ。さすが魔王と言うだけあるよ。一発しか殴れなかった」


「一発でも十分過ぎる成果よ。魔王を殴った人間がいるってこの業界じゃもうちょっとしたニュースよ」


「どんな業界だよ」


「異世界含めて人類史上初の快挙を成し遂げたアーサーには、ご褒美としてどんな要望も叶えてあげられる転生先が用意されているよ」


「よし、そうこなくっちゃ」


「ただし、後一回だけ仕事をして欲しい転生先があるの。夢のハーレムはその後ね」


 カウンターに乗り上げる勢いで食い付いたアーサーだったが、あからさまに不満げな顔をして椅子の背もたれに身を投げた。安っぽくぎしりと音を立てて背もたれがしなり、アーサーは天井を見上げるような格好でノーラに尋ねた。


「何度目の転生だよ。で、どんな転生を?」


「あら、意外と素直に聞いてくれるのね」


「そりゃあ頭の上に天使のリングが乗った状態では逆らえないって学習したよ。いいぜ、この際とことん転生を楽しんでやる。次はどこのどいつをぶん殴る?」


「次の転生先の名前は、山田中幸輔」


 がばっと跳ね起きるアーサー。それはよく聞く名前だった。聞くだけじゃない。何度も何度も口にした名前だ。山田中幸輔。山田中獅子王の父親の名前だ。


「オヤジ?」


 ノーラはタブレット端末に視線を落とし、子守唄を歌うかのように静かに静かにアーサーに話し掛けた。


「そう。あなたは山田中幸輔に転生して、山田中獅子王を最強の戦士へと育てるの。やれる?」


「……意味がわかんねえよ」


 アーサーが首を小さく振って言った。


「アーサーがどうしてあれだけ急成長を遂げたか、あなたなら解るでしょ? そう。父親がしっかりとあなたを育て上げてくれらからよ。自分一人の力でそこまで強くなれたって思った?」


 アーサーは黙ったままノーラの言葉に耳を傾けていた。


「幸輔は、まず幼馴染の鳥根高史をいじめ抜いて不登校にさせるの。そしてニート化した高史は後に事故で死亡。幸輔の息子、アーサー王に転生する」


 ノーラはタブレット端末をそっと閉じた。ここから先はアーサーもよく知る体験済みの出来事だ。


「アーサーは14歳まで自己流に猛特訓する。でも実は父親の幸輔もかげながら協力してくれていたのよ。そして幸輔の指導の元、本格的にボクサーとして戦い方を学ぶ。戦闘スピードに関してはこの時点でチート済みね」


「マジやべぇだろ、それ」


「アーサーは魔王から世界を救うために異世界に転生して、無事使命を果たした。結果として死んじゃったけど。そして幸輔に転生する。時間を遡ってアーサーを育てるために」


「オヤジは、幸輔はその後どうなるんだ?」


 アーサーがやっとの事で声を絞り出す。


「アーサーとの悲しい別れの後、八十歳まで自由に暮らすの。そして死んだら、またここで私と再会して、今度こそ望み通りの転生を果たしましょう」


「……次の転生まで八十年か。長いな」


「私にとってはあっという間よ」


 ノーラはスーツの胸ポケットから金色トンカチを取り出した。それは普段より澄んだ輝きを放っているように見えた。


「マジやべぇ。俺が高史を、元の自分をいじめて、転生して生まれた息子にアーサー王なんて名前をつけんのかよ」


 答えは解っている。ノーラは笑ってみせた。


「いいんじゃない?」


「ああ、いいな。高史のヤロウは嫌いだったし、アーサー王って名前も実はけっこう気に入ってる。悪くない転生になりそうだな。やるぜ」


 ノーラはなんとなく金色トンカチを愛おしく撫でて、それから振りかざした。


「じゃあ決まりね。八十年後にまた会いましょう」


「マジやべぇ人生だ」


 誰もが祝福される教会の鐘を叩いたような、とても高く澄んだ音色が山田中獅子王の耳に響いた。

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