ダンジョン・マスタリー その4
プードルのようだ。
ノーラは生命の神秘を感じた。
こいつはまるでプードルのような毛並みのオークだ。こんな巨躯でももふもふさせると可愛く見えるもんだな。
ブタ鼻のやたらごついプードルがそれこそ犬に着せるベストのようななめし革の鎧をまとい、分厚い胸板を見せ付けるようにぴんと胸を張っていた。
「ノーラ! 見てくれよ、この筋肉!」
十四年ぶりの再会だと言うのにいきなり筋肉を見せつけてくるか。時間が作用しないノーラにとっては一瞬の昔の出来事だが。
そのオークはもふもふとしていた。異様にもっふもふとしていた。全身がオレンジ色がかったブラウンの剛毛で覆われていて、その剛毛それぞれ一本ずつが自己主張するかのようにそそり立ち、柔らかそうな毛先がフワフワとオークの輪郭を形作っていた。オークってよく洗えばこんなにふわふわでもふもふとした生き物だったのか。
「あー、えーと、何て言おうか、以前の灰谷曜市からは想像もつかない姿になっちゃってまあ」
ノーラは率直な感想を述べてやった。
前世の前世、まだ人間だった頃の曜市は陽の光でも火傷しそうな青っちろい男だった。筋肉とは対極の位置に居座りそうな男だった。それがこれだ。もふもふの毛に覆われた上腕二頭筋をピクピクと蠢かせている。前世であるキングマンボウの能力をうまく引き継ぐ事に成功したようだ。
「マンボウの頃の努力が実ってよかったわね」
「やっぱりそうか? なんか子供の頃からオークの標準身長よりも相当でかいみたいでさ、腕力で物事が解決する世界にはもってこいの体格だよ」
腕力で物事を解決する。人はそれを暴力と呼ぶんだよ。と、一言つっこみを入れたくなるが、ノーラはぐっと我慢した。何倍にもなって意識高い系の言葉が返ってきそうだ。
「おまえさん達が知り合いだとは驚いたな」
ドンガンが目を丸くして言う。
このダンジョンマスタリーと言うゲームは三人組のユニットでなければ入口が開かない仕組みになっている。それは運営スタッフでも同じだ。
そこでノーラを中に案内するためにI.K.A.H.O.のリーダーであるオークのヨーイチにユニットを組んでもらおうと頼んでみたら、いきなり筋肉を自慢し始めたと言う訳だ。
「知り合いと言うか、何て言うか、世の中には知らなくていい事もあるもんよ」
ノーラが赤眼鏡をくいっと上げて言った。
「ノーラにはいろいろとお世話になってるんだ。もう、僕に指針を示してくれた恩人のようなものさ」
白いベレー帽をかぶったオークはうんうんと感慨深げに頷いた。
「それにしても」
ドワーフは特に深く探りを入れてくるような事はせずにあっさりとこの話題から興味を失ったようで、ダンジョンマスタリー入口のエレベーターホールの扉を睨むように向き直った。
「いつまで待たせるつもりだ? 前のユニットは何をやってるんだか」
ダンジョンマスタリーは冒険者同士が鉢合わせないようにと、誰かがエレベーターやガチャマシンを使用中は他のユニットがダンジョンに入場出来ないようになっていた。直前に入場したユニットがガチャマシンを使用しているらしくエレベーターが作動せず、さっきからノーラ達は待ちぼうけを食らっていた。
「クリスタルを貯め込んで一気にガチャを回してるのかな。いいね。ガチャは効率重視で回すべし、だ」
曜市はうんうんと頷いた。課金のし過ぎで我を見失い死んでしまったとは言え、さすがは重課金者。言葉の重みが違う。ノーラは思い知った。
「あんたが言うと説得力あるわ」
そうこうしているうちに、ポーンと軽い電子音が鳴り響き、エレベーターのドアがスライドして開いた。淡い光がドアの口からこぼれだす。
「開いたよ。さあ、詰めて詰めて」
曜市がごつい身体を器用に折り畳んでエレベーターの箱にぴったりフィットして収まり、ノーラとドンガンに乗り込むよう促した。
言われるがままに、曜市の腕の剛毛を掻き分けるようにして身体を押し付けてエレベーターに乗り込むノーラ。
「ゴワゴワしてそうなくせにフワフワ柔らかくて、石鹸の匂いがして何かムカつくわ」
「容姿に気を配る事は心の身だしなみに繋がるからね。常に清潔に。スカーフの白さは心の白さ、さ」
「その言い草もいちいちイラつかせるし」
「ヨーイチもノーラも、ほら、もっと詰めろって」
背は低いが筋肉に厚みのあるドンガンが遠慮なしにノーラの身体をまさぐるように分厚い身体を押し込んできた。
「こら、あんたどこ触ってんの」
「人間の娘に興味はないって言ってるだろ。そこらの肉屋の倉庫にぶら下がってる肉と変わらんぞ」
「それはそれでムカつく。少しは興奮しなさい」
「相変わらず口うるさい娘だな、おまえさんは」
「ヒゲがちくちく、腕毛がもふもふ、何なのこのエレベーターは!」
多層に連結されたダンジョンのブロックの終わりを告げるゲートをくぐると、ふと頬に触れる空気がりんと冷たくなったのが感じられた。ここはまるで冬だ。
「さむっ。何か急に冷えた?」
ノーラはヒラヒラしたローブの前を合わせて首をすくめた。
「それがこのダンジョンマスタリーの一番の特徴だな」
ドンガンは煉瓦が敷き詰められた足元を薄汚れたブーツのかかとでガリガリとやりながら言った。
「さっきまで砂漠のように乾燥していたかと思えば、ブロックが変われば吐く息も白くなるほど凍えるエリアになってしまう。予測不可能なダンジョン構成がプレイヤーを待ち受けるんだ」
こいつはほんとに流行に敏感と言うか、影響を受けやすいと言うか。まるでゲームの説明書を読むかのようなドンガンの台詞を聞き流して、ノーラは曜市のもふもふとした腕毛をひと毟りした。
「あんたの着ぐるみあったかそうね。形が変わるダンジョンの仕組みってどうなってるの?」
「ソーマさんはさすがだよ。『ブリリアント・ストーリーズ・オンライン』では表現しきれなかった五感に訴えかける世界観をこの現実世界で再現してるんだ」
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「転移魔法が得意な悪魔族の部下がいるんだって。ブロックとブロックを繋ぐゲートをくぐる時、実は僕達は毎回転移魔法で遠くの地に飛ばされているんだ」
曜市がまるで自分の実績であるかのように興奮気味に説明してくれる。
「ゲートはランダムに接続される。だから僕達は毎回違う土地の転移されて、一つのダンジョンにいながらにして世界中を探検して回っているようなものさ」
「世界中をねー」
「ある時はジャングルの蔦が絡まる遺跡の地下通路を、またある時はリザードマンが建築した岩山の城塞都市を、そして滅亡した未知の種族が打ち捨てた迷宮神殿を。僕達は歴史と文明の痕跡を辿って歩いているんだ。この脚で歩き、この手で触り、この目で見て」
「へー、すごいすごおい」
「ノーラ、あんまり興味ない?」
「とっととソーマに会って帰りたいのに、全然進んでないじゃないの」
魔法使いらしいねじれた杖をつき、ノーラは寒さに身を縮こませた。
「さすがにランダム生成ダンジョンだからね。そう簡単にラスボスであるソーマさんの場所まで行けないようになっているよ」
「まだ誰も管理人のところまで辿り着いた事はないらしいな。冒険者達の中では」
だいぶ先を歩くドンガンが大声で言う。
「じゃああんた達運営スタッフはどうしてるの? 管理人室に用があっても辿り着けなかったら意味ないし」
「ちゃんと運営スタッフ用の通路があるよ。ただし、その通路に出られるかどうかもランダムだけどね」
「ダメじゃん」
ノーラは背中のバックパックから、前回ガチャを回した時に獲得したSレアアイテム、オートナビゲートマップを取り出した。
「ったく、何やってんのよ、ソーマの奴は」
前に来た時はその転移魔法とやらでびゅーんって一気に宗馬のいる管理人室まで飛ばされたって言うのに、今回は宗馬の奴何をサボっているのか。
「お、ノーラいいの持ってるね。そのマップさえあれば、運営スタッフ用の通路に飛べばすぐにソーマさんのところへ行けるよ」
「運良く運営スタッフ用通路に飛べれば、でしょ」
ああ、もう、ダンジョン嫌い。ノーラははあっと白い息を吐いて手を揉み揉みと温めて、地図をぺらりと広げた。
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