王達の再会 その1
ボクシング全日本新人王決定戦優勝記者会見会場にて、山田中獅子王(これでアーサーオウと読む)はまばゆいフラッシュを浴びながら記者達の質問に答えていた。
「そんな観点から、ボクシングにおける一つのアビリティを特化して鍛えた結果が今日現れたんだと思います」
獅子王(アーサーオウと読む)が言葉を切ったのを確認して、一番前に陣取った記者がさっと手を挙げた。
「今回の新人王戦優勝で、シシオウ選手がオリンピック代表にほぼ内定したと思われますが、その点について率直な感想を聞かせてください」
獅子王(アーサーオウ)は視線を少し外して、頭の中で言葉を組み立ててからマイクに向かった。
「この世に生まれてから、ずっと俺が一番強いんだと証明したかったんです。オリンピックはその過程に過ぎません。ボクシングと言う限定されたカテゴリーではあるけど、今回はそれに一歩近付けて素直に嬉しいです」
そして獅子王(アーサー以下略)は声を低くしてその記者を睨み付けてさらに続けた。
「あと、またシシオウって呼んだら次の対戦相手はオマエな。どっちかが動かなくなるまで殴り合おうぜ。俺の事はアーサーと呼べ。永遠に覚えておけ」
獅子王(ア以下略)の言葉に、記者会見会場の空気が一瞬で凍り付いた。あのバカ、地雷踏みやがった。誰かが小声で呟く。
獅子お、いや、アーサーは前髪をさらりと払い除け、マイクの前で両手を組み、そこに顎を乗せて一番前に陣取る記者を上から叩きつけるような目線で見下ろした。
「あのー、いいですかー?」
ギシギシと音を立てそうなほど凍てついた会場の空気を、後方に控え目に立っていた女性記者のハスキーな声が打ち破った。
「生まれてから最強と証明したくて鍛えたとおっしゃいましたが、何かアーサー選手にそう思わせるきっかけのようなものはあったんですか? 例えば、誰かに言われた言葉とか、生まれる前の記憶とか?」
「前世の記憶ってか?」
アーサーがケラケラと爽やかに笑って見せた。女性記者の明るい声とアーサーの弾けた笑顔で、会場はようやく雪解けの雰囲気となった。実際アーサーはまだ十七歳だ。彼の笑顔は無邪気な子供そのものだ。
すらりとした細身の身体でありながら爆発的なスピードでリングを跳び回るファイトスタイルと、よく手入れされた狩猟犬を思わせる端整な顔立ちから女性ファンも少なくない。会場にはボクシングはあまり詳しくないが、アーサー目当てで集まった女性記者の姿もちらほら見られた。
「きっかけと言えるかどうかはわからないが、ガキの頃から親父がすごく熱心に鍛えてくれたってのも今回の優勝って結果をもたらしてくれた要因かもな。実は俺の前世は引きこもりのニートだったか知れないし、生まれる前の事なんてわかりませ」
肩をすくめてアーサーは答えてやる。これでいいかい、と質問をした女性記者に視線を送ると、鮮やかな赤い眼鏡に頭のてっぺんで結んだお団子ヘアの彼女はにこやかに笑っていた。
「んっ?」
この女、前に会った事ある。前って言うか、時系列は関係ない。むしろもっと命の根っこの方、言うなれば魂の記憶。この女に人間としての尊厳をがしっと鷲掴みにされた事があるような。
「……あんた、あれ?」
ずっと見ていたはずなのに、アーサーは赤眼鏡にお団子ヘアの女性記者の姿を見失ってしまった。
「お父様の指導についてお聞きしたいですが、よろしいですか?」
別の記者が手を挙げる。アーサーは、まあいいか、とお団子ヘア記者を探すのはやめておいた。嫌な記憶が蘇ってしまう。
試合会場を出てしまえば、アーサーもただの一人の若者だ。試合関係者やスポーツ記者達からは腫れ物に触るような扱いをされるが、そりゃあいちいち名前の事でキレてたらそうなるか、リングの外では自分の名を呼ぶ奴もいない。堂々と気兼ねなく道の真ん中を歩く事が出来る。
「何か食って帰ろうかな」
試合からの一人の帰り道、ついつい独り言がこぼれた。無事に今年度の新人王になれた。オリンピック代表もほぼ内定だろうと評判は上々だ。世界最強の証明まであと少しのところまで来た。小腹も空いているし、一人で祝杯でもあげるかな。
それにしても、あの赤眼鏡とお団子ヘアの女。他人の空似か? いいや、あの日本人離れしたコスプレ感のある欧米風の顔はそうはいないだろう。やっぱり、転生ハローワークのあいつか? 今頃何しに来た?
「何しにって、どうしてるかなって顔見に来ただけよ」
「そうなのか? 登場の仕方もタイミングもアレだと思う、ぞっ?」
アーサーは思わず飛び跳ねてしまった。一人で歩いていたはずが、いつの間にか隣に赤眼鏡の女が一緒に歩いていて、普通にアーサーの心の声と会話しやがった。
「なんで、急にっ!」
アーサーの身体が反射的に動いた。右の拳を軽く握り、一歩踏み出す感覚で肩から前に突き出す。スピードを乗せたジャブだ。
しかし速度のあるアーサーの拳は、笑顔のノーラにがっしと鷲掴みされた。小枝のように細い指で、ボクシングオリンピック代表内定者のパンチをいとも簡単に受け止めた。
「いいパンチしてるわ。何よりこの速さは抜群にいい。少し軽いけどね」
少し俯き加減のノーラが小さく呟く。そのお団子ヘアを含めてもノーラより頭一つ分背の高いアーサーだが、撃ち放った拳を鷲掴みにされ、はるか高みから見下ろされている無様な気分になった。
「わりとマジで打ったんだけど」
「たかだか人間風情が転生ハローワーク職員に勝てるとでも思った?」
ヘビに睨まれたカエルか。クモの巣に囚われたチョウか。ハローワーク職員に見つめられるニートか。アーサーはノーラに下から見上げられてまったく動けなかった。
「感動の再会じゃないの? 何か言う事はないのかしら?」
何なんだ、この「ヤらなきゃヤられる感」は。目の前に立つノーラには、今までのどの対戦相手よりも威圧感がある。二人の間に挟まれた空気がノーラの視線に煽られて波立っているようにさえ感じる。
「ひ、久しぶりだな、ノーラ。元気か?」
「ええ、とっても」
ノーラの笑顔に空気が和んだ。世界が急に弛緩したようにぬるい風を頬に感じる。
「何怯えてんのよ。せっかくのイケメンっぷりが台無しよ」
「そりゃあ化け物に出会ったら誰だってこうなるさ」
「化け物だなんて、イヤだわ。もういっぺんマンボウに生まれ変わるか、ああ?」
ギシッと赤眼鏡が凍てつく波動を発した。アーサーは思わず気を付けの姿勢を取る。
「ごめんなさい」
「いいの、素直な子は好きよ」
ダメだ。まるで隙がない。どこから打ち込もうと、また片手でハエを叩き潰すように掴まれて終わりだ。
「ノーラに好かれるなんて光栄だね。で、何かあったのか? こんなところで会うなんて」
アーサーは努めて冷静さを装ってみたものの、一瞬だけ垣間見えたノーラの殺意の波動の前に心が寒くて寒くてたまらなかった。
「そうね、あなたに会わせたいヒトがいるの。いや、ヒトだったモノかな?」
ノーラが人差し指でアーサーの頬を差し、首を傾げて可愛らしく言った。
「まるでいい予感がしないんだけど」
「そりゃあまあ相手が可愛い女の子だったら私も仲人として頑張っちゃうけど、何しろ相手は海の王様だからね」
海の王様? アーサーは逆に興味が湧いた。生き物である事は確かか。女の子じゃないのはちょっと残念だが、王様ならまた話は別だ。
「王様か。いいぜ。どうせ今日はもう学校には行かねえし、何か美味いの奢ってくれるんなら着いてくぜ」
「うん、お姉さんがご馳走してあげるわ。カニなんてどう? 越前ガニ」
「カニかよ! いいの? マジヤベぇぞ!」
「アーサー王と海の王とが感動の再会だわ。これはおもしろそう」
「再会? 俺と会った事あるのか? 王様だろ?」
ノーラはニッコリ微笑んで、高い位置にあるアーサーの肩にそっと手を置いた。ちょうどアーサーを見上げるような、アーサーにはちょうどノーラを見下ろすような、ちょうどいい高さで二人の視線が絡み合った。
ふわっと潮の香りがした。ざらりとしたちょっと厳しめの湿った風がアーサーの前髪を撫でる。
えっ。どこだ、ここは。アーサーはいつの間にか海の見える崖に立っていた。
「な、なんで俺はこんな、海に?」
まるで二時間サスペンスドラマの帝王が犯人役を説得するのにうってつけのロケーションだ。まさか、瞬間移動したのか? 俺が? いや、ノーラだ。ノーラがやったんだな。
「ノーラ、ここは? まさか、俺に会わせたい人って、二時間ドラマの帝王、船こs」
「ようこそ、東尋坊へ!」
ノーラが無限に広がる海を背にして言った。
東尋坊。そこはアーサーにとってあまりいい思い出のない場所だ。
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