王達の再会 その2


 色は青。空は高く、海は広く、マンボウは濃く。


 世界的にもマンボウの一大生息地として知られるようになった福井県の東尋坊は、平日の午後だと言うのにそこそこの観光客で賑わっていた。


「ようこそ、東尋坊って言われたって、いったい何をやった?」


 アーサーは呆然とした。ノーラとの何て事のない会話中、瞬き一つする間もなくで、ボクシング試合会場の外を歩いていたはずの自分がこんな世界の果てのような異界の絶景を前に立ち竦んでいるなんて。


 ずどんと抜けるような高い空と、水平線が丸みを帯びているように思えるほど広い海と、可愛らしく微笑んでいるお団子ヘアのノーラ。いつの間にか昼夜すら逆転している。


「あなた達の言葉で言うならテレポートかな? 単にx、y、z軸に加えてt軸移動しただけよ」


 ノーラがうーんと気持ち良さそうに伸びをして言った。


 湿り気をたっぷり含んだ潮風が巻いて、アーサーの前髪をざらりと撫でて消える。足元を見れば、そこは断崖絶壁。奈落の底まで続いているような崖下には海があり、荒れた波が岩にぶつかり砕けて白い波しぶきを飛ばしていた。


「意味わかんねーよ」


「考えないの。感じなさい」


 いやいや、無理無理。目を開けたら即東尋坊だなんて、玄関開けたら二分でゴハンくらい意味不明だ。感じろったって到底受け付けられない。


 東尋坊と言えば、アーサーの前世の、いや、一瞬だけマンボウに生まれ変わったから正確には前々世か、その前々世であった高史が愚かにも死に場所に選んだ地だ。結局東尋坊にたどり着く事なく家からの最寄り駅で事故死した訳だが。


 しかし何の因縁だ。生まれ変わってオリンピック代表に内定した人生で最も輝いている今頃になって、転生ハローワーク職員にかつて目指した東尋坊へ吹っ飛ばされるなんて。


「今や東尋坊と言ったらマンボウでしょ? あなたに会わせたいヒトってのがね、あのマンボウの王なの。あなたのお兄さんよ」


 ノーラがさらっと言ってのけた。


 アーサーは頭を抱えた。これで混乱するなと言う方に無理がある。トラウマの地、東尋坊のみならず、選りに選ってトラウマの前世、マンボウか。しかもマンボウ時代の兄さんかっ! マンボウの王かっ! マンボウとして生きた時間は三秒くらいだぞ。兄も弟も王もあってたまるか。


 ボクの名前は山田中アーサー王です。生まれる前から最強を目指し、子供の頃から父親に鍛えられて、ボクシングのオリンピック代表選手になりました。そして前々世で死に場所に選んだ東尋坊へテレポートしました。そして前世でお兄さんだったマンボウの王様と会いました。楽しかったです。


 僕の人生と言うタイトルで作文を書けば、四百字詰め原稿用紙半分でとてつもなくアクロバチックな人生を書き上げられる。


「何処からか海岸に降りられないかな?」


 そんなアーサーの心の声を無視するようにノーラは足元の海を覗き込んだ。


 アーサーは東尋坊をただの険しい岩場だと思っていた。自殺の名所と聞いていたのでこの地を死に場所と選んだのだが、その目で見てみると、なるほど、こいつはまさしく異世界感に溢れるこの世の果ての地だと思えた。


 大きな岩がゴロゴロしていて断崖絶壁が海の側に切り立っているイメージだったが、実際の東尋坊は見る者を鋭い角度で切り刻むかのような岩場だ。角張った岩の柱が海から突き出して、それが何本も何十本も束になって深くえぐれた崖を形作っている。波が大地を洗って作った海岸線だとは思えないほどに刺々しく、荒ぶった海が牙を剥いて大地を咬みちぎったような地形だ。


 ここからダイブすれば、まず間違いなく地獄逝きだな。はるか遠く下には渦を巻く海が見える。今更ながら、ゾッとする。最寄り駅で事故死してよかった。


 と、こんな崖の上からでも巨大な魚影が渦の中に見えた。でかい。凄まじい存在感だ。


「いたいた。アーサー、見える?」


 ノーラも巨大な魚影を見つけたようだ。あれが、兄さんか。マンボウの王か。




 福井県と言えば日本有数の恐竜化石の産出地である。福井県に横たわる手取層群にはフクイサウルス、フクイラプトル、フクイティタンと言った日本独自の恐竜化石が眠り、福井県立恐竜博物館は世界有数の恐竜、古生物化石の展示、研究機関施設となっている。


 そして福井県の名産品は恐竜化石だけではないと、それに加えて、東尋坊に福井県立マンボウ博物水族館が建設されたのはごく最近の事だ。福井県近海から採集されたマンボウの卵から幼魚、成魚に至るまで展示、研究され、謎に包まれていたマンボウの生態が徐々に明らかにされ、日本のみならず世界のマンボウ学者達からマンボウ研究の最前線基地と称されている。


 福井県の県の魚は越前蟹と設定されているが、昨年は新たにマンボウが追加された。


 越前蟹と同じく、越前の名を冠する生物がいる。エチゼンクラゲだ。大きなもので傘の直径が2メートル、重量が200キログラムを越える巨大クラゲだ。


 大量発生したエチゼンクラゲは定置網に引っかかり、その重さから網を破り、底引き網漁船を転覆させ、網にかかった魚をクラゲの毒で死に至らしめ、福井県の漁業に甚大な被害をもたらしていた。しかし、福井県沿岸にマンボウが現れてから、エチゼンクラゲ達はマンボウに食べ尽くされ、漁業は復興を遂げた。


 福井県沿岸に人を呼び、魚を呼び、経済界に多大な貢献をしたと、東尋坊付近に棲み着いたとされる一際巨大なマンボウは、マンボウの英語名から「モラモラくん」と名付けられ、東尋坊のある福井県坂井市から名誉市民として住民票が交付されたのは記憶に新しいニュースである。


 今日もまた、モラモラくんとその仲間達を見物に、大勢の観光客が福井県東尋坊に世界中から集まってくる。




「さあ、アーサー。お兄さんよ! キングマンボウことモラモラくん。私が転生させた灰谷曜市さんよ」


 と、ノーラが胸を張ってドヤ顔で言うものの、アーサーは目の前に広がる光景のあまりのシュールさに言葉が出てこなかった。


 浅瀬にどっかりと横たわり、ヒレで海面を叩くようにして泳ぐ超巨大マンボウ。そこらの自動車どころか小型バスくらいのサイズがあるモンスターマンボウだ。時折海面から顔を出すように口をパクパクとやり、アーサーの方へ目を向ける。そして不思議な事に、アーサーにはこのマンボウの声が理解できた。


「オリンピック代表とは、逞しい若者に成長したな! 君は我が一族の誇りだ! アーサーくん!」


「あ、あざーっす」


 なんでマンボウの言葉が理解できるんだよ。と、つっこみたくても誰につっこんでいいのやら。


「あんたもマンボウだったんだもん。会話できて当然でしょ?」


 ノーラがあっさりと言う。


「そう言うもんなのか?」


「世界はそう言う風にできているの」


「そう、世界は不思議なものだな。僕は君が魚に食われるのを見て、マンボウ達に意識革命が必要だと思ったんだ。この弱肉強食の世界に生き残るために。言わば、アーサーくん、君はマンボウ達の命の礎となったんだよ」


「そうっすか」


 としか言えないアーサー。モラモラくんはうんうんと頷いて続ける。


「もしも、だ。魚に食われるのが僕だったら、今のマンボウ達はこの海にいないはずだ。導く者がいないからね。君だって遅かれ早かれ魚の餌食になって、オリンピックどころか人間に再転生だって難しかったかもしれない」


「そうっすね」


 としか返せないアーサー。灰谷曜市はやはり嬉しそうにヒレをパタパタさせた。


「アーサーくんのその素晴らしく成長した姿を見て、僕は確信したよ。間違っていなかったんだ。僕が生きてきたこの道は正しい道だったんだ、と!」


「そりゃどーも」


 それにしても意識高いマンボウだな。アーサーがノーラの方をちらっと見やると、ノーラはその視線に気付いて優しげな笑顔を見せて肩をすくめた。


「僕は役目は果たした。あとは次世代のマンボウ達に任せるよ」


 不意にキングマンボウはヒレを大きく羽ばたかせた。浅瀬であるにも関わらず、その大きな身体をぐいっと起こし、身をよじり、海面から空へと舞い上がった。


「あぶねっ!」


「きゃっ!」


 アーサーがノーラを抱きすくめ、岩場に身体を投げ出した。そして次の瞬間に、二人が立っていた場所に巨大なマンボウの体躯が降ってきた。ずしん、と数トンはあろう巨体が岩場を揺るがす。


 短いヒレをびちびち。大きなおちょぼ口をぱくぱく。マンボウの王、モラモラくんはその巨体を完全に岩場に打ち上げてしまった。


「何がしたいんだよ、兄さん!」


 このままではあまりに大きな身体のせいで自重で自らの命を押し潰してしまう。アーサーはマンボウの顔に駆け寄ったが、もはや人の手でどうにかできる大きさではない。


 どうしたらいいんだ。何か触ったらぐにゃってなりそうな皮膚してるし。そもそもこんな巨体、一人で持ち上げられる訳もない。


「いいんだよ、アーサー。僕は君に会うこの日のために生きてきたんだ」


 びちびち。ぱくぱく。


「アーサー、曜市の言う通りなの。この身体は、東尋坊で生きるには大きくなり過ぎた」


 ノーラが黒スーツの乱れを直し、赤眼鏡を薬指でくいっと上げながら言った。いや、それはそうかもしれないが、そろそろ曜市だかキングマンボウだかモラモラくんだか統一してくれないと訳がわからなくなる。アーサーはモラモラキングマンボウ曜市の顔のすぐ側にひざまずいた。


「えーと、曜市兄さん? 俺はどうしたらいいんだ?」


「いい顔してるな、我が誇り高き弟よ。そのまま己の信じた道をゆけ」


 びちびち。ぱくぱく。


 ふと見れば、岩場に近い海にはマンボウ達が整列していた。アーサーには感じ取れた。姿形こそ違えども、皆、アーサーの兄弟達だ。マンボウの王の死を悼んでいるのか。一列に整列して波間に浮かんでいる。


 びち、びち。ぱく、ぱく。


「我が人生に一片の悔いなしっ!」


 灰谷曜市は最期に叫んだ。びちっ。ぱく……。


「そこはマンボウ人生だろ、兄さん」


 送る言葉として、アーサーはつっこんだ。


 顔を上げれば、まるで敬礼するかのように海からヒレを突き立てるマンボウ達。偉大なる王を送り出すにふさわしい壮観な光景だった。


「……死んだわ」


 ノーラが静かに王の臨終を告げた。

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